1-16『幕間』
霧道だけがいない組。
その日は、稀にみる快晴の日。
されど、僕にとっては嵐の日だった。
「あ、雨森君! きょ、今日って暇かしら……?」
「……え? どちらさん?」
僕の席の前までやって来てそんなことを言い出したのは我らがよく知る朝比奈嬢。
彼女がお約束の『クラスメイトの朝比奈だけれど覚えているかしら』的な一言を言ってなかったのでそう返す。
彼女はグサリという効果音と共に胸を押さえてたたらを踏み、周囲から思わず『Ohh……』という声が漏れる。
「そ、そう……よね。学校生活始まって一週間も経ってるし、これまでに何回か話しかけたりしてるからそろそろ名前覚えてくれたかしら、そろそろクラスメイトからお友達にクラスアップしてるんじゃないかしら、そんな淡い期待を抱いて勇気を出した私が悪いのよね……でも、ええ朝比奈霞、こんな所で折れる訳にはいかないのよ!」
こっちとしては、【退学】という目に見える校則違反の脅威を実例で示された今、そろそろ行動に出てもいいんじゃないですか朝比奈嬢、とでも言ってやりたい所なのだが。
「……で、何の用だ。顔は辛うじて見覚えあるけど、名前はさっぱり思い当たらない……えっと、クラスメイトだったか?」
「……ク、ラスメイト……の、朝比奈、と申しますが……、お、お話よろしいかしら……?」
「……ああ、そういえばいたっけ。悪い、興味がなさ過ぎて忘れてた」
容赦ない言葉の刃に朝比奈嬢の上体が仰け反る。
が、彼女の心はへし折れない。
まるでゴキブリの生命力。
原因不明なしぶとさを発揮し、踏みとどまった朝比奈嬢。
本当ならこの後に『悪い、あんたに付き合ってられるほど暇じゃない』と一蹴してしまいたいんだが、さすがにそれやっちゃうとクラスメイトからハブられそうで怖い。
最初の校則違反を免れた早寝野郎。
朝比奈霞のお気に入り虐められっ子。
霧道走による被害者、倉敷蛍+α。
クラス最弱のゴミ異能保持者。
榊先生から哀れな呼び出し受けた男子生徒。
ぱっと上げられるだけでこれだけ目立ってる。
加えて『噂』っていうのは尾ひれ背びれがつくものだ。一体クラス学年、学校中で見て、僕がどんな理由からどれだけ注目を浴びているかなど甚だ見当もつかない。
だから、これ以上注目を浴びない為にも、僕は彼女の話を聞いて。
「て、提案なのだけれど、今日の放課後、時間があればすこし付き合ってくれないかしら!」
――さらなる注目を呼び寄せた『嵐』を前に、僕は心の中で頭を抱えた。
☆☆☆
――放課後。
「さあ、行きましょうか雨森君! 倉敷さん!」
「おー!」
なんだかとっても嬉しそうな朝比奈嬢に、満面の笑顔で倉敷が拳を突き上げる。
その際、一瞬だけものすごく強烈な視線が横っ面へと突き刺さる。送り主はもちろん倉敷。
その瞳は口よりも雄弁に『ふざけんなよコラ無表情野郎、なんで私まで道連れにしてんだ』と語っており、僕は『いいじゃないか、仲間だろう?』と心にもないことをアイコンタクト。
返ってきたのは憎悪のこもった舌打ちだった。
「……あら? 倉敷さん、今――」
「んー? どうしたの朝比奈さんっ?」
満面の笑みを浮かべ、上目遣いで朝比奈を見やる倉敷。
その姿には舌打ちを耳ざとく聞きつけた朝比奈も『気のせいだったかしら』という表情だ。さすが我らがスーパー委員長、あの朝比奈をも悠々と掌で躍らせている。
あの姿勢、あの上目遣い、あの声色を『作って』出来るってすごいな、と思いつつも、朝比奈嬢へと本題を問いかける。
「で、なんなんだ一体……。一応、倉敷さんと出かける用事あったんだが」
というのはもちろん嘘だが、倉敷と約束していたのは本当だ。
その内容としては、霧道を打倒した今、本格的に動き出すであろうこの女――朝比奈霞をどう誘導するか。
もっと言ってしまえば、次に誰を仲間に引きずり込むか話し合うつもりだったのだが……。
「まぁ、べつに大丈夫だよっ、朝比奈さん! 用事っていっても、ちょっと買い物に付き合ってもらおうかなー、ってくらいだったし! むしろ、朝比奈さん、雨森くんに用事あるみたいだし……私、席外してよっか?」
おっと、そうは問屋が卸さねぇぜ倉敷この野郎。
なーに勝手に『空気読める女』アピールしながらこの場からフェードアウトしようとしてやがる。
何とか邪魔してやろうと考えていると。
「……いえ、本当は倉敷さんにも話したかったことなの。だから、倉敷さんもよければ一緒にいてもらいたいわ」
と、他でもない朝比奈嬢からの懇願だ。
倉敷は一瞬、それこそ僕レベルじゃないと気づかない程度の刹那、嫌悪感に顔を歪めたが、すぐさま人懐っこい委員長フェイスを貼り付ける。
「そう? ならお言葉に甘えさせて貰おっかなーっ!」
そう言いながら、近くのベンチへと駆けてゆく倉敷。
色々と考えている内に、いつの間にか中庭にまで来ていたらしい。彼女は小屋付きのベンチへと腰を下ろすと、対面だって空いてるだろうに、わざわざ隣をパシパシ叩いて僕をお呼びだ。
「ほらっ、雨森くん早くぅー!」
「…………」
そんな倉敷を冷めた目で見ながら、机を挟んだ対面に座り込む。
と、そうなれば朝比奈嬢は僕の隣に座りたそうにソワソワし始める訳だが、それを阻止するべく二人がけベンチのど真ん中に腰を落ちつける。
「えっと、そこの……誰だっけ。あ、あさ、朝……飛葉さん? 倉敷さんの隣空いてるし、そちらにどうぞ」
「え、えぇ……分かってた、分かってたわよいい加減。雨森くんは私に対して興味無い。だから、名前覚えられてなくても挫けるな、私っ!」
相変わらず健気な朝比奈嬢。
いい加減僕のことは諦めて欲しいんだが……まぁ、彼女の性格上そう簡単にも行かなさそうだ。だって、たぶん、今回僕ら二人に用があったってのも多分例のことについてだろうし。
「……んんっ、それじゃあ、改めまして。クラスメイトの朝比奈霞よ。今回、二人に話したかったことは……他でもないわ。先日退学処分を受けた霧道君についてよ」
「霧道くん……?」
朝比奈の言葉に、倉敷が口元に人差し指を当てて首を傾げる。仕草一つ一つが異様にあざとい! そして可愛い! ……でもこいつ、鏡見ながらこういう仕草の練習してるって考えると悲しいヤツだな。
「で。その、霧道が一体どうしたんだ」
もしかして退学してからも僕の誹謗中傷でも垂れ流してるのだろうか。だとしたら悪質だな。卒業したら今度は本気ですり潰そうか?
そんなことを考えていた僕だったが、彼女が頭を下げたことで違うのだろうと考えた。
「まず……ごめんなさい。私のせいで二人に迷惑をかけたわ」
その言葉に僕は目を細め、倉敷は大袈裟に慌てている。
「そ、そんな……っ! 顔を上げてよ朝比奈さんっ! ほらっ、雨森くんからもなんとか言ってよ!」
倉敷がそう言って僕へと視線を向けてくる。
だが、しばし考え込んだ僕は、恐らく望まれていた言葉とは真逆のセリフを吐き捨てた。
「……そうだな。お前のせいで僕と倉敷さんは殴られた」
「……っ!」
「ちょ、ちょっと雨森くん!」
倉敷から非難の声が飛ぶが、気にしない。
「……やっと思い出したよ。お前のこと。そうだ、空気も読まずに霧道のことを煽りまくって、その果てに僕と倉敷さんの二人を危険にあわせた張本人……。そいつが、なんでったってこうして僕らの前にいるんだ?」
「――っ」
今回、朝比奈を攻める言葉に容赦はない。
だって、そうだろう。
僕はこいつを拒絶した。
今更『何となく流れで話せるようになりました』――だなんて。そんな都合のいいことは起きるわけがない。
「なぁ、そういえば言ったよな。金輪際僕に関わるなって」
「そ、それは――」
「虐めっ子が退学したからもう全部チャラでしょう、なんて巫山戯た言葉は口にするなよ。謝ったところで僕がお前と話すことは何も無い。黙って失せろよ加害者野郎」
朝比奈の顔色が青白くなってくる。
いやー、すまんね朝比奈嬢。
僕もさすがにこれは言い過ぎだと思います。
ただ……お前さ、こうでも言わないと延々と僕にとって付き纏うだろ?
僕は彼女の隣へと視線を移動させる。
そこには僕のことをじっと見つめる倉敷の姿があり――
「何を思って付き纏ってくるのかは知らないが……おい、知ってたか? そういうのを世間一般にはストーカーっていうんだぜ? なぁ、正義の味か――」
――そこまで言った、次の瞬間。
パシンッと鋭い音と共に頬へと衝撃が突き抜ける。
その音に朝比奈が顔を上げ……そして、僕の頬を引っぱたいた倉敷を見て愕然と目を見開いた。
「く、倉敷……さんっ!」
「雨森くん……さすがに、それ以上は言い過ぎだよ。雨森くんが、朝比奈さんをよく思ってないって言うのは分かってる。朝比奈さんに非があるのも否定しない……けど。言っていい事と悪いことがあるよ」
珍しく怒ったような声色の倉敷。
それを前に朝比奈は間抜け顔を晒しており、僕は舌打ち一つ、苛立ち混じりに席を立ち上がる。
「……もう、話すこともないだろ。それじゃ」
「あ、ちょっ――」
制止の声も聞かず、僕はその場を後にする。
その後ろではどこか怒ったような倉敷と、心配そうに顔をゆがめる朝比奈嬢。
そんな二人を背後に、僕は――。
☆☆☆
「まさか、あんなことになるとはなー」
――夕方。
そういった僕へと、電話越しに倉敷からため息が聞こえる。
『おいこら、ふざけんなよお前。元々お前とは話す予定だったけど……まさか朝比奈の件にいきなり巻き込まれるとは思ってなかったっての』
「でも、上手くいっただろ?」
そう言うと、彼女は電話越しに息を呑む。
数秒経って、再びため息が響くと、次いで彼女の呆れたような声が聞こえてきた。
『……まぁ、そうだな。朝比奈とは仲良くなったよ、【計画通りに】な』
計画通り……か。
ちょっと何言ってるか分からないが、まぁ、仲良くなれたのならそれは良かった。そう口にしようとして。
『らしくなく、テメェが長話してるな……と思ったらどうだ。あからさまに『委員長であるならば止めるべき状況』が出来上がってた。んでもってその通り、世間一般に言うところの【良き委員長】がすべき行動をしたらその結果、どういう訳か朝比奈と仲良くなってた。……これは、どういうことだ?』
「偶然だな」
短く告げる。
されど、倉敷の言葉は止まらない。
『「朝比奈さん……ごめんね。なんか横槍入れちゃって。私も雨森くんと仲良くしたいし……一緒に仲直りしよっ? みんな、仲良くしてる方がずっといいもんね!」』
電話越しに【委員長】の声が聞こえる。
『どうだ? 委員長らしいだろ? けど、テメェの内情知ってる手前、これを言うのは抵抗あったんだぜ? だって『倉敷蛍と朝比奈霞が仲良くなる』と『雨森と朝比奈が遠ざかる』ってのが両立しねぇ。なら、今の発言は悪手だ……とも思ったが、ここまで読んでたお前が私の模範解答を想定してないはずがねぇ』
模範解答。
言い得て妙だな委員長。そう考えて間もなく、彼女は自身の想像を口にする。
『だから察した。てめぇはきっと、前者が後者よりも重要だと考えた。だから、私と朝比奈を仲良くするために、自分自身を踏み台にした』
その言葉に、電話越しに笑みを浮かべる。
あぁ、良かった。やっぱりコイツは馬鹿じゃない。
僕の隣に立つに足る。
ここまで読めるのならばなんの問題もない。
久方ぶりの歓喜に揺れながら、僕は再び口を開く。
「倉敷。計画の第一段階として、お前と朝比奈の間に確固たる信頼関係を築き上げる。簡潔に言うと、【親友になれ】。そのためなら僕を踏み台にしても構わない」
『……ホント、嫌な奴』
その言葉には全面同意だ。
けど、僕は完全な自由が欲しい。
その為ならば、朝比奈に付きまとわれ、不自由を被るとしても構わない。
道中、どれだけの面倒を被っても。
目指す目標には手を抜かない。
万全を期し、万難を排して、自由を掴み取る。
「安心しろ倉敷。僕に敗北はありえない」
明言しよう。
失敗、ミス、敗北。
そんなものはありえない。
僕は――雨森悠人は最強でなければならない。
それが僕の生において、唯一のプライドだから。
『……過度な自信だな。その根拠は?』
「ない。ただお前がその目で認識しろ。僕が一度でも本当に負けたのなら、その時は好きに見限ってくれていい」
今回、霧道に殴られたように。
僕は今後も沢山負けるだろう。
何度も何度も敗れるだろう。
予定通りに、シナリオ通りに。
僕は負けるべくして負けるはずだ。
それでも、最後に笑うのは僕だ。
何もかもを掌で踊らせて、弱らせて。
使い潰した果てに。使い捨てる。
全ては僕個人のために。
『……安心したぜ。そこで【ある】だなんて口にしてたらソッコーで裏切ってたところだ』
「そりゃよかったよ」
そう言うと、電話の向こうから笑みが零れる。
こうして声だけ聞いてると可愛らしい少女のようだが、僕も同じようにコイツの内情を知っている。
だからこそ、なんかいい感じの空気を突き破るように。
一つ、感じた疑問をぶちかます。
「そういや倉敷。あの平手打ち、威力強過ぎなかった?」
――瞬間、ブツリと通話がブチ切れた。
そして、僕のほっぺたは腫れていた。
因果応報ッ!
実を言うと、雨森と朝比奈は同じ小学校出身だったりします。
ただ、朝比奈嬢はそれを思い出せずにいます。
詳しいことは物語の根幹に関わるので言えませんが、彼が必要以上に朝比奈を嫌う理由はそこらへんにあるのかもしれません。
ということで、次回から第二章【孤高な天才 黒月奏】お楽しみに!




