10-22『二人の願い』
超個人的な感想ですが、この作品の中で一番うまく書けた話かもしれません。
その後、本当に灰村ともえは私の妻になった。
「やってきたわ! 天守家!!」
翌日の明朝。
庭先で響いた大声に目が覚め、寝ぼけ眼でカーテンを開く。
そこには大きな荷物を背負ったともえの姿があり、私の姿を見ると嬉しそうに笑っていた。
私はとりあえずカーテンを閉じた。
だが、ともえはなんの容赦もなく玄関のドアを蹴破って侵入してきたため、その日から天守家に住むことを許可した。
だが、本当に妻になる女がどこにいる……。
私か? 私に常識が欠如しているのか?
借金を肩代わりすると妻ができるのか?
これが常識というものなのか?
「周旋様、ご安心召されよ。あの子がちょっとおかしいだけです」
「そ、そうだよな……うむ。そうだよな……?」
執事のセバスチャンが言ってくれた。
私はそれから、灰村ともえは私の常識が通じない超生命体、とでも思うようにした。
「天守くん! ほら、妻になったからにはデートする必要があると思うの!」
「順序が逆なのではないか……?」
「細かいこと気にしてたら目が死んじゃうわよ! ……あっ、ごめんなさい。もう死んでたわね」
たまに、彼女の発言にイラッとした。
しかし、私が他人の言葉に一喜一憂していることが不思議だった。母を殺したあの瞬間から、私は機械として生きると決めたはずなのに……。
彼女といると【私】が剥がれてしまうようで。
少し不安だったけれど。
それ以上に、何気ない会話が楽しかった。
今にして思えば……心地よかったのだ。
「天守くん? コンビニ行かない? コンビニ行くならお風呂上がりのアイス買ってきて欲しいのだけれど。あとゼ〇シィあったらお願いね」
「……貴様、遠回しに早く結婚しろとでも言ってるのか?」
「まず結婚より名前で呼んで欲しいわね!」
「ならば私をパシリに使おうとするのは止めろ」
彼女には遠慮というものがなかった。
風呂上がりのアイス?
そんなものは料理長にでもたのめばいいだろうに。
何故か彼女は、コンビニアイスを所望した。
そして結局は私が折れて買いに行くのだが、何故か私が家を出ると彼女も私の隣についてきた。
自分も行くなら私が出かける必要ないと思うのだが……。
それでも、隣で笑う彼女の姿に。
私も、いつの間にか笑っていた。
「最初の子供は男の子がいいわね!」
「……理由は?」
「女の子が産まれちゃったら、あなた溺愛するに決まってるじゃないの! なんせ、私にクリソツな女の子よ? どーせ『我こそ天守の当主である』みたいな硬い顔しときながら、あからさまにその子だけ特別視しちゃうに決まってるわ!」
「………………そんなはずは」
「間があったわね! 嘘つきは泥棒の始まりよ周旋!」
共に多くの時を過し。
私にとって、彼女は家族となっていた。
生まれて初めての、愛すべき人。
誰からも愛情を恵まれなかった私が、初めて愛した人。
初めて私を愛してくれた人。
私は灰村ともえを愛していた。
「けほっ、こほ……」
「風邪かともえ。……大丈夫か?」
「ええ。なーんか最近体調悪いのよねぇ」
最初の子供は、弥人と名付けた。
私とは違って、大きな人間になって欲しい。
そう願って名をつけた。
二番目の子は、優人と名付けた。
優しい子に育って欲しい。
弥人を支えられるような強い人間になって欲しい。
そう願って名をつけた。
その頃になって、ともえの体調が悪くなり始めた。
「はぁっ、はぁ……げほっ、ごほ……っ」
「な……っ!? と、ともえ!」
ある日、彼女が吐血している様子を目撃する。
ともえの腹には既に三人目の子が宿っていた。
私は二人が心配で、すぐに医者を連れてきた。
「な、何故だ! 食事内容、睡眠時間、病原菌の対策も完璧だったはずだ! 私が全て管理した……ともえが寿命以外で死ぬことはーー」
「……天守様。どうか、お気を確かに聞いて下され」
その医者は、長らく天守家に仕えてきた腕利きだ。
彼であれば、間違いなくともえを助けられる。
そう願った。
……けれど、私は天守。
神を殺したものの末裔。
どこまでも私の人生は……神に呪われているらしい。
「奥方の体内から……大量の毒が発見されました」
☆☆☆
「……あら、周旋。どうしたのかしら」
その頃には、ともえは立ち上がれない体になっていた。
既に三人目の子は、腹の上から分かるほど大きくなっている。
私は女では無い……だが。
その子を産めば、ともえは間違いなく死ぬだろう。
それくらいは分かっていた。
「……何故」
私は、彼女へ問うた。
声は震えていたと思う。
私を見るともえの顔は、いつになく優しかった。
「……何故、言ってくれなかった」
「あら、なんの事かしら?」
「……私と居る事が毒だと、なぜ言わなかった!」
私は叫ぶ。
天守ともえ。
彼女の体内から発見された大量の毒性。
それは、間違いなく天守周旋のものだった。
私の毒が、彼女を蝕んだ。
そう理解した瞬間。
今までの輝かしかった過去が。
思い出が。
一気に崩れていくのが分かった。
「喋ることも、手を繋ぐことも、子を成すことも……ッ! 私の全てが毒である以上、一般人には……君には、あまりにも……僕は君にとって害悪すぎる」
……僕は、ずっと研鑽を続けてきた。
才能なんてない。
天能だって強いとは言えない。
天守の当主になれたのだって偶然、奇跡が重なっただけ。
僕自身に誇れるような力は無い。
だから、必死になって力を極めた。
家族を守れるように。
ともえと、子供たちを救えるように。
極限まで毒を高めた。
……それが、逆にともえの体を蝕んだ。
「…………私は、君の傍から離れる。そして、君にその子は産ませない。私がこの毒性を完全に支配できるその時まで、君には一切不自由ない場所で暮らしてもらう。当然、体に負担がかかるような真似は許さない」
私は天守当主として彼女へ告げる。
三人目の子は、見殺しにする。
その子を産むということは、ともえが死ぬということだ。
それは許さない。
ともえが死ぬことだけは……絶対に許さない。
「……あら、また【私】に戻っちゃったのね」
彼女は少し寂しげにそう言って。
腹の子を撫でながら、私を見据えた。
「産むわよこの子は。私を舐めないで頂戴」
心が、ずしりと痛んだ。
知っていた。彼女がそう言うってことくらい。
知っていたのに……自分の死を間際にすれば。
意見くらい変えるだろうと……そう願っていた。
「……っ! し、死ぬんだぞ、お前は!」
「だからどうしたってのよ! 子のために死ぬなんて親としては本望じゃないの。逆に、子を殺して生きようなんて笑っちゃうわね!」
そう言って楽しそうに笑う彼女を見て。
私は、泣きそうになった。
「…………私は、お前に生きて欲しい」
「ったり前でしょ! だって周旋ってば私の事大好きだもの。ここで死ねとか言われたらちょっと傷つくわよ?」
否定はしなかった。
彼女の言うことは、正しかったから。
「……私は、お前を幸せにしたかった。父を失い、借金に苦しみ、せめて……せめて私の隣では幸せに生きて欲しかった。……だけど、今の私では、お前を幸せにすることなんて出来ない」
傍に居ることがお前を殺す。
触れることがお前を殺す。
であれば、私はお前の傍には居られない。
私は顔を俯かせる。
私は、お前には相応しくなかったのだ。
そう言おうとしたその瞬間。
ーー私の頭へと、鋭く拳骨が落ちた。
「ーーッ」
「い、痛いわね!? 相変わらず石頭すぎるわよあなた!」
驚き顔を上げる。
立ち上がることも出来なかった彼女は。
清々しいほど楽しそうな笑顔を浮かべて、私の前に立っていた。
こふりと、彼女の口から血が溢れる。
焦って彼女へと駆け寄ろうとする私より先に。
ともえは、私の胸ぐらへと手を伸ばした。
ぐいっと、距離が寄る。
この距離では、私の毒が彼女を蝕んでしまう。
一般人に、この距離はあまりに毒だ。
咄嗟に離れようとするが……ともえは、力強く私の服を掴んでいた。
「私が幸せじゃないって、いつ言ったかしら?」
「そ、それは……」
不敵に彼女は私へ問う。
その目を見て、私は大きく目を見開いた。
「石頭すぎて怒るわよ周旋。あなたの妻で居られたこと。幸せだったに決まってるじゃない!」
……涙が、溢れ始めた。
ぽろぽろと。年甲斐もなく。
私は泣いていた。
まるで子供のように、泣き始めた。
「この状態は私の責任よ。苦しいなぁ、もしかして毒なのかしら。そんなことを思いながら、あなたの隣で笑ってるのが幸せだった。少しでもあなたと一緒にいたかった。そんな乙女心を馬鹿にするならぶん殴るわよ周旋!」
「……もう、殴ってるよ」
「あら、そうだったかしら? ごめんなさいね、手が先に出ちゃったみたい」
そう言って、彼女はベッドに座り込む。
腹の子を撫でながら、優しげに笑う。
「あなたを好きだったから、私はあなたの隣に居続けた。私の愛の結果を、子供に責任とらせるのはちょっと違うわ。私は責任をもってこの子を産む。……きっと、私にクリソツの超絶美人が産まれてくるわよ」
「……あぁ、そうだな」
「周旋ってば、きっともうメロメロよ? だって私にそっくりなんですもの。間違って惚れたら私、怒るわよ? ちゃんと私一筋で死になさいね?」
「……あぁ、心配するな」
「弥人と優人もきっと溺愛するわよ。天守に生まれた可憐すぎる一輪の花。名前はもう決めてあるの。産まれた時に教えてあげるわね!」
「……楽しみにしてる」
「楽しみねぇ! まだもう少し先だけれど、勉強机とかも買わなきゃだしね。ランドセルの色とかも色々考えてるのよぉ」
「……うん。そう、だな」
「……ねぇ、周旋」
涙を拭う。
彼女を真っ直ぐに見据える。
愛すべき人。
私を愛してくれた人。
天守ともえは、最期まで笑顔だった。
「私の代わりに、あの子達を守ってあげてね」
三人目の子が生まれた。
そして、天守ともえは死んだ。
私に『考えていた名前』を言う間もなく。
楽しみにしていた未来を、見ることも無く。
私を残して、旅立っていった。
私は涙で霞む視界で、子を抱いた。
ともえにそっくりな、三人目の子。
可愛らしい女の子。
私はその子に、【恋】と名付けた。
☆☆☆
深い眠りから、目が覚める。
懐かしい夢を見ていたような。
そんな気がした。
「おや、お目覚めですか」
目が覚めた私は、声の方を向く。
場所は天守の執務室。
私はソファーの上に横になっていた様子で、声の主は執務机の隣で窓の外を眺めていた。
「……八雲か」
研究者、八雲。
出入口の方にも気配がひとつ。
見れば、助手の海老原の姿もあった。
一言で表せば『胡散臭い者たち』
しかし、必要な人材だ。
多少の汚濁には目を瞑っている。
「……私は」
ふと、なぜ私は眠っていたのか気になった。
眠る前……いや、気を失う前の記憶を掘り起こす。
【終の雫】
ふと、その単語が頭を過ぎる。
家族を守るため。
大切な人を守るため。
私が過去に生み出した、天能臨界。
その一滴で全てを終わらせる、殺しの業。
……あぁ、そうだ。
私は橘一成と戦い、そしてーー
「ええ、貴方は今しがた殺されました」
「…………は?」
響いた八雲の声に、思わず問い返す。
殺された……この、私が?
であれば、なぜ私は生きている……?
咄嗟に頭が回らない。
そんな私を前に、八雲は焦った様子だった。
「あぁ! 失礼、口が滑りました。敗北した、そういう意味では殺されたのと同意でしょう? 橘一成……怪物ですかあの人。あなたの【天能臨界】を一目で危険と判断し、発動に先んじて貴方を戦闘不能に追い込んだ」
「…………」
私は無言でソファーから立つ。
胸に手を当て……ややしばらくして息を吐いた。
「……そうか。いや、あの御仁ならやってのけるだろう。橘一成は言ってみれば規格外だ。そもそも、私では勝機など最初からゼロだった。……少しでも、肝を冷やせれば、と思ったのだがな」
「その割に、怒っていたようですが?」
「……あぁ。随分と久しぶりに……嫌な言葉を聞いたものでな」
橘一成。
私があの男を好かない理由。
それは、過去に生きたある女性と在り方が似ているからだ。
彼と話していると、どうしたって過去を思い出す。
私が幸せだった頃を思い出す。
もう取り戻せない過去を。
輝かしい思い出が、蘇る。
だから、嫌だ。
私は橘一成が気に入らない。
だが、一番では無い。
私が最も嫌うタイプ。
……その筆頭が、今、目の前に立っている。
「……で、研究はどうなっている」
私は、八雲へ言う。
「随分と捗っている様子だが?」
「…………はて、なんのことでしょうか」
私の言葉に、八雲は笑顔で首を傾げる。
この男は、他の生物全てを実験材料としてしか捉えていない。
使えるものがあればなんでも使う。
それがなんの罪もない子供たちであれ。
……たとえ対象が私であっても、例外では無い。
この男にとって、他人は全て食い物だ。
自分の欲望を満たすだけの糧。
同じ人間として捉えてはいない。
その行動理念に常識はなく、道徳もなく。
あるのは機械的なまでにブレることない野望だけ。
狂人と天才は紙一重……とは聞く言葉だが。
私ならこの男をこう表すよ。
生まれて初めて出会った――自分以下の塵畜生と。
私は八雲を睨み、出口へと歩き出す。
「……25名だ。貴様の無能のせいで死んだ子供がそれだけ居る。志善悠人が成功した以上、これ以上の犠牲は許さん。貴様には一年以内に結果を出してもらう」
「それはーー」
反論を、私は視線で制する。
八雲の言葉が止まる。
その頬には一筋の汗が流れた。
「ーー私は暴君だ。それ以上の説明が必要か?」
「……い、いえ。あ、あの……分かりました。ですから、その、毒を少々抑えていただけますでしょうか? 私たち一般人には致死性になりかねませんので」
「…………」
私は無言で毒を収めると、再び歩き出す。
出入口の傍で、助手の海老原とすれ違う。
「……賢く生きることを勧める」
そう言うと、男は驚いた様子を見せた。
何も分からない、何も知らない無能とでも思ったか?
これでも、親兄姉を蹴落としてこの座に着いた野心家だ。
私に対する悪意など、見逃すはずもない。
だが、それも今回ばかりは見逃そう。
お前らは、結果を出せ。
どれだけ悪名を被ろうとも。
どれだけ子供たちに嫌われようとも。
私は、この目的を必ず叶える。
私は、執務室から出て歩き出す。
私の目的は、ただ一つ。
天守ともえを蘇らせること。
彼女が夢見た、子供たちの未来。
勉強机、ランドセル。
間に合わなかったことも多いけれど。
恋の名前は聞けなかったけれど。
まだ、間に合うんだ。
彼女が夢見た世界が、ここにある。
私は何としても、彼女を蘇らせる。
蘇生の能力者を生み出して見せる。
そして彼女ともう一度……幸せに生きるのだ。
私の最愛。
私が人生で、唯一愛した人。
私の人生を、唯一愛してくれた人。
その人が生きてくれるのならば。
僕は【私】として、どんな悪逆も執行する。
窓の外を見る。
どこまでも続く曇天。
それは今の私の生き様のようだ。
でも、構わない。
私は、この暗い道の先に。
たった一つの光があれば、それで報われる。
……でも、一つだけ願えるならば。
いいや、一つだけ恨めるならば。
すべてに長けておきながら。
唯一、天能臨界だけは覚えられなかった、不完全な正義の味方。
どこか、妻の面影を感じさせる息子を思い出し。
正確には、あの天能を思い出し……私は神を恨んだ。
【なぜ私ではないんだ】
どうして神は、あの力を私へと授けてくれなかったのか。
あの力の【臨界】であれば。
――あるいは、この願いすら叶うかもしれないのに。
人生で唯一愛した人。
人生で唯一愛してくれた人。
その人がいたから幸せだった。
その人こそが、生きる理由だった。
その【最愛】を失って。
既に、過去の思い出は輝きを失い。
今や黒く染まった、ただの記録が残るばかり。
「■■■■■■■■■■■■」
あの日、彼女はなんと言ったのだったか。
思い出せない。……思い出したくない。
思い出は辛いだけだ。
彼はそう知っている。
だから、冷徹な仮面を被り直して、前を向く。
【僕】としてではなく【私】として。
どんな悪逆を貫いてでも……もう一度、彼女と会う。
それだけを目的に、男は生き続けた。
「私は……やっぱりお前と生きていたいんだ」
たとえその結末が、見るに堪えないモノだとしても。
その男は、愛を捨てることは出来なかった。
次回『それぞれの想い』




