10-21『天守周旋』
その女は、名を『灰村ともえ』と名乗った。
どこにでもいるただの一般人。
出生に秘密はなく、家系も中の下。
何を切り取っても普通な少女。
ただし、その精神力は見上げたものだった。
『ちょ、ちょっとトモちゃん! やめなって……!』
「大丈夫大丈夫! 多分こいついい奴だよ! 目は腐ってるけど!」
天守周旋。
その家族全員が相次いで死んだことは既に公となっている。
その結果、本来継ぐべきではなかった人間が『天守』を名乗っている。
そういう意味で、兄や父に投資していた人間からは大いに恨まれ、今や天守周旋の悪名は様々な場所から聞こえてくる。風評被害も多いが……家族を毒殺したのは間違いない。
ようは、火のないところに煙は立たないわけだ。
学内を歩いていても、私を避けるものばかり。
それでいい。その方がいい。
私は誰ともかかわらず生きていく。
友情も愛情も、今の私には不要なものだ。
そう考えていた。
……なのに。
その少女はずんずんと私へ近づいてくると、ばしりと背中をぶっ叩く。
「ほら! なーにその年で『我が人生見切ったり』みたいな顔してんのよ! 死んで水槽に浮かんでる魚みたいな目ぇしてるわよ! あ、それと友達になりましょ? 金持ちってことは、家に最新型ゲーム機とかあるわけよね?」
「……お前正気か?」
悪い噂しか絶えない男に、その少女は一切の遠慮が無かった。
頭でも沸いたのかと思った。
最新型ゲーム機? 何言ってるんだこの女。
「……えっ、もしかしてゲーム機で遊んだことないわけ?」
「そんなものは不要だ。娯楽に割くような時間はない」
私は関わり合いにならないよう、そう言って歩き出す。
あれは完全に未知の生命体だ。
それでも、突っぱねればこれ以上関わってくることもないだろう。
そう考えた私の耳に、不思議そうな声が届いた。
「窮屈に生きてるのねぇ。人生つまんないでしょアンタ。大丈夫?」
ピタリと、足が止まる。
思わず振り返った。
長い黒髪を風に揺らし、一人の少女は僕を真っ直ぐに見ていた。
何故、私は驚いているのか。
そんなものはすぐに分かった。
――生まれて初めて、この私が心配されている。
「……お前」
「あら、どうしたの天守くん。ゲームに興味でも湧いた?」
ゲームとやらに興味はなかった。
だが、その少女には興味が湧いた。
生まれて初めて出会った、自分を心配してくれる他人。
母親さえくれなかった親愛を。
その少女であれば、与えてくれるのかもしれない。
……今にして思えば、彼女と話すようになった最初の動機なんてそんな程度だったのかもしれない。
☆☆☆
私はその少女と、俗に言う友達となった。
共に過ごし、共に笑う。
私の人生において、唯一の安らぎが彼女だった。
彼女だけは、私を恨まない。
私を憎まない。私を疎まない。
いつも変わらぬ笑顔のままで。
私の隣に居続けた。
しかし、ある日の帰り道。
私は灰村ともえを家まで送って行った際。
彼女の住むボロボロなアパートを見て、少し驚いた。
「いやー、あんまり見せたくなかったんだけどね」
そう笑う彼女は、少し恥ずかしそうだった。
貧乏……と、呼ぶには少々、彼女は不幸だった。
聞くに、父親が借金だけ作って逃げたらしい。
屑だと、心の底からそう思った。
浮気の絶えなかった男だから、おおよそ他の女と夜逃げしたのだろう、とは彼女自身の言葉だ。
「……何故」
「なんで言わなかったのか、って? 私はアンタと喋ってみたかったから近寄ったワケ。こんなの見せちゃったら、本気でゲーム機目当てだと思われるでしょ」
……ゲーム機目当てでは無かったのか。
彼女のために最新型のゲーム機を注文したばかりだったのだが、まぁいい。暇な時にでも私が使うことにしよう。
私は聞こえぬようにため息を漏らすと、懐から通信機を取りだした。
「くだらん。借金とてせいぜい数千万だろう。一億用意してやる。今すぐ返済しに行くぞ」
「だ、ダメよ! そんなことさせたくて近寄ったんじゃないってば! そんなの他の誰が許しても私がゆるしません!」
「お前の許可など求めていない」
私は歩き出すと、ともえはがっしりと私の制服を掴んだ。
「求めなさいよーー!! 私の借金よ!!」
「お前の父のものだろう。悪くもないのにお前が苦しむな」
ともえを引きずりながら歩き出す。
同時に天守の家へと連絡し、蔵から一億を用意して私の元へと送らせる。それが届いたのは、私が借金取りの事務所へと辿り着いたのと同時刻だった。
「や、やめましょうよ! ほ、ほら! おっかない人たちいるかもだしね? 天守くんもそんな人達と話すの嫌でしょう?」
いよいよ物理的に私を止められないと思ったか、手段を変えて私を止めようとするともえ。
私は現金の入ったアタッシュケースを片手に、そのまま事務所へと乗り込んだ。
半分、悲鳴をあげつつ何故か着いてくるともえ。
私は彼女を無視しながら、事務所の扉を蹴破った。
瞬間、私へと突き刺さる無数の鋭い視線。
思わず鼻で笑う。
おままごとでもやっているのか? 仮にこれが敵襲だったなら反応が遅すぎる。睨むだけで一切の行動を取れていない。……皆殺しなら3秒もかからんな。
「あぁ? んだ坊主。ここはガキの来るところじゃァーー」
「失せろ下っ端」
私は突っかかってきた男を無視し、歩き出す。
男はプルプルと震えだし、そんな男にともえが声をかける。
「ご、ごめんなさいね。ほら、天守くんってちょっとおバカなのよ。人を気遣うこと出来ないから友達も私以外誰もいなくて……俗に言うコミュ障ってやつなの。色々と察して許してちょうだいね?」
「……うるさい」
「図星突かれて怒るのはダサいわよ天守くん!」
思わず振り向きキレる私と、キレ返すともえ。
そうこうやっていると、奥の方からガタイのいい男が現れた。
「夫婦漫才なら他所でやれ。用があるならさっさと言え」
男を見上げる。
顔に大きな刃物傷のある巨漢。
滅多に見ることはないほど恵まれた体格と筋肉量。
コイツがリーダーか。
そう察して、私はアタッシュケースを開いた。
「釣りはいらん。この金で灰村家の借金を返済しに来た」
「…………なるほどな。おい、契約書を持ってこい」
すぐに状況を把握したこの男は、部下へとそう声を上げる。
「い、いいんですかアニキ!? そ、そんな大金、もしかしたら偽物かもーー」
「相手のツラぁちゃんと見てからモノを言え。天守の若当主にとっちゃ一億程度端金だろうが。そんなもんに贋金使うほど天守の名は落ちぶれちゃいねぇはずだぜ。……なぁ、天守周旋」
私は無言で腕を組むと、リーダーは急ぎ部下を走らせる。
その目にはどこか『怯え』が混じっていて、どれだけ余裕を装うともその根底には『天守周旋への恐怖』があるのは明白だった。
「…………」
顔にしたってそうだ。
私はそこまでメディアに出演してはいない。
そういうのは好まないからな。
だから必然、歴代の天守と比べると私の知名度はかなり低い。
にもかかわらず、こうして裏社会に一歩でも足を踏み入れると、途端に私の顔を知るものたちが現れる。
それだけ、天守周旋を裏から抹殺しようという動きが強いのか。少なくとも、どこかで私の首に懸賞金がかけられているのは間違いないと見るべきだろう。
……考えれば考えるほど、私は表で生きるには暗すぎる。
そろそろ、この少女との繋がりも断つべき、なんだろうな。
私はそう考え、借金から救われた少女を振り向く。
ーーと同時に、私の頭へと思いっきり拳骨が落ちた。
「ーーっ!?」
「い、痛いわ!? どんな石頭してんのよこの頑固者!」
痛みはなかったが衝撃はあった。
対し、僕を殴ったともえは拳を押さえて涙目になっている。
ーー攻撃された。
信頼していたともえに、攻撃された。
その事実に、混乱していた頭がすっと冷えていく。
ピクリと、私を見ていたリーダーの男が反応する。
私の発した少量の殺意に反応したか。
まぁ、いい。
私は前方を見据えると、ともえに手を伸ばしーー
それより早く、少女は私の胸ぐらを掴みあげた。
「アンタが借金払っちゃったら、今度は私がアンタに返さないといけないじゃないの! どうすりゃいいのよ!? 一億を『釣り銭要らんわ』とか言っちゃうような化け物に恩を返す方法とか……ググッたら出てくるかしら?」
しかし、彼女のいつも通りな逆ギレを聞いて。
募りかけた怒りが、あっという間に消えていくのを自覚した。
「怒るのか聞くのかどっちかにしろ……」
「なら当然怒らせてもらうわ! 一億はちゃんとお釣り貰った方がいいと思うの。だって、借金400万くらいよ?」
「……先に言えよそういうことは」
「言う暇もなかったじゃないの石頭!!」
彼女はそう言うと、あーだこーだと悩み出す。
そんな様子を見ていたリーダーが、困惑気味に問うた。
「……天守周旋、この女は橘か?」
「いいや、ただの一般人だ」
「ば、馬鹿言っちゃいけねぇ! 一般人が天守に対して拳骨なんて出来るわけねぇだろうが!」
「……でも一般人なんだよ」
この女を見ていると、たまに一般人ってなんなんだろう、って思う時がある。
私はため息を漏らすと、ともえも結論が出た様子だ。
彼女は私を振り返る。
その頬は……何故だろう、少し赤かった。
「ええ、決めたわ、覚悟を!」
「よく分からんが、話を聞こう」
私はそう続きを促すと、彼女は語る。
全くもって見当外れなその持論を。
「一億なんて大金、私には用意できないと思うの。でも、借金400万だったから残りのお釣り返せって言ったら、借金取りのおじさん達がおっかないでしょう? 多分喧嘩になると思うの」
「ならないと思うが。なぁ?」
「あぁ。天守とは喧嘩したくないからな」
「嘘おっしゃい! どーせそんなことを表では言っておいて、私たちが帰った瞬間に文句垂れるに決まってるわ!」
「いや、俺としては早く帰ってくれるなら……」
「シャラップおじさん! 黙っててもらえるかしら!」
ともえの一声でおじさんは黙った。
私は痛くなり始めた頭を押さえ、ともえを見る。
彼女は自分の胸に片手を当てると、自信満々に言いやがる。
「なので、私が1億の代わりになるわ! 私が天守くんのものになるわ。有り体に言えば嫁になってあげる!」
そうして、私に嫁ができた。
それは、16歳の夏の出来事だった。
【嘘ナシ豆知識】
〇天守ともえ
旧姓、灰村ともえ
天守周旋の妻にして、天守三兄妹の母にあたる人物。
性格は怖いもの知らずの超善人。
責任感が強く、悪いことは許しませんと誰が相手でも食ってかかる。周旋が言うには『話を聞かない獰猛な犬』とのこと。
また、三兄妹にも彼女の面影は深く残っており、特に恋は性格、容姿共に幼少期の彼女によく似ている。
そのため、恋に『きらい!!』と言われると周旋はとても傷つく。




