10-19『反則』
結論から言って。
その戦いにおいて学んだことは。
ーー橘一成とは反則である。
ただ、その一点だった。
☆☆☆
「ほいっ」
開幕早々。
一成さんの気の抜けた声が響く。
ーーその瞬間、大気が揺れた。
まるで、巨大な質量が勢いよく動いたような感覚。
僕らを襲った凄まじい風圧と。
父上を中心として、陥没した大地を見て目を見開く。
「ぐ……っ!?」
父上はまるで地面に押し潰されたようで、膝を地面につき、苦しげに息を吐いている。
それを見て大きな驚きを見せたのは、弥人、悠人、月姫の三名。しかし、それぞれ驚きの種類は異なっただろう。
「あ、あの父上が……」
「……まさか、あの超重量盾を生身で受け止めますか」
父上が開幕早々謎の攻撃で膝をつかされた、と驚く天守と。
対し、その攻撃を耐えて見せた父上に驚く橘月姫。
見れば克也は興味なさげに腕を組んでおり、とうの一成さんは口笛を鳴らしていた。
「ヒュゥー、意識あるとは凄いね周旋。重いだろ、ソレ」
「……無色透明な盾を、自由自在に操る能力、だったか」
父上がそう言った瞬間、彼の身体から紫色の霧が吹き出す。
それは瞬く間にクレーターとなった窪地を埋めつくし、それを見て一成さんは顔をしかめる。
「毒の霧、かい。当然のように致死性だね」
彼の言葉にビクッとした。
咄嗟に袖で口元を隠すと、既に優人たちは同じような対策をして距離を取ろうとしている。
前を見ればこちらを見ている一成さんと目が合った。
距離的には絶対一成さんの方が危ないって言うのに……他人の心配できるほど余裕があるのかあの人……。
思わず頬を引き攣らせていると、一成さんは言う。
「……子供達が危険だと思わないのかい?」
「先に言ったはずだ。私が戦う以上……被害は避けられない。貴殿が私を殺すというのであれば、全力で交戦するまでだ」
父上の冷めた瞳が僕らを捉える。
感情などこれっぽっちも乗っかっていない、死体のように濁った目。彼がその瞬間に何を判断したのかは分からない。それでも、彼は続けて断言する。
「毒では弥人は死なんだろう。ーーならば良い。少々惜しいが、あとは必要経費と割り切るまでだ」
「…………は?」
その言葉が聞こえて。
僕は、大きく目を見開いた。
気がつけば、僕は一歩踏み出している。
父上にとって橘は敵だ。
一成さん、克也、月姫、彼らを殺そうと言うならまだ分かる。物騒だとは思うし、反対したい気持ちもあるが、まだ分かる。
けど、違うだろう。
ここには天守優人が……あんたの息子が居るだろう!
必要経費? 割り切る?
ーーふざけるな、と僕は思った。
奥歯を噛み締める。
拳を握った。
生まれて初めて知ったーーこれが【怒り】かと。
腹の底から湧いてきた激情。
あの父上、一発殴ってやらないと気が済まない。
僕は二歩目を踏み出す。
と同時に、僕の肩を誰かが掴んで引き止めた。
「やめておけ志善。僕は気にしない」
振り返ると、僕を止めたのは優人だった。
「で、でも優人……!」
「それに、今のお前に何ができる? ……強くなると決めたはずだろう。言いたいことがあるなら強くなってから言い返せ。……当然、僕もそうするつもりだ」
彼の言葉を聞いて、僕は言いかけた言葉を飲み込んだ。
……納得はしないよ。
優人がそう言っても、僕は納得できない。
皆みたいに賢くないからさ。
こうして優人が冷遇されたこと、ずっと覚え続けると思う。
けど、優人が言った言葉も正しいと思った。
言いたいことがあるのなら、強くなってから言い返せばいい。
「弱ければ何もできない……んだね」
「そういうもんだろ。強くなければ意地は通せない」
そう聞いて、僕は握りしめていた拳を解いた。
……現状、天守で一番弱いのは僕だ。
である以上、僕に発言権なんてあるはずもない。
強くなければ。
意地を通せるだけの強さが無ければ。
……あの二人に匹敵するだけの【脅威】が無ければ、誰も僕の話なんて聞いちゃくれない。
「……そうだね」
僕は考えるのをやめ、優人と一緒に後方へと下がる。
……その時に。
前方――毒霧の漂う死地にて。
僕を超えるかそれ以上の、怒気が聞こえた。
「――ああ、そう。君はもう人間じゃないらしい」
後方へと下がる最中。
思わず背筋に寒気が走り、振り返る。
――そして、ありえない現象を目撃した。
「「………………はぁ?」」
僕と優人の声が重なる。
振り返ったそこで見たのは。
まるで無色透明なスプーンでえぐり取られるように。
毒の霧とその周辺の大地が、丸ごと削れて空へと浮かびあがる光景だった。
「うはー……、こりゃ規格外だね」
「当たり前だろう。普通に戦って、あの男に勝てる生命体は存在しない」
弥人と克也の話し声が聞こえる。
その時になってようやく現実に戻ってきた僕は、そのありえない光景を改めて注視した。
父上は……驚いている様子。間違いなく一成さんの仕業だ。
だけど、彼の天能は【盾】
何をどうやれば地面を丸ごとえぐり取れるのか……と考えたその時。
隣の優人が、唖然とした様子のまま口を開いた。
「盾という概念の解釈が広い……のか?」
「……解釈が広い?」
思わず問いかけると、いつの間にか近くに来ていた月姫が答える。
「優人様の【銃】と同じですよ。その天能も、銃という名に反し、あらゆる現代兵器を総括する。その理由は優人様。貴方が銃という括りの中に『爆弾も含まれて当然』と考え、天能を使い続けてきたからです」
「……確かに、爆弾って銃じゃないもんね」
気になってはいたのだ。
銃と言う割に、使える範囲が広すぎやしないか、と。
まあ、優人だし。という言葉で結論付けていた疑問だったが……。
「天能とは神の力。その直系である私たちにとって、概念とはおおざっぱなのです。神にとって世界のすべてが些事であるのと同じく、私たちの力も、ある程度近しい事象は『思い込み』によって使役できてしまう。……橘一成のアレは、その極点とも呼べるでしょうね」
改めて、目の前の超常現象を見る。
毒の霧は際限なく広がっていく。
しかし、球状に透明なガラスでも貼っているかのように、ある一転まで広がればその先まで漏れ出すような気配はない。外から見れば……まるで紫色のスノードームだ。
「……極めつけは克也への敗北。……よほど堪えたらしく、あの一戦以降、あの男の戦術、戦略、そして天能の自由度は規格外に広がりつつあります」
「……既に最強なのに、まだ成長途中っていうこと?」
「……ですね。腹立たしいほど……あの男は最強ですよ」
月姫がそう言って間もなく。
球状のバリアの中から、一成さんの声が届く。
「盾の形状なんて誰が決めた? 防ぐ対象を誰が決めた?」
それは世間一般の『盾』という概念への反論だった。
「対象は私が定める。形状だって私が定める。重さも、速度も、質も、枚数、強度に至るまで、全てを私の名の下に独断と偏見で決定する。……ようは、天能はもっと自由でいいのさ」
遠目に、一成さんの姿が見える。
彼は毒の中に平然と立っている。
その姿に、目に見えて父上が驚いたように見えた。
「……何故。どうして……ッ、どうやって生きている橘一成! 致死の毒内だぞ!」
「周旋。盾とは防ぐことに在る。君が見えないだけで、私の盾はちゃんと毒を防いでいるよ」
「くッ、この反則が……ッ!」
吐き捨てる父上と、一切揺るがぬ橘一成。
彼は目を細めると、父上へと告げる。
「いいかい、天能とは実に自由だ。……君の毒とて例外ではない。毒と薬は表裏一体である以上、君には、もっと優しい天能の使い方だってあったはずだ。……だけど、そうじゃないのだと今知ったよ。この毒の強度……殺害、ただその一点のみを極めていないとその年でここまではたどり着けない。君は殺すためだけに天能を使い続けてきた」
「……その通りだ。だが、それが正道だ!」
父上の身体から、更なる毒があふれ出す。
気体の次は液体だ。
毒の濁流があふれ出し、球状の縦の中を埋め尽くしていく。
「防げるというのであれば、その周囲すべてを毒の水で埋め尽くす! いかに橘といえど、呼吸せずにいられる時間は限られるだろう!」
「……盾を解除すれば、溜まりに溜まった毒が地上に降り注ぐわけか」
である以上、一成さんはあの盾を解除することはできない。
つまり、時間をかければかけるほどに一成さんの窒息が迫っていく。
「さ、さすがにまずいんじゃ……!」
「志善様。ご安心くださいまし」
僕の不安に、月姫が答える。
彼女は一切の不安なく。
空を見上げるその横顔は、どこか誇らしげに見えた。
「大丈夫です。普通に戦って――あの男が負けるわけがない」




