10-13『無価値の証明』
そして、何事もなく日々は過ぎた。
入学式、普段の授業。
優人は優人らしく我を通し、それが功を奏したのか多くのクラスメイトから懐かれ始めている。
いくら口が悪くとも、優人は優人だ。
根がいいのだから、どんなに遠ざけたって人は寄ってくる。
望んでもないのに多くの人から好意を向けられる。
その姿を見て憧れを加速させる霞ちゃんと、顔をしかめる優人。
教室の前方ではそんな光景を多くの生徒が囲んでいる。
こうして輪の外にいるのは、僕と……隣の席の女の子くらいだ。
「君は行かなくていいの? 皆楽しそうだけど」
「え、あ……はい。わたしはべつにだいじょうぶ。です」
少女は今日も本を詠んでいる。僕の隣で。
席が隣な以上、距離が近しいのは当たり前だが……妙に気になる。
もしかしてこの気持ち――恋っ!?
僕はこの子のことが好きなのかもしれない。
そう考えると隣の少女が本の妖精にでも見えてくるようだ。
しかし、その日の帰り道。
迎えに来た天守家の車の中で。
そんなことを優人に言ってみると違う回答が返ってくる。
「馬鹿か。あれはお前の監視だ。以前、あの少女を地下で見たことがある」
「嘘でしょ……」
僕の初恋はその日の帰り道で砕け散った。
「まあ、あの子がいなくなったのはお前が来てすぐのことだったし、知らないのも当然だろう。確か名前は――ほ」
「いいよ名前なんて!」
僕は失恋の痛みにそう叫ぶ。
さようなら、僕の淡い恋心。
そして僕は二度と恋愛なんてしないと誓った。
「というより、それは好意じゃなく違和感だったはずだ。お前もそういう直感が働くようになってきた証拠。いい傾向だと僕は思うがな」
「まあ、最近はだいぶ天能もつかえるようになってきたしね」
自然を操るのが僕の力。
この力に芽生えてからだいぶ経つ。
それなりに使いこなせるようになった――と自覚してから、僕はさらにいろいろと試していた。
以前、父上から聞いた『あの言葉』もあったしね。
あの人が望みは弥人の力でも叶えられなかった。
であれば僕の天能ならばどうだろうと試行錯誤した結果は……まだアレだけど。
考えている方向性は正しいと思う。
僕の力は――自然を操る能力にはさらに先がある。
「お前が前に言ってた『アレ』か? ……難しいと思うがな」
「でも、出来たら強いでしょ?」
「…………まあ。それが出来れば最強だろうな。僕じゃまず勝てない」
優人が勝てない力かぁ……やっぱり考える方向性は合ってるみたい。
その上で父上の望みも叶える。
彼の望みが正しいモノかどうかは置いておくとして。
拾って、育ててもらった恩がある。
いかに人体実験で子供を殺す悪党でも、恩は返す。
悪意には悪意を、恩には成果で返すのが男の流儀――と、恋から借りた漫画に書いてあったしね。この方向性で頑張っていこうと思います。
と、考えていたら既に天守家に到着。
優人と一緒に車から降りると――天守家の前に白髪の男性が立っていることに気づいた。
「あれっ、貴方は……」
「おや、志善君に優人君じゃないか。元気そうで何よりだね」
眩いほどの白髪に、宝石のような赤い瞳。
日本人離れ……というより、人間離れした容姿を持つ男。
その名、橘一成。
あの憎き橘月姫の父親にして、現在、地上に存在する全ての生命体の中でぶっちぎりの【最強】と噂されている化け物だ。見た目は爽やかで優し気な男性だが……人は見かけに依らないね。
しかしその姿……以前に見たときとは異なるような……?
「……今日は若いですね」
そう、優人の言う通り、今の橘一成はだいぶ若く見えた。
年齢にして高校生と同じ程度だろうか。
僕が以前に見たときは、父上と同じ程度の年齢に見えた。
そこを不思議に思っていると、優人は苦笑いして口を開く。
「橘は魔境。よく聞かされた言葉です。その力、何代前のご当主様ですか?」
「曾々々々々祖母の妹君だね。当主ではないよ」
絶句。
僕は咄嗟に言葉が出てこなかった。
しばらくして最初に浮かんだ感想が『ソレ何歳だよ』だった。
「彼女の天能は【癒】。生きてさえいれば必ず癒す回復能力さ。……これが本当に骨身に沁みてね。彼女特製のマッサージを受けると疲れが全部吹き飛ぶんだが、その疲れの分だけ若返ってしまうんだ。一時的に、だがね」
「じゃあ、橘月姫も実は年増のクソババ――」
言いかけた瞬間、背後から頭を殴られた。
優人かなと思ったけど、優人も僕の後ろを見て驚いている。
嫌な予感がして振り返ると、あらやだ橘月姫。
白髪の少女が満面の笑みで立っていた。
「うわっ! 出た年増!」
「うふふ、ぶち殺しますよ?」
青筋を浮かべた年増――もとい橘月姫はそう言った。
「天守様、お連れの躾がなっていないようですね」
「ちょっと優人に話しかけないでもらえる? 橘が移るでしょ!」
「貴方に話しかけてませんので、ちょっと黙っていただけますか?」
バチバチと僕らの間で火花が散る。
橘月姫は今の僕にとって最大にして唯一の敵だ。
天能を鍛えるのもこの女をいつか超えるため。
そのうちギャフンと言わせてやるから覚悟しとけよ!
と、心の中で叫んだ。本人に言う勇気は今日のところは持ち合わせていなかった。
「月姫、近い年頃のお友達が出来て良かったな。いい子じゃないか志善君」
「お友達ではなく観察対象の一つです。勘違いしないでいただきたいですね」
二人が言い合う中……ふと、月姫の背後にもう一人いることに気が付いた。
一成によく似た白髪の少年。荒々しさをそのまま形にしたような眼光と、まるで世間を舐め腐ってるとでも言わんばかりの緩い服装。この人は……確か以前にも見た気がする。
「どちらでもいいだろう。早く入るぞ、外は暑い」
「……お前というものは。まあいいや、周旋には既に伝えてあるしね」
その少年に呆れた様子の一成だったが、それも一瞬。
何か諦めたような目で僕らを見た。
――苦労人。
そんな単語が浮かぶ。
見るからに厄介そうな兄と、厄介な妹。
二人の世話だけでこの人がどれだけ苦労してきたか……。
心の中で一成さんに同情を贈っていると、優人が声を上げる。
「して、今回はどのような用事でしょうか。父からは何も聞いていないもので」
「おや。最高戦力というものだから、私は優人君を送り込んでくるものとばかり思っていたが。……なるほど。彼に話したいことが一つ増えたね」
最高戦力?
話したいこと?
幾つかの疑問が浮かぶ中、優人は大きく目を見開いた。
「……まさか」
「うん、十年に一度だけ開催される、【神人試合】」
聞いたことのない単語に首をかしげる僕と。
悔し気に歯を食いしばる優人は、対照的だった。
そんな僕らへと、彼は端的に現実を告げる。
「三対三の天守と橘の戦い。その時代の王を決める戦い――それが今日だよ」
☆☆☆
「どういうことだ、父さん!」
天守優人が心底から怒るのを見たのは、二度目だった。
一度目は地下の子供たちを見て、何も思わないのかと無神経に僕が責めたとき。
あの時以来、彼が心の底から怒っている姿を見たことはなかった。
だが、今回の怒りは『ソレ』だと、身近で見てきた僕は察した。
父上の執務室。
彼は優人を一瞥もせず、その姿に優人は完全にブちぎれていた。
「神人試合……橘と天守の一騎打ち、天守としての力を示す場。何故僕が力を磨いた、努力したと思っている……天守として相応しい男になるためだ、天守として力を認めさせるためだ! だというのに……その試合があると何故教えなかった!」
「教えたところで結果は変わらない。弥人、恋、そして当主たる自分。参加者はそれで以上だ。……貴様のような【半端】が出張る余地など無い」
半端。
天守優人を、その強さを知っていれば間違っても出ないようなセリフ。
はぁ? 何言ってんの父上、優人舐めてんじゃねぇぞ、と。
思わず口を出しそうになったが――それより先に動く男がいた。
「……周旋。最近の君は本当にどうしたんだ? 昔っから泥みたいな目付きだとは思っていたけれど、ついに視神経ごと脳まで腐ったのか? 優人君はしっかり強いだろ」
橘一成。
同席……というより、無理やりついてきた彼はそう言った。
父上――周旋へと話したいこと。
その内容が苦情だと僕は察する。
「いいかい、神人試合は太古在った戦いの再現だ。当然、試合である以上殺しは原則ナシだが、互いが互いの最高戦力をもって優劣を決する。そういう暗黙の了解だろう」
僕としては初めて聞いた内容だったが、父上の表情を見てそれが正しいのだと察する。
天守の最高戦力。
そして橘の最高戦力。
それらが真正面から優劣を競い合う。
「といっても、それは『その時代に生きる者』たちが争うわけだ。参加者は当主と次世代と決まっている。橘からはお歴々の参加はあり得ない。……と、話がズレたね。天守優人を戦線から外す。それは橘に対して『喧嘩を売っている』行為だと私は判断するよ」
「……はぁ。血の気が多いことだ」
父上はそうため息を漏らす。
だが、事実優人は強い。これは僕が優人の大ファンだから贔屓してるとかそういう話ではなく、純然たる事実だ。
なんせ、彼が妹である恋に負けたことは一度として無い。
にもかかわらず優人を冷遇し、優人に勝てない恋を優遇する。
僕だって恋は甘やかしたいし、幸せに生きて欲しい。
が、それが優人を冷遇する理由にはならない。
結論――やっぱり意味が分からない。
それこそ橘からしたら『手抜き』と判断されるだろう。
滅多にない優人の怒り。
同格である橘からの脅し。
これは父上も折れるだろう――そう楽観した次の瞬間。
父上の放った言葉は、なんだったのだろう?
「そもそも、優人は――――――――」
「……?」
父上が何かを言いかけた。
その直後から、彼の言葉が完全に聞こえなくなった。
隣を視れば優人も不思議そうにして。
唯一、一成さんだけが怒りを見せていた。
「悪いね二人とも。私の独断と偏見で彼の言葉を防いだ」
彼の佇まい、彼の声色。
何も変わらない。けど、何かが変わった。
「この部屋に来たのは橘家当主として。でも、ここから先は三児の父として話をする」
その男は怒っている。
何一つ変わらずとも、そこだけは分かった。
「――今のが、息子に向ける言葉か。天守周旋」
「………………余計な真似を」
一成さんの言葉に、父上は一瞬、動揺した。
まるで、吐いた言葉を後悔するような……彼らしくない人間らしい反応。
しかし、それも本当に一瞬だ。
彼はまるで仮面をかぶり直すように、元通りの冷血になった。
「私の告げた言葉は変わらない。天守とは橘を殺す者。神を喰らって民を守るモノ。……人でなく機構、システムとしてあり続ける、神への裁断者。であれば優人は天守足り得ない。天守として最も大切なモノーー【神を殺す手段】をそいつは持たない」
隣の優人を視る。
彼の異能――【銃】
拳銃から核爆弾まで支配する、現代社会の天敵とも呼べる力。
星を滅ぼすには余りある性能。
――それでも火力不足だと、彼は言った。
「そんなことは――……」
「言葉を詰まらせたな。それは貴方も感じたからだ。銃火器で自分は殺せない、と」
一成さんが一瞬、言葉を詰まらせたのを父上は見逃さなかった。
しかし、言われてばかりの一成さんではない。
「……だとしても。先が無いとは考えない。今どれだけ不足があろうと、優人君の限界を私は知らない。判断を下すのは――彼が何もかもやり切った末でも遅くはない」
「……随分と、天守の味方をするのだな、橘が」
「当然、私は父として一人の子供を案じている。家の問題は関係ないだろう」
こうしてみると――正反対の二人だな、って思う。
冷たいほどの現実主義者で、今と過去しか見ない天守周旋。
情に厚く誰より暖かで、常に未来を見据える橘一成。
今は身内が敵であり、敵が僕らの背を押している。
生まれた初めての状況に、頭がついていかず混乱した。
でも、僕は頭が悪いけど。
守りたいもの。
それだけは最初からはっきりしていた。
父上は、一成さんから視線を外す。
再び優人へと視線を戻す。その目は濁ったガラス玉のように見えた。
「優人。お前は天守として生まれ持った才能が足りない」
力んでいた優人の体から、力が抜ける。
胸のあたりで構えていた拳が、力なく落ちる。
その時の優人の表情。
……それを僕は、死んだって忘れないと思う。
恵まれた兄と妹に囲まれて。
それでも負けじと努力を続けた。
才能に劣等感を抱きつつ、それでも前を向いて走り続けた。
その姿は多くの人を救ってきたし、僕も救われた。
それでも、その全てが無駄と告げられ。
彼は――。
「……もう、いいや」
そう、一言だけ。
まるで全て諦めたような一言。
天守優人とは思えぬ声に、背筋が凍った。
僕は焦って、彼の体へと手を伸ばす。
それでも、優人が駆け出すのが早かった。
彼は、執務室の扉を蹴破り駆け出した。
僕も彼を追おうとしたが――僕はわからなかった。
こんな出来損ないの僕が、今の彼になんて声を掛ければいいのか。
どうすれば優人を救えるのか。
分からなくて……足が止まった。
伸ばした手は届かない。
その姿を見送るしかなくて、僕は歯を食いしばる。
「……人体実験とか。今までも色々思うところはあったけど、今回は一番だね」
背後から、一成さんの声がする。
彼は底冷えするような声色で。
橘の代表としてではなく――一人の父親として侮蔑した。
「子に愛を与えられないなら、君は人を愛する資格なんてない」
そして、最後に一成さんが告げた言葉。
それを聞いて、父上の顔が歪んだのが分かった。
「今回、私は君を殺す。周旋、死んで彼女に詫びてこい」
世界最強の男――橘一成。
彼は本気で、ブチ切れていた。




