10-6『訪問者』
書籍版の書影(表紙イラスト)が正式に公開されましたので、改めてご報告です。
近日更新、と言っていた活動報告も更新しております。
書籍版のちょっとした詳細を語っておりますので、暇な時にでも御一読くださいませ。
僕が天守に引き取られて半年。
部屋のテレビから、気象予報が流れている。
『今日は、稀に見る快晴の日でしょう。日本全土にわたって雨雲はなく――』
どうでもいいような情報が流れていく中。
僕は、目の前に立つ少年を見上げていた。
「おい」
その少年――天守優人は、キレ気味に僕に言う。
「お前も少しは運動しろよ。太るぞ」
「……いや、太っても困らないけど」
庭に面した畳の部屋。
その中で座っていた僕は、優人を見上げて言葉を返した。
それに対して、彼はなんとも言えない表情を浮かべ、少し間を置いて口を開く。
「悪い、言い方が悪かった。お前、そろそろ僕達の訓練に参加しろ。天守の一員になるなら、体もある程度鍛えなくちゃいけない」
「……天守の一員」
彼の言った言葉。
かつて弥人からも言われた言葉。
天守の一員……家族、と。
その言葉を前に、僕は……尻込みした。
僕は、僕にとっての家族をよく知っているから。その言葉にはどうしても身構える。
あの日々を思い出して、心が震えた。
今を知った今だからこそ。
過去を振り返り、あれが嫌だと初めて思ったんだ。
「……まぁ、考えてる事は分かるがな」
僕を見下ろし、優人は言う。
驚いて彼を見上げれば、優人は顔を顰めて吐き捨てた。
「相変わらず、気持ち悪いやつだな」
「えっ」
突然の罵倒。
僕はびっくりした。
弥人には常日頃から毒を吐いている優人だけれど、こっちに矛先を向けられるのは初めての事だった。
「地下の子供たちを守るためなら数分で覚悟を決めるくせに、家族に加わることを半年かけても決められない。お前は頭がバグってんのか?」
「ば、バグ……っ」
思わず立ち上がる。
立ち上がったからって何が出来る訳でもないのに、とりあえず立ち上がった。
なんとなく、優人に見下ろされたままなのは嫌だったから。
優人は、相変わらず平坦な目で僕を見つめていた。
「お前のことはとっくに認めてる。僕が守りたいものを半年以上も守り通した。それは実績だ。である以上、僕も父さんも、お前が天守に加わることは認めてるさ」
「優人も……周旋さんも?」
信じられず、思わず復唱する。
対して優人は僕の返事も聞かず、庭の方へと歩き出した。
呆然と後ろ姿を見送る僕へ。
彼は、去り際にこう言った。
「まぁ、どっちでもいいが早く決めろ。この家が嫌なら、僕はお前を追い出すだけだ」
かつて彼は『この家じゃない場所で幸せになれ』と言った。
そういう意味での『追い出す』ということなのだろう。
それに、弥人が前に言っていた。
まるで自慢するように。
優人の『罵倒』について話していた。
『優人はね、心から認めた人間には厳しいのさ。君もそのうち罵倒されるだろうから、覚悟しときなよ!』
その言葉を思い出し。
考えるより先に、感謝していた。
「……ありがとう」
「弥人病だな。いい医者を紹介しよう」
聞こえてないと思っての感謝に、庭の方から罵倒が飛んでくる。
弥人が目の前にいようがいまいが、平然と彼の悪口を吐く優人。
その姿に苦笑しながら、僕は再び畳に座る。
分かってるよ、優人。
でも、もう少しで掴めそうなんだ。
あと少し、もう少しで。
なにか、掴める気がするんだ。
何度も繰り返し観察してきた、天能。
彼らの戦いを、幾度となく見てきた。
その度に感じた妙な感覚。
それを、僕の体の中で形にするだけ。
「……よし、今日こそは!」
僕は張り切って、今日も彼らの訓練を見学する。
そこに、なにかヒントがあるような気がして。
☆☆☆
その日も、優人と恋の訓練が始まった。
準備運動から始めて、子供が行うにはあまりに厳しい基礎トレーニングに入る。
厳密に言うと、腹筋とか腕立てとかを4桁一セットみたいなイカレ具合だ。
いや、大人でも無理な気がするし、ましてや僕なんかが参加しても十回も出来るか怪しいんだけど。
と、そんなこんなで数十分。
ふと、恋が動きを止めたかと思えば、遠くの方から弥人の声が聞こえてきた。
「あっ、ツキヒちゃん! こっちこっち!」
声の方向を見ると、弥人が見たことも無い少女を連れて歩いていた。
その光景を見て、そういえば今日は来客があるって、朝食の席で聞いたことを思い出した。
たしか、相手の名前は……橘、だったっけ。
あの周旋さんが珍しく緊張していた。
それほどの相手なのか、とは思っていたけれど、その少女を見て納得出来た。
白髪に、赤い瞳の少女。
弥人とさほど年齢は変わらないと思う。
しかし、天守という人外を観察してきた僕から見ても、彼女の風格は少し違った。
清廉さ。
その概念を固めて形を作ったような姿。
彼女が足を踏み入れた瞬間から、訓練場の空気が一変した。どこか冷たく、美しい空気。世界を書き換えられたと言われても信じてしまいそうだ。
見れば、優人と恋もその少女を警戒しているように見えた。
「これ、僕の弟の優人と、妹の恋だよ」
そんな中で、何一つ平時と変わらぬ弥人。
……あの人、本当に大物だよなぁ。
緊張とか不安とか、そういうものとは縁もゆかりも無い性格。正義の味方と名乗るからにはよほどの重責だろうとは思っていたが、本当は何も感じていないのでは? と最近思い始めた。
よく言えば、底抜けに明るい性格。
正直に言えば、間抜けた脳天気。
優人は「ただの馬鹿だ」と言っていた。
閑話休題。
少女は、弥人に連れられて二人の前に立つ。
その視線は優人を一瞥し、恋の姿を見た瞬間、しばらく硬直していた。
恋は今にも襲いかからんと木刀を握りしめており、隣に優人が居なければ今にでも『勝負であります!』と叫んでいたことだろう。
「は、初めまして。橘月姫です」
少し緊張気味に、少女は言う。
対して、優人だけは慌てた様子で頭を下げた。
「天守、優人です。……よろしくお願いします」
「天守恋です! 将来のゆめは兄上を三人ともぶっつぶすことです! よろしくおねがいします!」
イカれてる。
恋の発言に、僕は実直にそう思った。
にしても、三人……か。
決して嘘は言わず、どこまでも真っ直ぐな恋の発言に、僕は胸が苦しくなった。
「……って、三人?」
「うむ! このあいだ、弥人の兄上がひろってきたのであります! ものすごい根暗で弱いのですが!」
ド正論。
何一つ間違ってないと思った。
「こ、こら恋っ! そんなこと言うんじゃありません!」
弥人が慌てたようにそう言う。
……拾ってきた。根暗で弱い?
間違いないと思うけど。
そう声を出そうかと思ったが、少女の雰囲気に少し気圧され、僕は黙って座っていることにした。
「……正義の味方、ですか」
「うん! なんか捨てられてたっぽいし、雨の中で弱ってたし! ここで僕まで見捨てたら人類の名折れってね! だから拾ってきたんだー」
人類の名折れ。
まるで自分が人類を代表しているような言い回しだけれど……まぁ、弥人の言わんとしていることは分かる。
彼は眩い太陽のようだ。
けれど、それはあくまでも外面。
彼は認めてはならない犠牲を容認し続けてきた。だからこそ、さっきの言葉は『そうなるべし』と自分に向けていたのも……少なからずあったと思う。
……だからといって、今まで正義の味方を続けてきた6歳児を、誰が責められるという訳でもないのだが。
「で、その弟さんは――」
ふと、思考に鋭い声が挟まる。
少女の視線が周囲へと巡る。
それが僕を探しているのだと、考えなくても話の流れから分かった。
出ていこうか。
ふと、そう思った。
けれど、出ていこうとする足が止まった。何故なら、その少女からは嫌な予感しかしなかったから。
美人だろうし、綺麗だとは思うけど……不自然だと思った。その綺麗さは人間らしくない。
まるで、人形を眺めているようで。
生理的に受け付けない、気持ち悪さがあった。
「……やめときなよ。あいつには何も望まない方がいい。望むだけ時間の無駄だ」
ふと、声がした。
見れば、優人が僕の方を見ていて。
その口元は不機嫌に歪んでいた。
「……何故です?」
「上昇志向が欠片もない。僕らを見て【凄い】と思うだけで勝とうと思う気概もない。努力をしない。だからあいつは、天守にはなれないよ」
僕は悟った。これは橘さんに言っている風で、実は『ぐだぐだ考えてないでさっさと動け。訓練に参加しろ』と僕に伝えてきているやつだ。
当然、橘さんは気づいた様子はない。
不満そうな顔で僕を見ていたけれど、その後ろで、弥人は苦笑いを浮かべていた。
「優人は優しいからな。拾ってきた相手でも、天守として受け入れて、家族にしてやりたいんだよ。だから色々求めるんだけど……まぁ、あの様子だともう数週間もしないうちに養子に出されるだろうね」
あの様子、とは。
優人と僕のことを言っているのだろう。
1度は僕の覚悟に応えてくれたけど、今でも僕のことを追い出したくてたまらない優人。
僕がこのまま天能にも目覚めず、訓練にも参加しなければ……本当に、数週間後には追い出されているかもしれない。優人の手によって。
「でしょうね。元より、我らが家系にああいうものは不要でしょうから」
けど、事情の知らない橘さんには通じない。彼女は優人の方へと視線を向けると、意味ありげな同情を零す。
「優人さんも、大変ですね」
その言葉に、彼は少し驚いて。
だけど困ったように笑うのだった。
「……そうだね。僕は天才じゃないから、二人について行くだけでも精一杯さ」
その言葉に、弥人と恋の頬が引き攣る。
嘘だ、と橘さん以外の全員が思った。
ただ、嘘と言うより『過ぎた謙遜』かな。
確かに才能に恵まれなかったのは本当かもしれないが、現に、彼は才能のある恋を相手に完勝を幾度となく続けている。
天守優人は、二人についていく、だなんて後ろ向きなことは言わない。
当然、劣等感はあるだろうけど。
彼は『才能なしだろうが、当然二人には勝ってみせる』と、胸を張って言う男だ。
「ふ、ふふ、ふはは! あ、兄上もおたわむれを! どこがついていくだけでせいいっぱいと! いわれるのですかな!」
「おや、恋。すまないな、不甲斐なく才能のない兄で。あ、でもそんな不出来に勝てないお前はなんなんだろうな」
「かっちーん! いいでしょう兄上! であればせんそうです、せんそう! ぶっころしてさしあげましょう!」
恋が怒りに叫ぶ中、その様子を見て目をぱちくりとさせる橘さん。
ふと気がつけば、その光景の中に弥人の姿はなく、隣を見れば彼はそこに立っていた。
「いつの間に……」
「はっはー、悠人の目でも、まだ僕は捉えられないさ。ほら、悠人も混ざった混ざった」
彼はそう言って、僕の手を引く。
「天能なんてのは、体を動かしてた方がずっといい練習になるのさ!」
そして、僕は日陰から、日向へ。
陽の当たる方へと、手を引かれて歩き出した。
回想シーンは、こういう意味でした。
セリフは一切変えてないんですが、橘さん目線と、事情を知った今の目線とではここまで感じる意味が違うんですね。
次回『頑固者』




