10-5『才能』
「どうだ、進捗は」
志善悠人が天守に引き取られ。
既に一ヶ月が経過していた。
既に天能の実験は開始されている。
この一ヶ月もの間、志善悠人は死んだ方がマシとも思える激痛と共に実験され続けてきた。
この日。
気まぐれにも地下の実験場へとやってきた周旋は、研究者へと声をかける。
「おや、天守閣下。ご機嫌麗しゅう」
「質問に答えろ。二度問わせるな」
「……これは怖いですな」
その主任研究者――八雲は苦笑する。
彼はガラス越しにその少年を見下ろす。
志善は上半身に無数の管を繋ぎながら、椅子に座って俯いている。
痛々しいその姿を見て。
研究者は、断言した。
「バケモノですね。どこから拾ってきたんですか、あんな逸材」
「…………ほう」
周旋も、想定外……とは思わなかった。
なんせ、子供たちに行っていた実験をたった一人で担っているにも関わらず、一向に死亡報告が入ってこなかったからだ。
毎日、食卓で顔を合わせるが、その度に傷や心労は重なれど、弱っている素振りは一切ない。
もしや……と思って来てみれば、案の定だ。
「あの男は、確かに目が良かった。動体視力と、危険をいち早く察知する力。私の殺気を弥人と変わらぬ速度で察し、視力に関しては恋の斬撃を目視出来ている」
「……まじですか。それに関しては初耳ですが、私としてはあの耐久性能に脱帽したいところですよ」
研究者は、手元の資料に目を通す。
彼には、天守弥人という治療もできる完璧超人がついているとはいえ、子供たちが死に値する実験を一身に引き受け続けているのもまた事実。
「生まれは平凡。家系を調べたところ血統としては下の下、ゴミクズも良いところ。突然変異、先祖返り……とでも呼べばいいでしょうか。あの少年はおそらく、天守や橘と遜色ない才覚を持っていた」
そう言った瞬間、周旋から睨みが飛ぶ。
八雲は両手を上げて降参を示すと、口にした言葉を訂正する。
「……すいません、遜色ない、は言い過ぎました。ただし、耐久性能はあの橘家の足元に及ぶ。そう言えば分かりやすいでしょう?」
「……さてな」
周旋は、少年を見下ろす。
その瞳には暗い光だけが灯っていて。
その横顔を一瞥、八雲は確信を持って言葉にする。
「一年以内です。アレは天能に目覚めますよ。確率にして、98.7%は在るでしょう」
☆☆☆
「痛い痛い痛い痛い……ッ!?」
その日、僕はストレッチを受けていた。
座った態勢で前屈する僕。その背を弥人が押していた。
「悠人は泣き虫だなぁ」
弥人は、僕のことをそう呼んだ。
優人には『志善』で統一しろと言われたはずだが、本人は言うことを聞くつもりがないらしい。
と、思考が逸れたが、痛みで現実に引き戻される。
「だ、だって……」
泣き虫、と弥人は言うものの、僕の涙は枯れ果てている。
実際に僕は泣いてはいない。
けど、間違いなく心が泣いていた。
確実にボロボロ泣いていた。
それくらいの痛みが、体を襲っていた。
恐るべき、前屈。父の釘バットより痛いかもしれない。
「だっても何も無い! 男なら泣くな! その方がカッコイイからな!」
「また大げさな……、ただの弱音だよ」
そう言いつつ、僕は再び前屈を始める。
この家に来てから、もうすぐ二ヶ月。
縁側で座る僕に対して、弥人は僕の背中を強く押す。
その際に彼は『天能』も使っていた。
「……にしても、悠人もすごいよね。僕が三つも使って治療してるとはいえ、あいつら殺す気満々で実験してるでしょ。普通死ぬと思うんだけど」
「不思議と生きてるね」
僕は、普通に生きていた。
当然、身体は痛いし、寝れない夜もある。
死んだ方がマシだと思うような実験だっていくつもある。
正直、今の前屈の痛みなんて、それと比べれば屁でもない。
だけど、地下で見た子供たちを思い出せば苦でもなかった。
「……途中で、限界だと思ったら止めに入る気だったんだけどねぇ」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
背中越しの弥人の言葉に納得する。
振り返れば、僕の背中に手を当てた彼は空を見上げていた。
「僕は多くの人を救えなかった。けど、君を連れてきたのは僕だ。救いたくて拾ってきた君をみすみす死なせるなんて、そんなことは絶対にあっちゃいけない。……この発言自体、救えなかった人達への冒涜だとも知っているけどね」
その瞳には、何が映っているのか。
彼は何を思い出し、どれだけ多くのものを背負って来たのか。
正義の味方、を自称する少年。
現実には存在しない、幻想の職業。
それを志す以上、彼が背負うもの、背負っていくものは……少なくとも、齢6つの少年にとってあまりに重すぎるモノだと僕は感じた。
「……あまり、気負い過ぎないでよ」
「……それ、君が言えたことかな?」
と、そんなことを言い合っていると。
凄まじい衝撃と共に、悲鳴が聞こえた。
「ぬあぁぁぁ!? いたいであります!?」
庭の方へと視線を向ける。
それだけで学校の体育館ほどもある敷地内の中庭。そこには訓練用に整えられた空間があって、悲鳴の主……天守恋はボロボロになって転がっていた。
「だ、大丈夫か……?」
「だいじょうぶじゃないであります! 兄上はようしゃなさすぎるであります!!」
思わず声をかけると、彼女は勢いよく立ち上がって文句を垂れている。
よし、大丈夫そうだな。
そんなことを思いつつ、彼女が叫ぶ先へと視線を向けた。
そこには、無傷の優人が立っていた。
「だって、恋に負けるとか屈辱だろ?」
「……かっちーん! おこりました! ぜったいにぶちのめしてやるであります!!」
恋が、ブチ切れた様子で大地を駆ける。
その手には、この家に来た初日にも見た木刀が握られていて、彼女が振るうソレは銃の弾丸すら両断する精度だ。
銃を使う優人にとって、恋はまさしく天敵……のようにも思えたけれど。
「ちゃんと勝たせてやるから、あんまり無茶するなよ恋」
瞬間、踏みしめた恋の足元が爆発する。
「ふぎゅぅ!?」と恋が吹っ飛んでゆき、吹き飛んだその先の地面もまた爆発。彼女の体は弄ばれるように何度も転がってゆく。
――地雷原。
とんでもないモノを、まるで呼吸をするように平然と使用する。えげつないことこの上ない。
けれど、注目するべきはそこじゃない。
「……相変わらずだね、優人も」
「……そう、みたいだね」
天守優人。
三兄弟の中で最弱の能力者。
一般人にとっては脅威的な銃も、同じ天守にとっては大した脅威にはなり得ない……らしい。意味分かんないけど。
そういう意味での、落ちこぼれ。
神を殺せないから天守失格という、頭の悪い理由から見下されている少年。
現に、周旋を始めとして、この家に働いているメイドや執事からは、優人はどこか軽んじられているように思える。
しかし、二ヶ月も彼を『視て』きた僕は、それとは正反対の評価を持っていた。
恋は、地雷を探そうと目を開く。
空中で体勢を整えると、地面の一部を凝視する。僕も遠目に見ているから……薄らと、辛うじて『地雷が埋まって隆起した場所』が見て取れるが、あの爆発の中でその位置を把握できる恋は本当に化け物だと思う。
「よし、作戦変更」
恋が、地雷を避けて地面に着地する。
瞬間、優人は起爆ボタンを召喚し、手動で足元の地雷を爆破する。
結果、避けたはいいけど着地した地面ごと恋が吹き飛ばされた。
「ひ、ひきょうな!」
彼女は木刀を握り締める。
と同時に、無数の斬撃が弾けた。
木刀から放たれたもの。
彼女の天能に生み出されたもの。
合わせて13にも及ぶ斬撃が、一呼吸で放たれる。本当に同じ人間なのかと疑いたくなってくるレベルだ。
斬撃は地面をえぐり、全ての地雷を誘爆させる。
恋は地雷の無くなった地面へと着地すると、すぐさま優人へと駆け出した――。
その眉間に、優人の弾丸が直撃する。
「あいたっ!?」
「油断大敵」
見れば、優人の隣にはスナイパーライフルが浮遊している。
二人の距離は、目測で二十メートル。
これだけの近距離で、数キロ先まで届かせるスナイパーライフルだ。さすがに恋といえど、不安定な体勢で回避は出来なかったみたいだ。
「……というか、頭に直撃して……」
「大丈夫、恋は特別に頑丈だからね!」
弥人の言う通り、吹っ飛んだ恋はケロリと起き上がっていた。
額には薄らと血が滲んでいたが、……スナイパーライフル直撃であの程度って、なるほど、銃火器で天守は壊せない、って意味がよく分かりました。
しかし、一方的に攻めているのは優人だ。
身体能力でも、天能の性能でも劣っているはず。
なのに、何故か恋は優人に近づくことすら出来ていない。
その理由は、彼の戦い方を見ていればすぐに分かった。
「……天能の使い方が、極端に上手すぎる。技術だけなら弥人以上でしょ、優人って」
「あははー、聞こえなーい」
弥人の言葉を聞いて、考えが確信に変わる。
あらゆる力を極めた弥人。
身体能力に特化した恋。
対して、彼は二人程の才能には恵まれていない。……まあ、それでも僕からしたら化物みたいな天才だけど、彼は恵まれなかった分、及ばない分を努力に費やした。
その結果、彼は新たな才能を開花させた。
それこそが、卓越した天能のセンス。
銃火器を使っての戦闘能力。
戦略の組み立て方から相手の崩し方まで。
彼を前にすれば、どれだけ天能の性能で優位に立とうと意味が無い……ようにすら思えた。
「ただ、それは膨大な練習量があって初めて花開く才能さ。逆に言えば、優人は練習していないことは本当にできない。前に『自分の天能を貸し出す』力で僕の翼を貸してみたけど、それはもう酷い感じだったよ」
「……そんなに、簡単に貸し出しなんて出来るのか?」
「当然。僕の天能って基本的には全能だからね」
しかし、そう言い切ってから。
「ただし……」と彼は付け加えた。
「貸し出しは二度と行わない。一つの体に天能が二つ。そんなことは絶対にありえないんだ。……以前に貸したときはほんの数分だったけど、それでも拒絶反応で優人は三日三晩熱を出して寝込んだんだ。……天守でこれなら、きっと常人であれば秒で死滅するほどの毒性だよ」
何が言いたいか分かるかい、と彼は問う。
僕は黙って頷くと、優人と恋へと視線を戻す。
「そういうことを成功させるための実験、なんでしょ」
天守優人すら耐えられなかった、天能の複数所持。
実験の内容も結果も詳しいことは知らない。けど、少なくとも不可能を可能にするために実験をしているのは理解してるし、天能の複数所持がどれだけ魅力的かも想像できる。
なら、実験しないわけが無い。
まぁ、ただでさえ強すぎる天守が、これ以上力を求めてどうするんだという気もするが。
僕は、優人と恋をしばらく眺めて。
ふと、思い出すことがあった。
「そういえば、周旋さんは来ないんだね」
彼らの父親、天守周旋。
愛娘と愛息子。二人の訓練であれば彼が見に来たって不思議じゃない。
そう思っての言葉に、弥人は苦笑した。
「……まぁ、あの人が愛してるのは、僕達じゃないからねぇ。僕達は愛されちゃいないんだよ」
彼の言葉に、思わず返事が詰まった。
愛されない息子。
その構図には見覚えがあったし。
彼の言う『自分が愛されていない』というのは、痛いほど知っていたから。
「……そう、なんだ」
「ごめんね。暗い話でさ」
「いや、こっちこそ変な話をしてごめん」
僕はそう言って頭を下げた。
……ただ、それでも。
僕はこの二か月近く、天守周旋という男を見てきた。
食卓での光景、幾つか交わした言葉。
確かに冷酷で、恐ろしいと思った。
けれど彼は……僕の知っている『父親』ではなかったように思えた。
それは、僕が天守を知らないだけか。
あるいは、天守周旋にもなにか思うところがあって、あえてああいう風に生きているのか。
僕は少し考えたけれど。
よく考えれば、僕って義務教育も受けてないわけだし、考えても分かるわけなかった。
「とにかく! 悠人はまず生きること! 家族を生かすためなら、僕は命だって賭けてやるさ!」
「命はかけないでよ……」
そう言いながらも。
彼の言う、家族。
彼らみたいな素晴らしい人達の隣に、僕みたいなのが居てもいいんだろうか。
ふと、そんなことを思った。
次回『訪問者』
8章の『橘月姫』の回想でチラ見せした場面になります。




