9-15『妹の覚悟』
天守恋。
……今は雨森だそうだが。
彼女の呼び方なんて、この際はどうだっていい。
並みの概念使いが相手であれば、まだいいんだ。
学園が用意した敵であれば、容赦なく殺せる。
手加減の手の字も要らないとあれば、最悪、奥の手をひねり出してでも倒せる、
だが、この少女が相手となると、話が違う。
「――ッ!」
鋭い右ストレートが、僕の頬を抉る。
僅かに鮮血が吹き上がる中、咄嗟にがら空きの胴へと拳を振るう。
その拳に一切の遠慮はない。
……手加減など、しなかったつもりだ。
少なくとも僕はそうあるべきと願った。
けれど、心底が『そう』であるとは限らない。
僅かに拳の先が揺れる。
――次の瞬間には、彼女の拳が僕の顔面に突き刺さった。
振るった拳は宙を切り。
恋の表情に、僅かな不満が見え隠れする。
「手加減。随分と余裕ですな兄上!」
吹き飛ばされ、態勢を整えつつ聞く。
僕は鼻から溢れた血を拭い、少女を見据える。
今も昔も、僕より『近接戦闘』で先を行く少女。
されど、それはあくまでもタイマンの話だ。
「気のせいだろう? 現に、僕はお前を倒すつもりだ」
彼女の背後から、一人の男が襲い掛かる。
新崎康仁。
概念使いに目覚めて、まだ数か月。
異能を使い始めてからも半年と少し。
まだまだ発展途中にもほどがあるが、おそらく彼の異能は『天守』の名にも届き得る。
「悪いね雨森! 妹ぶん殴らせてもらうよ!」
「ぬっ」
全然悪いとも思ってない顔で、彼は恋へと殴りかかる。
彼の異能【王】は、周辺から能力を収集する。
おそらく……その割合は、良くて三割。
彼に心酔していれば、彼に近ければ近いほど割合が増すにしても、僕や橘、恋から得られる身体能力はせいぜいその程度だろうと思う。
だが、僕の三割、橘の三割、そして恋の三割。
そのた多くの生徒たちから三割以上を徴収したとしたならば。
彼の身体能力は、恋のソレにすら匹敵する。
鋭い拳が空を切る。
咄嗟に恋も回避したようだが、その威力は空気を裂き、風圧だけで近くの木々が揺れる。
……なるほどぁ。やっぱり新崎と戦わなくて正解だった。
今の状態であの身体能力は敵に回したくなんてないからな……。
「雨森様」
「この程度の傷は回復しなくていい」
偽善の7つの翼。
その一つを自分を治療できる異能に換える。
今の『症状』までは緩和できないが、肉体に付いた外傷程度ならいくらでも治癒できる。
「橘。お前は――」
「ちなみに殴り合いは嫌ですよ。近接戦で勝てるわけないじゃないですか」
彼女はそう言って、新崎の方へと視線を向ける。
しばらく攻勢一方で攻めていた新崎も、やがて気が付く。
一撃たりとも、恋には当たっていないことが。
「ふむ。だいたい把握しました」
次の瞬間、新崎の鳩尾へと拳が入る。
戦闘中とは思えないほどの、クリーンヒット。
新崎の呼吸が一瞬止まり、その硬直を恋は回し蹴りで吹き飛ばす。
彼の体は遠くまで吹き飛び、校舎すら突き破ってもう見えなくなった。
「……あの新崎を、まるで子供相手だな」
「……というか、彼女相手なら私も貴方様も五十歩百歩でしょう」
圧倒的な肉体性能。
反則極まる異能の強さ。
されど、彼女が何より優れていること。
それが、天性の殴り合いのセンス。
いっそ羨ましく感じるほどの、身体を操る才能。
誰より強く、誰より高く。
天守弥人に匹敵……上回るほどの性能を持ちながら。
その性能を完膚なきまでに発揮し、どころか150%を引っ張り出す。
眩いほどの、近接戦闘の才能。
……たとえ彼女と同じ域にまで肉体を鍛えられたとしても。
殴り合いを選択した時点で、彼女には絶対に敵わない。
それこそが天守恋。
無数の才能に彩られながら。
決して輝きを失わない、天守の化身。
「……この戦いも学園長がセットした舞台だと考えると、戦いたくもないんだが……」
そう苦笑していると、橘が僕に問う。
「……ちなみに聞きますが、過去の戦績は?」
「僕の全勝。ただし、まともには戦わなかったがな」
そも、過去の僕は今のような戦い方じゃなかった。
まともな近接戦になんて絶対に持ち込ませなかったし。
彼女も、屋敷を傷つけないという縛りがあった。
当時の彼女はまだまだ異能も荒かったから、ほとんど異能を使わなかったし。そうなれば僕は遠距離から一方的に攻められる。異能の相性としては良い方だったしな。
……だが、今回は違う。
「ま、やるしかない、って話だろう」
異能の粗さは、既にない。
教室の扉を細切れにしたこと。
僕らを瞬く間に切り刻んだこと。
それら含めると、目の粗さまで自由自在に切断可能とみるべきだ。
加えて、今の彼女に『学園建物を傷つけてはいけない』という縛りはない。
……いや、普通に考えたらダメだってわかるんだけどさ。
何年も何年も追い続けた兄を目前にした今。
この少女は、何を犠牲にしたところで、確実に僕を捕まえる気だ。
となれば、やることは明白。
僕は立ち上がると、橘が僕の隣に立った。
「……初めてでは? 互いに手を取り戦うのは」
「さてな。昔のことは覚えていないが」
隣を見ると、橘の頬には微笑が浮かんでいる。
……不思議だな。幼少期から今まで、ずっと敵と認識してきたのだが。
まさか高校生にもなって、お互い肩を並べて戦うことになるとは。
しかも、相手は実の妹。
なんの冗談だと笑ってやりたくなる。
……ま、一緒に戦うつもりなんて欠片もないけど。
「最初に、言っておくが橘」
僕は橘へと顔ごと視線を向けると、善意100%で口を開いた。
「お前じゃ恋には勝てないから、引っ込んでいた方がいい」
「うふふ、ぶっ殺しますよ」
剣呑な言葉が聞こえるが早いか。
橘の体は、凄まじい勢いで射出される。
ゼロからいきなり最高速に飛び乗った橘。そのあまりの緩急に恋は大きく体を仰け反り、ぎりぎりのところで橘の飛び蹴りを回避する。
「無理と言われれば覆したくなる。それが私の本質です」
「だろうな。だから言ってみた」
咄嗟に、恋は橘の方向へと拳を構えた。
それこそが僕の目的。
橘月姫という、使い潰すには高級すぎる囮。
単体で天守恋を上回る化け物。
それを惜しげもなく利用し、たった数瞬の隙を作り上げる。
僕は恋の背中へと、思い切り回し蹴りをぶちかます。
「――っ!?」
咄嗟に防御を固めた恋。
あのタイミングで防御まで出来るのは凄いことだが、腐っても雨森悠人の全力の蹴り。
腕二本程度の防御など、たとえ恋のものとて容易く貫通する。
「ぐっ……、さすが重いですな!」
「お前ほどじゃないよ」
すぐさま拳を構えて駆ける。
――だが、鋭い痛みと共に、腕に斬裂が走った。
斬られたと気が付いた時には。
恋は僕の右腕を蹴り飛ばし、遠くへと弾き飛ばしてしまう。
「雨森様!」
右腕、切断。
肩の先から右腕が完全に切断されている。
……全身を霧にして斬撃を無効化する……というのも一つの手だったが、その対処をするにはあまりにも攻撃が早すぎる。行動の『起こり』を読んで対処するしかないわけだが……相手は天守恋。そういう戦闘技術においては僕の遥か先を行く。
つまり、馬鹿正直に戦っても対処は不可能。
天守恋を倒すには、最初から『絡め手』を使うほか無いわけだ。
「さあ、利き腕は吹き飛ばしま―――ぐふっ!?」
吹き飛んだ右腕に一瞥をくれることもなく。
兄に一矢報いたと喜ぶ恋へと、容赦なく左拳を叩き込む。
ガードも間に合わず、彼女の腹へと拳がめり込む。
彼女は不意の一撃に咳込み、その場に膝をつく。
されど、すぐ目の前に滴る大量の鮮血を見て、目を見開いて僕を見上げた。
「ど、どうして――っ」
僕の右腕は、橘の能力で復元してはいなかった。
橘自身、斬り飛ばされた直後に異能を使おうとした様子だが、僕が視線でそれを制した。
恋を相手にするのなら、片腕くらい無い方がいい、と。
「な、何をしているのです! あ、兄上、血が……!」
「なに馬鹿を言っている。お前がそうした。僕は防げなかった。それだけの話だ」
天守恋は、確かに強い。
が、その精神性はどこにでもいる一般人とさほど変わりない。
四肢を切り落としてでも捕まえる――と。
あの言葉は、ただ自分に言い聞かせただけ。
それだけの覚悟で挑むのだと。
何だったら、この脅しで屈してくれないかな、と。
そんな自己催眠と願いを込めた言葉だった。
実際に、彼女にそうできるだけの度胸はない。
というより、できないのだ。
家族を失い、目の前で全てを亡くして。
唯一残った肉親を、彼女自身の手で死に追いやれるわけがない。
たとえ殺す気など無くとも。
彼女の昏い過去が、決してソレを許さない。
「僕はお前に真正面から向き合いたい。……であるならば、傷を癒すのに橘の力は使わないことにした。僕はお前が諦めるまで、この腕は止血しない」
「……ッ、そ、それは――っ!」
僕の詭弁に、恋へと動揺が走る。
絶対にあきらめない。
もう二度と逃がさない。
そう決めてこの場にやってきた恋。
ならば、僕は彼女の最も大切なモノを人質にする。
もう失いたくないモノ。
絶対に手放したくないモノ。
そう考えれば、人質にすべきは一目瞭然。
雨森悠人は、一切の躊躇いなく『雨森悠人の命』を賭けよう。
【諦めなければ、雨森悠人を殺してしまうぞ】と。
他ならぬ本人の口から、外道極まる脅しをかける。
「……さて、休憩は終わったか?」
「……っ」
一言かけて。
僕は、目の前で腹を押さえる恋へと蹴りを入れる。
その直前で防御されたが、彼女の体は数メートル吹き飛んで行く。
……その光景を、橘は悲しそうに見つめていた。
「……せっかく、気分良く共闘できるかと思ったのですが」
「僕は目的地を違えない。その道に障害があるのなら、僕は最も容易く、迅速な手段を用いて退ける。……それが、たとえ妹だったとしても変わりはない」
それこそが、僕の覚悟。
天守恋に無くて。
雨森悠人には存在するもの。
意地の戦いをするのであれば、その差異こそが明暗を分ける。
昔っから、そうだった。
今も昔も、おまえと僕は違うんだよ、恋。
「敵である以上、肉親だろうと容赦は無い」
残酷に、優しげな声で僕は諭す。
諦めるなら今の内だと。
これ以上戦っても何にも繋がらないと。
雨森悠人の首筋に凶器を添えて。
黙って諦めろと、脅迫する。
それを前に。
天守恋は、とても悲しそうな顔で……僕を睨んでいた。
「……であれば、どうして、そんな顔をするのです」
ふと、零れた言葉に。
思わず、思考のすべてが停止した。
「どうして、どうして……ッ。どうして貴方は私を頼ってくれないのです!」
何気ない言葉が。
されど、深く僕の心を抉り取る。
「辛いって、哀しいって。そう一言いってくれれば、私はどんな時でも兄上の味方になりましょう。誰が相手でも、橘や世界を相手にしても、私は死ぬまで兄上の味方で在り続ける! ……だというのに、兄上! どうしてあなたは、私を頼ってくれないのです! あの時も!」
「……そ、れは」
彼女は、涙を流しながら立ち上がる。
その姿に、僕はこの学園に来て初めて――気圧された。
あまりの圧に、期せずして足が後退していた。
気づいてしまったら、もう、彼女の勢いは止まらない。
「それに、似合わないであります! その取り繕ったような冷酷無比! だれより優しかった兄上が、そんな無表情もそんなセリフも全然似合わないであります! かっこわるい!!」
「か、かっこ……」
あまりの勢いに、咄嗟に言葉が出てこない。
まるで昔から続く、兄妹げんかの延長戦のようで。
意地も覚悟もどっかに消えて。
駆け引きもプライドもなく。
天守恋としてではなく。
少女は兄の妹として――雨森恋として、涙と叫んだ。
「私の知る兄上は、正々堂々私より強かった! 私がぶっ倒したいと夢見た背中は、私が成長したくらいで、簡単に超えられるようなものとは思っていないであります!」
で、あるならば。
そう続けた彼女は、構えをとる。
しかし、構えたものは拳にあらず。
彼女はまるで、居合の抜刀をするように、見えない刀を構えて見せた。
「な――」
嫌な予感が膨れ上がる。
間もなくそれは、確信へと変わった。
彼女がしようとしていること。
それは、絶対に使うなよと言い含められてきた、最大の禁忌。
一度使えば星すら砕くとされた、天守家の口伝奥義。
かつて正真正銘の神をも喰らった一族の、本来の力。
「【天能臨界】」
彼女の手に、白い刃が産み落とされる。
どこにでもあるような、まるで子供が遊ぶような。
白塗りの、おもちゃの刀……にも見える一振り。
……されど。
ソレから感じた威圧感は、未だかつてないほど深く、重い。
「【臨界・天穿つ白】」
かくして、彼女は刀を抜き、構える。
その姿はまさしく威風堂々。
正当なる天守の継承者にして。
誰より強く、濃く、神殺しの血を受け継いだ者。
「私はもう二度と、兄上に重責は背負わせないッ。今度からは、背負うときも死ぬときも二人と決めました! その覚悟の証明として、今ここで貴方を倒す!」
……その姿を見て、大きく息を吐く。
そうだな。前言撤回するよ、恋。
確かに僕とお前は違う。
が、お前の精神性を、少しばかり舐めていた。
僕は今再び覚悟を決めると、拳を握る。
そして、置き去りにしてきた過去に向き直る。
「意地悪なしで、正々堂々勝負です! 雨森悠人!!」
……あぁ、知っていたさ。
天守っていうのは、頑固極まりない生き物だって。
死ぬまで正義を貫いた頑固者。
死ぬまで意地を貫く頑固者。
そんな兄を信じる頑固者。
強く、賢く、気高く。
されど彼らは『賢い生き方』を知らない。
次回『兄の答え』
殺したって死ぬものか。
私の敬愛した兄は。
かつて、私が一勝たりともできなかった兄は。
たとえどれだけ消耗しようと。
どれだけ死の淵に立っていようと。
最後には、一人勝ちして笑う男だと。
そう、心の底から信じている。
だから、兄上。
私は全身全霊で、貴方に臨む。
「今も昔も。私は、手抜きでは倒されませんぞ」
だから、望みが叶うのだとしたら。
私の兄は凄いのだと。
心配なんてしなくていいんだと。
……もう一度だけ、私に教えてほしいのです。




