9-13『理想と現実』
道理に合わない。
そう、朝比奈霞は戦慄した。
雨森悠人は強いと、それくらいは知っている。
以前は純粋な腕っぷしの強さというより、人としての強さを感じた。
彼の言葉に何度も救われたし、何度も心の支えに走ってきた。
熱原永志と戦った時も。
新崎康仁を前に引かなかった時も。
そして、A組を前に一人で立ち上がった時も。
その心情はどうあれ、朝比奈霞は憧れた。
たった一人で、他人の意見に惑わされず。
確固として自我を通す。
その在り方は、彼女の目指すべき場所に近しく思えたから。
だから、雨森悠人が異能を隠していたと。
そう知った瞬間は、少し驚いたけれど。
在り方も、その強さも。
全てを持った正義の味方に思えて、心の底から嬉しかった。
その気持ちは、恋と憧れの中間で。
雨森悠人を知って、半年以上経って。
初めてその人となりが分かったような気がして。
自分は、彼に認められるような人間になるのだと、改めて心から決意した。
――その決意が、1分足らずでこうも揺らぐことになるとは思わなかった。
(ありえない……異能がない方が強いだなんて!)
馬鹿かと思った。
一瞬、これは夢かと疑った。
彼が繰り出す異能も。
初めて曝け出された実力も。
自分が必死になって食らいつくのが精一杯。何もかも、あらゆる面で自分が劣っているという劣等感に打ちひしがれていた。
……つい、先程までは。
王聖克也は、倒れている。
あまりの速度に……目で追うのがギリギリだったけれど、辛うじて、薄らと見えた光景。
それは、一気に加速した雨森悠人が、王聖克也の頭を掴み、そのまま地面へと叩きつけた……というものだった。
それが正しいのかは分からない。
ただ、大地に広がる巨大なヒビが。
倒れて気を失う王聖克也が。
未だ無傷で佇む雨森悠人が、その理解を確信へと変えてゆく。
「あ、雨森くん!」
咄嗟に声を上げる。
真っ先に心配するべきは王聖の方だと、頭の中では理解しているつもりだった。
だけど、真っ先に声をかけたのは雨森悠人に対してだった。
少年は、こちらへと視線を向ける。
いつも通り、表情ひとつない顔で。
曇りきった眼でこちらを見る。
いつも通りの光景。
慣れ親しんだ日常風景。
それも、先程の話を聞いた今では、全く別のモノに見えてしまった。
先程の話は……多くが理解できないことだったけれど。
その断片だけでも繋ぎ合わせて、理解して。
雨森悠人が無茶をしていると。
それだけは、一切の誤解なく理解していた。
「ほ、本当なの……今の話は!」
「嘘なんじゃないか?」
その言葉に、思わず泣きそうになる。
優しいほどに残酷な嘘。
苦しいなら苦しいと言えばいいのに。
辛いなら泣き叫んだっていいのに。
誰も、文句なんて言わないのに。
少年は尚も、自身も他人も欺き続ける。
『お前の体は、刻一刻と死んでいる』
王聖克也はそう言った。
……と言っても、あくまで彼は第三者。
その想定が正しいとは限らない。
されど、彼ならば限りなく正解に近しい場所までたどり着く。
不思議とそんな信頼があって、また泣きそうになる。
雨森悠人の、たった一言。
今の返答だけで、察しがついたから。
【雨森悠人は、朝比奈霞を信頼していない】
「……私は、頼れないかしら」
その言葉に、雨森悠人は言葉も返さない。
感情の読ませない瞳で見据えること数秒、彼女から視線をそらし、別の女の名を呼んだ。
「橘。そろそろ遊びは終わったか?」
「……あら、そちらを待っていたのですが」
気がつけば、彼の隣には白髪の少女が立っている。
焦って彼女が戦っていた方向へと視線を向けると、生徒会長最上が苦笑いして立っている。
ただし、その周囲の地面は赤い塗料に濡れていて。
彼の周囲には、まるで檻のように巨大な鉄骨が幾本も刺さっていた。
「異能の『縛り』。異能自体が放てる瞬間出力が限られるなら、その方向を絞ることで一時的に火力を誤魔化す技術。その程度のモノに頼る時点で、それは弱者の証明でしょう」
王聖克也。
最上優。
2人が積み上げてきたモノを、生まれながらの強者は一言で切って捨てた。
「そも、そんな技術は一般教養です。私たちが常日頃から、無意識下で使っているもの。当然のように使う技術を、まるで自分たちの専売特許のように公言しているのを見ると……実に哀れで」
橘月姫の言う通り。
縛り、という技術は2人も既に習得していた。……というより、より強く、より高く研鑽していく中で、いつの間にか使っていた。
雨森悠人の『雷黒天』とて、その一種。
異能の出力方向を限定し、あらゆる異能を組み合わせ、瞬間的に火力を増強。
やがてそれは、橘月姫を一撃で殺しかねないほどの火力に達する。
正しく、彼らの使っていた『縛り』という技術に他ならない。
「鉄骨の檻。ペイントの海。あの男は物理的にも出られませんし、仮に出たとしても、この弾丸から抽出した塗料です。踏んだ時点で体に触れた判定で失格でしょう」
「はは……これは完敗だね」
遠くから最上の疲れきった声が聞こえてくる中、雨森悠人は静かに頷く。
「王聖が潰れたのなら、ここに用はない。後の予定は……色々と詰まってるからな」
「……っ、ま、待ちなさい雨森くん!」
ここから去る気だと。
朝比奈は察して叫ぶ。
銃を構えるが……次の瞬間には、目の前には雨森悠人が立っていて。
彼は朝比奈の持つ銃に触れると、途端に銃がパーツとなって解体される。
「――ッ」
「端的に言うと、期待はずれだ。王聖や最上よりは、お前の方が強いものだと思っていたが……結果は真逆だったな」
歯を食いしばる。
握りしめた拳から血が滴る。
彼にそんなことを言わせてしまった。
自分の弱さに、心底から腹が立った。
「今のお前に用はない。僕は忙しいから、そろそろ失礼させてもらう」
「ま、待っ――」
咄嗟に手を伸ばす。
されど、彼の姿は幻に消えて。
朝比奈霞の手が届くことは、無かった。
☆☆☆
「随分と酷いことを言うのですね。アレを言われる身にもなったらどうです?」
橘月姫は、ため息混じりにそう言った。
彼女の異能を使い、転移してきた先。
そこは、おおよそ人が来ることはないであろう、校舎裏の奥の奥。
誰にも見られないだろうと、彼女が考えていた場所だった。
「かつて、貴方の放った言葉です。『橘月姫より朝比奈霞を評価している』……あの言葉には一切の偽りがなかった。だから、私はあの女が大嫌いなのですが……」
雨森悠人は、朝比奈霞を評価している。
自分に勝利した橘月姫よりも。
自分に迫りつつある新崎康仁よりも。
誰よりも、朝比奈霞に期待を寄せている。
その事実は変わらない。
かつて、挑発として言い放った時も。
きっと、その前から、ずっと。
あの少女に寄せる信頼には、一片の陰りもなく。故にこそ雨森悠人は入学から今まで、朝比奈霞を成長させるという目的を据えて走ってきた。
走って、来たのだ。
「……た、橘」
小森茜が、不安に声を上げる。
橘は、大きく息を吐き、瞼を閉ざす。
奇しくも彼女が放った言葉は、実兄が問うたものと酷似していた。
「いつから限界だったのですか?」
目の前で、雨森悠人は吐血していた。
問いかけに答える余裕もなく。
音にもならない悲鳴を漏らして、口から致死量の鮮血を吐き散らす。
その背中へと手を添える。
……彼の体は、人間のものとは思えぬほど、冷たかった。
「……異能の複数所持。それは克也が告げた通り自殺行為。……そのような状態である以上、いつから持っていたのか。そんなことは聞きません」
問うべきは、いつから限界だったのか。
橘月姫と戦った時?
……いいや違うと、彼女は自己完結する。
それよりも前だ。
どこだ、どこで彼の変調は現れた。
どこから彼の体は、限界を超えて動いていた。
頭の中で、過去の記憶を巡らせて。
……やがて、嫌な可能性に思い至る。
【雨森悠人は、朝比奈霞を信じている】
嫌な事実と共に。
その可能性を、口にする。
「……無人島の一件」
あの一件で、雨森悠人は『雷』を使った。
朝比奈霞に、道を示すため。
彼女を超える雷使いとして、【雷神の加護】の使い方を教えるため。
彼は瀕死の体に鞭を打ち、身体強化まで使って彼女と戦った。
その時からだと。
橘月姫は確信した。
「……はっ。どうせ、遅かれ早かれ限界は来るんだ。……なら、力の使い所は間違える訳には、いかない」
声が返る。
驚いて見れば、先程までは瀕死の重体であったはずなのに、既に雨森悠人は血を拭い、平気そうな無表情を貼り付けている。
「……貴方は」
「朝比奈霞は、正義の味方だ。あの女はいつか弥人を超えるだろう。……超えさせてみせる。今度こそ、僕が正義の味方を守ると決めた」
その言葉を受けて。
橘は、どうしようもなく哀しくなった。
「……あの人の死が、貴方のせいではなかったとしても?」
「……論外だな。天守弥人は僕が殺した」
彼はそう言い切った。
詳しいことは知らないけれど。
例の事件については、何も知らないけれど。
事実はどうあれ。
彼は本心を語っている、と。
それくらいは分かった。
逆に言うと、今の雨森悠人は本心すら隠せないほどに弱っている、ということでもあるが。
「下らない質問には答えない。僕は必ず目的を果たす。何がなんでも辿り着く。……まぁ、辿り着いた【後】のことを、考えてないだけだ」
遠回しに理解する。
雨森悠人にその先など無いのだと。
彼にとっては、それで終わり。
彼の物語の、幕引き。
学園長を殺し。
兄の死体を取り返す。
そこで、彼の物語は終わるのだ。
その終わりが何を意味するのか。
橘月姫は、大きく息を吐いて前を見る。
「……止めても無駄ですか?」
「回答は必要か?」
静かな言葉に、黙って首を横に振った。
知っている。
雨森悠人は、世界一の頑固者で。
一度決めたのなら、何をしたって止まらない。橘月姫とて、一度動きだした雨森悠人は止められない。
――だから。
(……相当、弱っていると見えますね)
――だから、橘月姫は一策を計じた。
雨森悠人は弱っていて。
押せば倒れそうな程に弱々しくて。
だからこそ。
今だけは隠れてる人の気配に気づけない。
(知ってましたか雨森様。私がここに転移させたのは三人ではなく、四人です)
小さく、背後へと視線を向ける。
誰もいない校舎裏。
人の気配なんてあるはずもなかった。
なのに。
木々の裏から、黒い長髪が僅かに見えた。
雨森悠人が、心から信じるもの。
彼が命を賭してまで得ようとしたもの。
彼の今を変えられるとしたら、きっと、彼が同じだけ信じている人物だけ。
(……全く、心の底から不本意なのですが)
内心呟いて、雨森悠人へと視線を戻す。
その瞳には、悲しさと優しさと、同じだけ期待が込められていた。
(雨森悠人を救いなさい。それが、彼に期待された貴女の役目です)
【嘘なし豆知識】
〇『縛り』の補足。
作品内で言及された『縛り』とは、言ってみれば全方向に等しく向けていた力を一方向に集中させるだけの技術です。
第四位……最上の【終幕】を例に挙げると、彼の力は360°にそれぞれ『1』だけ常時出力できるものです。
それを彼は、たった一点に360°分の『360』出力することに成功しました。それを『縛り』と呼んでいます。
ちなみに概念使い……橘月姫を例に挙げると、彼女は常時全方向へ『500』くらいの出力があります。
最上の『360』ですら人を一人殺すには余りある火力なのに、500×360の出力を人間相手に使ったところでオーバーキルになるだけ。だって最上の500倍の火力ですし。
そのため、橘月姫は『縛りなんて技術に頼っている時点で弱者の証明』と口にしました。
ただし『頼る』ではなく『使う』ことは日常茶飯事。
本当に強い人たちは、500のはずの出力をその場その場で『1000』だったり『2000』だったりに引き上げて、必殺技を撃ったりしてました。
実を言うと、雨森の異能を一瞬で消し飛ばした朝比奈さんの『白雷砲』も、無意識下で縛りの技術を応用していたみたいです。
とまぁ、長々と説明してきましたが。
縛りという技術はあくまでもスタートライン。
それに頼ってる時点で程度知れるよね、と生まれながらの強者は言ってるみたいです。
※ちなみに、王聖克也の異能は全くの別物です。
あれは第四位という皮を被っただけの特異点。
明らかに異能という枠組みから逸脱しているため、常識の物差しでは測らないほうがいいと思います。




