1-13『お前を排除する』
席替えとは、咄嗟にしては良いアイデアをおもいついたもんだ。
まあ、霧道が馬鹿じゃなかったら提案もできないクソ案だけど。
ゴミの席に座る霧道を眺めながら、そう思う。
これで霧道の信頼を地に落とすと同時に、朝比奈嬢から物理的に離れられた。
今後は仮に昼飯に誘われたって気付く間もなく逃走できる。
話しかけられたって距離的に気が付かなかったと言って逃走できる。
……さっき見たような速度で迫られれば断念せざるを得ないが、幸いなことに彼女は精神的に酷く脆い。
あれだけ拒絶すれば『しゅん……』みたいな感じで諦めてくれる。そんでもってソレを繰り返せばきっと数週間もしないうちに彼女も僕のことは忘れ去るだろう。
まあ、数週間後の未来に霧道が居ればまたややこしいことになるのだろうが、ソレに関しては何の問題もない。
――なにせ、霧道は今日中に居なくなるから。
「余裕をもって、三十万か」
授業中、一人呟く。
詳しくは覚えちゃいないが、奴の所持金は二十万と少し。
つまるところ、後二回の校則違反を重ねれば彼の所持金は十万円を下回る。
まあ、俗に言う『チェック』ってやつだ。
三回目を、ヤツは絶対に躱せない。
小さく息を吐くと、榊先生へと挙手して声を上げる。
「――先生、体調悪いんで保健室行ってもいいですか」
――たぶん、今日ほど無表情が役に立った日はないだろう。
榊先生の『本当に体調不りょ……貴様は無表情だからよくわからんな。まあいい行ってこい』という面倒くさそうなセリフを受けて、心の底からそう思う。
☆☆☆
「クソが……ッ」
短く吐き捨て、机を蹴り上げる。
俺は憤っていた。それも物凄く、だ。
何に憤っているか、ソレは単純に『雨森悠人』という個人に対して。
アイツは最初っから鼻についた。
強くねえ、逆に弱すぎて珍しいほどの異能に選ばれておきながら、それを歯に衣着せずに公言し、正義の味方ぶってる朝比奈に媚を売りやがった。
朝比奈霞。
アイツは特別だ。俺だからこそわかる。
他の奴らにはぜってー分かんねえだろうが、俺には分かる。
アイツは他とは違う。だからこそ最初っから注目してた。こいつは俺のモノにするって決めてた。というか既に決めた時点で俺のもんだった。
ソレを、あいつは……。
「胸糞悪ぃぜ、あのクソが……」
俺の朝比奈に手を出しやがった。
しかも、その朝比奈が奴に味方した。
よりにもよって、俺の拳を受け止めた。
女に負ける屈辱よりも、先公に叱られるウザさよりも。
俺よりも、あいつが優先されたって事実が気に入らねえ。
「いつか、ぜってーぶっ殺してやる」
いつの間にか、クラスには俺だけになっていた。
放課後だからしょうがねえとは思うが、それよりもあれだ。名前は覚えちゃいねえが、二人の下僕の姿もない。トイレか何かか……いずれにしても、俺に何の断りもなく姿を消すなんざ万死に値するぜ。万死、そう万死だ。詳しい意味は分かんねえがかっこいいだろ、万死に値するって。
そんなことを何となく考えながら、ぼんやりと教室の外へと視線を向ける。
そして、目を見開く。
「あ、朝比奈……っ」
閉ざされたクラスの扉。
その向こう側に微かに見えた黒髪は……間違いねぇ、朝比奈のもんで間違いなかった。
俺様の帰りを待っててくれたんだな。
そう考えると嬉しくなっちまう。なんだ朝比奈、てめえあれだけ雨森のこと気にしてて、やっぱり俺様のことが一番なんじゃねえか。
そう、俺は口元を吊り上げながら駆け足で扉へと向かい――
「――雨森君、私を呼び出すだなんて……どういうつもりかしら」
響いた声に、体が硬直した。
「放課後、一人で本校舎三階、一番奥にある空き教室へと来てほしい……だったかしら。確かに彼、私に好意があるような素振りは見せていたけれど、さすがにいきなり告白だなんて……。確かにそれは嬉しいけれど、出会って間もなく付き合うだなんて……ちょっと、考え物よね」
扉越しに聞こえてくるのは朝比奈の独り言。
いつもとは別人のように甘くなった声色に一気に頭に血が上る。
視界が真っ赤に染まり果ててゆき、俺は拳を握り締める。
「――ぶっ、殺す!」
俺は殺意を抱いた。
雨森を殺してやりたい。
殴って、蹴って、そんでもって殴って、潰す。
顔面がぐちゃぐちゃになるまでぶん殴って、笑いながら奴の命を踏みにじる。
そこまでやんなきゃ、この怒りは収まらねえ。
扉を勢い良く開く。
外に朝比奈の姿は既に無かった。
空き教室へと向かったのか、或いは寄り道してんのか。
そんなもん、どうだっていい。
運よく俺は、雨森の場所を聞いている。
なら、マッハで行って、雨森ぶち殺して、無様な死体を朝比奈に見せつけて……俺の力を見せつけて、そうしたら、きっと――
『ああ、雨森君、私のこと……やっぱり好きだったのね』
頭の中に幻聴が響く。
なんでこんな声が……いや、なんでこんな声を出してやがる朝比奈。
俺の想像の中でだって、俺以外に甘い声なんざ出すんじゃねえよ。
そう叫ぶが、幻聴は決して鳴りやまない。
『――ええ、私もあなたのこと好きよ、雨森君』
『一目見た時から惚れてたわ。一目惚れよ』
『他の男になんて全く興味はないわ』
『……え、霧道、走? 誰かしらソレは』
『……ああ、貴方に暴力を振るってた猿ね。そんな名前だったの』
胸糞悪い幻聴は収まらねえ。
まるで、そういう異能が発動してるみてえに耳元で囁いてきやがる。
俺の、朝比奈の声で。
朝比奈の、声で……ッ!
『私、あんな男は大嫌いよ。顔も見たくない』
「雨森ぃぃぃぃぁぁぁぁああああああああッッ!」
俺は叫んだ。
もう、他のことなんざ何も考えねえ。
頭の中、真っ白だ。
奴に対する殺意しかない。
それ以外、もう、なんも考えられねえ。
俺は走り出す。
異能『瞬間加速』を全力で使用し、ぶっ飛ばす。
場所は三階、一番奥の空き教室。
そこに……奴が。
雨森のクソ野郎が、待っている。
「きゃあっ!?」
廊下を駆ける途中、悲鳴が聞こえた。
腕にじいんとした痛みが残るが気にもならない。
背後から誰か知らねえ悲鳴と、痛がる呻きも聞こえる。
が、んなモンどうだっていいんだよ……ッ!
「アマ、モリィィィィィィィッ!」
既に目的地は見えていた。
三階、最奥の部屋。
視認したそこではちょうど朝比奈が喜色を浮かべて教室の中へと入るところであり、その笑顔が、俺には一度も向けられたことのねえ笑顔が、俺を……ッ!
「朝比奈ァぁぁぁぁぁぁッ! てめぇえええええあああアアアッ!」
叫ぶ、声の限りに叫ぶ。
されど朝比奈はこちらを一瞥もしねえ。
声は届いてるはずだろ。
なんでこっちを見ねえ、なんで、なんで。
……なんで、俺をそんな目で見る。
脳裏を過る、朝の記憶。
雨森を殴ろうとする俺の拳を受け止めた朝比奈。
表情一つ変えずソレを見下す雨森。
――そして、俺へと冷たい視線を送る、朝比奈。
あれは、酷く冷たく、鋭い瞳。
まるで正義の味方が『悪』に対して向けるような、最悪の目だ。
俺を見ろ、俺だけを見ろ。
朝比奈、俺だけを見ろ。
そんな目じゃねえ。
雨森に向けてるみたいな、女の目で。
俺の、ことだけを見てくれよ……ッ!
「くそ、があああああああああああああッ!」
扉の向こうに朝比奈の姿が消える。
俺がその扉の前にまでたどり着いたのはその直後。
朝比奈の跡を追うようにして教室のドアを蹴破り、その中へと踏み込む。
――そして、限界まで目を見開いた。
「おや、予期した来客だ」
そこにいたのは、雨森悠人。
奴は机に腰かけて俺を見降ろしており、その隣には……なんでだ、倉敷蛍の姿までありやがる。代わりにさっき教室に入っていった朝比奈の姿はどこにもねえ。
「な、にが……どうなって――」
絞り出した言葉。
ソレを前に、雨森悠人は大きく笑う。
無表情野郎が始めて見せた、表情。
ソレはどうしようもなく歪で、狂気すら感じさせるほど凶暴で。
背筋が冷たくなるほどに――破滅的で。
「――霧道。お前を排除する」
その一言は、間違っても俺の知る『雨森悠人』のソレじゃなかった。
自分で書いてて『霧道馬鹿だなぁw』と思いました。
次回、そんな霧道くんが終わります。




