9-5『腕相撲大会』
雨森恋……と名乗るこの少女。
目の前で僕を見下ろしている無表情の彼女について、少しだけ語るとしよう。
雨森恋。
本名は天守恋。
一成さんから聞き及んだ話によると、僕が名前を変えたことを聞き出した彼女もまた、いつからか『雨森』を名乗るようになっていたらしいが、それはそれ。
彼女は天守家の唯一の生き残りである。
他の者は全員死んだ……ということになっている。
当主である天守周旋、その妻も。
天守弥人、優人、そしてちっぽけな居候。
全てを知る僕から、第三者へと詳細を語る機会は未来永劫ないだろうけれど、まぁ、全員死んだよ。
僕は……まぁ、なんなんだろうね。
過去を捨てた何者か、とでも言っておけば、死んだことにならないかな?
閑話休題。
天守において、歴代最高と謳われた弥人。
対して、歴代最低と呼ばれた優人。
相反する兄ふたりに囲まれて、すくすくと、なんの憂いもなく迷いもなく、前だけ向いて突き進んできた長女、恋。
根っから真面目で、人を疑うことを知らず。
誰よりも正しく、真っ直ぐに、正当に歩き続けた。
そんな彼女は、いつしか天守家と橘家の中でこう呼ばれるようになって行った。
【殴り合いでは間違いなく最強】
「…………」
目の前の少女を、改めて注視する。
どこにでもいるような、ただ表情筋が死滅してるだけの女の子。顔面偏差値が信じられないくらい高いし、表情と声色が全然合致してないし……それを除けば一般人と何も変わらない。
だというのに、身体能力は僕以上?
はっ、笑い話にもならないな。
「……天才はこれだから嫌になる」
「むむ! やはり兄上の声に相違ない!」
少女は思い切り僕へと距離を詰めてくる。
そんな彼女を前に、僕は正々堂々と嘘を吐いた。
「いや、君の気の所為だろう。僕は声が低いだけの女性だよ」
「なるほど! それは失礼致した!」
僕の嘘を、少女は真正面から信じた。
……相変わらず扱いやすいなぁ。
どこに、こんな男声の女の子がいるって言うんだ。裏声を使うならまだしも、普通に地声で話してるのに……普通、信じるか?
まぁ、信じるんだろうなぁ。
人を疑う、ってことを知らない子だから。
……お兄ちゃん、ちょっと心配だよ。
変な人について行っちゃダメよ? ……いや、別に変な人にどうこうされる強さじゃないとも思うけどさ。
「時に! 貴殿のお名前を教えていただいてもよろしいだろうか!」
「雨乃悠子だ」
「ふむ! 悠子殿! 聞けば聞くほどに兄上の声に酷似しているが……まぁ、そういう偶然もあるのだろう!」
彼女はそう一人完結すると、腕を組み、うんうんと頷いている。
そろそろどっか行かないかなー。
言い訳するにも、さすがに限度ってものがあるし、野生の獣みたいな恋の事だ。そのうち、ふとしたタイミングで僕の正体を疑うかもしれない。
うん、さっさと離れるのが1番だな。
そんなことを考えていた僕だったが。
――がしり、と。
少女が僕の腕を掴んだのを見て目を見開いた。
「であれば、これもまた一種の運命! 決めましたぞ悠子殿! 私は此度の学園祭、貴殿と回ることにした!」
「………………なんて?」
はっ?
えっ?
なんていった?
思わず3度見くらいしながら硬直していると、彼女は僕の腕を万力で締め上げてくる。
「痛……」
「おっと! これは失礼致した! 兄を探す傍ら、その声に……どうしても兄の面影を感じてしまい、兄に対する握力で握ってしまいました! ……常人なら四肢爆散するような握力だったかと思いますが――」
瞬間、冷や汗が全身から溢れてくる。
お前……なんつー握力で人の体掴んでんだよ! もうちょっと……ほら、手加減しろって教わってただろ、弥人から!
弥人……お前が一生懸命に常識を教えてた子は、中3にもなって何も変わっちゃ居ないよ。泣きたくなってきた。
「あぁ。僕はこれでも体を鍛えてるからな。常人よりは頑丈なんだ」
咄嗟の言い訳。
普通の人には通じるわけもない。
それを少女は、やはり信じるのだ。
――だけど。
「そうでありますか! なれば良し! さぁ、それでは行きましょうぞ悠子殿! 貴殿の声を聞いていると、兄上と一緒にいるようで……」
まるで元気の塊。
そんな恋が、わずか、一瞬だけ。
悲しそうな顔を見せた。
たとえ無表情のままであっても。
確かにその目が陰った瞬間があった。
……それを見逃すほど、僕の目も曇っちゃいない。
「いえ、これは初対面の方に聞かせる話でもなかったですな!」
「……そうか。まぁ、無理には聞かないよ」
おまえが言う通り、聞かせられる話じゃないしな。
あれは、恋が直接関わった事件でもなければ。
彼女に非があるわけでもない。
当時の天守恋は、事件に一切関わっていない。
それでも残酷な結果だけが彼女を襲ったのだ。何も知らず……知らされず、ただ、肉親の死だけが転がった。
……そりゃ、表情の一つや二つ無くなるさ。
「では、参りましょうか悠子殿!」
僕の手を引く少女を見て、僕は心が痛くなる。
……僕はお前を恨むよ、天守弥人。
良い人格者だと思う。
誇り高い兄だと思う。
でもお前は、最後に選択を間違えた。
正義の味方を志した果てが、これならば。
妹一人の笑顔すら守れないのならば。
僕はもう、正義だなんて信じない。
☆☆☆
「で、なんで僕のところに来たわけ?」
1年B組の教室で、新崎康仁は青筋を浮かべていた。
「なに。すぐ隣に、僕らが気分よく遊べるような場所があったからな」
僕はすぐ隣へと視線を向ける。
『腕相撲大会』
そんな文字が見えて、僕は正面へと向き直る。
「ほら、気分が悪い時は発散するに限るだろう? 格下で」
「ぶち殺すよお前」
白髪美少女な僕を前に、新崎は満面の笑顔で怒り心頭の様子だった。
酷いなぁ、僕とお前の仲だろう?
お茶目なジョークだよ。
マジにするなって。
「まあ、冗談はそれくらいにして……この子が腕相撲大会に参加したいとうるさかったからな。道が分からないっていうので連れてきたまでだ」
「隣のクラスだろ……。どうやって迷うっていうんだよ」
彼の視線が、僕の隣へと向かう。
そこには黒髪無表情の、どこかの誰かに似た少女が立っている。
新崎は一瞬だけ目を細めたが、すぐに僕へと視線を返す。
「えー、四季に星奈に、我らがメインヒロイン朝比奈さんまでいながら、更に女の子に手ぇ出してるわけ? お前いつからハーレム主人公になったんだよ」
「お前はいつから目が腐り果てた?」
メインヒロインは星奈さんに決まってるだろ。
何が嫌で朝比奈なんてのをメインヒロインに据えなきゃいけない。
僕は不機嫌満載で話していると、新崎は僕の隣へと視線を戻す。
「で、妹かなんか?」
「赤の他人だよ。ついさっきそこで知り合った」
「雨森恋であります! 貴殿は悠子殿の彼氏でありますか?」
「「んなわけあるか」」
僕と新崎の声が重なる。
新崎は声が重なったことに大変嫌な顔をしていたが、すぐに嫌な笑顔を取り戻す。
「いやー、事情は知らないけど、悠子。悠子ねぇ……?」
新崎康仁は頭の回転がかなり速い。
加えて地の頭までいいと来たなら……おおよその事情くらい察せられるはず。
彼は僕の肩へと手を回すと、嫌な笑顔で言葉を重ねる。
「これで声が可愛くて、表情筋が生きていて。しまいにはお前以外の誰かだったら惚れてたかもなァ。残念で仕方ないよォ!」
「恋ちゃん、僕はほら、声とか太いから。新崎君には見向きもされないよ。ほら、だって彼、人の良し悪しを内面で判断できない男だから」
「ふむ! それは少々厳しかったですな!」
彼女はそう言って笑い、新崎はなんとも言えない感情を笑顔の中に滲ませる。
「……これ、マジでお前の妹かよ」
「違うと言っているだろうが」
まるで『本当に血ぃ繋がってる?』とでも言いたげな彼だが、僕の意見は変わらない。
新崎は僕のすぐ隣でため息を漏らすと、僕の肩から手を除けた。
「ま、いいよ。B組は来る者拒まず、去る奴はさっさと消えろよ、がスローガンだからね。で、参加するのはどっちなわけ?」
「勿論それはふたりと――」
「僕は遠慮する。参加者は一名だ」
当然のように僕を巻き込もうとしていた恋。彼女の言葉に被せるように、僕は拒絶の言葉を吐く。
恋が驚いたように僕を見ていたが、やがて、なにか気づいたように手を打った。
「なるほど! たしかに悠子殿は身体を尋常ではなく痛めている様子! 無茶をさせる訳には行きませんな!」
彼女の言葉に、僅かに眉が跳ねた。
新崎は少し驚いたように僕を見ていたが、僕が何も言わないのを見て視線を逸らす。
「……」
しかし、その際。
彼の浮かべる笑顔には、残念そうな色が滲んでいたのを見逃しはしなかった。
……悪いね新崎。
お前が僕に再戦を申し込んできたのは大変好ましく思ったが、……残念ながら、僕は全力を出せるような状態じゃない。
「……悪いけど、そんなの知らねぇよ」
「問題ない。ただの筋肉痛だ」
そう、筋肉痛だから。
僕はなんにも問題なんてない。
心の底からそう思うよ。
「さーて! それでは行きましょうぞ! 腕相撲大会、心踊り血湧く強敵に期待大であります!」
僕と新崎を他所に、恋は腕まくりしながら教室中央へと歩いていく。
そこにはB組のガタイのいい生徒を倒し、ガッツポーズをする上級生の姿がある。
「ハッハァー! 堂島が自警団なんぞにうつつを抜かしている間、鍛えに鍛えたこの腕力! もはやこの学園において敵などいないわ!! 堂島にはもう負けんぞ!」
ネクタイの色から見るに……2年生か。
セリフから察するに、あの2年生は堂島に思うところがあり、こんな場所にやってきたらしい。
……堂島先輩に勝ちたいなら、こんな場所に来ないで直接勝負を申し込んだらいいのに。
そんな正論を抱いたが、まぁ、それを言ってしまったらお終いだよね。
「はっ、堂島に勝ちたいなら直接挑めっての。心の中じゃ勝てねぇって分かってるんだろうなー。とっても無様〜」
「…………」
隣からそんな声が聞こえてきて、僕は黙る。
言葉は違えど考えてる事は一緒か。
無人島でやり合った時から感じていたが、やはりこの男は僕に通ずるところがある。
3学年を通して、この男がもっとも僕に近しかった。
かつても語ったが。
この男は【強さ】という部分だけ足りないだけで、非常に惜しいのだ。
……まぁ、正確には過去形だがな。
「あぁ? なんだお前、中学生が来ていいような場所じゃねぇぞ!」
そんなことを思っていると、教室中央の辺りで騒動が起きていた。
恋は無表情のまま中央へと躍り出ると、巨体の2年生を青い瞳で見上げている。
「私もこの腕相撲大会の参加者であります! 拝見しましたが見事なりその肉体! 血が滲むような努力をしたのだと一目で分かりましたぞ!」
「え? あぁ……。……えっ? 無表情? どこから声出てるのそれ」
「是非とも私と一勝負願いたい!」
無表情から発せられるハツラツボイス。
大柄の2年生は困惑していたが、恋が準備万端と言わんばかりに腕を机についたため、いたし方なく準備を始める。
「お、おい……いや、いいけどよ。負けてもあんまりガッカリするなよ?」
「なんという寛大さ! 実に素晴らしき御仁と見ました! もしも私を打ち負かせたのなら、私の婿にしてもいいかもしれない!」
変なことを言い出したな……あの子。
婿、婿って言いました?
やめてよね、まだ中学三年生でしょ。
婿どころか、恋人だって許しませんからね。
……まぁ、誰が腕相撲でお前に勝てるんだ? って話でもあるんだけどさ。
困惑する上級生、及び周囲の野次馬。
しかし、目の前にいる少女が絶世の美少女だということも相まって、困惑はやがて興奮へと変わっていく。
腕相撲で倒せば、この子と付き合える。
高校生の男子にとっては夢のような条件。
上級生は舌なめずりをし、その光景を見て審判の女子生徒は止めようと声を上げる。
だが、その前に新崎が割入った。
「えー、それでは準備はいいかなー? カウントダウンがゼロと一緒にはじめるよー」
「ちょ! し、新崎さん!?」
焦ったような審判と、無視する新崎。
上級生は目をギラギラと輝かせ。
恋は、無表情で下の方を見つめている。
傍から見ると凄まじい体格差。
誰がどう見ても、どっちが勝つかなんて分かりきっていた。
カウントダウンが始まる。
3、から始まった数字はすぐに消え。
あっという間に、ゼロの数字が刻まれる。
「それでは開始――」
言うが早いか、上級生が仕掛ける。
全力で、全体重をかけ。
少女の細腕を粉砕するつもりで勝負をかける。
――だが。
「――――ッ!?」
上級生の全体重をかけた一撃は。
恋の細腕を、コンマ数ミリも動かせない。
彼女は最初から一切変わらず。
まるで力なんて込めてないのに。
ゆったりと構えているだけなのに。
全体重をかけた一撃を、まるでそよ風のように受け止めている。
「う、動かな――っ」
それはきっと、巨岩を片手で押しているような感覚だろう。
上級生は、今になって焦りだし、全身から冷や汗を吹き出すけれど――。
「あ、もう開始して良いのですかな?」
次の瞬間。
上級生の腕から、嫌な音が鳴った。
まるで、大人と子供。
いいや、それ以上だろうな、これは。
一切苦労することなく、恋は相手の腕を捻り壊す。
全体重を完全に度外視し。
相手の関節域すら完全に無視し。
強引に、冷酷に。
相手の腕を、反対側の接地面へと叩きつける。
「ぎ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? う、腕がァ! お、おれの腕がァァァァァァ!?」
響く悲鳴と、困惑する恋。
「……もしかして終わりでしょうか? いやはや……自信を無くしてしまいますな。それなりに強そうな御仁かと思ったのですが」
見る目のない恋は、素で落ち込んでいる。
言葉とはかけ離れた無表情と。
濁った水晶玉のような青い瞳。
その姿を見て、その雰囲気を感じ取って。
教室内にいた1年A組、B組の生徒たちは大きく身を震わせる。
彼ら彼女らは知っている。
そりゃ、知っているとも。
僕の力をその目で見て、僕の雰囲気をよく知っている。……だからこそ畏れた。
その少女は。
寸分違わず、僕と同じ空気を纏っていたから。
「さて、お次はどなたでしょうか!」
恋は元気を取り戻し、意気揚々と声を上げる。
物理最強にして。
出し惜しみ、って言葉を知らない少女。
知性の全てを肉体と異能に振り割った、天守家始まって以来のド脳筋。
僕は呆然としている新崎の肩へと手を置いて、呆れ混じりに呟いた。
「安心しろ新崎。あの子は、腕っ節なら今の僕より多分強いから」
「……それ、何処に安心したらいいか教えてくれない?」
さぁな。
僕も自分で言ってて、よく分からないよ。




