8-8『期待』
それは、A組との闘争前夜。
僕は、その部屋の前に立っていた。
「はぁ」
何度考えてもため息しか出てこない。
C組がA組に勝つ方法。
クラスメイトのやる気を回復させ。
橘が絶対に考えない『裏』を作り。
雨森悠人が本気を出して。
そして、この女が復活すること。
「……よし」
僕はいよいよ覚悟を決める。
倉敷でも、黒月でもなく。
これは、雨森悠人にしか出来ないことだ。
コンコンと、扉をノックする。
扉の向こうで動く気配があった。
僕は何も声を出さない。
扉の奥で、困ったような空気があった。
「ほ、蛍さん……かしら? それとも黒月くん? ……ごめんなさい、もうちょっと。もう少しだけ……待って貰えないかしら」
酷く憔悴した声だった。
……何たるザマだ。
自分の本音をさらけ出されたからって、何をそんなにグダグダと悩んでいるのか。
僕は再びため息を漏らす。
扉の奥で『ガタッ』と音が響き。
「朝比奈、僕だ。扉を開けろ」
「あっ、あまっ、あまもっ、あもっ、あ、あああ、雨森くんっ!?!?」
扉の向こうで、ドダドタドタァッ、と物凄い音がした。何をやってるんだろうか、少し気になってくる。
「ご、ごめんなさい! ず、ずっと言いたくて……でも、その、ご、ごめ――」
「――蹴破るぞ」
扉の前まで、声はやってきた。
けど開ける気配もないのでそう言うと、扉の向こう側から焦ったような声がした。
「や、やめた方がいいわ雨森くん! そ、そんなことをしたら罰金になるし……わ、私みたいな人のために、雨森くんがお金を払う必要なんて――」
……はやく扉を開けろや。
そう言いたかったが、もう色々と面倒くさくなってきたため、蹴破るのもやめた。
僕は【黒霧】を発動すると。
するりと、扉の隙間から部屋の中へと侵入した。
「そうか。なら勝手に失礼する」
「なっ!?」
朝比奈の背後で姿を戻す。
寝間着姿の彼女は焦ったように振り返るが、特に気にせず外靴を脱ぎ、部屋の中へと上がり込む。
「ちょ、ちょちょっ! ちょっと待って欲しいわ雨森くん! そ、その! 男の子を部屋にあげるのって初めてだし……というか雨森くん!? どうやって部屋の中に入ったの!?」
「……はぁ、僕が嘘の異能を公言してるとは思わなかったのか?」
僕がそう言うと、朝比奈は固まった。
それはもう面白いくらいに。
時間が止まったのではないか、ってくらいに固まった。
「まぁ、僕の異能に関してはどうだっていいんだが」
そう言って、座卓を前に腰を下ろす。
僕の姿を見て再起動した朝比奈は、今更ながら驚きを見せる。
「う、嘘の異能……!? え、ちょ、ちょっと待って欲しいわ雨森くん。も、もしかして……、ず、ずっと嘘をついていたのかしら?」
彼女は立ったまま問うてくる。
ので、僕は彼女を見上げて目を細めた。
「そんなことを気にする余裕があるのなら、さっさとC組に復帰しろ」
彼女の体が、大きく震える。
その目は不安に揺れている。
顔色は青くなり、彼女は自分の肩を自分で抱きしめる。
「そ、れは……」
「明日、A組との闘争がある」
「な――っ!?」
元より朝比奈の説得は僕の仕事だ。
倉敷には、C組のコンディション調整に専念するよう言ってある。
黒月にも朝比奈の代わりを頑張ってもらっている。
というわけで二人とも、今は朝比奈に構ってられるだけの余裕が無いからな。
だから、朝比奈が倉敷たちに連絡を取らない限りは、倉敷たちが朝比奈へと現状説明することはない。
でもって、僕の言葉に驚いているってことは……なるほど。朝比奈は今まで、C組の状況について1度も聞かなかったらしい。
「……ここまで酷いか」
「あ、雨森くん! ど、どういうことか説明していただいてもいいかしら!」
朝比奈の声に、少しだけ正義が宿る。
彼女は僕の目の前までやってきて、真っ直ぐに僕の目を見下ろす。
けれど、僕は彼女の姿を冷めた目で見つめていた。
「説明を求める……ということは、聞けば今すぐにでもC組に戻るんだな。朝比奈」
「――っ!?」
再び、彼女の目に怯えが戻る。
本当に重症だな……。
気持ちは分からんでもないが、これを数時間で説得しなきゃいけないのか。
ま、ギリギリまで朝比奈のところに来なかった僕も悪いんだけれど。
「C組が勝った場合は、A組が他へと危害を加えられなくなる。そしてA組が勝った場合、雨森悠人がA組に編入する」
「っ、そ、それ、は……」
きっと彼女の思考はぐちゃぐちゃで。
それでも、彼女はなにか意味のある言葉を探している様子だった。
その姿を一瞥し。
僕は無視して言葉を重ねる。
「僕はそれが嫌だから、お前を説得するためにここに来た。……まぁ、その様子だと無駄足だったみたいだけどな」
僕の言葉を受けて、彼女はその場に座り込んだ。
体には力がなく、瞳は虚ろで、思考はぐちゃぐちゃ。何もまとまらず、何も考えられず、過去のことばかりが頭を巡る。
……あぁ、嫌だ。
まるで過去の自分を見ているようで。
心の底から反吐が出る。
「なぁ、朝比奈」
僕は少し、間を置いて。
「僕は、正義の味方って言葉、嫌いなんだ」
そう、彼女へ告げた。
☆☆☆
「昔、僕には兄がいた」
僕の言葉に、彼女は顔を上げる。
その顔には困惑が貼り付いていたが……まぁ聞け。
聞いて何になるでもないけれど。
なんでだろうな。
お前には、話しておくべきだと思った。
理由は知らん。
ただの直感だ。
「僕の兄は太陽のような人だった。誰にでも優しく、誰よりも強く、誰よりも誠実で、誰よりもカッコよかった。僕のヒーローだった」
「……すごい、人なのね」
「あぁ、そうだな」
あの人は……すごい人だ。
欠点らしき欠点のない完璧超人。
どこを切り取っても完璧しかない。
僕の兄は、まるで絵本の中から飛び出してきた主人公そのものだった。
「彼の夢は、正義の味方になる事だった」
お前と同じだな、朝比奈。
人物としての性能は大違い。
お前と彼じゃ比べるのも烏滸がましい。
けれど、向いてる方向は同じだと思う
「彼は正しく、その通りに生きた。誰もを救おうと願い、どんな相手にも手を差し伸べた。誰もが彼について行ったし、多くが彼に救われた」
いつも傍で彼を見ていた。
才能が違ったから、色々と苦労はしたけれど。それでもその背中に憧れた。憧れ、駆けた。
ま、本人には言わなかったけどな。
言ったらニヤニヤ笑われるだろうし、正義の味方に憧れるだなんて……そんなの恥ずかしくて言えなかったし。
だが、彼のおかげで今の僕があるし。
彼がいなければ……きっともう、僕は死んでいたと思う。
ふと、朝比奈を見る。
彼女は僕の話をじっと聞いている。
その姿を見て、少し笑う。
「どうした、真面目な話じゃないぞ」
「……それでも、真面目に聞くべき話だと、少なくとも私はそう思ったわ。だから聞かせて欲しいの。貴方の話を」
……あぁ、そう。
僕は彼女から視線を逸らすと、いつかの日々を思い出す。
懐かしい日々。
兄が楽しげに笑い。
妹が殺意マシマシで木刀を振り。
我ながらイカれた空間だったなと思うけど。
あの頃が一番楽しかったのは事実だ。
僕は口元を緩ませて。
「兄は、『弟』を守って死んだんだ」
その時のことを、思い出す。
あの人、本当に馬鹿なんじゃないのかな。
橘も会う度に『馬鹿』『バカ』『ばか』言ってたし。それに関しては橘と全くの同意見だ。
「弟は二人いたんだ。……そいつらを、兄は守って死んだ。守る必要なんて何も無いのに。……自分が死んだら、どうしようも、ないって言うのに」
黙って見殺せばよかったんだ。
少年に、兄ほどの価値はない。
知恵もなく、才能もなく、天能もなく。
誰からも期待されず。
誰よりも哀れみを向けられる存在だった。
血の繋がっていた弟も。
そして……拾われてきた義弟も。
「代わりに死ねばよかった。……そう思わなかった日はない。今日に、至るまでな」
「あ、雨森、くん……?」
気がつけば、拳から血が滴っていた。
強く、握り締め過ぎたかな。
手を開いて、大きく息を吐く。
ダメだな、語りすぎは。
思わず感情が出てしまう。
だけど、死ねばよかったんだよ。
ユートはあの場所で死んでおくべきだった。
「ま、何はともあれ兄は死に、救われた弟も、内一人は行方不明。生きているのか死んでいるのか……もう興味は無い」
そこまで言って、朝比奈を見る。
彼女は悲しそうな目をしている。
「……嘘よ。私には、そうは見えないわ」
少女の戯言を聞き流す。
僕は、天を仰いで話を続ける。
「……お前が正義の味方になるって言った時、嫌な予感がしたよ。その言葉にはどうにもいい思い出がないからな」
だから遠ざけた。
お前を嫌った振りを続けてきた。
お前のそばにいたら。
正義の味方を見ていたら。
きっと彼を思い出す。
お前と彼を較べてしまう。
それは……お前に失礼だと思ったから。
だから、倉敷と黒月を間に挟んだ。
……いや、この話はよそう。
何だか話していて恥ずかしくなってきた。
僕は咳払いして立ち上がる。
「昔話はこれくらいで、話を戻すが」
朝比奈が驚いたように僕を見上げる中、僕は窓の外へと視線を向けた。
「A組に、勝てると思うか?」
僕の言葉に、彼女の顔が強ばる。
……ま、聞くまでもなかったな。
彼女の中でも結論は出ているはずだ。
――橘月姫には、絶対に勝てない。
口にはせずとも見解は同じ。
僕は息を吐くと、彼女へと視線を戻す。
「明日、僕は橘と戦うつもりだ」
「そ、れは……!」
お前も、橘とは話したんだろう?
なら知ってるはずだ、あいつが化物なんて言葉じゃ生ぬるい怪物だって。
「だ、ダメよ雨森くん! あ、あの子は……次元が違う! 戦うだなんて危険な――」
「危険でも、戦わなければ負けるだけだ」
戦っても負けるだろうけど。
そう思いつつ、僕は頬をかく。
「……全く。お前を説得するつもりで来たんだが、柄じゃないことはするものじゃないな。これなら倉敷さんに任せておくんだった」
変に昔の話を語ったせいで、時間をだいぶ無駄にしたし……もう、何を言っていいのか分からなくなってきた。
……本当、なんで話したんだろう。
やっぱり直感はダメだな。
ちゃんとして理性で動かないと。
「とにかく、明日の戦いはもう変わらない。お前が来ようが来まいが、A組との戦いは始まるわけだ」
僕は玄関へと歩き出す。
彼女の横を通り過ぎる際。
少しだけ足を止めて、彼女を見る。
「僕は橘に負けるだろう」
「……ッ」
朝比奈霞は肩を震わせる。
自分のせいだと彼女は自責するだろうけど。
僕は、その後に言葉を加える。
「けれど、A組に勝てないとは思えない」
「………………えっ?」
彼女は僕を見上げるけれど。
もう、僕が彼女を振り返ることは無い。
玄関の方へと歩き出しつつ、言葉を残す。
「正義の味方は諦めない。挫けても曲がらず、諦めない。頑固で生き汚なくて、何度だって立ちあがる。……まあ、だから早死にするんだけどさ」
僕の兄がそうだった。
まあ、彼は挫けることも知らなかったけど。
なぁ、朝比奈。
熱原に敗北し。
絶望の縁まで追いやられ。
それでも立ち上がり、新崎にまで勝利した。
まるで、主人公のようなお前を見て。
僕はお前に、『兄』の姿を重ね見た。
失礼だと承知の上で。
死人を今に垣間見るのは、非常識だと知っていて。
それでもなお、お前の在り方に。
僕は、心の底から期待した。
……当時の僕に、彼を救える力は無かった。
けれど、もしも。
正義の味方を救える人物が、近くにいたなら。
雨森悠人が、朝比奈霞を支えられるなら。
「お前となら……いつか、兄を越えられるんじゃないかと思った」
背後で、朝比奈の驚きが跳ねた。
実を言うと、これも直感だ。
知性も理性も介入はなく。
ただ何となく、そう思っただけ。
だけど。
同時に不思議と確信してる。
お前となら。
天守弥人を、越えられる。
「信頼はないが――僕はお前に期待してる」
そう言って、僕は部屋を去った。
☆☆☆
その後。
闘争に朝比奈が参加していないことを知り。
僕は闘争前の時点で、C組敗北を確信していた。
……ああ、くそったれ。
人間関係ってやつは、どうしても苦手なんだ。
【嘘なし豆知識】
○天守家の居候
天守弥人が拾ってきた捨て子の少年。
年齢的には弥人の弟、優人と同じくらいだったそうで。
天守家が潰れた日を境に、行方不明となっている。
また、同日より天守周旋(天守家当主)、天守弥人、天守優人も行方知れずとのこと。
彼らの遺体も発見されていない。
ちなみに妹の恋は橘家に保護され、今は地元のお嬢様学校に通っているらしい。
次回【勝ち負け】
雨森悠人と橘月姫。
二人の戦いも、ついに決着へ。
第8章、後日談を除けば本編最終話となります。




