8-18『王冠の行方』
前にも言った気がするが。
A組に勝利するためにはいくつかの最低条件がある。
朝比奈霞が復活すること。
作戦の読み合い、頭脳戦で上回ること。
橘月姫と真正面から戦わないこと。
C組全員の信頼を取り戻すこと。
そして、雨森悠人が本気になること。
……正直、全然ダメダメだ。
朝比奈は復活してないし。
頭脳戦なんてあったもんじゃないし。
橘と真正面から戦ってるし。
C組の信頼は……どうなんだろうなぁ。これはクリアしてるのかもしれない。
そして、雨森悠人が本気になること。
……これは、確実に無理だと思ってた。
本気になるなんてありえない。
そう、少し前まで思ってたんだけどなぁ。
「はぁ、はぁっ、はぁ……はぁ」
荒くなった息を吐き、前方を睨む。
もう、どれくらい経った。
試合が始まってから何時間経った。
時間の感覚がなくなって久しいけれど、まぁ、それなりに経っているのは間違いない。
遠くの空を見れば、日が暮れ始めている。
この時期の夕焼け時刻を考えて、僕は勝手に残り時間を予想する。
「おそらく、試合終了まで……あと数分といった所でしょうね」
前方から声がする。
……嫌だなぁ、全く同じ考えだった。
隠すことなく顔をしかめるが、多分無表情なんでしょうね。不便だなぁ。
前方には、橘月姫が立っている。
試合開始前と変わらぬ様子で。
相も変わらずの無傷の体で。
傷一つなく、疲れ一つなく。
その手に王冠を弄りながら。
笑みを湛えて立っていた。
「貴方の狙いは『橘月姫の燃料切れ』。幾度となく『幻』を繰り返した私が、天能を使えなくなるほど消耗するのを狙った」
その通りだ。
物理的な攻撃でお前に勝つとしたらそれしかない。
お前は殴っても殴っても傷を治す。
なら、僕はそれが出来なくなるまで殴り続けるしかない。脳筋のようで、実際にはそれが一番なのだから頭が痛い。
「ですが雨森様、それは貴方様の体力が持つ、という前提の話。あまりにも無謀な挑戦でしたね」
見ての通り、僕の体力はいよいよ限界だ。
腕も足も鉛のようだ。
筋肉が悲鳴をあげている。
身体中が燃えるように熱い。
……いやー、これは明日は筋肉痛だな。
真面目にそんなことを思いつつ、僕は笑った。
余裕顔を浮かべる橘へ。
向かって左側を指さし、問いかける。
「おい橘、塔を治すのは止めたのか?」
その言葉に、彼女は顔を強ばらせた。
随分と頭が回ってないじゃないか、橘。
相手は雨森悠人だ。
下手な言い訳は通じない。
誤魔化そうったって通用しない。
「橘、お前ももう、限界に近いはずだ」
終始、お前は僕の上位であろうとした。
自分が格上であること。
それ自体にプライドを持つお前は、わざわざ治す必要のない塔を治してまで、自分には余裕があると主張してきた。
だが、ここに来てそれを止めた。
それは何故か?
答えは簡単、そんな余裕も無くなったから。
「……なるほど。どうやら想像以上に私も余裕が無いようです。貴方様相手にこのような小手先を使うとは」
「……そうだな」
会話する裏で、息を整える。
今は、少しでも体力を回復させる。
残る数分、戦い切れるだけの体力を。
大きく息を吸い込む。
酸素が血管を巡ってゆく。
朽ちた体に、少しずつ力が戻る。
わずかこれっぽっちの、小さな余力。
本気を出せば一瞬で燃え尽きてしまいそうな、ほんの小さな希望。
それをゆっくり握りしめ、少しの間だけ瞼を閉ざした。
目を閉じていたのは一秒もないだろう。
瞬きのような一瞬で。
僕は最後の覚悟を決める。
「なぁ、橘」
僕は久方ぶりに微笑んだ。
狂気もなく、殺意もなく。
ただ、純粋に笑ってしまう。
まさか、壊れたと思ってた自分が。
こんな感情を抱くとは思わなかったから。
「今初めて――お前に勝ちたいと思うよ」
右手を広げる。
僕の背から、黒い片翼が広がった。
それを前に橘は少し目を見開いたが。
やがて、呆れたように苦笑する。
「……四つめの異能。いえ、その力が貴方様の本質なのでしょうか? いずれにせよ……ただの加護相手に、ここまで苦戦するはずがないと思っていました」
そりゃそうだろう。
燦天の加護……と名乗っていた僕の異能。
保有する三つの異能、それぞれが『雷神の加護』以上の性能を有する……とか、それはもう【加護】の域には居ないだろう。
「そうだよ、僕も概念使いだ」
僕の背から伸びる片翼は七本の羽から出来ていて、生命らしさはない。
四本の灰色の羽と。
三本の黒色の羽。
それらは鉱石のように黒く、固く、鋭く。
光沢を放つそれは、まるで電脳世界から切り取ったノイズを映し出しているようでもある。
「力を隠した貴方様に、私はここまで追い込まれたということでしょうか」
「あぁ。本気を出せば、一時間も経たずに燃え尽きてただろうからな」
彼女は嬉しそうに笑っている。
その頬に映るは興奮。
そして多少の苛立ちだった。
「イラッときたので、潰しますね?」
「ぜひ、頑張ってくれ」
そして、僕らは大地を駆ける。
衝撃で大地が砕け、僕らは拳を握り締める。
全快になった橘と。
傷だらけの雨森悠人。
当然向こうの方が威力は上だ。
だから、僕は異能で後押しする。
肉体の回復?
いいや、そんな無駄に余力は使えない。
端的に、明確に。
全ての余力を――攻撃に回す。
羽のひとつが灰色に変わる。
と同時に、僕の体が一気に加速した。
「はァッ!」
掛け声と共に拳一閃。
衝撃波と共に、僕らの拳は均衡する。
「――ッ!? 今のは……っ!」
「考える余裕があるのか?」
拳から鮮血が吹き上がる。
回復は出来ない……だが、体も限界だ。
人間の身でこういう人外を相手にしている訳だし、良くぞここまで持ったと誇らしい限りだが……出来れば、もう少しだけ頑張って欲しい。
僅かに残る余力を。
僕は一気に燃え上がらせる。
「異黒天」
僕の目の前に浮かぶ黒玉。
それから発生した強烈な引力が、橘の手にあった王冠を強制的にひったくる。
「――!」
彼女は焦ったように手を伸ばす。
その反応……この王冠は本物だな?
僕は拳に込めていた力を緩めると、僕の方へと飛んできた王冠を上空へと蹴り飛ばす。
「なっ!?」
「さぁ、最後の勝負だ」
あの王冠を取った方が勝つ。
それ以上、僕の余力も残らないんでな。
もうそろそろ、決着と行こう、橘月姫。
僕は上空へと飛び上がる。
橘も一瞬だけ上空を仰ぎ……そして指を鳴らす。
次の瞬間、彼女の姿ははるか上空にまで移動しており……僕の黒羽の一枚が灰色に染まる。
「『少し、動くな』」
僕の瞳が彼女を映す。
瞬間、その体が不自然に硬直した。
それは僅かな硬直だった。
時間にして一秒もない。
されど、上空までたどり着くまでそれだけあれば十分だった。
王冠の目の前までたどり着いた僕は、固まる橘へとドロップキックをぶちかます。
彼女の体はさらに上空へと吹き飛んでゆき、それを見送って王冠へと手を伸ばす。
だけど。
上空から半透明な槍が飛来する。
それは指先にまで迫った王冠を弾き飛ばし、思わず舌打ちが漏れた。
「チッ」
「させませんよ、勝つのは私ですから」
上空の橘が指を鳴らす。
と同時に、数千はくだらない大量の槍が僕へと向かって降り注ぐ。
この数、今の状態で凌ぐのは……不可能。
背中の黒翼を消す。
すぐさま『黒霧』の能力で霧へと姿を変え、それらをかいくぐって王冠を目指した。
しかし、王冠は槍に幾度となく弾かれ、その度に遠くへと飛ばされてゆく。
上空、風の吹きすさぶ中。
霧の状態で出せる速度は限られる。
手を伸ばしても王冠には届かず……そうしているうちに上空にいたはずの橘が追いついてくる。
「『霧の力は幻でした』」
声が聞こえた。
次の瞬間には僕の『霧』は解除されており、生身の状態に無数の槍が降り注ぐ。
「――ッ」
咄嗟に両腕で槍を弾く。
しかし、全ては無理だ。
腕、肩、腿、そして腹。
多くの場所に槍が突き刺さり、あまりの痛みに顔が歪む。
胃の奥から血が逆流する。
噛み締めた奥歯の隙間から血が零れる中、橘は王冠へと一直線に落下していた。
「この……ッ」
降り注ぐ槍の一本を掴む。
振り払った風圧で上空の槍を吹き飛ばすと、その槍を思いっきり橘へと投擲した。
橘は既に、王冠を手にする直前。
手を伸ばした彼女の肩を、槍は寸分違わず貫き、痛みに橘は僕を見上げる。
「い、まので――倒せませんか!」
「当然。僕は雨森悠人だ」
投擲した槍へと指を向ける。
彼女は不思議そうに目を細め……次の瞬間、大きく目を見開いた。
「まさか――!」
「その槍、避雷針として使わせてもらう」
僕の手と彼女の肩に突き刺さる槍。
この間には薄く電流の線が流れており、彼女がそれに気づいた時、僕は雷の速度で動き出していた。
一瞬にして彼女の肩へとたどり着く。
カウンター気味に放たれた彼女の拳が腹を掠る。
傷口から真っ赤な鮮血が吹き上がるが、痛みなど二の次だ。
僕は王冠に足をかけて蹴りあげる。
と同時に、橘は僕を地上へと蹴り飛ばした。
「ぐ……ッ」
突き刺さるような勢いで地上に着地。
頭上を見上げると、橘は王冠を目指す……ではなく、地上の僕へと向かって来ている。
「ハァァッ!」
上空からの飛び蹴り。
咄嗟に右手で受け流すが、あまりの威力に腕の骨が悲鳴をあげる。
されど動きはとめず、左手で奴の腹部へと拳を叩き込む。
「ぐっ」と、鈍い悲鳴。
彼女は数メートル転がるが、すぐに体勢を整えて僕を見据える。
『楽しいですね、雨森様』
そんな声が聞こえた気がした。
『……まぁ、勝てたら楽しいかもな』
そんなふうに、視線で返す。
拳を握ると、彼女も拳を握り返す。
お互いもう、分かっているはず。
――次の一撃が、最後だ。
疲労に体がブレる。
大地を踏みしめる足に力が入らない。
視界が血に滲む。
吸い込んだ空気は鉄の味しかしなくて。
それでも必死に歯を食いしばり。
僕らは拳を、精一杯に構える。
「では、雨森様」
「あぁ、橘」
もう、互いに全力だ。
どちらかが負けて。
どちらかが勝利する。
これはとても簡単な、優劣の押し付け合い。
さぁ、橘。
そろそろ決着をつけようか。
僕らは拳を放つ。
弱々しく、見るも無惨で。
されど、万感の想いを載せた拳。
それらの拳は交差し。
やがて、真っ赤な鮮血が吹き上がった。
次回【橘月姫】




