7-14『悪しき神②』
倉敷蛍は息を吐く。
雨森悠人から話を聞いたのは今朝のこと。
覚悟など特に決まったわけでもなく。
ただ、小森茜を排除すると聞かされた。
その時に思い出したのは、かつて、雨森悠人が退学へと追いやった生徒のこと。
――霧道走。
あれは向こうに責任の多くがあった。
アレの退学は倉敷とて大賛成だった。
だが、小森茜は違う。
霧道が根からの悪性とするならば。
彼女は根からの善性。
どちらかと言えば、朝比奈の同類だ。
(この行いに正義は……ないかもしれない)
こちらが悪だと、倉敷は理解した。
善性を排除する。
たとえその善が敵性だったにせよ。
ある一部から見た時、雨森悠人の行いは真っ黒に映る。
だがしかし。
倉敷蛍は、前を向く。
だからなんだと拳を握る。
善性、悪性など語るのは中学生まででいい。
既にそんなこだわりなど捨ててきた。
目指すべきもの。
やがて掴み取りたいもの。
泡沫だっていい。
この学園における、最大級の平穏。
その為だけに、今は全ての善悪に目を瞑る。
(……私がどうこう言えた話じゃねぇしな)
そも、雨森悠人だけではない。
倉敷蛍とて、悪性だ。
同類だからこそ手を組んだ。
そこに一切の偽りはなく。
小森茜を追放することを受け。
悲しみを抱かなかった事だけは事実だ。
「一応聞くが、手は要るか?」
「先も言ったが、念の為だ。一応警戒しておいてくれ」
念の為……ねぇ。
その背中を見て、倉敷は頭の後ろで手を組んだ。
もはや、小森茜に未来はない。
知っているとも。
排除すると決めた相手に、雨森悠人がどこまで非情になれるのか。どれだけ強引に狡猾に、相手を排除まで追いやるのか。
それを目の前で見てきたのだから。
小森茜へと視線を向ける。
倉敷を一瞥して返した小森へと、倉敷は小さく呟いた。
「悪く思うなよ、こっちが悪だ」
☆☆☆
排除する。
その目的を掲げ、一歩踏み出す。
対して小森茜の行動は単純だった。
――逃亡。
両足を獣のそれへと変化させ、屋上から飛び降りようと一気に僕から距離を取った。
さすがは橘が目を掛けるだけはある。
頭は足りていないようで、行動力があり、なんだかんだでその咄嗟の行動が正鵠を射ている。
ただ、大きな問題が一つだけ。
「逃げられると、思っているのか?」
僕の姿が掻き消えて。
小森茜の眼前へと、拳が迫る。
「――ッ!?」
咄嗟に身を捻って回避し、大きく距離を取る小森さん。
彼女がいた場所には僕が立っており、小森さんは、ちょうど僕と倉敷に挟まれるような位置に移動していた。
「……へぇ、躱すか今のを」
それなりに当てる気で攻撃したんだが。
さすがは加護の異能。
王程度なら手抜きで十分だろうが、加護ともなると少しマジにならないと捉えきれない。
「……雨森悠人の、黒雷。燦天の加護の一角に過ぎない力……にしては、あまりにも速すぎる」
「そりゃどうも」
再び一瞬で移動する。
彼女の目の前に立ってそう言うと、小森さんは強化した全身を捻って回し蹴りを叩き込んでくる。
スカートでよくやるなぁ、と思ったら、スカートの中にちゃんと短パンを履いている様子。
これなら余計な気を使わずに済むな。
僕は回し蹴りを躱し。
その腹へと、ふわりと拳を叩き込む。
ゆったりとした僕の動作。
されど裏腹に響いたのは、内臓を潰すような鈍い衝撃音。
「が……はッ!?」
衝撃に目剥き、硬直する小森さん。
予備動作から想定していたよりも、たぶんずっと重い一撃だったんだろうね。
でもそれは、お前の想定不足だな。
なんせ僕は、雨森悠人。
僕が相手なら、考えすぎでもまだ足りないよ。
次いで右拳を振り下ろす。
確実に仕留めるべく放った拳だが、皮一枚で小森さんは回避して見せた。
……その反応速度には、少し驚く。
しかし、拳で裂けた額から鮮血が滴り、彼女の左目を潰していた。
「こ、の……!」
「左目、血が入って見えにくそうだな」
ギロリと、残った右目が僕を睨む。
腹の一撃によるダメージは大きいだろう。
視界の半分を奪われ、僕の殺意に晒され、普段より数割増しで体力を消耗しているはず。
その状況で、それでも瞳に闇はない。
「……橘も、厄介な奴を引き入れたもんだ」
「うるさいッ!!」
小森さんが駆ける。
その体で、自ら攻めるという行為。
格上相手に守ってばかりでは埒が明かないとは分かっているが……まさか、なんの迷いもなく飛び込んでくるとは。
勝てるとは思わないはず……なら何が目的だ?
一瞬だけ考えた。
その思考を狙い撃つように、彼女は力一杯に右腕で『なにか』を引っ張った。
その際に見えた、煌めく細絲。
シーツを干していた竿から、壁から、床から。
様々な場所から音が響き。
気が付けば、僕の周囲360度を細いワイヤーが張り巡らされていた。
『……ここじゃ目につく。屋上で話そう』
最初、そう言ってきたのは小森さんだった。
まぁ、想定はしていたが……なんつー大掛かりな仕掛け。明らかにここで一戦構えるつもりだったろ、コイツ。
「お前の力は、知っている!!」
幾十、幾百と巡らされたワイヤー。
それらへと、一斉に青い光が灯った。
その光は……まるで、A組米田が用いていた蒼剣と同じように見える。
……まさか。
「――遠隔操作。しかも剣以外にも付与可能な力だったか」
もしもこれら全てに、米田の剣と同等の切れ味が付与されているとしたら。
僕は咄嗟に霧の力を発動しようとするが、一手早く、僕の足元へと瓶が転がった。
「――ッ」
「高温下で、霧は極めて発生しづらい」
小森茜の声が響いて。
次の瞬間、僕の全身を炎が包んだ。
それによるダメージは無に等しい。……だが、炎によって周辺の温度が上昇、霧の能力に無視できないだけの支障が生じた。
「これで、トドメ」
クイッと、小森茜は右手を引いた。
次の瞬間、僕の周囲にあったワイヤー全てが僕へと迫り、命を狙う。
この状況下……敵ながら、良くぞここまで策を練ったと褒めちぎりたいくらいの劣勢だ。
加護程度、軽く捻れると思ってた。
これは少し……評価を改めるべきかな。
……あぁ、それと。
褒めるついでに、1つ教えるよ。
「悪いが、それは詰みには繋がらないな」
そして、白い蒸気が吹き上がる。
炎は一瞬にして掻き消えて、背筋が凍るほどの『冷気』が周囲に走る。
倉敷と小森が背筋を震わせる中。
僕は、小森茜の背後から肩を組む。
「――ッ!?」
霧化を封じ。
黒雷の速度をワイヤーで無効化した。
にも関わらず、平然と背後に回り込む異常性。
「まさか、三つ目の――ッ!?」
彼女は僕の腕を払う。
と同時に、僕は足を払って彼女を床へと叩きつけた。
あまりの衝撃に、『がふっ』と何かが詰まったような悲鳴が聞こえる。
「こ、この……!」
「誇っていいよ。お前は確かに厄介だった」
少なくとも、A組の面々よりかはな。
僕は、倒れ伏す小森の腕を踏み抜いた。
あまりにもあっけない、骨が碎ける音。
彼女は大きく目を見開き、絶叫する。
「が、ああぁぁぁぁぁぁぁあああああ!?」
「好きに叫べよ。どうせ外には聞こえない」
この一帯は黒月の結界で遮音している。
彼もどこからか姿を隠して僕らを見ているのだろう。
……さて、ここから先の僕を見て、幻滅しなければいいのだが。
足裏で膝を砕く。
「ぎ、ぃぃァァアッ!」
右腕と、右の膝。
それぞれの骨を砕かれ、小森茜の身体中へと脂汗が滲み始めた。
「が、はっ、はっ、ぁ、……ッ! こ、この野郎! 殺すッ! 殺してやる……ッ!!」
その殺意も心地良い。
この学園に来てからは感じたことの無い激情。
校則に縛られ、常識に拘束され。
人に害なすことを徹底的に忌避するよう育てられた学生には、まず浮かべられない密度の殺意。
それを見下ろし。
僕は笑った。
笑い、左の膝を踏み砕く。
「面白い。残る左腕で何ができるか……殺れるものならやってみろ」
腹を、足の裏で強く抉る。
口から少量の血液が弾け、僕はその体を倉敷の方へと蹴り飛ばした。
幾度か地面をバウンドし、体が転がる。
その先へと回り込み、その顔面へと拳を叩き込んだ。
ぐしゅりと。
人体から鳴ってはいけない音がした。
小森茜の体が大きく痙攣する。
彼女の体は衝撃で数メートル吹き飛ばされる。
……その体に力はない。
まるで死体のように横たわる小森茜へと、僕は1歩、1歩と歩みを進めてゆく。
「……おい。少しやり過ぎじゃねぇのか」
ふと、倉敷から声が飛ぶ。
されど僕は、歩みを止めない。
「珍しいな倉敷。読み違いか? この僕が、女相手と容赦を掛ける男に見えたのか?」
冗談だろう。
雨森悠人に少しでもそんな期待を寄せているなら、今のうちに捨ててしまえ。
破り捨てて、焼却炉にでも放り入れろ。
相手が女だろうが子供だろうが老人だろうが……たとえ肉親、恋人であろうとも。
敵対者に、僕は一切の容赦はしない。
「うっ、ぐ……ぁッ」
「それに、殺すと宣う輩相手だ。殺意には殺害を以て返礼とする。それ以外に僕は方法を知らない」
簡単な話。
お前らは僕に喧嘩を売るべきではなかった。
橘に全てを任せるべきだった。
不要なプライドなど持たぬべきだった。
それだけの話さ。
僕は、小森茜の前に立つ。
僕を見上げる少女は震えていて。
その瞳には、大き過ぎる恐怖があった。
「それじゃあ、これで最後だ」
一撃で意識を断つ。
僕は拳を握りしめ、その頭蓋へと振り下ろす。
衝撃が屋上を砕き、周囲へとヒビが走り抜ける。
大気が震えるような音が弾けて。
……僕は、静かに目を閉じた。
確実に当たったはず。
小森茜に避ける術などなかったはず。
にも関わらず。
僕の目の前に小森茜の姿はなく。
どこからか、嫌な声が聞こえてきた。
「あら、それ以上は……さしもの私でも『やり過ぎ』と判断しますよ?」
声の方を仰ぎ見る。
青い空、燦々とした太陽。
それらを背に、一人の少女が立っている。
傷ついた小森茜を背後にかばい。
なんでもないと微笑を湛え、立っている。
「……う、そだろ。いつの間に……てめぇ!」
倉敷も目で追えていなかったのだろう。
気が付けば僕の前から小森茜は消えていて。
そして、少し離れた彼女の背後に、小森茜は立っていた。
怯えを瞳に浮かべ。
身体を震わせ、立っていた。
傷などひとつもない。
僕が与えた全ての外傷が、まるで幻であったかのように消え失せていた。
……そんなことが可能な能力。
それができるのは、B組の担任教諭か……あるいは、この女くらいしか知りはしない。
「……橘、月姫」
その名を口にすれば、女は花が咲いたように笑った。
「ええ。逢いに来ましたよ、雨森悠人」
その力は、既に人の域を超えている。
人間離れした力は。
手を抜いたとて、常人のさらに先を往く。
ただ、それでも。
世界で唯一、自分を殺せるヤツがいる。
互いに互いを知っていて。
ゆえにこそ、世界で最も警戒する。
強い相手。
賢い相手。
能力が分からない相手。
最強の能力を持つ相手。
よく識る二人は互いに思う。
この男だけは。
この女だけは。
最初から、全力全霊をもって相手する。
でなければ、こちらが先に喰われかねない。
次回【悪しき神③】




