7-10『最強の体現者』
誰より強く。誰より先へ。
少年は、その想いだけを胸に駆けてきた。
彼は誰より弱かった。
私は知っている。
その弱さ、その儚さを。
誰も少年には期待せず。
誰もが彼の兄を見た。
その兄にまだ見ぬ世界を夢見た。
かく言う私も、その一人。
その少年には何も期待していなかった。
だからこそ……というのもあるのだろう。
私がこれ程……その少年に固執するのは。
「……あぁ、なんという……不条理!」
恍惚に顔を歪めて、私は笑った。
校舎からその姿を見下ろして。
私はその背景が、どうしても想像できなかった。
彼がこうなった道筋。
その道程、強くなれた確たる理由。
それが全く見当つかない。
あれだけ弱かった少年が、誰の力を借りることなく、たった一人であれほどまでの力をつけた。
その異常性、何たることや。
私ですら想像できなかった超変貌。
もはや、そこに弱者の気配は微塵もない。
そこに在るのは、ただ、私が恋焦がれた最強の体現者。
「あぁ……私はあなたに否定されたい」
誰より優れているが故。
人生で、ただ1度でいいから敗北してみたい。
そう願うのは、私の傲慢なのでしょうか。
☆☆☆
「な、にが……」
紅は、目の前の光景に呟いた。
僕の目の前で、文字通り叩き潰されたロバート・ベッキオ。1年A組が満を持して投入してきた最強の一角。
それに、どうやら言葉が出てこないらしい。
……ふむ。
なにか面白い反応でも期待していたんだが、その面でいえば少し期待はずれだな。
僕は拳を握り、開いて、考える。
「……実力は、まぁ、想定通りか」
口の中で呟いた言葉は、きっと誰にも届きはしない。それでも視界の端で捉えた小森さんが、大きく反応したのが見えた。
……聴覚系の強化、か。
これまた厄介な能力を持っている。
なら、僕がこの学園に来て1度でも口に出した能力は全て把握されていると考えるべきか。
「……問題ないか」
僕は、次の対戦相手へと視線を向ける。
視線を受けたA組は思わず後退る。
その中には紅の姿もあり……彼女は、自分が退いた事実に目を見開いて、歯を食いしばった。
「こ、この……! この野郎! 何をした! なにを……どうやってロバートを!!」
「見えなかったか? ただ殴っただけだ」
「嘘だ! そんなわけないわよ! だって――」
だってロバートは、強いんだから、と。
後に続くであろうその言葉は、僕の目を見た瞬間に霧散した。
「この前の言葉、まんま返そう」
なんだったっけ、お前が僕に言ったこと。
……あぁ、そうだそうだ。
こんなセリフじゃなかったか?
「お前らは終始、彼我戦力差を測り違えている」
それは蛮勇であると。
彼我戦力差を度外視していると。
たしかお前らはそう言った。
それが勘違いであるとも知らず。
「こと純粋な殴り合いで……僕に勝てると思ったのが間違いだ」
「……ッ、こ、この……クソ野郎が……ッ!」
紅の怒りが沸点を超える。
彼女は一歩を踏み出そうとして……その歩みを、隣にいた邁進が止めた。
「……!? ま、邁進!」
「紅、落ち着きましょう。今すべきは怒りに駆られる事ではなく、私たちの誤算がどれほどなのかを測ること」
その少女はどこまでも冷静……に見えるが、さて、この状況下で本当に冷静になれているのかな。
よく見ればその拳は震えていて、握り締められたその手からは血が滴っている。
「ま、邁進……!」
「……私には無理そうですので、貴女に託します。貴女は冷静に、相手を見て。私はそれまでの時間を稼ぐ」
そして、その少女が前に出る。
邁進花蓮。
侍従のような改造制服。
凛とした佇まいからは冷静さが窺える。
だが、その内側には溢れんばかりの業火が燻っているのを……まぁ、対して見れば分かってしまった。
「雨森悠人。その力……貴方の本当の異能は身体能力の強化……と。そう受けとっても良いのでしょうか」
「ひとつ聞く。それを聞いて何になる? お前の敗北は変わらないだろう」
別に挑発のつもりはない言葉だった。
だが、僕の言葉が純粋な疑問であることが。
何より彼女の逆鱗に触れた。
彼女の額に、くっきりと青筋が浮かぶ。
それは漫画で見るような可愛らしいものではなく、人間が本当にぶちギレた時に浮かべる、殺意すら孕んだ強烈な怒気。
「……ぶっ、殺す」
静かに声が、風に乗って聞こえてきた。
審判が、その発言に目を見開くよりも先に。
僕へと向けて、無数の暗器が放たれた。
「……ほう」
邁進花蓮の異能――『暗器』。
手に触れたあらゆる空間から暗器の限りを召喚する、とても簡易的な能力。
僕へと投擲されたのはナイフだった。
おそらく数十は下らないだろう。
ふと、後ろを振り返る。
僕を見ていた黒月と目が合って、僕は頷き、視線を前方へと戻す。
かわせば後ろの生徒たちが危ない。
そう思っての確認だったが……まぁ、黒月がいるなら問題あるまい。
僕はそれらを最低限の動きで回避し、平然と前方へと歩き出す。
「く……ッ!?」
投げる投げる。
無数の暗器が迫り来る。
それらを掠らせもせず歩いてゆく。
彼我の距離はすぐに埋まって。
彼女はナイフを握り、掻っ切るように僕の首を狙った。
その刀身は、綺麗な弧を描く。
純粋な殺意に、幾度と繰り返し練習したであろう一振り。
常人であれば反応することも難しいと思うが、僕はその常人には当てはまらない。
普通に指で挟んで止めて。
その首へと手刀を叩き落とした。
「が……!?」
彼女は大きく目を見開いたが。
されど、意識は強制的に閉じてゆく。
その体は僕の方へと倒れてきて……その体を受け止めると同時に、目の前へと【斬撃】が迫っていた。
「うおっ」
思わず驚き、斬撃を躱す。
それは青い……刀のようなものだった。
僕は気絶した邁進を地面に転がすと、思いっ切り不意打ちをかましてきたその男を見据える。
「いいのか。さっきから審判、決着とも試合開始とも言ってないけど」
僕の言葉に、審判が一番驚いていた。
そういえばそうだった!
そんな感じで目を見開く審判。
おそらく、想定外の連続で思考がショートしてたんだろうな。
審判の女子生徒は試合を止めるべく声を上げるが、それよりも先にその男子生徒が僕へと迫る。
「へっ、それを平然と受けて立ってるお前さんには言われたかねぇよ」
米田半兵衛。
おそらくは四人の中で最強の男。
彼の手には例の武器が握られていて、それを僕は一振りのナイフで受け流す。
「……へぇ! 邁進の暗器、拾ってたか!」
そりゃそうよ。
お前みたいなのを相手するのに、さすがに素手じゃ危ないでしょうが。
制服切れたらどうすんの。
そういう思いで、邁進の作ったナイフを片手に米田に臨む。
米田半兵衛。
異能――『蒼剣』。
その能力は単純明快。
剣の性能を大幅に向上すること。
まぁ、あれだ。
全てを断ち切る斬鉄剣。
あれの現実バージョンってところかな。
それを、米田みたいなリアルチートが用いているのだから、危ないったらありゃしない。
「さて、ナイフ1本で何が出来る!」
米田は無数の斬撃を放ってくる。
それらをナイフで弾き、受け流す度、ナイフの刀身が刃こぼれしてゆく。
「……ふむ」
「どうした最強! 防戦一方だぜ!」
米田は力任せに、ナイフごと僕をぶっ飛ばす。
下手に動けばナイフをへし折られそうだったので、直前に後方へと飛んで威力を軽減してみたが……。
「……これは」
既に、ナイフの刀身はガタッガタ。
こんなんじゃ何も切れやしない。
どころか、次に切り結んだら折れるだろう。それほどまでの壊れ具合だ。
しかしまぁ……使えないって訳でもない。
「さぁ、どうする! 他の戦い方でも模索してみるか? 足元のナイフを拾うのもありだぜ!」
と言いつつ、ナイフを拾おうとした瞬間に襲いかかってくるつもりの米田。
なんて恐ろしいやつなんだ。
僕はガタガタのナイフを構えて、強がりを吐いた。
「問題ない。むしろこのナイフは痛いぞ。千切り裂くような切れ味が自慢だからな」
「はっ、抜かせ!」
そう言って、米田半兵衛は加速する。
と同時に、僕はナイフをぶん投げた。
「な……ッ!?」
それは、力任せの投擲。
あまりの勢いに米田は目を見開き、咄嗟にブレーキをかけて回避する。
ナイフは加速し、飛翔する、
彼が振り返った先では、黒月の張ったバリアに深々と突き刺さったナイフがあって。
「ばっ、化け物――」
「僕を相手に……随分と余裕だな」
僕の拳が、その手首を穿った。
衝撃に、米田の手から剣がこぼれる。
彼は顔を歪め、視線で剣を追っていったが。
その顔面には、硬い拳をお見舞した。
「じゃあな、米田半兵衛」
拳が炸裂する。
顔面から真っ赤な鮮血が咲き、彼は空中で数回転して地面に叩き付けられた。
「が、は……!?」
彼は目を見開いて、すぐに意識を失った。
そんな姿を見下ろして、僕はA組へと視線を向ける。
紅は、引きつった悲鳴を上げた。
「これで三人、あと一人だな」
さて、紅。
お前は何秒持つんだろうな。
誰より強く在る。
かつて、少年は言った。
しかし、その根底にあったのは己の弱さに対する絶望だった。
弱い自分では、何もできない。
何も守れず、何も為せず。何も残せない。
――力が欲しいと、少年は願った。
その道筋がどうであれ。
どれだけの苦悩と絶望に満ちた半生であっても。
少年は、いつしか最強の席に座するに至った。
されど。
今の少年にとって、強くなることはあくまで『手段』。
始まりこそ、純粋な強さを求めていたかもしれないが。
学園に入学した現在の目的は……もっと、違う場所にあるのかもしれない。
次回【乱】
なんやかんやで、100話達成です。
皆さんの応援のおかげでここまで来れました。
いつもありがとうございます。
これからも、引き続きよろしくお願いします!




