1-9『原則として』
昼休み、職員室へ呼び出された。
全校放送だった。
しかも内容が酷かった。
『あー、テステス。1年C組、雨森悠人。1年C組、雨森悠人。連日殴られ続けで頬が痛いなどという理由での拒絶は許さん。お前に昼、一緒に食べる友達がいないのも調査済みだ。可及的速やかに職員室へと来い。繰り返す――』
とまぁ、繰り返された回数、五回くらい。
六回目の途中で放送室へと殴り込み、無理矢理放送を止めてやった僕は、そのままの流れで職員室の一角、応接室へと通されていた。
「感謝しろ雨森。ぼっちなお前に私が情けをかけて昼食に誘ってやったんだ。涙を流して感謝しろ」
「ええ、ここに来るまで何回か泣きそうになりました」
放送室へと向かいながら流れ続けている僕の悪評。
しかも回を続ける事にあることないこと色々思いついちゃうのだろう、最後の方なんてもう耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言の嵐だったし、さしもの無表情でも少しは泣いた。涙は出なかったけど心の中では確実に泣いた。
「で、なんの用ですいきなり」
購買で買ってきたパンの包装を開けながら問う。
見れば彼女は……羨ましい、出前でも頼んだんだろうな。ずぞぞとラーメンを啜っており、純白の白衣にラーメンの汁が飛び散ってゆく。たまに白衣が汚れてるから気になってたけど榊先生、女の人なんだし少し見た目のこと気にしなさいな。
「なに、そろそろ貴様の真意を知っておきたくてな。ああ、これは学校としての方針ではなく、私個人の興味でしかない。だから別にいくら学校の罵詈雑言を吐こうと聞かなかったことにする。教師の名においてそこだけは約束しよう」
「……はぁ」
真意、ねぇ。
とりあえず目立つことなく、誰にも絡まれることなく、平穏に、それでいて自由に暮らしたい。
それくらいしか思うことは無いのだけれど。
「強いて言うなら校則キツすぎません? ひとつ破った時点で最低でも100,000円罰金とか狂気的でしょう」
端的にそう告げると、彼女は小さく首肯する。
「ま、そこらへんは学長の指示だな。あの人は教師の中でも頂点に位置する、つまるところこの学園において最高最大にして最強の『絶対』だ。私らでも逆らえん」
「へぇ、学園長が」
短く答え、パンをかじる。
さすがは安物、口の中がパッサパサになる。
なんかお冷の一つでも出ないのかと彼女へと視線を送っていると――
「ん? 食いたいのか、ラーメン」
「要らないっすよそんな食いかけ」
何を勘違いしたかそんなことを言ってくる。
なんというか……この人は本当によくわからない。教師側として生徒を支配したいと思っているのか、はたまたその裏で学園に対してなにか思うところがあるのか、或いはただ何も考えていないだけなのか、それとも――
「……まぁ真意でもなんでも答えますけど、その前に、とりあえず一つだけいいですか」
そう前置きして、僕は彼女へと端的に問う。
「――榊先生、実はひとつ、金で借りたいものがあるんです」
☆☆☆
昼休みが開けた。
場所は未だに職員室。
もう授業始まってるのに榊先生はラーメン食いかけだし、僕は完璧に始業に間に合ってないしで、なんかもう最悪の展開であった。
「……あの、罰金とかって」
「ん? あぁ、私の話に付き合わせていたんだ。他でもない教師の責任で始業に間に合わなかった生徒を校則違反で罰するなど、それこそ学園長でもしないだろうさ」
その言葉にほっと一安心。
いやー、がっぽり散財した後だからさ。罰金受けてたら退学間際だったよ。
いいね、校則の『原則として』って言葉。最高だね。
とりあえず榊先生に恩とか売っとけばだいたい切り抜けられそうな感じするし。
と、僕は思う訳だが――そう思わない生徒も中にはいるに違いない。
例えば……そうだな。
「さて、そろそろ授業に向かうか。さすがに教師が五分も十分も遅刻していたら立つ瀬がない。朝比奈あたりに木っ端微塵に言い負かされてしまいそうだ」
「榊先生が? 冗談にも程があるでしょう」
冗談でもこの人が論破される姿とか想像つかない。
そう言い合いながら、僕らは二人教室へ向かう。
周囲の教室では既に授業が始まっており、1年A組、B組と通り過ぎていく際、クラスの中から奇異の視線が僕らの体へ突き刺さる。
嫌だなぁ、なんか目立ってるなぁ。
そんなことを思いながらもA組とかB組とかの中を覗き込んでいると……見間違いかな、なんか知り合いがいた気がしたけど、とりあえず見なかったことにする。
「さて、遅刻を責められなければいいが」
気がつけばC組の前に着いていた。
彼女は小さく笑って扉を開くと、一斉に視線が僕らの体へと突き刺さる。
なんだコイツら遅刻しやがって、みたいな視線に少しびっくりしたが、多分こんなこと思ってても無表情なんだろうなぁ、と独りごちる。不便なり無表情。
「さて、遅れたが授業を始めるぞ。雨森、席につけ」
「……はい」
素直に答えて着席すると、同時に榊先生が教科書を開く。
今日の五時限目は数学。かつて意味不明な問題を突きつけられたトラウマが再発しそうだが、もしもそうなったらその時はまた朝比奈嬢でも助けてくれるだろう。
そう、一人考えて――
「――先生、一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか」
凛、と声が響いた。
その声を発したのは僕の隣人、朝比奈霞。
彼女は絵に書いたような綺麗な姿勢のまま挙手をしており、その姿に小さく笑んだ榊先生は首肯する。
「あぁ、遅刻して申し訳なさもあるからな。質問一つで気が済むならそれもまたいいだろう」
どこまでも上から目線だよなこの人。もうちょい優しい言葉遣いとか出来ないものなんだろうか。
そんなことを思ってため息を漏らすが――次の瞬間、朝比奈嬢が口にした言葉に目を見開いた。
「雨森君は今、授業開始に間に合わなかったわけですが、彼は校則違反として罰則を受けたのでしょうか?」
――始まった。
その言葉を聞いた瞬間、確信した。
全てを飲み込む嵐の目――朝比奈霞が、この学園におけるその絶対的な『優位性』に気づき始めている。
見れば榊先生は実に楽しげな笑みを浮かべており、朝比奈嬢に対して端的明快にこう答える。
「答えは『受けてない』。教師が校則違反の原因を作っておいて、いざ破れた時点で罰則、などといった理不尽がまかり通るはずがない。貴様はそんなことも分からないのか、朝比奈霞」
「……いえ」
榊先生の言葉に、朝比奈霞は小さく答える。
しかしその瞳には揺るがず正義の炎が燃えており、その瞳を真正面から受ける榊先生は笑みを崩さない。
「……校則よりも教師の言が優先される、と。つまりはそういうことでよろしいですか」
朝比奈霞は核心を突く。
今までは霧道や僕のことでそこまで頭が回っていなかったであろう朝比奈嬢も、今回の件でついにそこまで頭が回ったようだ。
「つ、つまり……?」
「な、何言ってんだ、二人とも……」
「どういうことなの、朝比奈さん……?」
クラスからどよめきが湧き上がる。
勘のいいやつならもうわかっているかもしれない。ちらりとクラスを見渡せば、何人かは難しい表情を浮かべている者もいる。
朝比奈霞が言いたいこと。
それは、恐らく――
「簡潔に問います。どれだけ校則を守っていようと、教師が『退学』と言えばその時点で私達は退学処分になってしまう、と。そういうことも有り得るわけですか?」
「当たり前だが、それがどうした?」
問いかけもそうだが、答えも答えで衝撃的。
全く気づいてなかったやつからすれば青天の霹靂というか寝耳に水というか。テキトーにそれっぽい言葉使ってるから意味合ってるか分からないけど、とりあえずまぁ、驚いたことだろう。
「ちょ、ちょっ待てよ!」
キムタクみたいなことを言い出したのは霧道。
髪の色は似たようなもんだが、全く顔面偏差値が違うためになんだか虚しい限りである。
霧道、キムタクに謝ってこい。
「そ、それっておかしいだろ! なんだよ教師が退学って言ったら退学ってよ! 何考えてんだよおまえら、頭悪いんじゃねぇのか!」
「……ほう、それは学園に対する暴言と見ていいのか霧道。私の一存で退学処分にしても今回は許されそうな気がするな」
「……っ! ふ、ふざけんなよ……ッ」
榊先生によって強制的に黙らされてしまう霧道。なんだか定番の流れすぎてもはや哀れ。
「……職権乱用、ではありませんか?」
「なにをいう朝比奈、これは学園長自ら認められたれっきとしたルールだ。生徒心得にもあったろう。教師と学園こそが絶対だと」
「……それは、校則すら超えるものだと」
「その通りだ。まったく頭の悪い者と話すのは疲れるな朝比奈。賢い奴なら雨森を初日に休ませた時点で気づいていてもおかしくはなかったぞ」
煽る煽る、榊先生、すっごく煽る。
もはや悪役のごとき長ゼリフに内心で苦笑していると、それを受けた生徒達から目に見えて怒気が膨れ上がる。
「……私は、そのような理不尽、許せません」
「社会は理不尽で出来ている。それを前に許せないなどと……貴様は社会に出た時、理不尽に直面する度上司に直訴するのか? 社長に苦言を呈すのか? 全くこれだから子供は困る。夢を見たいなら親のすねかじりにでもなればいい」
榊先生の顔には、いつの間にか嘲笑が浮かんでいる。
きっと、彼女の言うことも正論なのだろう。
そして、朝比奈の言うことも、正論なのだ。
僕個人としてはそういうの度外視して『校則キツすぎね?』って感じなのだが、感情論がそこに介入してしまうと一筋縄では行かなくなる。
「……分かり、ました。それが学校としての見解ということでよろしいですね。榊先生」
「ああ、どの教師に話を聞いたところでこのような答えが返ってくる。……ま、過去には突っかかって行った時点で反感を買って退学、等となった生徒もいたがな」
それを前に生徒達が押し黙る。
されど朝比奈霞は揺らぐことなく、正義の炎を瞳に灯す。
その姿は正しく希望、生徒達にとっては大きな光。
そして、生徒達にとっては学園は、『頭のぶっ飛んだ巨悪』そのものに見えるだろう。
「……はぁ」
小さくため息を漏らし、窓の外へと視線を向ける。
春の日差しは未だ暖かく、桜の花びらが風に舞う。
春だ、誰しも希望を抱き前を向く春。
にも関わらず、教室内に漂うのは絶望感だけ。
僕は榊先生に見えないようにスマホを取り出し、ある人物へとメールを送る。
――といっても、僕が連絡先を知っている人物など一人しかいないのだけれど。
次回『雨森悠人』




