見知らぬ幼馴染
苹州商邑。
芦楓は段季から比轍を奥の宮に置いて来たと言われて笑い転げた。
「運が悪いなあの男。龍に変化できないような状態で城を奪還するなんて経験そうそうできないのに、奥の宮で留守番か!」
「楽しそうだな」
「正直に言えば楽しい」
段季が呆れたように首を振る。
「楽しいのか」
「楽しい」
芦楓は頷く。
「本来なら私も比轍も天龍の男子で、州のなかで邑を争って戦に明け暮れる人間とは違って一生戦に縁がないまま生きていくはずだったんだ。それが身分を剥奪されて、不老長寿みたいな状態でも人間に近い生き方で、二皇子のせいで頴州の天龍たちに戦を仕掛ける役目を担っている。面白い」
そう続ける芦楓の話を段季が手を振って遮った。
「天龍というのは誰も彼もがそう前向きなのか?」
「なんだって?」
「常梅香も相当前向きだ」
芦楓は「あっはっは!」と笑う。
「そりゃ比轍だからだ。あの男はなんでもだいたい楽しめる。人間の女になっても楽しんでる。自分が比轍の立場だったら、身分を剥奪されて龍身に戻れなくなったところで絶望的な気分になってるだろうなと思うよ」
「そうかもしれない」
そう言った芦楓に「それで」と声をかけたのは芳俊だった。
「どうやって鵬安宮を取り戻すか算段はあるのか?」
芦楓は手を打って芳俊に「それです」と地図を示す。
苹州の地図には頴州軍に占拠された城の場所が朱墨の丸で示されていた。
「手分けして各地に散って陽動作戦を仕掛け、徐々に鵬安宮との距離を縮めていきます」
「なぜそんな面倒なことをする? 史書で読んだことのある戦はだいたい、平地で軍を整えて挑んでいくものばかりだった」
芦楓は芳俊と段達を見る。
「こちらには天公と地公がいると言っても、鵬安宮の天龍はほとんど力が使えないし変化もできない状態です。ですから各邑と協力して人を集めて対応するしかないんです。それに自陣で兵に満足な糧食を配ることもできない程度には、食糧も頴州軍に奪われて足りない」
食べ物と聞いた瞬間に「ああそうか」と段達は頷いて芳俊を見た。
「戦線が長引くと食べ物がなくなる。九割がた白湯みたいな粥は食べるだけむしろ腹が空く」
「米も肉も必要なら送る」
全員が芳俊に目を向ける。
「初めて六皇子を偉いと思った。六心天龍はこういうときに役に立つんだな」
「死んでるものなら米でも肉でもどうにかなる。生き物は長生きできない死にそうな魚とかそういうものぐらいしか用意できない」
芳俊が段達に言い、段達は「そういうことか」と適当に頷いた。
「米が尽きないというのはありがたいことですよ。問題はそれが利点になるか欠点になるかです。そもそも頴州軍は、軍と言うよりも飢えた頴州民による一揆や打ち壊しと言ったほうがよいかもしれません。頴州の州内には、すでに暴動で奪うことができる食料すらないのでしょう」
芦楓の説明に芳俊と段達は頷いた。
「阿達」
芳俊の声に段達が芳俊のこめかみを殴る。
「なんなんだ!」
「阿達と呼ぶな」
「十五年も阿達と呼んできたのに、なんで今さら拒否するんだ!」
段達は芳俊の眉間に指を突き付けた。
「芳児と会ったのは十五年前だが芳俊に会ったのはつい最近、数える程度だ。六皇子とはそこまで親しくない」
「理不尽!」
芳俊の言葉に段達が笑う。
「自分が芳児だと隠していた罰だ!」
「阿達のことだから正直に言ってたって嘘と決めつけて私を呪ったに決まってる!」
段達は黙り込んで目を反らした。
芳俊が息をつく。
「阿達は蓮邑の州境に行って前線で結界を守ったんだ。私は王城で苹州公だと言えるように頑張ろうと思ったのに、比轍と段叔を王城に呼ぶのが精一杯で、自分ひとりでは、自分が苹州公に名乗りを上げたと言うこともできなかったし、州天公として苹州に入るつもりでいると父に言うこともできなかった。その上、阿達を巻き込んだ」
段達はまた横から芳俊を殴り、芳俊が椅子から転げた。
「阿達と呼ぶな!」
「ひどい!」
こめかみを押さえて怒鳴る芳俊に、段達は怒鳴って返した。
「おまえが苹州公を名乗れなかったのはおまえのせいじゃなく、苹州公がおまえだと隠した苹州の天龍たちのせいだ。苹州に攻め込んできたのは二皇子の軍だ。私が州境に行ったのは芳児を守るためでもあるが、地公廟の祭司官見習いとして苹州の領民を守る必要もあったからだ。苹州の祭司官が根こそぎ捕らえられたのも二皇子が地龍の公主を探そうとしたからだ。私が地龍の皇子だと名乗りを上げたのはせめて地公廟の祭司官だけでも生き残れないか、解放できないかと考えたからだ。おまえとの見合いに応じたのは会ったこともない姉ではあっても、その姉を死なせた二皇子に目に物見せてやりたかったからだ」
転げたところから体を起こそうとした芳俊を押さえつけ、段達は不貞腐れた。
「どれもこれもおまえのせいじゃない。おまえが皇子だろうが、おまえにできないことなんていくらでもあるだろうが」
段達を芳俊から引き離しながら、段季は「この殿下にはできないことの方が多い。皇子にしては慎ましやかだった」と言って聞かせる。
「それにだいたい芳児として生活していることのほうが多かった」
「段叔!」
芳俊が段季を睨んで「言うな」と首を振ったが、やめる段季ではなかった。
「洗濯物も自分で洗い場に持っていって済ませてくるし、おやつも自分で取りに行く。それから」
「段叔!」
「常梅香を天牢に入れられて、二妃と二皇子に脅されて食材を作り百花斉放を求められ、二妃の誕生日に鳳凰を出せ、それができなければ梅香の指を落とすと言われた」
段季が息をつく。
「螺珠殿が亡くなるまでを辿った記憶の最後と、六殿下が作った景色はほとんど同じだった」
「黙れ!」
芳俊が段達の腕を押しのけて段季の口を塞ぐ。
芳俊の腕をどけようとした段達は芳俊に腕を咬まれ、「痛い!」と叫んで芳俊に転がされた。
「好きで二妃と蘭俊の言いなりになったわけじゃない!」
「分かってますとも」
段季が芳俊に言う。
「阿達、段家の父たちは、私の父にしろおまえの父にしろずいぶんと過保護だったが、この皇子の父親は、来て早々に地公に嫁げと言って帰った。二妃を可愛がり二皇子を甘やかし、この皇子が彼らの言いなりになることは許容する。そういう相手だ」
段達は段季を見てから芳俊を見た。
芳俊が段達を見て首を振る。
「諌止者が付いてる。そういう父親だ」
段達は「なるほど」と頷いた。
芳俊が段達を眺めながら口を開く。
「頴州軍の天龍の前には私が出る」
そう言いながら芳俊は自分の手を地図の上にかざした。
「鵬安宮に近いところがいい」
一か所、二か所と指さしながら言う芳俊を、段達が首を振りながら「やめておけ」と口を尖らせる。
「私が出ていくことで二皇子が出て来やすくなる。それに兵糧が配りやすい」
芳俊は地図を手に取って笑う。
「わからないのは人がどう見るかだな」
「なにが」
「六心の皇子が、なにもないところから五穀を出して配る。頴州の者たちはそれをどう見るか」
顔をしかめた芳俊を見て、芦楓が「そうですね」と頷く。




