踏みつけられてきた者たち
このまま苹州の段家に戻ることもできると儀典官に言われた段達が戻ったのは、王城の天牢だった。
「仔虎の道を追うには大人ふたりが限界らしい。仔虎の道で全員を珊州に移すのは難しい」
段達は祭司官たちと話し込む。
「おい地公、仔虎は量産できないのか?」
李澄に言われて段達は首を振った。
「先の地公だった姉の宮に行ってみた。地公というのも万能じゃない。元素から仔虎を作れるのは天公であって、私がひとりで仔虎を作ろうと思ったら、仔虎一匹につき、苹州の草木や獣や人間が消えていく」
祭司官たちは顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
石禹斗の問いに段達は「つまり」と言葉を濁し、儀典官が言葉を引き取る。
「地公が作る物は無から生じるわけではなく、どこかから持ってきた材料で組み合わされた命で、その材料は地公が一番よく知る土地から持ち込まれる。たとえば公子にはここに数万の兵士を出現させることができるが、その兵士は苹州の数万人を分解して作られる兵士になるのだろう」
天牢の房のなかが静まり返った。
段達は大きく息を吸い込んで儀典官に言う。
「蘇国九州の地龍を集めることはできようか」
「仔虎殿の力を借りて、坤巍宮から蘇国各地の地公廟に伝令を出すことはできます」
「なら仔虎にもう一度道を作らせよう」
儀典官は段達の案に首をひねった。
「なにをなさりたいのでしょうか?」
「さあ、なんだろうか。ただ、私は八公主の転生者という立場で、五公主の転生者だった会ったこともない「姉」を死なせた家族が許せない。叔父はいつだったか、天龍には見つからないように、天龍は地龍を食らうと聞かされたが、そういう言い方をするなら、螺児は天龍の欲に食い潰されたんだ。本来なら螺児も地龍の公主、地公として、少なくとも一皇子か三皇子との縁談があったかもしれない。その前に二皇子に囚われた」
儀典官は頷く。
「七十年前はまだ一皇子と三皇子しかおりませんでしたから、お相手はおふたりのどちらかだったでしょう」
段達はそう言った儀典官に、目を合わせることなく言う。
「九州の地龍に五姉上について記憶の間で見聞きしたことを伝えろ。弔い合戦をする気はないが、蘇王と二妃、それに二皇子は五姉上が言葉を話すこともできなくなるぐらいまで追い詰めて死なせた家族なのだと伝えてやれ」
儀典官は段達に「承知しました」と言ったあと、笑みを浮かべた。
「芳俊殿との見合いの席には百花斉放して鳥獣に聖獣まで揃えましょう。先方はきっとお気に召すでしょうからね。資源は頴州にございます」
言い放った儀典官を見て段達は目を見開く。
「王と二妃と二皇子を追い詰めたい気持ちはあるが、頴州の人間をそこまで無下に扱う気はない。それをやったら私は二皇子と同じ身勝手な存在にまで落ちる」
技官の進は首を竦めて儀典官をちらりと見た。
「儀典官、今のは臥渓様が正しいと思います」
「むう」
儀典官は不貞腐れた。
仔虎はいつの間にか消えていた。
*** *** *** *** ***
段季は仔虎が持ってきた五公主の死因の情報を聞いてから、常梅香の拷問に気を失ったまま目を覚まさず横たわっている芳俊を見た。
まだ夕飯には早いぐらいの時間で、部屋は陽光に満たされている。
百花斉放し、鳥獣が遊ぶ湖畔。
段季が自分の分身として放った蛇は同じような光景を見ていた。
ただ自分が知るその光景を王と二妃の願いで作ったのは、螺児ではなく芳俊だった。
段季は甥のもとに蛇を滑らせる。
それから、段季は熊震の姿で伊五子を呼んだ。
「櫓絢殿を呼んでくれないか」
「二妃の兵に固められておりますから、宮に出入りできる者は二妃と懇意にしている者に限られます」
伊五子の言葉に段季は唇を咬み、それから「朱妃」と呟いた。
段季は蛇を放ち、二妃のところにやる。
芳俊が横になっている寝台に腰かけ、段季は目を閉じて蛇の視線に自分の意識を重ねた。
二妃の宮。
峰適はここに芦楓が比轍に宛てた手紙を運んだのだから、宮のどこかにあるはずなのだ。
段季はじっと蛇に意識を重ねて手紙を探す。
二妃の声が蛇の耳に聞こえる。
「宮に来た芳俊殿が倒れたから暁寧殿にお送りして、護衛を付けたのだと申し上げましょう。ああもおとなしい娘だと、手放すのが惜しいわ」
「そうですね」
答えた声は蘭俊のものだった。
「あなたが昔ここに連れて来た螺児を覚えているかしら? あの娘も、欲しい物を色々と生み出してくれたわね。いい子だった。比女を人質にしておけば、芳俊殿も言うことを聞くかしら? きっと聞いてくれるわよね?」
「ええ、母妃」
「菖俊に珊州をいただいたら、あの子に珊州の手入れを頼みましょうか」
「虫たくさん?」
「ええ、そうよ」
段季はうっかり会話に聞き入ってしまったが、その間に蛇が芦楓が比轍に宛てた手紙を見つけ出した。
段季はその手紙を蛇の腹に収めて二妃の宮を出すと、蛇を朱妃の宮に向けた。
蛇は段季の指示にしたがって朱妃の宮まで行くと、そこで芦楓の手紙を朱妃の宮の、目立つ場所に落とすと、その姿を小鳥に変えた。
*** *** *** *** ***
「それはなんだ」
朱妃は宦官の足元に落ちている紙を見て顔をしかめた。その紙の横に小鳥が花を拾って置きに来る。
「や、なにをしているのでしょうね、この小鳥」
宦官は笑いながら花と紙を拾い上げた。
「手紙でございますね、どこかの宮から持ってきたのでしょうか。いたずらな小鳥です」
そう言いながら手紙を広げ、宦官は文面を見て血相を変えた。
「苹州の芦楓が史官の比轍に宛てた手紙です。耕起祭の変で身分を剥奪された二氏の子息たちが連絡を取り合っているのでしょう。紙についている丸められた癖を見る限り、伝書鳩のような手段だと思われます」
「その小鳥はどこから来た?」
宦官は首を振ったが、それから「今この王城で比氏に縁があるとしたら、比嵩の養女を指南役に迎えた暁寧殿だけです」と朱妃に答える。
「朱二と慶児を呼べ」
朱妃は、炎二妃と同じように自分の身代わりが務まるように嫁がされた妹と、その息子の五皇子を宮に呼んだ。
朱二妃と慶俊が朱妃の宮に到着したのは、朱妃が妹と甥のために間食と果物水を用意させて準備が整った頃だった。
二妃の宮の朱塗りの柱とは違い、朱妃の宮は大理石の柱で飾られている。
朱妃は人払いをして、「妹と甥の三人だけで」と周囲に告げたが、段季の小鳥は部屋の片隅に置かれた花瓶に生けられた木の枝に居座った。
「慶児、苹州の状況はなにか聞いているか?」
「いいえ、頴州に結界を破られてからはなにも情報が入ってまいりません」
朱二妃は息子の言葉に頷く。
朱妃は五皇子慶俊に手紙を渡した。
「真偽のほどは分からないが、芦氏を中心にした煕俊の旧臣たちから比氏に宛てられたものだ。その内容が本当だとしたら、苹州の窮状は思っていたよりもひどい」
慶俊は手紙に目を通してから母に手渡し、朱妃を見る。
「頴州の侵攻を受けて結界が破られたことまでは聞いていましたが、備蓄まで頴州に取られたとは」
息を着いたのは朱二妃だった。
「不思議だこと。頴州軍の動きに合わせて草木が枯れていくなんて」
「交易で成立していた州が交易を絶たれて足元を見られているのだから、苹州は長く持たん。慶児、央原君に伺いを立てるのはやめて成り行きを見るほうがよい」
「それでは蘭俊に苹州を奪われることになるのではありませんか?」
朱妃は問うてきた慶俊を見て頷いた。
「奪わせよう」
朱二妃が朱妃を見る。
「それでは苹州の民が見殺しになってしまいます。あれは煕俊殿の州ですのに」
「基盤を引き継ぐことができねば五心に州は建て直せない。頴州軍が進むごとに苹州の草木が枯れるなら、頴州の人間はどこまで苹州の深いところまで進んでも実りを約束された土地を手に入れることはできないのだから、次の州を探して彷徨うことになる。今は四番目の泰俊殿も頴州との役に備えて桑州に常在しているという。知らぬは圭徹ばかり」
嗤う朱妃の膝に、鳥が花を落としていく。
「あれは先ほどの鳥か? 私の宮に巣を作るつもりらしい」
*** *** *** *** ***
常梅香の肌が焼かれる音と臭いが残っている。
あれは自分の奥底で母が欲しいと泣き、優しくしてくれるこの龍を自分のものにしたいという潜在意識が作り出した人形だ、と自分が言う。
芳俊は夢の中で、口々に勝手なことを言う自分と対峙していた。
「常梅香を取り返したいでしょう? だってあれは私の人形だもの」
「比轍がお姉さんなら外廷の仕事はしなくていいの、いつだって甘えられる。昔、貴陽でしてくれたみたいに芳児が怖い夢を見たら一緒に寝てくれるかも」
「阿達はいまだに天牢に囚われてる」
「自分ひとり、なにもせずにここにいる?」
「常梅香は比轍だ、比轍だと知れたら天牢から出てこられない」
「臥渓と友達になりたくて庶民の女の子のふりをして、心まで庶民の女の子になってしまった?」
「父上は勝手だ。今まで私のことは見てくださらなかったのに、二妃の口添えで降嫁の話が出た途端に暁寧殿に来るのだから」
「それに二妃と蘭俊と菖俊の勝手さ。自分たちには百花を斉放させることもできなければ、狩りの獣を作ることも、鳥獣を遊ばせることもできないからって、なんでも私に言って作らせる気でいる」
「父上の誕生日に用意する献上品だってそう、六心の皇子と五心の皇子の格なんて、父上にも二妃にも関係ない。きっと他の州に負けない物を用意するのだから手伝えと言ってくるに違いない」
「うるさい!」
自分の奥底に溜まっていた文句を自分自身で耳にして、芳俊はうんざりした。
最後に残ったひとりは、男の姿の自分だった。
「好んで見せる姿が男だろうが女だろうが関係ない。私は皇子だ」
「おまえがね」
芳俊は嗤った。
「違う。芳俊であっても芳児であっても、形の男女を問わず、私たちが皇子だ。それも玄から来た一番格の高い公主の血を引く皇子だ。しかも躾役には芦氏も比氏もいた。常梅香は歴史を教えてくれた。熊震は地龍がどう情報戦を制するかを教えてくれている。櫓絢は外廷での戦い方と統治を教えてくれている。臥渓との婚姻は菖俊が言った神々の婚姻だ。私と臥渓が揃えば、この世に存在する生き物だけでなく想像しうる物すべてが具現化される」
芳俊は弾かれたようにパチンと目を覚ました。
体を起こすと、目を閉じていた段季が目を開いて芳俊を振り返った。
「起きたか」
「熊震、私は私にできることをする」
「公主殿、一体どうした」
「収穫祭がある。そこで二妃と蘭俊の異常さを際立たせる」
「どの宮からもそれなりの献上品が用意されるだろうが、珊州にはなにもないぞ」
「なにもなくていいし、他の宮からもなにも出させない。父上への献上品は通常その州の特産品だ。二妃と蘭俊の献上品はどうせ私が作らされるんだ。他の皇子や妃たちの用意を妨害する」
段季は芳俊を見て「うん?」と首をひねった。
「二妃と二皇子が用意するものだけが献上に値する物になる、と言っているように聞こえたが」
芳俊は頷き、しばらく思案していた段季も、芳俊に頷いて見せた。
「まず収穫の妨害は阿達の仕事だ。それから私は各州からの献上品の輸送路で彼らを妨害する役目だ」
「私もやる」
「殿下は妨害に加わらせない。足が付いたら困る。天龍も使わせない、地龍がやる」
芳俊は渋い表情を作って段季を見上げたが、段季は芳俊に向かって首を振った。
「殿下には今までどおり、厨房や洗濯場では芳児として遊びながらご自分を売り込んでもらって、二妃のところで唯々諾々と二妃や二皇子七皇子が欲しがる物を与えていただく」
「嫌だ」
即答で拒否した芳俊を、段季は「嫌だじゃない」と叱る。
「今、殿下がしなければならないことが一番難しいんだ」
「なに?」
「二妃と皇子たちに勝つまでどんな手を使ってでも生き延びること」
芳俊はしばらく無言で段季を見つめ、それから頷いて段季に「癪だけど見直す」と言ってみせた。
「癪とはなんだ」
「だって、十五年前に会ってからずっと、梅香はいつも熊公子はすごいと言うんだ。私は妹か娘の芳児として世話をされるだけで、相手にしてもらえないんだ。怖い夢を見たから一緒に寝てと言えば一緒に寝てくれるけど、それだけだ。大好きな比轍に、とても似合う造形を一生懸命考えたのに、ろくに鏡も見てくれない」
段季は芳俊を眺め、それから「もう少し詳しく」と芳俊に身を寄せた。
「梅香は私のどんなところが好きか、言ってくれたりしましたか?」
「知らない州でも色々行くところ」
「よし、輸送路妨害しながら土産物集めよう」
芳俊はなんとなくやる気に満ちた段季を改めて見つめた。
芳俊を動かしたかったのですが、段季に反対されました。




