家族の形
段達は天牢で小さな仔虎の腹に括られた袋を見た。
「背中じゃなくて腹にくっつけてきた」
「布が上等になった」
石禹斗と李澄が言う。
仔虎は自慢げに苹州の祭司官たちの間を歩き回る。
「殿下はなんと言って来た?」
天公廟の祭司官たちが段達の周りを取り囲み、儀典官はその輪から弾き出された。
段達は仔虎の腹に括られた袋を外して中身を見る。
「縁談の相手は芳俊だ」
そう言ってから段達は仔虎を抱き上げた。
「神様! お願いを聞いてくれてありがとうございます!」
「その神様はおまえなんだろうが」
祭司官たちが呆れる。
「臥渓様」
儀典官が咳払いで段達の気を惹く。
「次は座布団を投げないでください」
「投げない。相手は芳児だ。十五年前、芳児が苹州に来たときに運命だと思った」
「運命が聞いて呆れる、毎朝呪ってたくせに」
「芳俊と芳児が同じ相手だと思わなかったんだ!」
祭司官たちが笑う。
「公子のおかげで飽きない」
「なんだって?」
段達は仔虎の腹に括られていた袋にもうひとつ手紙が入っているのを見つけた。
「五番目が央原君に苹州統治のお伺いを立てるつもりでいるらしい。二妃は芳児から珊州を取り上げて自分の次男に渡したいと言っているらしい。地龍の皇子との婚姻は、天龍にとって「降嫁」だそうだ。儀典官、段達はたしかに苹州の人間だけど、臥渓と芳俊の縁談は、天龍から公主を恩着せがましくいただくものなのだろうか?」
地龍たちが顔を見合わせる。
「降嫁される公主に州は要らないだろうと言われているらしい」
段達は苛立った。
「失礼、そういう境遇は私の好物です」
儀典官がちらりと段達を見る。
「庶民のなかで人を見て虐げられながら育つ公主が、何もかも奪われて絶望感に支配されたときに、地龍の儀典官として「あなたには、あなたが理想とする国を作る力がある」と告げるときの万能感は病みつきです。そしてその公主が地公として真新しい国を一から作るのを見るときの高揚感は、なににも代えがたい」
段達と技官の進、それに祭司官たちは儀典官を横目に見て一様に距離を置いた。
「人の不幸をここまで喜ぶのは、人としてどうかと思う」
「少々、愛情がいびつですよね」
儀典官は段達と技官の進を睨み付けた。
「しかし地龍の公子を駙馬にするのに、降嫁とは少々腹立たしい。地龍とは少なからず皆、意志を操る物であるということを見せつけてやりたいものです。見合いの席、派手にして見せましょう」
段達は儀典官に目を向けて、仔虎を持ち上げた。
「地龍の宮に行くか?」
「自分が公子に訊ねられる日が来るとは思いませんでしたが、まいります」
「五姉上がなぜ自死を選んだのかも、知りたい」
「ならば、八の宮に行く前に五の宮にまいりましょう」
儀典官は頷いた。
*** *** *** *** ***
圭徹は理想的な妻と息子たちと時間を費やしていた。
ただ、違うことがひとつあった。
「姉上に虫あげます!」
菖俊の前には芳俊がいる。
駙馬を取ることが決まって心細かろうと言ったことを気にしたのか、二妃が「ならばご一緒したらいかがでしょう」と言ったからだった。
(変わらず優しい女だ)
「芳俊殿、女同士ですから不安なことがあれば何でもおっしゃってね」
「ありがとうございます」
圭徹が見る限り、蘭俊も芳俊が妹だからか敵視することなく、会話はないが特に追い出そうとするでもなくすごしている。
「姉上がお嫁に行ったら、姉上の珊州をもらえるんでしょ? 姉上の州には虫たくさんいますか?」
幼い子供の天真爛漫な言葉だ。
二妃が血相を変えて菖俊を膝に引きずり寄せる。
「菖俊殿は虫が好きなの?」
「好きです!」
「どんな虫が好き? 秋によく鳴く虫? 飛んでる虫?」
菖俊が二妃の膝から這い出す勢いで芳俊に言う。
「虫は色々好き!」
芳俊は菖俊を見てから「虫」と言いながら手を広げて見せる。
「蝶」
「姉上、虫の足は六本なの。この蝶、足が少ない」
「そう?」
芳俊は蝶を飛ばす。
「今の蝶々は明日には死んでしまうよ」
「なぜ?」
「ここには地公がいないから。もっと長生きできる虫を作るために地公と結婚するんだ」
菖俊は圭徹を見上げた。
「父上、姉上は神様と結婚して神様になるの?」
圭徹は菖俊を膝に引き寄せて「そんなようなものだ」と頷いた。
「神様と結婚したら姉上は神様の世界に行くの?」
「それはよくわからない」
芳俊は困ったように笑いながら小首を傾げた。
「芳俊殿」
蘭俊の声に芳俊が目をあげる。
「五心の弟に力を見せつけるためにここにいるのか?」
蘭俊の不機嫌そうな言い方に、圭徹は苦笑した。
「蘭児、そういう言い方はなかろう。しかし芳児、おまえも少し慎んだ方がよい。暁寧殿では欲しい物を作って遊んでいたかもしれないが、ここは暁寧殿ではないし、力を見たら兄と弟がどのように感じるか思いやって動くことだ」
芳俊は「はい」と呟くように言って俯いた。
「よいのです、圭徹様。芳俊殿もそう落ち込まなくてよろしいのよ」
そう言ったのは二妃だった。
「菖児、虫かごをたくさん用意して、姉上に好きな虫をなんでも作ってもらったらどうかしら?」
「姉上にお願いしてもいい?」
「きっと、姉上がなんでも作ってくれるわ。父上にお許しいただいていらっしゃい」
「父上、姉上に虫をたくさん作ってもらってもいい?」
圭徹は「菖児が望むならそれがよい」と笑い、芳俊に目を向ける。
「弟の期待だ。やってくれるか?」
芳俊は顔を上げ、口元にだけ薄くどうにか笑顔を作った。
「私にできることなら」
コホン、と蘭俊が咳払いで「家族」の気を惹く。
「弟だけ特別扱いはない。兄が欲しい物も作ってくれるのだろう?」
芳俊は圭徹を見た。
「そうしてやってくれるか」
「はい」
*** *** *** *** ***
地龍の宮は天龍たちの世界とは別の空間にある。
出入りできるのは地龍とその眷属、限られた地公廟の祭司官を務める人間たちしかいない。
王宮は坤巍宮と呼ばれている。
儀典官は段達と仔虎を連れて坤巍宮の回廊を歩く。
「八の宮はこちらです。五の宮はこの先」
「宮を、数字で呼ぶのか」
「呼称はお好きに決めてくださって結構です」
仔虎は初めて見る場所を眺めまわし、においを嗅ぎながら慎重に歩き回っていた。
「私が八公主で八の宮で、五姉上の宮が五の宮ということは、他の姉上たちの宮も一から順に番号で呼ばれているのか?」
「さようです」
儀典官はそう述べてから、人を呼んだ。
「図書管理を担当する丙と申します。王宮全体と、各宮に設けられた「記憶の間」を管理する権限を持っております」
段達は首を傾げる。
「記憶の間とはなんだ?」
儀典官が段達に答える。
「宮の主が人間として経験したことを記録している場所です。図書管理の者たちは王命で記憶の間にある図書を管理しています」
丙は儀典官の言葉を補足するように口を開いた。
「図書とは申しますが、文字よりは経験や経歴そのものを追体験するような間です。儀典官から、八公主が五公主の逝去に疑問をお持ちだと聞きましたので、五の宮にある記憶の間を開く鍵を用意いたしました」
「そこに、五姉上の記憶があるのか?」
段達が丙に問えば、丙は「さようです」と頷く。
「五姉上がお亡くなりになったときに、記憶の間は開かれなかったのか?」
「記憶の間を開こうとする者は稀ですし、明確な自死でしたのでそれ以上の原因は調査されませんでした」
段達はふと胸が痛むのを覚えた。
(地龍の王は、娘が死んだというのになぜ自死したのかを調べようとはしなかったのか)
その段達の疑問か批判かを感じ取ったかのように、儀典官が段達に視線を向ける。
「そういうものなのです。人に転生した公主には段階を踏んで支援者が付くものですが、五公主には支援者を付けることができませんでした。時折、そのような環境に置かれる公主がいらっしゃいます。支援者が公主を見つけられなかったり、天龍の世界において物理的な制約を受けて公主に会うことができなかった場合には、これまでに八割の公主が自死を選んできたと記録が物語っております。ですから我々のような儀典官や支援者は、然るべき機に公主に会えなかった場合、公主の自死を覚悟します。それ以上の原因は調査しません」
段達は儀典官の説明を聞いて「そうなのか」と呟くように返した。
(彼らにとって、地龍が人間に転生してからどう生きたかは関係ない、転生後の人間関係が「決められた流れ」に沿っているかどうか以外は興味ないんだな)
うすら寒い感覚に、段達は背中が冷えた気がした。広いとだけ思っていた地龍の王の宮が空虚なものに見えた。
段達の「現在地」は、地龍の世界にある王宮です。




