五公主が遺した世界
段達は石禹斗と、ふたりが捕縛されるのを止めようとして巻き添えを食らった李澄と、はっきり言ってしまえばその他大勢の祭司官たちと天牢のなかでも広い房にいた。
段達が臥渓であるということを知っている幾らかの五心の祭司官たち、儀典官や技官の進などが段達と石禹斗の横にぴたりとくっついている。
州境の結界補強に出たときの無理がたたって憔悴しきっていた李澄が「腹が減った」と呟いた。
儀典官は李澄を見て顔をしかめた。
「あなたは天公廟の祭司官でしょうに、なぜ一緒に天牢に連れてこられたんです」
「段達と石禹斗を連れて行くというから抵抗したら、こうなった」
儀典官は「一緒に捕まるぐらいなら柳州に救援を求めに行ってくれればよかったのに」と文句を言う。
李澄はその儀典官をちらりと見て「ふん」と鼻を鳴らした。
その実、李澄と同じように州境の攻防で前線に出ていた天公廟の祭司官たちは、同じ苹州の祭司官たちが頴州の天龍に捕らえられるのを見て抵抗し、李澄に限らず同じ房に入れられている者が多くいる。
「共通の敵がいると、天公廟も地公廟もなく祭司官が協力できるものなんですね」
技官の進がぽつりと呟いた。
笑ったのは李澄だった。
「天龍たちも協力者だった。ただ、頴州の天龍たちは万全で、苹州の天龍たちは五心龍も四心龍もなく、身分を剥奪されていて万全には力が使えなかった、それがすべてだ」
そんな話をしていた祭司官たちは、尋問から帰ってきた祭司官を見て言葉を失った。
天公廟の祭司官たちは、血まみれの祭司官を見て顔をしかめる。
「ひとつ目、苹州天公の名を明かせ、ふたつ目、地龍の公主の居場所を言え」
血まみれの祭司官が、尋問の中身を仲間に告げた。
苹州の祭司官たちは顔を見合わせて首を振る。
「答えてなるものか」
「地龍の公主なんぞ知らん」
「十五年前のあの騒動を覚えているか?」
「二殿下の思いつきで散々な目に遭った」
段達はじっと房の外を眺め、思案する。
(戦乱、飢饉、疫病)
州境の結界が崩れたときに思わず「退け」と怒鳴ったのも、意図せず、植物までもが頴州の者たちの動きに合わせて退いたのも、焦ったせいだった。
だが、と段達は思う。
「臥渓の五姉が亡くなったのはいつだ」
段達の問いに、儀典官が「七十年前です」と答える。
自分が臥渓だと言われ、あの世とこの世のはざまのようにも感じられる地龍たちの世界で臥渓として過ごすのも、十五年前はともかく、歳を追うごとに段達自身にはなんの現実味ももたらさないものになっていた。段達にとって臥渓は、前世であって、今生とは違う。
それでも段達として地公になることを受け入れるかどうかは別の問題になった。
「五姉が生まれた州はどこだった」
儀典官は躊躇ってから、段達の質問に答える。
「頴州です」
段達は儀典官を見た。
「なら、頴州の二皇子は姉上を怒らせたのだろうな」
儀典官は段達に向かって目をあげる。
「どういうことです?」
「頴州は不毛の土地が広がっていた。五姉上が根絶やしにしたんじゃないか?」
技官の進が「ああ、なるほど」と頷いた。
「苹州を不毛の地にするつもりはないが、頴州の天龍たちが苹州を我が物顔で蹂躙するなら別だ」
段達は儀典官を見た。
「それにしても、李澄に言った言葉がそっくりおまえにも当てはまるだろうに」
「なんです?」
「一緒に捕まる必要はなかったのに」
儀典官は段達の大きな嘆息に全身で不服を示した。
*** *** *** *** ***
櫓絢は揺れる馬車のなかで、この格好のほうが好きなのだと言って人間の少女の姿で下働きの格好をして、荷物と小さな仔虎を手放すことなく抱えて寝ている皇子を眺めた。
異母兄たちが州を治め、州公として政に携わり、曲がりなりにも統治者の自覚と、権力への欲を見せているのに、芳俊という皇子には統治者の自覚も権力への執着もない。あるのは自分には州が与えられなかったという劣等感と、自分の州を作らねばならないという悲壮な焦り。
耕起祭の変があったときには州を手に入れたい一心で動き、苹州天公の裁可を央原君からいただいたらしいが、その状況が状況であったがために州天公を継承したことは公にされず、政務へのかかわりが全くないせいか他の皇子たちのような統治者になろうとする者の安定感がない。
十五年、常梅香という名で比轍が母親代わりになってきたのは聞いたが、どうも比轍がなにを教えてきたのかがわからない。
そこまで考えて、櫓絢はハッとした。
(もしや比轍に育てられたからこうなったか?)
比轍は、比一族の末子だった。
比一族は末子をなるべく政治の中枢から遠ざけて生かす。それが比一族の末子に特有の性質を守るために必要だからだ。
龍というのはだいたいなんらかの性質を必ず備えて産まれてくる。
一族に共通した性質や、婚家との関係で選択される性質など、様々な性質があるが、比一族の末子の場合は彼ら世代世代の末子にだけ求められる「王の影」という性質がある。王の影は、初王が整えた世界の形を理想形に、世界を構成する物質を新しい物に入れ替え、時には壊れた物質そのものを新たに作ったり作り直したりすることもある。王と同じ性質ではあるが、王そのものではなく、そのため「王の影」と呼ばれる。
王の影たちが自覚的にそれをしているのかどうかは、わからないが、だいたい政治から切り離されて育つため、比一族の末子はのんびりしている。
芳俊はその比轍に育てられてきたのだと思うと櫓絢は不安に駆られ、それから小さな仔虎が自分を見上げていることに気付いた。
「虎」
呟いた櫓絢の声に、芳児が目を覚ます。
「宮の通路も廟の通路も使えないと、柳州から苹州までがこんなに遠いなんて知らなかった」
髪の寝ぐせを手櫛で直す少女は、馬車の窓から外を見た。
街を抜けて郊外を進む馬車は広葉樹の森のなかにいる。
「この虎は比轍が作り方を教えてくれて、阿達と一緒に作ったの」
作ったの、と言われて櫓絢は首をひねった。
「それは生き物のように見えますが」
「そう! 比轍はすごい! 生き物の作り方を教えてくれたし、阿達にも魂の作り方を教えていた!」
芳児に満面の笑みで言われてから、櫓絢は「生き物の作り方ですか」と返してから、また首をひねった。
「阿達とは、どなたでしょう?」
「友達」
そう答えた芳児は、小さな仔虎が食べやすい大きさの小さな鳥を作って仔虎に与える。
櫓絢は仔虎を見つめ「あ」と声をあげた。
比轍は恐らく、芳俊の教育を怠らなかったのだ。ただしそれは、皇子に必要な教育ではなく世界を作り維持するために必要な教育だったに違いない。
「殿下、次の街で本を買いましょう」
「なぜ?」
「苹州に着くまでにはまだ一週間少々かかります。その間は、今後苹州公として必要になる知識を学んでいただきます」
芳児は仔虎を抱え「いや、まあ、その、芳児は芳児で、芳俊ではないから」と、意味不明な言い訳で櫓絢から逃げようとした。




