公廟の邂逅は叔父の打算
危機感しかない天公廟の祭司官たちと、危機感のない比轍。
天公廟は、連日「縁結びのご加護」を求める娘連れの親子でごった返している。
どこの親も娘をよい相手に嫁がせたいと必死なのだが、親の言う「よい相手」が必ずしも娘のための願いではないということを、天公廟の祭司官たちは悟りつつあった。
特に、娘がおとなしく黙っている親子ほど、親が必死に訴えてくる。
蔡州から来たある親は言った。
「できれば金のある家がいい! あと見た目は重要だ、金があっても不格好な男では娘が笑われる!」
蔡州は王弟のひとり、十一王爺と呼ばれる州公が治める州で商人が比較的強い権力を持っている。また別に七王爺が治める嶺州から来た親は言った。
「前途ある若者ならどんな者でも構わないが、できればどこか貴族の息子に見初めてもらえるようにできないだろうか。官吏登用の試験でも甲科合格できる程度に頭がよくて、背丈も平均以上あるとなおいい」
嶺州は縁故の優遇がとても明確な州として知られている。
宜州から来た親は言った。
「うちは職人の家なんだ、奉公人でもいいが、器用な男児が婿に入る前提で来てくれると助かる。できることなら健康で力が強い男児がいい」
天公廟の祭司官たちは親たちの要望をそれぞれの戸籍がある州の祭司官たちに伝えるための書付をしながら、親たちの要求の多さに呆れた。
昼休みで廟を閉めて参拝者たちを昼食に追い出し、祭司官たちは各々の昼食を口に運びながら愚痴を言う。
「范公子のご依頼ではあるが、とんでもない騒ぎになった」
「范公子のご依頼っていうのは二殿下のご要望ということだろう。范公子は二殿下の飼い犬だ」
「人間でも権力に阿る者というのはいるが、龍族にもいるものなのだな」
「滅多なことを言うな。二殿下の母上は王の寵妃だ、范公子のほかにも二殿下のご機嫌取りに動く公子はいるのだろうよ」
「男性陣はどう思うか知らないけれど、私は范公子の見目が好みだから范公子が二殿下にくっついていると思うと残念極まりないわ」
天公廟の祭司官たちは口々に范延について評し、それから「しかし驚いたのは親のことだ」と話を変える。
「親の言い分というのは恐ろしい。十二歳の女児で戸籍簿である天命譜に戸籍の記載がない者がいたら教えてほしいと范公子に言われたが、十二歳と年齢を限定しているのに年頃の娘を連れてくる親の多いこと」
「なんで十二歳の娘だけなんだ、うちは十六になるが良縁の良の字も持ち込まれない、うちの娘は可哀想じゃないのかと訴えてきた父親に一時間も怒鳴られた」
「こっちは、ご加護なんて頼りないものじゃなく州天公からのご紹介を確約して欲しい、なんとか州天公に伝えてもらえないかと泣いて縋られた」
「天公廟からの通達だからと近隣の村長に引きずられてきた親子は憐れだったわ。周りの親子の勢いに気圧されて怯えながら、良縁どころか健康に育ってくれるのがまずは一番なんで、縁結びより病魔退散のお札をもらえないかって、おろおろしてた」
「病魔退散か。縁結びもそうだが病魔退散のお札も地公廟の祭司官たちが発行してるよな」
「天公廟で出してるお札やお守りって、なんだっけ」
「えー、物理的な怪我の快癒祈願だろう、それから子宝祈願、商売繁盛、あと職人向けの技能向上祈願や品質向上祈願のお札を最近作ったんじゃなかったっけ。豊穣祈念は天公廟から出して地公廟が連名で朱印を押してる」
「天公廟って基本的には即物的なものだもの、縁結びみたいな情に訴えるものや、病魔退散みたいな目に見えにくいものはほとんど地公廟のお札よね」
昼食の手を止めて、祭司官たちは唸った。
「ところで、范公子のご依頼ということは二殿下のご下命なんでしょうが、天命譜に戸籍の記録がない娘がいたらどうします? 范公子にお伝えするんですか?」
若い祭司官の質問に祭司官たちは蒼白になった。
「お伝えするだけはお伝えしよう。ただ、范公子がその娘を二殿下のところに連れて行くというなら全力で阻止する」
「相手は龍族です、どうにかなりますか」
「州公である煕俊殿下にお出ましいただいてでも止める。二殿下の州は頴州、いまは関が閉じられていて交流がない。頴州から来る娘はいない。つまり二殿下の命譜で管理される娘は来ないということだ。ならば、もし范公子がその娘を二殿下のところに連れていこうとしたとしても、娘の身柄を頴州にやるかどうかは他の州の天公に決裁の権限があると言えばどうにか時間を稼げる」
天公廟の祭司官たちは年輩の祭司官の意見を聞いて頷く。
*** *** *** *** ***
常梅香の姿で芳俊の手を引く比轍は、苹州の天公廟で繰り広げられている異様な光景を目にして顔をしかめており、芳俊はその常梅香の表情を見て「怒る顔も美人にできた」と満足気に息をついた。
「なんですか?」
「常梅香は美人に作れた。私好み」
「そうですか」
比轍は常梅香の顔を空いている手で撫で、それから「鏡を見ていないので、どんな様子の女であったかよくわからないのが残念です」と芳俊に言う。
「地公廟への参拝を後にして先に天公廟の様子を見ておこうと思いましたが、これは度を超えた騒動ですね」
「そうなの?」
「参拝者に対しても閉ざされていることが多い地公廟と違って、天公廟は参拝者には一年中公開されていますし、州天公も行幸で表に出ることも多いので、これほどの参拝者が押しかけることはありません。それに列を成して先を争わせるような行事など、三殿下が好むとは思えません」
芳俊は比轍の説明を聞きながら周りを見回す。
「同じような年頃の子供がたくさんいる」
「そうですね、十になったかならないかの年頃から十五か十六ぐらいの娘を連れた親ばかり、男児がまったくと言っていいほどいない」
比轍は袖から紐で閉じた帳面と筆を取り出し、腰に下げていた小さな瓶の蓋を外して筆を濡らした。芳俊は常梅香の腰に括られていた小瓶に手を伸ばす。
「これはなんだろうと思っていたら、水だったのか」
「ええ、外で筆を使うために水を持ち歩いているんです。最初は一輪挿しの花瓶に水を入れて紙で蓋をしていたのですが、紙が湿ると着物まで濡れてしまうので蓋をしっかり閉められるものを特注しました」
楽しそうに微笑む常梅香の表情を見て、また芳俊は「自分、上出来」とうっとりした。
その常梅香の姿で比轍は人込みに割り込んで行こうとする親子にぶつかられて筆を落とし、人込みを振り返る。
「改めて、なんとも異様ですねえ」
暢気に言った比轍が人込みに背を向けて筆を拾おうとしたところで、男の手が先に筆を拾い、人込みと常梅香の間に割って入った。
「あなたの筆ですか」
「ああ、そうです。どうも」
帳面を腰の帯に挟んで筆を受け取ろうとして手を差し出し、比轍は男と自分の身長差に目を瞬かせる。
「天公廟の参拝ですか?」
「いえ、地公廟に行く予定で、天公廟のほうはずいぶんな賑わいだと聞いて様子を見に来たぐらいです」
芳俊は常梅香が男の手から筆をとろうとしているのに、男が筆を放さないでいることに気付いた。
(比轍の筆)
芳俊と同じ年頃の男児がふたり、男の袖を引く。
「叔父上、筆をお返ししないと」
「うん」
頷きながらも男は筆を放さない。
「ずいぶんと使い込まれた筆ですね。イタチですか?」
「そうです。使い込んだものではありますが、軸が手に馴染んでいるのか新しい物に変えると調子が狂うので、踏まれて壊れることがなくてよかった。拾ってくださってありがとうございます」
常梅香が少し力を入れて筆を取り返そうとしたものの男の手に腕を掴まれ、芳俊は思わず男の手をひっぱたいた。比轍は芳俊が人を叩いたのを見て慌てて芳俊を振り返る。
「なりません」
常梅香の悲しげに歪んだ表情と目に浮かんだ苦しさに芳俊は目を見開いた。
「触られたのは私のせい? だから怒るの?」
「違います、あなたが人を叩いたからです」
比轍が芳俊の前にしゃがみ込んで視線を合わせ、芳俊の目を正面から見る。
「人を叩いてはなりません。一度人を叩いて今そのことに慣れてしまったらきっと、次も人を叩くようになるでしょう」
「この男は筆を返さないで腕を掴んだ」
「それでも、叩いてはなりません」
芳俊は比轍に怒られながら、常梅香の表情を見ていた。
(比轍がこんなに怒って、常梅香の体は壊れないだろうか? 母上に怒られたことはないが、母上が生きていたとしたら、怒られたときにこんなに不安を感じるのだろうか)
「聞いていますか?」
「ごめんなさい。人を叩かないようにします」
俯いた芳俊を見て比轍が困ったように慌てて狼狽え、それを見た男が身をかがめて芳俊と常梅香の視界に割り込んできた。
「私が手を叩かれたのは、迂闊に女性の手を取った私が悪かったので、よろしければお詫びとして食事をご馳走させてください。それと、新しい筆を一本用意します」
男の甥ふたりが「下心だ」と囁いているのが芳俊に聞こえて、芳俊はふたりを睨む。
(常梅香はきれいにできたと思ったけれども、こういう事故が起きるのか。これは比轍に申し訳ないことをした。この先、比轍が常梅香の姿を嫌がらないでくれるといいな)
比轍は芳俊の心配をよそに、すくと立ち上がって男を見る。
「公子、怪我はございませんか」
「ありません。私はとても丈夫なんです、女の子に叩かれたぐらいで怪我することはありませんよ」
比轍は「そうですか」と安堵の表情を浮かべた。
「筆は返していただきましたから新しい筆を用意していただくには及びません」
「昼食はもう済んでますか?」
男は食い下がる。
「まだだけど、いい」
芳俊は比轍が口を開く前に割り込んだ。
「叔父上が警戒されてる」
「筆を渡すのを口実にして女性に触ろうとしたのだから仕方ない」
男児ふたりは芳俊を見てから叔父を見上げ、それから芳俊に向き直る。
「できれば、怒らないであげてほしい」
「あとできれば、昼ごはん一緒に食べてあげて」
芳俊と比轍は、男が甥たちを見て「余計なこと言わなくていいから」と小声で叱ったのを見た。
比轍は憐れむような目を男に向けてから、芳俊に「食事だけです」と息をつきながら言って聞かせる。
「食事だけならいい」
芳俊が応じたのを見て男は満面の笑顔を常梅香に向けた。
「よかった、この廟は初めてですか?」
「ええ」
比轍が頷く。
「それならば食事の後に案内しましょう。段家は地公廟に顔が利きますから、地公廟のなかも案内できますよ」
芳俊と比轍は顔を見合わせた。
「こういうのを、運がいいと言います」
「そうなの?」
「そういうことにしておきましょう」
比轍は芳俊に向かって頷く。
*** *** *** *** ***
段達は段克の態度がいつもと変わらないことに安心していた。
廟で、自分が八公主だと言われ、叔父は熊震という地龍だと聞かされて人になる前のことを無理やりに思い出させられ、姉たちが人の姿で男性として振舞うのを見て混乱したし、人間としての姿を他の子供たちに合わせた年齢に変える方法も叔父から教わって、色々と衝撃が大きかった。
それでも廟から出たところで待っていた段克は、急に同じ年頃に見た目が変わった段達を見ても「阿達なんだな」と確かめただけで、他にはなにも訊かずにいつもどおりに話しをしてくれている。
その段達と段季は馬車に揺られながら叔父を見て、それから叔父の前に座る女性とその女性がつれている女児を見て肩をつつきあう。
「すごい美人だ」
「女の子も可愛い」
「叔父上に恋人ができなかったわけだ」
「見合い片っ端から断ったのだろ?」
段達と段克はこそこそと言葉を交わしてから叔父を見た。
叔父が目の前の女性を見つけて声をかけるまでに機会を探して小半時も彼女を追いかけたのをふたりは見ていた。
ゴホンと咳払いした女児を見れば、女児が段達と段克を睨んでいる。
「ええと」
勇気を振り絞って声をあげたのは段克だった。
「苹州の人?」
「違う」
女児がつっけんどんに返す。
「宜州?」
「違う。柳州」
「王都だ」
段克が身を乗り出して女児ににじり寄る。
「名前なんていうの?」
「芳児」
「私は段克で、こっちは兄の段達。阿克と阿達でいい」
「阿克と阿達?」
「芳児のお姉さんは?」
段克が問うと、芳児は女性をちらりと見てから「梅香」と答えた。
「うちの叔父は段季という。独身」
「恋人もいない」
段達と段季の言葉を聞いて振り返った段季が慌てる。
「黙りなさい」
甥たちを叱ってから梅香に目を向けた段季を見て芳児が「あまり見るな」と段季が梅香を見る視線を小さな手で遮ったが、段季は背筋を伸ばして精一杯の笑顔を作り、梅香を見た。
「苹州は初めてですか?」
「そうです。苹州では豊穣祈念の祭祀で地公を呼ぶと言うので、豊穣祈念の祭祀に間に合うように来たんです」
「苹州ではひと月かけて豊穣祈念の祭祀に向けた出し物が始まりますから、一週間後の豊穣祈念の祭祀までのあいだも毎日楽しめると思いますよ」
段季がにこやかに言うのを見た芳児が「胡散臭い」と呟いたのを段達と段克は聞いてしまったが、叔父の耳には入っていなさそうなのが救いだと顔を見合わせて囁きあう。
「苹州は思っていた以上に交易が盛んなようですね」
「ええ、苹州には桑州の絹や茶、宜州の竹細工のような特産品はありません。そのぶん外州や外国との交易で潤っています」
「それがこれほどまでとは思いませんでした。これは王都柳州の賑わいを凌ぐ」
梅香の呟くような言葉に段季は嬉しそうに満面に喜色を滲ませた。
「そうなのです! 三殿下の手腕はお見事ですよ! 外州や外国から持ち込まれるもので、苹州で手に入らないものはありません。ヴェスタブール産のガラス器や銀細工もここには持ち込まれてきますし、朱国産のルビー・サファイア・エメラルド、こうした宝石を使った装飾品も安くて手に入りやすいものから、王族に献上されるとまではいかずとも、天龍の貴族たちに献上されるような豪奢なものまで目にすることができます」
「王都の天龍にまで献上されるような品ですか、それはすごい」
梅香の目が見開かれたのを段季は見逃さなかった。
うっかりして段季に捕まった比轍によって道連れにされる芳俊は、女児の姿です。比轍と芳俊が探している八公主は段達です。




