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蒼山碧海に龍は遊ぶ  作者: 望月かける
動乱の揺籃
10/115

作品名は目下、宇宙

芳俊と比轍の会話に戻ります。

 芳俊は、史官の比轍が話したことを考えながらぼんやりとしていた。

「范延は二殿下のもの」

「さようです」

 比轍が頷いたが、伊五子が横から口を挟んだ。

「なぜ范延がそれほど気に入ったのかよくわからないのですが、あの范延は人で言えば三十歳近いか、それ以上の年齢でしょう。それなのに二殿下の言いなりになっているような男ですよ。二殿下から逃げようと思えば逃げられる、そのうえ、二殿下の命を奪うことも許されているというのです。その特権を持つ役目でありながら漫然と二殿下のところにいる。そんな男、殿下が気になさる必要がありますか」

 伊五子の言い分に、芳俊は「気になる」と頷いて比轍を見た。

「史書には諌止者や制止者の記録がある?」

「あります。しかし史官が諌止者や制止者の動向を確認するのは、制止者が動く前に諌止者がだいたい百年近く時間をかけているからです。范三子は恐らくひとりで諌止者と制止者を兼ねるだろうと考えると、この一般的な百年前後という期間を待たずに二殿下を制止するのではないかと、個人的には大変楽しく観察しております」

 その比轍の説明を聞いて、伊五子は呆れた。

「あなたも范延を追いかけているのですか」

「どのように史書のための記録を書くか、それを考えるとこう、それを記録することで自分の名も残せるかもしれないという高揚感を得られるのです」

「殿下といい比轍様といい、あの范延というのはどうも麻薬みたいな人ですね」

 芳俊は伊五子をちらりと見て黙らせる。

「范延は八十年二殿下のところにいると言っていた。もし范延が暴君を見張るためにいるなら、私が暴君になると范延が来るのだろうか」

「殿下、なりません」

 芳俊の思い付きに伊五子は慌てたが、比轍は「ああ」と恍惚とした表情を浮かべた。

「気に入った者を側近にするために暴君にでもなろうというその発想、しかと私の雑記帳に記録させていただきます。范三子が殿下の臣になったあかつきには、この話を傍注として書き付けます」

「比轍様は殿下をご自分の野望のために使うのをおやめください」

 伊五子が言い、比轍は「申し訳ない」と芳俊と伊五子に謝って話を戻す。

「范氏が范三子を二殿下に差し出したことについては、范氏はいつか炎二妃が王の寵愛を支えに二殿下の立太子を主張するだろう、二殿下が素行を改めなければ范三子の判断で二殿下を制止させる必要が出てくることもあるだろうと踏んでいるからだと、私はそのように考えております」

 比轍の言葉に芳俊は頷いた。

「そうだとして、比轍は范氏が范延を二殿下の所有物にしたことが范延の動きを鈍らせていると思っている?」

「殿下のおっしゃるとおりです。ですから、もし殿下が范延を自分の手元に寄せることができれば、范氏と范三子はこれまでの諌止者よりも短い期間で二殿下の制止に動けるようになるのではないかと思います。これは私がそう思っているだけで、確証はありません」

 比轍は芳俊に言い、しかし息を吐いて次の話題に話しを移した。


 *** *** *** *** ***


「さて、范氏の話はここまでにしましょう。州の作り方がどうという話がありましたね」

 比轍に訊かれて芳俊は頷いた。

「譲ってもらえる州がなかったから、最初から作るしかなかった」

「いまは、どんな州になっているのですか?」

「それはその」

 芳俊は言い淀んで、それからぼそっと呟くように答えた。

「空間と星はできた」

 比轍は思わず伊五子を振り返る。

「空間と星?」

 伊五子が頷く。

「殿下が作ったのは、間違いなく空間と星です」

 比轍は首を傾げた。

「私は仕事柄、王や皇子がどのような州を作ったかを聞いたことはありますが、自分で見て知っているのは、どのように州を継承したかです。空間と星を作ったという皇子の話は聞いたことがありません」

 芳俊はがっくりと項垂れる。

「天文官のところになら地理志用の資料があると思って行った。最初にできたのは星だと天文官が言っていた」

「原初まで戻ってしまいましたか。なかなか」

 比轍は言葉を区切り、それから言葉を扱う職業の者らしく丁寧に言葉を選んで言った。

「殿下は個性的ですね」

 芳俊はスナギツネのような表情で黙り込んだが、伊五子が芳俊の代わりに口を挟んだ。

「前例がないということでしょうか」

「少なくとも私が知っているのは初代の王の逸話だけです」

 三人がそろって黙り込み、暁寧殿は静まり返る。

 その静寂を比轍の嘆息が破り、芳俊と伊五子は比轍を見上げた。

「せっかくなので、殿下の州を見せていただけませんか」

「本当に、星以外まだなにもない。それでよいの?」

「はい、初代の王が作った世界に近いものが見られる機会を得た史官など、私のほかにはいないでしょうから、よい経験になります」

 芳俊は比轍を見つめ、それから伊五子を振り返る。

「范延の次に比轍が好きだ」

「ようございましたね」

 伊五子はそれ以上なにも言わず、芳俊と比轍のために暁寧殿から芳俊の州に繋がる道を持つ部屋の扉を開く。

 そこに広がる世界は、芳俊の目には見慣れた「自分の州」だったが、比轍にとってはそうではなかったらしく「これはなんともすごい」と感嘆がこぼれてきて、芳俊は頬を紅潮させた。

 漆黒に浮かぶ星々がきらめく世界は、夜の闇に包まれている。

「原初の王が作った世界の記述によく似ている」

「そう?」

「原初の王が作った世界は、夜に閉ざされた世界に無数の星が浮かぶ世界だったと言います。ただ、地龍に巡り合うことができず、命が生まれなかったので、その世界を壊して大地と海とを作り、地龍の公主に見せたのだそうです」

 芳俊は比轍を見上げた。

「地龍の公主」

 芳俊が呟くように問えば、比轍が頷く。

「天龍の皇子にできることはですね、地龍の公主が命を形にするための材料を提供することです。普通は州を引き継ぐので、国の風土に育まれた世界が続いていきます。ですが殿下のように、まったく新しい世界を作るとなると風土も文化も真新しい州ができることになります。この世界に生きる命を得るためには地龍の公主に頼む必要があります」

 芳俊は足元に広がる漆黒と星の世界を見つめてから比轍を振り返った。

「地龍の公主にはどこで会える?」

「会うというなら、地公廟であろうと思います」

「天龍でも地公廟に入れる?」

 比轍が芳俊の問いに頷く。

「天龍が地公廟に入るためには、いちど人間の体を作り、人間として訪ねる必要があります。天龍のままでは地公廟に入れません。これは長い歴史のなかで炎や朱の皇子たちが地公廟で公主を捕らえて自らの立太子を宣言し、本来の太子を廃嫡に追い込むということが繰り返されたためです」

「廃嫡とは?」

「太子ではなくなるということです」

 芳俊はじっと比轍を見上げ、眺め、それから「そうなんだ」と呟いた。

「比轍はどうして、人間の器を作れば天龍も地公廟に入れるのだと知ってる?」

「史官だからですよ。六殿下が質問する相手に史官をお選びになったことは正しかったんです」

 比轍は笑った。

「史書に書くべきことと書くべきでないことを決めるのは史官です。時には央原君から、他の天龍たちが知らされていないことを聞かされることもあります」

 芳俊は伊五子を振り返り、小さく満足げに目を輝かせた。

 喜びも束の間、比轍が芳俊の満足に水を差す。

「しかしまずは、この世界をどうにかした方がよろしかろうと思います。これは天文官が見たい世界であって、人や動物が生きられる世界ではなさそうですよ」

芳俊は現在どうやら自分の州を宇宙にしていました。そして比轍は范延が知らないことを色々と知っているようです。

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