15 由比の声・優しい嘘
01:20
僕は涼音とムーンチャットで音声通話をしていた。
「ねえ、僕思うんだ、多重人格の中の人格達ってさ、僕ら人間と同じだよね?」
「え!」
「涼音さんの中の人達に逢ってから、ずっと感じていた事なんだけどね。」
僕は考えていた。
人格達は個別に名前・自我・記憶を持っている。
それは、僕ら生きてる人間の持つものと何が違うんだろうと……名前・自我・記憶、そして身体意外に自分達は何を持ってる?彼らは生きてる人間と何ら違わないという考えに至った事を、僕は涼音に説明した。
もちろん、元々は一人の自我である涼音さんから解離したわけで、どこかコア的なところでつながっているだろうし、それぞれの人格の根底にはそのコアが大きく影響してると思う。
その全てが統合した形が正常な涼音さんなのだろうけど、その涼音さんは今とは違ったモノになると思える。
だって異なる自我や記憶が融合するんだよ、今のままであるハズがないと思える。
じゃ別人格の消去は?
解離した人格は、それぞれ元の人格から何かを役割を抽出したようなものだと思う。
例えば、それは痛みに耐える事だったり、責任感だったり…。
それを消してしまって涼音さんは普通に生きれるのだろうか?
解離せずに普通に成長した涼音さん、解離したものが融合した涼音さん。たぶん医学的には、それを正常って言ったりしてるんだろうけど……。でも、僕は今の涼音さんを見ている、今の中の人達を見ている。そして、今のままでも十分に魅力的な人間だと思う。
僕は今見えている涼音さんを大切にしたい。
「あのね、もしどうしても辛くて、中の人を消そうと君が判断したら、僕が一緒に病院に行って、いろいろフォローしてあげるよ。」
「僕は今のところ、世界でたった一人の君達の理解者だろ。」
「うん」
「でもネットで調べてみると、多重人格のまま、各人格と楽しそうに暮らしてる人達もいるしさ、僕はどちからというとそういう方向がいいなって思うんだ。」
「性格や得意分野が違うから、それを積極的に利用してる人もいるみたいだよ。」
「そうなると、単純に能力の一つって感じだね。」
「だから、僕はこのままの形で、涼音さんが壊れないようになれるのがいいなって思うんだ。
「もしね、この先、何かあって涼音さんが死んでしまったら、墓標に全員の名前を刻みたいと思ってるよ。」
「そして、僕は皆が生きていた事を絶対に忘れないよ。」
「約束する。」
「うん。」
「それから多重人格って、それ程特殊な事ではないのかもしれないよ。」
人間の自我なんて薄っぺらなもので、皆が思うほど頭全体を支配してるようなモノではないと思う。そんな感覚は、自我の思い上がりだと思う。
無意識の行動なんて事もあるけど。
少なくとも、日本語の『無意識』の『無』はおかしいよ。何かあるんであって、無はおかしいよね。
本で読んだけど、お酒飲んだ酔っ払いってさ、酔いが覚めると、酔っぱらってた時の事を覚えていなかったりするのは珍しくない。でも次にまたお酒飲むと、以前に酔っぱらってた時の事を思い出す事は少なくないらしい。
それって、酔っ払い用の記憶が解離してるみたいなものじゃない?
寝てる時に見る夢ってさ、起きると見ていた覚えがあっても内容がよく思い出せなかったりする。でも、それって単純に忘れてるって事じゃない気がするんだ。自分が眠って夢見てる時に、以前見た夢の続きの夢見てるってデジャブ感を感じる事がよくある。続きじゃなくても、これはいつか見た夢と同じ設定ってデジャブ感があったりしてね。
それって、何種類かの夢の人格が、僕の表の人格とは別にあって…それぞれに記憶を保持してる…、つまり解離してるのと似てるんじゃないだろうか?
そんな持論を涼音に語っていた。
たぶん、僕は当初の興味本位ではなく、涼音さん、そして涼音さんの中の人もまとめて好きになってきている……恋愛ではない好きね。
いろいろあったけど、こうして彼女と話してる時間に、僕は安らぎを感じていた。
優しい時間を過ごしていると、いつしか……ヘッドセットからは彼女の寝息が聞こえてきていた。僕はいつものように、寝息を聞きながら作業を続ける。
突然ヘッドセットから「うぅぅ、ぅぅうっ」と苦しそうな声が聞こえてきた。
悪い夢でも見てるのだろうか?
「涼音さん 大丈夫だよ、大 丈 夫。」
「ぅぅうぅっ……お父さん……苦しい。」
「どうしたの、苦しいの?」
「……うん……苦しい。」
「誰かに代わってもらって、涼音は眠ったら?」
精神的に苦しいとか痛いというのは、これまのでパターンなら本人の人格だけのもので、他の人格に変わると大丈夫だった。
「みー …… びーぃ みー」
みーに代わったようだけど、今回は みーも苦しそうだ。
いつもの違うパターンに僕は少し戸惑った。
「みーも苦しいの?」
「びぃ~ みぃ~ みぃぃ」
やっぱり苦しそうだった、これはどういう状況なのだろう。
「……痛い……苦しい……。」
苦しそうな声がする、また人格が代わったみたいだけど、苦しそうなその声が誰の声かわからない。
「大丈夫? 君の名前は?」
「由比だよ。 ぅぅぅぅあぁぁぁっ!」
由比だった、とっても苦しそうに苦痛の悲鳴を上げ続けてる。
彼女は痛みを引き受ける人格だ。
リストカットの後にも出てきたので、今回も自分の役割として代わったのだろう。
「どうしたの? すごい苦しそうだね…。」
「あぁぁぁ…… うっ……ぅぅぁぁ…… あっ……うっぅぅあぁぁぁぁぁ」
痛々しい苦痛の悲鳴だけが聞こえてくる。
僕にはどうする事もできない。
「うっ……由比ね……痛いのには慣れてる筈なんだけど……これは違う……。」
僕は苦痛の悲鳴を上げ続ける由比に、「大丈夫?」って声をかけるしかできなかった、それが何の癒しにならないことを知りつつ。
「由比はね、苦しいの、痛いのに慣れてるの…でもこんな全人格を貫く痛みは滅多にないの……。」
僕には、何度も何度も癒しにならない言葉をかけ続けることしかできなかった。
由比は痛みを引き受ける人格、だから「他の人に代わって」と言うこともできない。
ヘッドセットからは、止まることなく彼女の苦痛の悲鳴が響きつづける。
もう10分近く続いていた。何もできない自分がもどかしい。
「……私、痛いのは慣れてる筈なのに、それを引き受けるのがお仕事なのに……。」
「私……力不足……ぜんぜんダメダメだね……あっうぅぅぅぅ…」
悲鳴を交えながら自分を責めるような事を言い出す。
やがて……。
「……由比のこと忘れないでね。」
苦痛に耐えながらの一言が僕に届く。
嫌な予感がして僕は叫ぶ。
「由比のことも皆の事も忘れない!、由比のことも皆なことも大好きだよ!」
僕が叫んでる間も苦痛の悲鳴は止まることなく続いている。
「……由比がね、全部持って行くね。」
「由比が、全部持っていって、一緒に消えれば痛みもなくなるよ。」
……やっぱりそういうことか。
「由比!!」
僕が大声で叫ぶと同時に苦痛の悲鳴は消えた。
……静寂。
「由比?」
……静寂
「由比……」
返事はなく静寂が続く。
「……一人、消えてしまいましたね。」
月乃の冷たい声が聞こえた。
「由比が消えてしまったの?」
「はい、今消えたのは由比ですね、それであの痛みが止まったのですね。」
月乃はまるで感情がないかのように淡々と話していた。
僕は今回の全人格を貫くという特殊な痛みの原因を雪村だと感じていた、だから僕は、由比を失った悲しみとその原因だろう雪村への怒りを月乃にぶつけていた。
何を言っていたのか、自分でもよく覚えていないけど、僕は泣きながら月乃に自分の感情をぶつけていた。
そして、僕の中で雪村を許さない!この気持ちをぶつけてやると考えつつあった。
「主には痛みが今後もあると思いますので、由比はいずれ戻ってきますよ。」
「ただ……、その時に今までの記憶が残っているかどうかは、わかりませんけど。」
月乃はそんな事を淡々と教えてくれた。
僕はもしかしたら……という望みから涼音に代わってもらった。
もしかしたら、主である涼音なら由比が消えたんじゃないと否定してくれるかと……。
でも、涼音も覚醒すると、由比が消えていることに気付いた。
「……でも、席はあるから、いずれ復活すると思うよ。」
「今までの記憶が残っているかどうか、わからないんだろ?」
「うん。」
思い返してみれば、僕は彼女の別人格の中で一番長い時間お話したのが由比だった。痛みを引き受ける役割なのに、明るくかわいい由比は僕にとって話しやすい子だった。雪村と逢った時も、僕は長い時間由比の頭をナデナデしていた。
その由比を失った悲しみは、僕の中で原因だと思われる雪村への大きな怒りへと変化していた。
涼音はそんな僕の怒りに気付いたようだった。
「由比ちゃんの事で気持ちはわかるけど、お願いだから、今の気持ちのまま雪村さんにぶつかるような事はしないで。」
簡単に僕の事を察した涼音、そして僕を止めた。
つまり、僕がそれをすると、彼女はさらに苦しむ事になるだろうと僕は思いとどまった。
「わかったよ……。」
僕は彼女に、由比が痛みと戦っている様子や、最後の言葉などを伝えた。
痛みから皆を救う為に自分が犠牲になって消えた由比の事を、涼音に覚えていて欲しかったから。
僕は、ずっと泣いていて涙声だったけど、それを隠す事はなかった。
「いつきさん、落ち着きましたか?」
突然、月乃さんに代わって声をかけられた。
「うん少し……ね。」
次の瞬間
「いつきさーん!」
突然、明るい声が聞こえた。
「由比だよー!。」
え!?えぇぇぇぇ!
「本当に由比なの?」
「うん、そうだよ。」
すごい元気な声の返事に僕の混乱が収まらない。
えっと、まさかもう復活したの? え?え?え?。
「痛みと一緒に消滅したんじゃないの?」
「まさか、復活するって聞いていたけど、もう復活したの?」
「ううん、痛みを頭の遠いところまで持っていって、捨ててきたの。」
「え?あれ?……。」
なんか頭の中が混乱して理解が追い付かない。
「痛みを捨ててくるのは、由比の仕事だよ。 ポイってね。」
「実は、一度ガチっぽく悲劇のヒロイン風に自殺みたいな事してみたかったんだ。アハハハ」
「えぇぇぇぇぇ!!!!!」
「由比の為に泣いてくれたんだって?ごめんなさい。」
「でもね、由比、嬉しかったよ。」
「……たくっ、さすがイタズラっ子の由比だ、やられたよ。」
僕は、誘惑された時のイタズラっぽい由比の目を思い出していた。
「でも、由比が消えたんじゃなくて本当に良かった。」
僕は、由比に騙されたということより、由比がいてくれた事に大きな喜びを感じていた。
僕は、月乃と涼音を呼び出して報告をした。
ほんの数分前とは違い、喜びに満ちた声で由比のイタズラを報告していた。
二人とも、やれやれって、イタズラ子に対する呆れた雰囲気で報告を聞いていた。
報告を終えて満足したかな……、いろいろ疲れたので僕から先に音声チャットを切ることにした。
チャットを切ると、僕はゲームからログアウトしたかのように、現実世界の中で冷静さを取り戻していた。
僕はもう一度由比の事を考える。
『……由比のこと忘れないでね。』このセリフが演技だとはどうしても思えない。僕の頭に深く突き刺さった一言だった。
そして、直後には月乃も涼音も由比が消えた事を肯定していた。
あの時に自分が混乱していたとはいえ、ちょっとおかしすぎる。
僕は眠る前に涼音にメッセージを送った。
―――――――――
優しい嘘をつきませんでしたか?
―――――――――
朝目覚めるとメッセージが届いていた。
――――――――――
勘の良い人って嫌い
――――――――――
やっぱりそうだったのか。
でも、僕の事を想っての優しい嘘には感謝しか感じない。
夜の僕は由比の消失で冷静さを完全に失っていて、危ない状況だったろうから。
そして、僕に優しい嘘を気付かせたのは由比の言葉の響きだった。
『……由比のこと忘れないでね。』
僕はこの本物の響きを忘れる事はないだろう。
僕はあることに気が付いた。
痛みに慣れて耐える由比。どこか諦めて全てを受け入れてる由比。
苦しみを一人耐え抜いて生き抜こうとする涼音。どこか諦めて全てを受け入れる涼音。
涼音から生活用の外面防御を取り外したら、由比とそっくりなのではと思った。
――――――――――
復活した由比の真似をしてくれたのは誰?
――――――――――
ちょっと気になったので聞いてみた。
――――――――――
美緒だよ
もう由比キャラは二度とやりたくないって言ってた
――――――――――
JKキャラの美緒か、納得です。
復活した由比はイタズラ者って認識で受け入れてしまったけど、あの由比は確かにテンション高かすぎた。それにしても、あの美緒がよく由比の声色を真似したものだと苦笑した。
――――――――――
美緒ちゃんか、納得しました(笑)
僕はもう大丈夫、みんなありがとう。
約束したから由比の事は忘れないよ。
――――――――――
僕はメッセージを送って端末を机に置いた。




