14 時間の無駄でした
新章突入
いよいよ泥沼に入り、登場人格が増えていきます。
私は、責任をとって主を殺すか、一緒に消えることを考えながら生まれた。主の大切な友達が自殺した翌日だった。
誰か付けたかわからないけど、月乃という名前を持って存在してた。
20年近くになる……。
長い間、主の中で共に過ごしてきた。
私の主を殺すというコアは決して消えることはないけど、過ごした時間の中で積み上げられてきたものによって、それは見えなくなるほど埋められている。
次から次へと役割を持って生まれて来る人格達。
役割を終えて消えて行く人格達。
どれだけの数の人格達を見送ってきたかわからない。
その事に私は何の感情もない。
そんな激しい入れ替わりの中で、私が消えない理由。
それは、私の主を殺すという役割が終わってないという事なのだろう。
逆にそれは、私は主の最後の時までここに存在し続けことになる。
主と共に最後まで、決して消える事のない私の呪い。
私は長い間存在しているうちに自分の呪いを曲解してきたと思う。
友人の死の責任を取って主を殺すという想いは、いつの間にか主が死ぬ時まで私は一緒に存在する、最後まで主と生きて行こうと変わっていた気がする。
だから、主には害になるとしか思えない雪村の存在は、私にとっても害悪だとしか思えない。もし、本当に主を殺してしまいたいだけなら、主が雪村と一緒になるのが一番簡単な筈なのに。
最近、初めて外の人間が私達に干渉してきた。
主に近付くだけじゃなくて、私達にまで干渉してくるその男は樹。
私は当初は警戒していた。
でも最近では、主が樹に心を許す理由、樹が私達への干渉を許す理由がなんとなく理解できた。
彼は自分が捻くれてると自称してるが、彼は真っ直ぐだ。少なくても主に対しては真っ直ぐだ。
それは、まるで子供のように言葉で私を責めて来た時にも感じた。
そして真っ直ぐ進む為に策を弄してくる。
私を説き伏せる為に、主の分析表みたいなものまで作ってきて私に見せたのには、少し引いた。ヤバイ奴かななんても思えた。
彼は主と結ばれる事は望んでいないと言う。
主の身体が目的ということでもなさそうだ。
実際に、何度もそのチャンスがあった筈。たぶん主も拒まないだろうけど、彼は私達の予想に反してキス以上の事はしてこなかった。
じゃ彼は何を目指して真っ直ぐなのだろう?
そして、彼は主だけじゃなくて、私達まで理解しようとしている。
彼は、主の中にただ存在するだけの私達を、生きている人間と変わらないと言った。
生きるとか死ぬとか考えた事もなく、ただ存在していた私達にその言葉は不思議な影響を及ぼしていた。
もし、私達が存在するのに力というものが必要だとしたら、その力が強くなったような気がする。
生きてるって何だろう?
そして、そんな彼との出会いを待っていたかのように、主の中の私には認識できない所で、大きなモノが動き出してる気配がする。それが何かわからないけど、よくないモノのような気がした。
突然、光も音もない衝撃が意識体の私を貫く。
また主に何かあったらしい。
震えている主の視界を後ろから覗き込む。
雪村(彼もどき)とメッセージのやり取りだった。
彼の「逢ってゆっくりお話しがしたいという」メッセージに対して、主が「今は仕事が忙しくて時間が取れない」と返事をする。
すると彼は「最近、仕事が忙しくて時間が取れないとか嘘だろ、実は男と逢ってるんじゃないのか?」と返してきていた。
それを見た主の意識は、今にも砕けそうにヒビだらけになっている。
――――――――――
酷い、私は嘘なんかついてないのに
どうして疑うの?
そんなふうに私の事を理解してくれようとしないから
私は壊れそうになってるのに、どうしてわかってくれないの?
―――――――――
彼はほんの数日前に私が言った事を忘れてるのだろうか?
樹さんに言われた事も忘れてしまったのだろうか?
思い起こせば、彼はいつだってそうだった。
主の話なんか聞いていない、いつだって自分の考えだけを優先している。
私ははじめから彼の事が嫌いだった。
彼から返事が届く。
――――――――――
涼音は いま涼音なの?
涼音の中の誰かなの?
メッセージじゃわからない
確実に涼音なの?
――――――――――
……もう見てられない、私は主と入れ代わった。
――――――――――
あなたの言うところの「涼音の中の誰か」に今かわりました。
直前まであなたとメッセージを交換していたのは間違いなく主です。
それさえ解らないようなのでしたら、お付き合いを続けるのは難しいのではありませんか?
私達は本来、主のプライベートのSNSに関わるような真似はしません。
というのは、主と記憶を共有していない、つまり主のプライベートは把握してないからです。
このメッセージを見れば、今までのメッセージが主だということくらいはわかると思いますが、いかがですか?
今、主はあなたのせいで酷いショック状態です。
今日はもう連絡をしないで下さい。
――――――――――
数分待ったが彼からの返信はない。
私は樹さんに今の出来事の概要を書いてメッセージ送信した。
――――――――――
あとはお任せします、主を癒してあげて下さい。
――――――――――
「あるじ、今日はもう大丈夫だから樹さんに甘えてきなさい。」
「……うん、ありがとう月乃。」
私は主の身体を手放して交代した。
深夜にいつものようにムーンチャットで通話していたら、突然涼音の様子がおかしくなった。
「やだ、もういや……。」
「……気持ち悪い……。」
「………死にたい。」
「涼音さん、どうしたの?」
……返事はない。
数分後に月乃の冷たい声が聞こえてきた。
「本来は主のプライベートには関わらないのだけど、見るにみかねてでてきました。」
「いつきさん、もう少しだけ待ってて頂けますか?」
「……うん、わかった。」
さらに数分待つとメッセージの着信音が鳴った。
メッセージを確認すると、月乃が今あった事の概要を書いて送ってくれた。
……そして、それを見た僕は落胆した。
雪村……、先日彼に徹夜で説明した事、教えた事が全て無駄だったと知ってしまった。こいつ、やっぱりダメな奴、ポンコツだ。
「主をお返ししますね。」
冷たい声がヘッドセットに響いた。
「月乃さん、ありがとう。」
すぐに涼音が戻ってきた。
「月乃から全て聞いたよ、大丈夫?」
「……うん。」
「それにしても、悲しくなったよ。」
「先日、雪村に時間をかけて話した事は全て無駄だったように思う。」
「……うん。」
静かな時間が流れていく。
僕はしばらくの間「涼音さん、大丈夫、大丈夫。」と呪文のように呟いていた。
直接会ってるなら、黙って頭をナデナデしているのだけど、音声チャットではこれがせいいっぱいだった。
しばらくすると、また別の声が聞こえてきた。
「みー みー みー」
みーちゃんだ。
「涼音さんが大変な状態だから、代わって出てきてくれたんだね、今は涼音さんを眠らせてあげようね。」
「みー! みー!」
僕には「うんうん」と言ってるように思えた。
みーしか言わないけど、たぶん言葉を理解している。
「みーちゃん、ありがとうね。」
「みー! みー みー」
「こんな事になるから、やめとけって言ったんだよ。」
突然気だるそうな声が聞こえてくる。
また人格が変わったらしい。
「うん、あの名前は何ですか?」
声の雰囲気を察して丁寧に聞いてみた。
「ああ、いつきさんだっけ、オレは月斗だよ。」
唯一の男性人格だった、以前に怖い存在だって聞いていたけど、フレンドリーな感じがする。
「はじめまして、今回はまた大変な事になったね。」
僕が声をかけると、相変わらず気だるそうな口調で言葉が返ってくる。
「だからオレは、はじめからアイツはヤメトケって言ってたんだよ。」
「月斗さんがメッセージアプリ使って代りに雪村を振ってあげたら?」
「それはできない、そんな事したらオレが月乃に叱られる。」
それにしても、怖い存在だって聞いていたから月斗と話すのは怖かったんだけど、少なくても僕へ悪い感情は持ってないようなので安心した。彼は終始気だるそうな雰囲気で話していた。
「オレもそろそろ戻るよ、主は眠っちゃってるけど起こすか?」
「……ううん、いいよ、眠れてるなら、そのまま眠らせてあげよう。」
「そっか、またな!。」
月斗の声がしなくなると、かすかに寝息だけが聞こえてきた。
念の為30分くらいつないでおいたけど、起きてこないみたいだから、通話を切った。その間、時々暗示をかけるかのように「涼音さん 大丈夫 大丈夫だからね」と声をかけていた。
夢の中に届いているといいな。
それにしても、雪村とのあの時間、本当に無駄だったようだ。
たぶん彼の根底にあるのは、涼音と別れたくないという自分のエゴ。彼女の為に……なんてのはない、自分の為なのだ。自分の希望が優先で、ただそれに向かって行動している、涼音さんのことをちゃんと見てない、だから何も気付けないのだろう。そして、優しさは上辺だけのもの、だから僕には優しさの方向が間違ってるように見えた。今回もただ、自分のエゴのままに彼女を振り回して束縛しようとしている。
彼との別れに対して動きが鈍い涼音、なんとか動かして別れさせなきゃと思えた。
翌日の午前中、また問題が起きていた。
10時過ぎくらいにメッセージが入る。
たぶん、送信したのは月乃。
――――――――――
主が昏睡状態に陥った今、桜花と私でなんとか業務に支障をきたすことなくまわしていますが、いつまで保つか……危うい状態です……。
同僚の顔などはあまりよくわかっていませんので、話しかけられると狼狽えてしまいそうで怖い。
定時まで、頑張らないと……
――――――――――
職場で涼音さんの人格が落ちてしまって、桜花と月乃の人格で仕事を続けているという事らしい。
僕にはどうしようもないので「把握」とだけ返信した。
本当に心配だけど、実際に僕にはどうすることもできない。
何か変化あればまた知らせが入るかもしれないし。僕はトイレに行く時でさえ携帯端末を手に持っていないと不安な気持ちになっていた。
お昼過ぎに再びメッセージが着信した。
――――――――――
あなたなら起こせる…私たちはそう思っています。
みーが推してるので恐らく間違いないかと……。
申し訳ないのですが、力をお貸しいただけませんか?
――――――――――
月乃が送ったのだろう。
時間は昼休みの時間、これは僕に電話して起こしてくれって事だろう。
――――――――――
今から電話する。
――――――――――
メッセージを返信して、念の為1分程待って僕は電話をコールした。
「もしもし」
「すみません、お手数おかけします。」
「月乃さんだね、今まで頑張ってくれてありがとう。」
「早速やってみるね。」
「はい。」
「涼音、涼音さん 仕事中だよ、起きなさい。」
……。
数秒後。
「おはよう」
あっさり涼音は目を覚ました。
「こら!仕事中に眠るんじゃないの!。」
「えへへ、ごめーん。」
「もう大丈夫?」
「うん、たぶん大丈夫。」
「午前中は月乃さん達が頑張ってくれたんだからねお礼しておけよ。」
「うん。」
「うん、じゃ午後頑張ってね。」
「はーい、ありがとうお父さん。」
自分でも拍子抜けするくらい簡単に目を覚ましてくれた。
2時間くらいの心配と緊張が一瞬で吹き飛んでしまって逆に力が抜けてしまった。
同時に、別人格達が僕を信頼してくれたこと、彼らにも目覚めさせることができなかったのに、僕の声で簡単に目覚めてくれた僕への気持ちを嬉しいと感じていた。
夜、日課のSOAへのログインにはまだ1時間くらいの余裕がある。
夕飯を済ませて、熱い紅茶を口に運ぶ。
紅茶の正しい飲み方なんか知らない。僕は香りを楽しみ、舌の先で味わい、そしてのど越しというのだろうか、喉を通り過ぎる感覚を楽しんでいる。
この時間は僕にとっては小さな贅沢。
そんな時、メッセージが着信した。
――――――――――
月乃です
今日はお手を煩わせてしまい申し訳ございませんでした。
おかげで助かりました。ありがとうございます。
あなたには知る権利があると思いますので、今日主が昏睡状態になる原因になったメッセージとその後の対応のログを貼り付けておきますね。
今の主は本当にボロボロなので、これで数日の間けん制できると良いのですが。
どうか主をよろしくお願いします。
雪村 08:12
昨日は涼音の中の別の人が割り込んできて中断されてしまった
お部屋の契約の準備もあるから、一緒に住めるようになる時期も相談したい。
嘘ついていないなら、僕と相談するくらいの時間は作れる筈。
今日の夜にでも直接話したいけど時間作れるよね。
涼音 18:03
主の中の別の人です。
仕事前にとんでもないメッセージを送ってきたせいで、主のストレスが極限まで達したようで、主の意識は倒れて目を覚ましません。
私たちでなんとか仕事はしていますが不慣れなので大変です。
これ以上、主に負担をかけないでください。
少し放っておいていただけませんか。
雪村 18:24
わかりました、迷惑かけてすみません。
涼音 18:29
主が目を覚まして、あなたに連絡するまで、そってしておいてください。
よろしくお願いします。
雪村 18:32
はい。
――――――――――
楽しいお茶の時間は、一瞬で消し飛んでしまった。
何度目だろう、雪村に説明をしたあの夜がとっても無駄だったと思い知らされる。
月乃も策士だね、18時なら涼音が目を覚ましてしっかり仕事をした後だ。目が覚めてない事にして数日時間を作って涼音を安定させるつもりだろう。
いつの間にか「僕と別人格連合軍 VS 雪村」って対戦構図が出来上がっているのを感じた。
それにしても、雪村の反応が素直。……でも、これが彼なんだよね、僕が直接話した夜もそうだった。彼は反撃を受けてる時は素直なんだよね、でも終わるとコロッと態度が変わる。それがここ数日で僕が彼について学んだ事だ。
もしかすると、涼音にだけ強い態度なのかもしれない、だとするとこの雪村って人はDVの資質がある気がしてきた。
やはり、彼に涼音は任せられない、なんとか別れるようにしなければ。
いろいろなパターンを想定して作戦立てなきゃだね。