10 知らなくて当然
のかさんのSNS、そして自殺した友人に触れるのは、やはり涼音のトラウマを直撃していた。
昨夜と同じようにベットの上で僕らは話していた。
苦しそうに泣いてばかりで、なかなか話が進まない。
自殺した友人にそっくりだった のかさんの消失……。
「我慢しないでいいから、我慢しないで泣いていいから、吐き出しなさい。」
僕はそんな言葉をかけて涼音さん肩を抱きながら言葉を引き出していた。
彼女は子供頃から酷いイジメにあっていた。
イジメには慣れていたので無視してたら、その反応の無さが気にいらなかったのか、イジメの矛先を彼女の友人に変えたらしい。イジメに慣れていたってって事だけでも心が痛いのだけれど……。
そして……。
友人はそれを苦に通学路の陸橋から飛び降り自殺。
その現場を目撃してしまった彼女。
「赤いランドセル……。」
彼女が震えながら呟いた。
『赤いランドセル』は、それを見てしまった彼女に刻まれた強烈な印象なのだろう。
以前にも少しだけ聞いていたけど、その子の親が子供の自殺の原因は彼女だと家に怒鳴り込んできたらしい。
とっても悲しい出来事。
そして、あの冷たくて怖い 月乃はその時に生まれた人格だという。
月乃は、その時の彼女の罪悪感が人格になったものだと教えてくれた。
僕は月乃の言葉を思い出していた。『私はあるじの中でも古い人格なんですよ。』
彼女の解離(多重化)の原因はこの事件なのかもしれない。
僕の中でひっかかっていた月乃の言葉。『私は、あるじを殺してしまう人格かもしれません。』月乃が友人に対する罪悪感から産まれたというのなら、この言葉も納得できる。月乃さんの感情を排したような冷たい雰囲気も納得できる。
その望みは責任をとってあるじを殺す(消す)ことなのかもしれない。
いずれにしろ、僕が当初考えていた家庭環境によって彼女の解離が始まったという考えは的外れという事になる。……他の問題に関わってる気がするのだけど。
だけど、少しだけ引っかかる。
僕がネットで調べた限りでは、人格の解離が発生するのはもっと幼い幼少期のトラウマだと思えたからだ。詳しくは聞いていないけど、イジメとか自殺って早くても小学生だよね。最近はもっと早いの?僕のイメージでは、小学校に入る前のような低年齢の時に解離がはじまるのだと思っていた。
涼音は、泣き疲れたのか、いつのまにか眠っていた。
帰る前に由比と月乃と話してみたいと思ったけど、涼音は眠っている。
泣き疲れて眠っている彼女を起こすのは忍びなかった。
明け方近く、僕は別人格へのコンタクトを試みてみた。
以前に聞いていた彼女の人格交代のイメージ通りなら呼び出せる可能性があると思ったからだ。
ダメ元で挑戦してみた。
眠っている彼女の耳元で声をかけてみる。
「由比ちゃん、聞こえますか? 出てこれない?」
「……呼んだ? いつきさん。」
僕が涼音の別人格を呼び出すアイディアは、拍子抜けするほど簡単に実現してしまった。
眠っていた彼女は、上半身を起こし、キラキラしたイタズラっぽい目で僕を見つめている。
「うん、由比ちゃんいお礼が言いたくてね。」
僕は、昨晩に誘惑してキスに誘ってくれた事にお礼を言った。それは、涼音との間の壁が消えて、話しやすくなった事へのお礼。
それにしても、由比ちゃんは話しやすい。
痛みを引き受けるという大変な役割を持ってるのに、彼女はとっても明るくてかわいい感じがした。
由比と話し終えた後に、月乃に代わってもらうようにお願いした。
「呼びましたか?」
すぐに冷たい声が返ってきた。
これも拍子抜けするくらい簡単だった。
涼音の別人格にコンタクトしたい時は単純に名前呼ぶだけでいいのね。
由比の時とは違い、冷たい視線を向けている。それはいつも以上に冷たく感じる。
そういえば、僕は月乃に恋愛とか浮気じゃないと宣言していたんだっけ。それなのにキスしてしまったのだから、より一層の冷たい視線にも納得がいく。
「こんな状態だけど、僕は自分の家庭を崩壊させることはありません。」
「……そうでしょうね。」
即答で肯定するような返事が返ってくる事に少し驚いた。月乃さんって心でも覗けるの?
それから、僕は涼音から聞いた友人の自殺の事、それで月乃という人格が解離したのを知った事などを話した。
「……そんな事まで貴方に話したんのすか。」
彼女の言葉に少し驚きの感情が混ざっていたように感じられた。
「これからも近くにいることになると思うから、月乃さんや他の人格達にも宜しくと伝えたくてね。」
僕がそう話すと、彼女の視線がより冷たいものへと変わった。
「あなたには救えませんよ。」
「あなたは、何も知らないのだから。」
僕を否定する冷たい言葉が返ってきた。
僕の中で、その冷たい拒否に対して何かが切れた。
「ずっと中にいた貴方からすれば、僕が何も知らないのは当たり前じゃないですか!」
「今、頑張って知ろうとしてるんですよ、それを拒否しないで欲しいな。」
「救えないのは僕だって知ってる、それでも少しでも助けになればと今回来たのは知ってるでしょ。」
「何でも知ってる貴方たちは何をしてるんですか?救えるんですか?」
「今、涼音さんはこんな状態なのに、何をしてるんですか?」
「でも、僕は貴方達を否定しない」
「もし、貴方達が存在しなかったら涼音さんは壊れていたか、この世にいなかったでしょう。」
「だから、僕は貴方達の存在を肯定します。」
「だけど、貴方は僕を否定する。」
「僕は貴方達を肯定しますから、貴方も僕を否定しないでください。」
少し感情的になりながら、僕は一気に自分の想いをぶつけた。
僕が話してる間、そして僕が話し終えても月乃は黙ったままだった。
反論も否定もなく、どんな気持ちで月乃は僕から吐き出される言葉を聞いていたのだろう。
数分の沈黙の後に僕は呟いた。
「……涼音さんを返してください。」
……何も言わないまま彼女は涼音に代わっていた。
「ん……、お父さんどうしたの?」
「ごめんね、実は……。」
僕は涼音に月乃さんとの事を話した、
それを聞いた涼音は悲しそうな顔をしていた。
涼音と月乃の両方に対して切ない気持ちが沸き上がっていた。
翌朝、僕は帰宅に向けて慌ただしく準備していた。
「お父さん、来てくれて本当にありがとう。」
「うん、まずは彼氏の件だね、別れるって方向でがんばってね。」
「うん。」
「たぶん、またここに来る事があるとは思うけど、いつになるかな…。」
「その時までがんれよ。」
「うん。がんばってみる。」
僕は涼音を抱きしめてキスをした。
「またね、む す め!」
「うん、またねお父さん。」
帰りの電車の中で考える。
直接会って涼音に何をしてあげれたのかよくわかならい。
お互いにいろいろ知る事ができて、キスして同じベットで寝ていたわけだけど……それ以上の行為には及ばなかったし、不思議とそうしたいとも思っていなかった。
僕は彼女を好きだと思えた、大切だと思えた。けれどそれは恋愛とは違う気がしていた。たぶん、それは彼女も同じだと思う。
彼女が僕を「お父さん」と呼んでいたのも影響してると思うけど、自分の娘のような感情?。たぶん、それが一番近いとは思うのだけれど……。アメリカならまだしも、日本では娘にキスしないよね。娘ってのは、単なる僕の逃げだったのかもしれないけど、娘という言葉が一番合ってる気がする。
ふっと月乃とぶつかった事を思い出した。
彼女の拒否に対して僕の気持ちをぶつけたけど、一切の反論もしてこなかった。
どんな想いで僕の言葉を聞いていたのだろう?
僕は、涼音の中の別人格達と外の僕が協力して彼女を支えて行く事ができたら、それが理想だという考えに至っていた。それなのに……、月乃とぶつかった事が悔やまれる。
涼音のところから戻って3日間は平穏に過ぎていた。
いや、むしろ平穏過ぎた、月乃との一件以来、僕は涼音の中の人(別人格)とは一切コンタクトできていなかった。これは、だぶん月乃は相当怒ってるなって思えた。
涼音とは相変わらずで、夜にゲームをしてその後に音声チャットで会話をしている。彼氏の呼び方が「彼」から「彼もどき」に変わっていたのには少し笑えた。
お昼に彼女からメッセージが入った。
―――――――――
今職場で、すごい気持ち悪いんだけど。
胃袋がひっくり返りそうな感じ。
記憶もところどころ飛んでるし、というか午前中の記憶がほとんど無い。
………まさか。
――――――――
重要視してなかったけど、彼女は職場でも問題と抱えているんだった。
『まさか』というのは、もちろん別人格が出てきたのではっていう事だろう。
ふっと別人格に初めて会った日の事を思い出た。
あの時に彼女は、苦しい咳を長い時間続けた後に、別の人格りさが現れた。その後は、そうした事もなく一瞬で人格が切り替わってる。月乃とぶつかった時に至っては、僕が名前を呼ぶだけで切り替わる手軽さであった。だから、最初の咳き込み事件を僕はずっと不思議に思っていた。
咳き込んだり、気持ち悪くなったりというのは、涼音が出ちゃだめと抑え込んでる時に他の人格が無理やり出て来ようとするときの症状のなのかもしれないと思った。
涼音の終業後に確認すると、「帰りたい!」と何度も言ってたらしいけど本人にはその記憶がないと言う。これは確実に別の人格が出ていたのだろう。
就業中に別の人格が出てきてかき回されたら、彼女は仕事を失うかもしれない。
人格達のまとめ役だという月乃に、こういう事がないようにって話さなきゃと思った。
……その夜、涼音が代わろうとしても、僕が呼んでも月乃はもちろん、由比も出てきてくれなかった。やっぱりコレ、相当僕の事を怒っているよね。
彼もどきにも、職場で気持ち悪いってメッセージを送ったら、就業中に何度も電話が来て、仕事中だから全部無視してたそうだ。履歴を見たら15回あって、マジにイタ電かと思えたそうな。
心配なのは理解できなくもないけど、就業時間中だというのに何考えてるんだろこの人。就業後には自分から電話したそうだけど。
ちゃんと別れられるかな?。
戻ってから5日目
僕は相変わらず中の人からは無視され続けていた。
それでも僕は3時頃に涼音が寝落ちした後、1時間くらいは誰か出てこないか待ってから寝る生活をしている。
4:00
今日も諦めて寝ようかとすると突然声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん いる?」
りさだった。
「うん いるよ。 りさちゃん?」
一応確認する。
「うん、りさだよ。」
「りさちゃん、僕の買っておいたお菓子食べてくれた?」
「うん、でもねポテチはおねーちゃんが食べるからダメだって。」
「でもね、りさはね、マシュマロ好きだからマシュマロ食べたの。」
「おねーちゃん、マシュマロはりさ全部食べていいよって言ってくれたの。」
「そうか、良かった。」
なんか、思ったより平穏そうで安心した…この時はまだそう思っていた。
「あの後ね、大変だったんだよ。」
「月乃おねーちゃんがね、お兄ちゃんとお話しちゃダメって禁止したんだよ。」
あー、やっぱり思った通り、月乃さんは怒っていた。
「りさちゃん、僕は月乃さんのこと嫌いじゃないよ。」
「りさちゃんには難しいかもしれないけど、好きだから喧嘩できるんだよ。」
嘘はない、僕はまとめ役としての月乃さんを信頼してるし、嫌ってもいない。……怖がってるけど。
「そうなの?りさよくわんない。」
「りさちゃんも大人になれば、そういう事がわかるようになるよ。」
「だから、りさちゃん、こんな時なのに僕に会いに来てくれてありがとう。」
「あのね、りさ、今日はお別れを言いにきたの。」
突然の言葉に動揺する。
「りさね、消えちゃうんだ。」
「どうして?」
「それが決まりなんだって。」
「どういうこと?」
「りさ、わからない、お姉ちゃん達がみんなそう言ってるの。」
「りさだけじゃないよ、みんな消えちゃうんだ。」
「お姉ちゃん、死んじゃうんだ。」
人格が消える・人格がみんな消える・お姉ちゃんの死、それは涼音の死?
衝撃的な言葉に眠い頭の処理が追い付かない、思考は混乱する。
表面だけ平静なふりをするのがやっとだった。
「消える前にりさちゃんに逢えて良かったよ。」
「りさちゃん、出てきてくれてありがとう。」
「うん。」
「でも、月乃さんと喧嘩したままお別れってのは残念かな。」
「うん、りさ今から月乃おねーちゃん呼んでくるよ。」
意外なりさの行動に少し驚いたと同時に感謝した。
月乃は来てくれるのか不安だけどね。
「呼びましたか?」
冷たい声が聞こえてきた。
「月乃さん、先日は僕も感情的に言いすぎたかも、ごめんなさい。」
「わかっていますから、大丈夫ですよ。」
「僕は月乃さん、あなたを信頼しています。」
「光栄です。」
彼女の声は普段のただ冷たいものではなく、寂しげに感じられた。
「りさちゃんから聞いたんだけど、消えるってどういうこと。」
「言葉の通りです。」
「あるじが私達を消すと決断しました。」
「そうなんですか……。」
必死に頭の中を整理して状況把握しようとするけど、まとまらない。
「私達だけじゃないんですよ。」
この言葉で僕はたぶん理解した、涼音は死ぬつもりらしい。
肉体的な死ななくても精神的に自殺するって事も十分ありえるし。
さっきまで普通に話していたのに、彼女の奥底にあったモノに僕は何も気付いていなかった。月乃が言った「あなたは何も知らない」という言葉が蘇って、その通りだよと苦笑せずにはいられなかた。月乃と由比、それぞれ初めて話した時に「このままでは あるじは死にます。」という言葉も思い起こされていた。
「あるじが決めてしまった以上、私達にはもうどうすることもできないのです。」
月乃が力なく諦めたように言った。
僕は行動を起こす決断をした。
「出来るかどうかわからないけど、僕が外からそれを止める努力をするよ。」
「よろしくおねがいします。」
「…本当に私達にはもうどうする事もできないので…。」
月乃の力ない返事が返ってきた。
ふっと気になっていた数日前の職場の件を月乃に聞いてみた。
あの日は、あるじが落ちてしまったので、仕方なく月乃が出て対応していたのだという。これには少し安心した。月乃なら、涼音が職場にいられなくなるような行動はしないだろうという信頼感があった。
由比にも声をかけてみた。
「痛くないのに呼び出されたのは久しぶりです。」
「由比ちゃん、おひさしぶり。」
僕はあるじの決意を僕が知って外から出来る限りの事はするよと由比に伝えた。
「僕が外からがんばるからね、だからさよならは言わないよ、ま た ね 由比」
丁度1週間か……。涼音と次に直接逢うのはもっと後だと思っていたのに。
僕は涼音の中の彼女達の気持ちを抱えて、涼音の所へ行くと決めた。
―――――――――
今日そっちに行くからね。
―――――――――
理由には触れない強引なメッセージを送って電車に飛び乗った。