奇妙
「あの、本当にすみませんでした」
レベッカが謝る。それに習うようにほかの三人も頭を下げた。ウィルまで頭を下げていることに、ケルディンは少し意外に感じた。
「もういいって。それに、僕のけがは自業自得だしね」
ケルディンの両腕には包帯がまかれていた。自分の魔法を受けた際にできた傷だ。しかし幸いなことに、咄嗟に両腕で庇ったおかげで、腕以外にはけがはなかった。
なおもレベッカが心配そうにけがをした腕を見ているので、ばつが悪くなってケルディンは後ろ手に手を組むことで、傷を隠した。
獣人を迎撃したのち、馬車は順調に進み、無事に防衛兵の駐屯地へとたどり着いた。
その道中、サロメにこっぴどく叱られた一同は、すっかり落ち込んでしまっていた。
五人は今、駐屯地の中にある、空いている隊員用の部屋を使わせてもらっている。五人以外は部屋の中にはいない。
生徒たちは、今夜は朝までゆっくり休むように言われていた。サロメやショーン達を始めとした防衛兵たちは、仮眠をとりながら交代で見張りをするようだった。いつ獣人が襲ってくるかはわからないからだ。
気分が沈んでしまっている四人に向けて、ケルディンは言う。
「まあ、初めてだし、動けなくて当たり前だよ。次頑張ればそれでいい」
「はい……」
フォローのつもりで言ったつもりだったが、彼らは沈んだままだった。ケルディンは急に不安になる。
今回、敵は二体しかいなかった。それも、一体ずつしか相手にしていない。もし、今回よりも多く襲ってきたら。もし、何体も同時に襲ってきたら。その時また、今回と同じように彼らが動けなかったら。嫌な想像はどんどん膨らんでいく。そんな不安をかき消すかのように、ウィルが口を開いた。
「次は絶対動く。足手まといには、ならねえ」
ウィルが拳を握り締める。
「俺も」
ザックが声を上げ、二人に続くようにレベッカが頷く。三人の不安は晴れたように思えた。
しかし、誰もがそう簡単に割り切れるものではない。
「私は、無理です……」
ミオンが小さな声で言う。その手は微かに震えていた。
「ミオンさん……」
「だって……、だってあれはただの獣じゃないです。私には、あれは人間のように見えました。あれは何なんですか?人間じゃないんですか?」
「それは……」
レベッカが沈鬱な表情を浮かべる。
確かに、獣人という名の通り、彼らは限りなく人間に近い。二足歩行をしていることももちろんだが、体のつくりや大きさ、振る舞いも人間に近いものがあった。
「理性のかけらもない、奴らの様子を君も見ただろう。あれを自分たちと同類だと思うのか?」
ザックが言うが、ミオンは納得のいかない様子だった。
その時、部屋の扉が開いた。開いた隙間からショーンが顔をのぞかせる。
「ケルディン、話がある。来い」
ショーンに連れられて行った先は、小さな会議室のような場所で、十数名が席について待機していた。その中にはサロメもいた。ケルディンは促されるままに空いた席に着く。
一番前には、三十代くらいの茶髪の男が座っていた。こちらを向いて、ほかの人と向き合う形となっている。彼は、この地区の防衛兵の兵長で、名をルイといった。駐屯地に到着したときに、彼が出迎えてくれた。その時は、にこやかな笑顔で迎えてくれて、温厚な人物といった印象だ。
「さて、揃ったし始めようか」
人のよさそうな笑顔を浮かべて、ルイは言った。他の防衛兵たちが背筋を伸ばす。
「先ほど、サロメから報告を受けたが、学生たちはすでに獣人と交戦したそうだ。その時の様子も簡潔に聞かせてもらった。それを踏まえて、明日以降の動きを決めようと思っている。サロメ、ショーン。何か提案はあるか」
サロメが口を開く。
「私は、生徒たちは明日にでも学園に帰すべきだと思っています。危険すぎます」
「危険、か」
「はい。報告した通り、そこにいるケルディン以外の生徒は敵を前に、一歩も動くことができませんでした。次同じようなことがあったら、彼らの命の保証ができません」
どよめきが起こる。
その反応から、ケルディンは察する。自分たちはこの空間において歓迎されていないことを。少なくとも、今日の振る舞いは調査隊として失敗だったのだ。
「そうか。わかった。ケルディン、君はどう思う」
いきなり白羽の矢を当てられて、ケルディンは焦る。
いま、ここにいる生徒はケルディンだけだ。自分の発言は、すなわち他の四人全員の意思を含んだものとなりうる。言葉は、慎重に紡がなければならない。
「先ほど、ほかの四名と話しました。話し合いを通じて、今回のような行動を明日以降も続けることは、危険だということは全員の頭の中にある、と私は解釈しました。次は、足手まといになるようなことは絶対にしません」
「それは五人全員の総意かな?」
一瞬、答えに迷った。先ほどのミオンの言葉と、振る舞いが頭をよぎる。
「……一人だけ、戦うのが難しいと、主張した生徒がいます」
迷った末、答えを出した。ここで嘘を吐くことは、ミオンのためにならないし、調査隊全員の信用に関わる。
「そうか。わかった」
そう言って、ルイはうなずいた。
「ありがとうケルディン、もう戻っていいよ。明日のことは、私たちで話し合って結論を出す。今日はゆっくり休みなさい」
ケルディンは一礼して部屋を出た。扉を閉じた後、部屋の中から漏れ聞こえた声は、決して肯定的なものではなかった。
部屋に戻ると、部屋の中は静まり返っていた。ザックは剣の手入れをしており、ミオンは部屋の隅に膝を抱えて座っている。その横にはミオンと同じようにレベッカが膝を抱えて座っている。時折、気遣うように横のミオンに視線を向ける。ウィルは眠ってしまったようで、布団の山が部屋の真ん中に鎮座している。
「何の話だったんですか?」
ザックが剣に向けていた視線を上げて、ケルディンに問いかける。
ケルディンは答えに困った。現状の確認をしただけで、進展があったわけではない。明日の指示が出たわけでもない。
レベッカもケルディンの答えを待って、こちらに目を向けている。一方で、横のミオンの視線は床に向けられたままだ。
「なにも、新しいことは言われなかった」
「そうですか」
ザックは再び剣に目を向ける。レベッカもケルディンから視線を戻した。
「明日に備えて、今日はもう寝よう」
そう呼びかけると、三人は無言で寝る支度を始めた。
全員が横になったことを確認すると、ケルディンは明かりを消して布団に入った。
布団に入っても、ケルディンはしばらく眠りにつくことができなかった。目を閉じると、脳裏に浮かぶのは昼間邂逅したバケモノの姿だ。
牙を剥いて襲い掛かかられた恐怖。生き残るために行使した魔法による痛み。そして、目の前で貫かれて崩れ落ちたバケモノの身体。ドクドクと溢れ出し、地面に染み込んでいったどす黒い血液。それはまるで、命が零れ出し、消えていくようで。
『あれは、人間じゃあないんですか』
無意識のうちに、ミオンの言葉が頭に反響する。
突如現れた彼らはなんなのか。一体どこから来て、なぜ人間を襲うのか。『獣人』と呼称されるほど、人間に酷似した特徴を持つことには何か理由はあるのだろうか。
眠らなければ、というケルディンの意思に反して頭はぐるぐると回り続ける。次々と浮かび、休息を妨げようとする思考を遮るように、ケルディンは目を固く閉じた。静まり返った部屋には、わずかな呼吸音以外聞こえなかった。
翌朝、ケルディン達が起床してすぐに、今日の方針が告げられた。幸いなことに王都に強制送還とはならなかった。今日は調査隊を二つのグループに分け、片方は周辺の見回りに、残ったグループは駐屯地に残って手伝いをすることとなった。
グループ分けはケルディンに一任された。迷った末に、学年の低いザックとミオンを待機組にして、残った三人が見回りに同行することとなった。
ケルディン達は、朝食を終えるとすぐに、駐屯地を出発した。
「見回りってどこに行くんですか?集落の中ですか」
レベッカが尋ねる。
「いや、ミヘラには行かない。俺たちが昨日馬車で通った街道があるだろう。今日の昼頃、あの街道を通って、商人が行商のために集落に来る。昨日みたいなことがあってはまずいからね。こうして見回りをするわけだ」
サロメが答える。
「今日はしっかり頼むぜ、ガキども」
ショーンの言葉に、レベッカは「はいっ」と返事を返し、ザックはプイっと横を向いた。レベッカに窘められると、ザックは「うっせえチビ」と悪態をついた。
呆れたように、サロメが肩をすくめる。
「女の子の好意は無下にしないほうがいいぞ」
レベッカが顔を赤らめて、下を向く。「好意とかそういうのじゃあ」と、小さな声で呟く。
茶化すように、声を上げてサロメが笑った。昨日の夜の、緊張感はどこへいったのか、彼は陽気な様子で生徒たちに接している。昨晩、彼は生徒たちは即刻帰るべきだという見解を示した。ケルディンはあの時、彼からの確かな拒絶を感じた。しかし、今の彼からはそのような様子は感じられない。
ケルディンは思い切って尋ねてみることにした。
「あの、サロメさん。昨日のことですけど、調査隊は王都に戻るべきだっておっしゃってましたよね。その考えは今も変わっていませんか?」
「ああ、変わってない。君たちは圧倒的に力不足だ。昨日のような状況では、守り切る自信はない」
「じゃあ、どうして」
少し考えこんでから、サロメは口を開いた。
「理由は二つ。一つは、兵長がそう指示したからだ。俺たちはそれに従わなくてはならない」
「もう一つは、何ですか」
「君たちの未来に関わるからだ。追い返されてとんぼ返りで戻ってきたら、君たちの評価に響くだろう」
派遣された先で使い物にならず、追い返される。それは、生徒達の汚点になり得ることは、容易に想像できる。
「こっちに来ないほうが、幸せだからな」
ショーンがポツリと呟いた。
「それって、どういう……」
詳しく聞こうとしたレベッカの声を、物音が遮る。草木をかき分ける音。忌まわしい、唸り声。
「無駄話は終わりみたいだな」
一行は足を止め、剣を抜き、戦闘態勢に入る。左から一体、右から一体。牙をむき出しにした獣人が、茂みからゆっくりと姿を現す。獲物を追い詰めるように、ゆっくりと誤認に近づいてくる。
「俺とケルディンで左は受け持つ。三人はもう一体を任せた」
言うや否や、サロメは走り出す。彼の手から生み出された氷塊が、獣人の頭部を狙う。獣人はそれを躱し、ケルディンの喉元を狙って飛び込んでくる。地面に滑り込むようにして躱し、受け身をとるが、休む暇もなく、次の攻撃が襲い掛かる。体を引き裂こうと振るわれた敵の腕を目掛けて剣を振る。肉を断つ、音と感触。至極色の体毛に包まれた腕が、血飛沫をあげながら吹き飛ぶ。
吹き出した返り血をまともに浴びて、一瞬ケルディンに隙ができた。まずい、と思ったがすでに遅く、腕に噛みつかれる。鋭い痛みに、顔が歪む。
獣人は、そのままケルディンの腕を噛み千切ろうとする。
しかし、それはあまりに無防備だった。隙だらけの獣人は、サロメに胸を貫かれて動かなくなった。
獣人の力が抜けていき、噛まれていた腕が解放される。傷口は深く、血が溢れ出している。
「すまない。少し油断した」
サロメが自分の手が汚れるのも構わず、傷口を抑えて止血をしてくれる。
「大丈夫ですか」
レベッカが駆け寄ってくる。どうやら、もう一匹は問題なく三人が討伐したようだ。
傷口を見て、レベッカは泣きそうな顔になる。痛そう、と小さな顔で漏らした。
「手当、しますね」
レベッカは傷薬と包帯を取り出し、処置を始める。
薬が傷に染みて、ケルディンは小さく声を漏らす。
「すみません。少し我慢してください」
ケルディンは、レベッカが気を使わないように極力声を我慢した。
レベッカは手慣れた様子で、ケルディンの傷に包帯を巻いていく。学園で応急処置は学んだが、ケルディンは彼女ほどうまくはできない。
「手慣れているんだね」
「ほんの少し、器用なだけです……。できました」
処置を終えた彼女は立ち上がった。
その刹那だった。
「あぶねえ、チビ!」
叫び声とともに、少し離れたところで周囲の警戒をしていたウィルが、レベッカに飛びかかっていた。
突然の出来事に対応できず、レベッカは短く悲鳴を上げ、そのままウィルとともに地面に倒れこんだ。
ケルディンは目を疑った。ウィルを追いかけるように、火球がケルディンの横を通り過ぎて行ったからだ。それは、ケルディン達が見慣れた魔法に違いない。火球は倒れこんだ二人の上を通り過ぎて、後ろの木に炸裂して消えた。
「今のは一体……」
「敵だ!」
ケルディンの困惑をショーンの怒号が遮る。
火球が飛んできた方向に向かって、ショーンが火球を、サロメが氷塊を飛ばすも、二人の魔法は空を切り、茂みの奥へと消えていった。
ケルディンは、火球が飛んできた方向へ目を凝らす。街道の脇の茂みの中に、黒い影が立っていた。それは、先ほどまで相対していた獣人とは違う。闇色のローブに身を包み、フードを目深にかぶって顔を隠したそれは、唸り声も上げず静かに立っていた。
フードの人物は右手を胸の前に掲げる。その手は、未だ立ち上がっていないケルディン達に向けられていた。