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一夜に燃ゆる夢幻

作者: 白石小梅

 私は、まどろみの中にあって。

 揺らめくような意識の中で、せせらぎの音を聞いていた。


 目を開くと、緋の柱があった。

 首を回すと、白い塀がどこまでも続いている。ここはどうやら、その内側のようだ。

 流れるせせらぎがあって、そこに掛かった橋の上に、何故か私は立っている。

 いつの間にやら裳裾姿で、領巾まで掛けて。


(「……?」)


 ここはどこだろう。さっぱりわからん。


 庭園のように見えるが、振り返ると巨大な屋敷があった。

 見上げれば、空が青暗い。星が見える。

 早朝か? それともこれから夜なのか?


 その時、声を掛けられた。


「……父上は、どこにおられる」


 振り返る。声を掛けたのは男性だった。

 冠を被り、撫でつけた髪は漆黒。それに沈んだ黒のほうを着ている。それに袴をはいて、腰には剣を佩いていた。

 年のころは三十過ぎ。肌の色が白く、切れ長の目をした色気のある男だった。

 その目には、鋭い自信と深い猜疑の影を感じた。


「どうした? 父上は?」


 男が私に尋ねているのだと気づいて、私は我に返った。そんなこと言われても何もわからない。


「え……はい?」


 男性の目つきが、細くなる。

 あ、やばい。こいつなんか、すごい神経質っぽい。怒らせない方がよさそう。でも、お前の父上なんか知らねえよ。


「お前はまたぼうっとしていたのか。いつもそうだな、全く」


 男は全く自然に私の目の前まで歩を進めると、何の遠慮もなく私の体を抱きかかえてまっすぐ持ち上げた。


「ちょ……!」


 いきなりなにすんの。やめて。尻触んないで。つーか、持ち上げないで。めっちゃ恥ずかしい。


「我が一族の者となった自覚を持て。何はともあれ、お前は私の目に留まったのだ。私の機嫌を損ねるようなことをするなよ。お前の物覚え一つで、民草の生き死にが左右されるやもしれぬのだぞ」


「はあ……はい」


 意外にも、この男から親愛の匂いがする。

 物言いからして、貴族か。それも権力者っぽいな。

 現代の感覚からすれば、恐ろしくなる事実を口にしているのだが、同時に冗談のようにも聞こえる。


「申し訳ございませぬ……あの、おろしていただけますか。恥ずかしゅうございます」


 なんとなく、よよっと聞こえるようにそう言って、私はいじいじした。

 うわなにこれ『夢の私』めっちゃ可愛い。


 ……これはあれだな。

 とりあえず、こいつと『夢の私』は寝たことがあるんだな。

 つーか場合によっちゃ『夢の私』は妊娠してんじゃねーのか? この男のノリからして、それっぽくない?

 何? どうしとけばいいの? ノリノリでときめいた感じにしとけばいい?


「それで? 父上はどこだと聞いたのだ。私はそろそろ出仕せねばならぬ」


 そう言いながら、男は私の体をおろした。

 現実の私より、『夢の私』の外面が美人であることを祈っておこう。

 つーか、軽く持ち上げたけどこいつ見た目と違って力凄いな。

 それとも、『夢の私』が細っちろいのか?


「……存じ上げませぬ」


 とりあえず、私は頑張って時代がかった口調を続けて、そう答えた。


 うーむ。『夢の私』は誰なんだ? そしてこいつは誰なんだ?


 見る感じ、かなり昔の貴族のようだが。

 『夢の私』は輿入れしてきた他の貴族の娘なのか、それとも手籠めにされた女官なのか……。


 さっき夢に入ってきたばかりの『私』にはさっぱりわからんが、少なくともこいつの態度を見る限り、『夢の私』はこいつに対してきちんと好意を持っていたようだ。でなければ、女とは言え神経質そうなこの男が近寄ってくることはないだろうし。


 とにかく『夢の私』は、こいつに寵愛を受けているということらしい。


「全く……また御仏に願でも掛けておられるのかな?」


「うむ。その通りよ」


 その時、廊下の向こうから柔らかい顔をした老人が現れた。その両脇に、私と同じく裳裾姿の女二人を伴って。いや、品のよさそうな二人の女の傍らにもう一人。幼い子供がいた。男の子だろうか。


「父上」


 男が、にこやかな顔を見せた。


「……嫌な予感がする。何が起こるかわからぬ。御仏に願は掛けたが……どうにも気が晴れぬ」


「何をおっしゃいます。御心配には及びません。大王の周囲は掌握しておりますし、この度は従兄弟もおります。御仏のご加護は、我らにございますよ」


 おおきみ……みほとけ……。

 やっぱり、飛鳥か奈良時代か。弥生時代より服装進んでるようだし。平安までは行ってなさそうだ。


 老人は、言い聞かせるように静かに語った。


「だがな。お前が以前に起こした件で、お前を厭う者も少なくない。これ以上、反感を買ってはならぬ。我々は共に手を携えた方の一族を死に追いやったのだ。それも、お前の手で」


「それは彼らの失策が故にございましょう。私に反感を抱く者のたくらみに対し、御仏のご加護にばかり縋るのも不敬というものですな。いざとなれば、私は己の力で切り抜けて見せましょう」


 そういって、男は腰に佩いた剣を叩いた。

 老人は、ため息を落とす。話しても無駄だとわかっていながらも、話さずにいられない。そんな風情だった。


「外は冷えます。あまり引き留めてもよろしくありません。そろそろ」


「うむ。そうだな……」


 そして女の一人が、老人の背をさする。もう片方の女が、私を手招いた。見送りをしよう、ということらしい。

 見れば、庭にはすでに馬が曳かれてきている。

 私はそそくさと女の隣に並んだ。


「くれぐれも気をつけよ。我ら、蘇我一族の運命はお前に掛かっておるのだ。くれぐれも……慎重に動け。わかったな、入鹿よ」


 瞬間、私の脳裏に稲妻が走った。


 え? ちょ、待って? 今、なんて?


 そして私は、自分がどこにいるのかようやく気付いた。


「はい。では、行ってまいります」


 そう語ると、彼はさっそうと馬にまたがる。


 まずい。これは、物凄くまずい。

 思わず彼を引き留めようと身を乗り出せば、馬上の男は微笑みをこちらに向けた。


「……どうした? あまり馬に近寄るな。危ないぞ」


「いえ、あの……い、入鹿さま?」


 てことは、あっちが……蝦夷さま?

 いや待て、落ち着け。止めるべきではないんじゃないか?

 だって歴史とか云々とかあるだろ。

 こいつは……この後……。


「さあ、下がれ。帰りを待っていてくれ」


 どうする? どうするんだ?


 いや……! やはり止めるべきだ!

 考えてもみろ。なにがなんだかわからんけれど、私は今『こっち』にいるんだ。

 このまま彼を行かせれば、あと数日……いや、明日には、私含めてここに並んだ全員が死ぬ。

 特に私は、絶対に見逃されない。だって下手すると、入鹿の子を身籠っているかもしれないんだぜ?


 彼を行かせてはいけない。

 誰も彼もが、殺される。


「では、行ってくる」


「あの、お待ちくだ……!」




 足を走らせた瞬間……見覚えのある天井が映った。


 一瞬、意味が分からなかったが、目が覚めたのだ。


(「……ええ?」)


 これは、現実だ。

 現実の私。

 なんだ? 何を見たんだ、私は。


(「うっそお……マジかよ。スゲー夢を……見てしまった」)


 私の妄想が作り出した夢……。

 その中でさえ、歴史は変わらなかった。

 変えられなかった。


 あれは、つまり。

 あの男が……あの老人が……。


 柔らかな顔の老人。

 誰だか分らぬ幼い子供に、品のよさそうな女が二人。

 いや、そもそも『夢の私』も……。

 あの翌日に、屋敷の中で炎に包まれ息絶える。

 そしてあの男は、翌日を見ることもなく斬り伏せられ、雨に濡れる大極殿の庭に打ち捨てられるのだろうか。


 私の心は、あのまどろみの中でどこにあったのだろう。


 自分たちが滅び去ることを知らないままに迎えた、最後の朝。

 親と子の、そして情を交わした男と女の最後の会話。

 一夜のうちに燃え尽きる、栄華を極めた一族の夢幻。

 その中に、迷い込んだというのだろうか。

 それとも……。


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