神様の悪戯-前編-
※ この話の時間軸は、本編4章24-25話に相当&ネタバレ含みます。
ハロウィン(ルイスside、リオンside)から繋がる話です。
(未読でも別段問題はありません)
本編とは異なり一人称にてお送りいたします。
最後に、大事な注意点です。
この話は月夢の現代パロ(未発表)へ某キャラが迷い込むハロウィン話です。
カオスです。
これらの点をご理解いただいた上で、お楽しみいただけましたら幸いです。
「夢だな」
目の前に広がる光景どれを取っても夢にしか思えない。そんなオレに、彼女はウェーブがかかった黒髪を揺らしながら振り返り、呆れ顔で言った。
「まだそんなこと言ってるんですか?」
琥珀色の瞳も同じなのに、どこかオレの知ってる彼女とは雰囲気の違う彼女がそう問いかける。
「類さん、できたらいい加減、夢モードから戻ってきてほしいんですけど」
「だから何度も言ってるが、オレはルイじゃなくて、ルイスだ」
「……これは相当重症ね」
訳知り顔でため息をつく彼女は、オレの手を引きながら先を進む。
「おい、エマどこに行くんだ」
「どこって、こんなときは陸のところに決まってるじゃないですか」
「リク……?」
相棒の名前によく似ている名前に首を傾げている間も、彼女はどんどん進む。
夢のはずなのに、やけにリアルだなと思いながら、引っ張られるままに歩く。
道はレンガでも地面でもなく、黒く硬い。並び立つ建物はどれも見上げるほどだ。窓ガラスもまるで純度の高い水晶のように透明。
果てはオレが今身に付けているものもそうだ。肌触りのいいシャツにズボン、セーターに似たカーディガンという上着。そして、紐を結んで履いた妙に歩きやすいスニーカーという靴。
こんな見たことも聞いたこともない様々なものが夢じゃないなら、一体何だと言うんだ。思わずそんな悪態が口をついて出そうになる。
目が覚めたら、そこには知らない天井が広がっていた。
……なんて、リックが好きそうなお伽噺の出だしのようなことを思ったのは、少し前のことだ。
見慣れない部屋に、けたたましくなる小さな薄い四角の板。その音にあたふたしていたところにやってきたのが、目の前を行く彼女だ。
「類さん、目覚ましのアラームいつまで鳴らして……って、起きてるんじゃないですか。なんで止めないんですか?」
「ルイ? エマ、何を言ってるんだ? そもそもアラームってなんだ?」
「は?」
たぶん、あそこまで間の抜けた彼女の顔は初めて見た気がする。たぶん夢から覚めても忘れないんじゃないかと思う。
そんな中、けたたましくなっていたそれ――アラームだか、スマホだか――をエマに止めてもらった。そうして、彼女に着替えろと言われて、チェストから出してもらった服に着替え、今この状況に至る。
始めにいた場所には、団長によく似たレンという人も居て、珈琲を片手に送り出された。
そうこうしているうちに、よくわからない小部屋に入り、浮遊感に戸惑ってるうちにまた外へ出る。そこには金属製のドアがいくつも並び、宿舎に似たそれにちょっとホッとしつつ進む。
そんな中、一つのドアの前に辿り着くと、エマは小さな丸い飾りを押した。ピンポーンと、なんだか間の抜けた音がなり、ガチャガチャと音がしたあと、ドアが開く。そこから欠伸をしながら出てきたのは金髪碧眼の男。
「リック……?」
一つに結った髪は長いが、柔らかい金髪もやや緑がかった青い目も、相棒と瓜二つ。そんな男の登場に、オレは目を瞬かせずにはいられなかった。彼はオレたちを見ると、寝ぼけ眼で口を開いた。
「類も恵茉もどうしたの? 約束までまだまだ時間あるよね?」
「約束って何の話だ、リック」
「リックじゃなくて陸、ね」
「リックじゃない、のか?」
「え?」
思いの外、落胆の色が滲んだオレの言葉に、リックによく似たリクという男が訝しげに眉を寄せる。そして、じっとオレを見つめて問いかけた。
「ねぇ、お前の名前は?」
「ルイスだ」
そう名乗れば、碧眼が瞠目し、驚きと戸惑いを露に、オレを指さしつつエマを見た。
「恵茉、もしかして今来た理由って……」
「さすが陸、話が早くて助かるわ。類さんが夢モードから帰って来ないみたいなの。だから約束の時間までにどうにかお願い」
「お願いって……」
両手を合わせて苦笑いをしながら小首を傾げるエマに、リクの口元が微かにひきつる。だが、小さく息をついて、困ったような笑みを浮かべて彼は言った。
「仕方ないなぁ、もう……」
「ありがとう。じゃあ、私一旦帰るから、またあとで。あ、類さんのも一応持ってきたから、ついでに宜しく」
「りょーかい」
リックによく似た返事を受ければ、エマは荷物を彼に預けて、『じゃまたあとで』と一言告げて元来た道を帰って行った。来たとき同様に小さな部屋に入ると、その部屋の内側の小部屋が彼女ごと下がっていく。井戸と似たような仕組みなのか、何の力で動いてるのかわからないが、本当に謎過ぎる夢に唖然とする他ない。
「で?」
呆気に取られる中、恐らくオレに向けられたであろう言葉に振り返る。そこには、ヘラヘラとした雰囲気を引っ込め、真顔でオレを見つめるリクがいた。これでリックじゃないと言うんだから、意味が本当にわからない。
「『で?』とは?」
「お前、本当に類じゃなくて、ルイスなの?」
「そうだと言っているだろう」
さすがに何度言っても信じて貰えないことに苛立ちが募る。着替える際に鏡で見た姿はオレだった。多少、筋肉が少ない気もしたが、見た目はオレそのものだった、はずだ。
そんなオレの気持ちを知る由もないリクは続けて問いかけた。
「全く一つもここでのこと思い出せないの?」
「思い出すも何も、どれもこれも知らないものばかりだし、夢だろう?」
オレの返答を聞いたリクの口から大きなため息がこぼれ落ちる。エマ同様に呆れ顔が浮かぶかと思ったが、予想とは違い、彼は心底困った様子でこめかみを抑えて言った。
「あー……こういうの神様の悪戯って言うのかなぁ……」
どうもオレの状態を真剣に受け止めた上で悩んでいるらしい彼に、今度はオレが戸惑う。そんなオレにリクは小さく息をつくと、困ったように苦笑いを浮かべて言った。
「一応言うと、これ夢じゃなくて現実。ついでに言うと、お前容姿は前世のまんまだからわかりにくいかもしれないけど、その体の本来の持ち主は栗原類。生まれ変わった後のお前だよ」
「……は?」
「ちなみに恵茉はお前にとっては従姉妹になるかな、今は」
「エマが従姉妹?」
「類にとって、ね」
夢ではないばかりか、ルイと呼ばれてるのがオレの生まれ変わりで、エマが従姉妹というのは、衝撃が大きいとかそういうレベルの話じゃない。というか、これが現実だとしたらオレは一体どうしてここにいるのか、という疑問が過る。
そんなオレの混乱を見透かしたかのように、彼は言った。
「とりあえず、立ち話もなんだし、入りなよ」
促されるまま、彼に倣い、靴を脱いで部屋に入る。小さな作業場の横を通り過ぎ、案内されたのは居間と寝室を兼ねたらしい部屋。大きな窓の傍にあるベッドは寝乱れの跡が色濃く残っている。そのすぐ傍には木の鉢植え。手前にはラグにテーブルと柔らかそうなソファー。壁と机の上には謎の四角い物体。
「ベッドかソファーにでも座って寛いでて」
そう告げたリクが作業台で何かレバーのようなものを上げると、途端に水らしきものが出る。それを金属製の容器に入れたあと、カチッと何かを押す音が響いた。シューシューと音を立てるそれを放置しつつ、陶器のコップと思しき物を二つ取り出せば、焦茶色の何かをスプーンでさっさと入れる。そこへ再びカチッという音がすれば、金属の容器を再び手に取って、中身を注ぐ。途端に香るのは珈琲によく似た芳ばしい匂い。
驚くオレを余所目にそれらをかき混ぜると、彼は何か丸い物体の入った透明な袋のようなものと一緒に持ってオレの方へやってきた。差し出してきたカップを反射的に受け取れば、色も匂いも珈琲そのものな液体が入っている。
「珈琲は砂糖もミルクもなしで大丈夫だったよね?」
「あ、ああ……」
「オレ、朝ご飯これからだから、悪いけど話は食べながらで勘弁して」
そう言って彼がバリッと開ければ、今度は焼きたてのパンのような匂いが漂う。その匂いにオレの腹が鳴る。その音はリクにも届いたようで、彼はかじりつこうとした口を止めた。
「もしかして、お前も朝ご飯食べてなかったりする?」
「目が覚めて、エマと会ってから着替えろと言われてそのまま来たから、何も食べてはいない、な」
「半分食べる?」
パンらしきものを指さしながら問う彼に、一瞬返答に迷う。正体の知れない人間から食べ物を貰う、ということに抵抗がないと言ったら嘘になる。夢ではなく現実だというのなら尚更だ。
だが、リックに外見だけじゃなく内面も似ている彼を、どうしても疑う気にはなれなかった。実際、空腹を覚えている現状、善意ならば断る理由もなかったから、その申し出を受けた。
一口かじったそれは、オレの知るパンよりもよっぽど柔らかく甘い。中から出てきた黄色みを帯びたクリームもだ。よほど高級なものなんだろうと思って問えば、『この時代、この世界では日常的に手に入る安価なものだよ』と返ってきた。
それに驚きつつも、胃に収めれば、空腹も落ち着いたためか、少しだけ冷静な思考が戻る。追加のパンを持ってきた彼からそれを受け取りながら、オレは問いかけた。
「これは夢じゃないんだな?」
「現実だね」
「この体がオレの生まれ変わりというなら、お前もなのか?」
「そのとおり」
オレの問いかけにリクは満足げな笑みを浮かべながら袋を開けて言った。
「ちなみにオレは前世の記憶があるから、お前の言わんとすることとかもだいたいわかるけど、恵茉は前世の記憶一切ないよ」
彼の言葉に色々合点がいった。オレの知るエマによく似ているのに、どこか違うと感じる彼女。この体の持ち主がオレの生まれ変わりで、リクがリックの生まれ変わりならあり得ない話じゃない。もしかしたら、出てきた場所で見かけた団長そっくりなレンという人も……。
そして、リクはリックだった頃の記憶があるらしい。それを聞いたオレが真っ先に問いたかったのはこの現状よりも気がかりなこと。
「前世の記憶があるなら、祝祭のあとリオンはどうなったんだ?」
「祝祭……? え、お前、一体いつのルイスなの?」
「いつって……思い出せるのは、祝祭でリオンを守ろうと庇ったとこなんだが……」
「あー……あのときの」
オレの回答にリクは、なんとも言い難い微妙な表情を浮かべる。そうして、やや肩を落とし、何やら脱力しながら彼は言った。
「こんなとこに来てたら、そりゃ起きないわけだ……」
「で、どうなったんだ?」
「大丈夫、無事だよ。リオンも、それにお前もね」
告げられた言葉にやっと胸のつかえが取れる。これが現実なら、オレは死んだのかとも思ってはいたが、それ以上に彼女を守れていなかったら、死んでも死にきれない。だからこそ、オレはともかく、彼女が無事だと聞けて心の底からホッとした。
「全く……この状況下で聞くのがそれな辺り、本当にお前ルイスなんだなってよくわかったよ」
そう言ってリクは、困ったように笑った。それから彼は、この世界のこと、そして、生まれ変わったオレ――クリハラルイ――を取り巻く状況について語ってくれた。
この世界は諍いこそあっても、武力でどうこうすることについては、一部の治安維持や自衛以外は罪になる、随分と平和な世界らしいということ。そして、何よりも驚いたのは、リオンの生まれ変わりもルイの傍にいる、ということだった。
「リオンの生まれ変わりもいるのか?」
「名前もそのまま莉音で、類が家庭教師で勉強教えてる生徒兼恋人」
「……今なんて?」
「家庭教師で……」
「そのあと!」
「……恋人?」
聞き間違えではなかったらしい単語に、顔に熱が集まるのを自覚した。たぶん今、真っ赤な顔になってるであろうオレを見て、リクはキョトンとしたあとニヤニヤと笑みを浮かべて言った。
「あーそうだよねぇ。今のお前はまだだもんね」
「まだ?」
「お前にとっての未来を教えるわけにはいかないから内緒」
茶目っ気たっぷりに人さし指を立てて片目を瞑るリクに、眉を顰める。言葉の端を捉えれば、言わんとすることはわからないでもない。そして、平和なこの世界のオレとリオンが結ばれたのならば、それも事実として受け止めよう。だが、まかり間違えてもオレ自身とリオンが結ばれる、なんていうことは天地がひっくり返ろうが土台無理な話過ぎた。
そんなオレの気持ちを知ってか知らでか、彼は続けて言った。
「ま、たぶん長くても一日終われば帰れるよ、きっと。ただ、今日は莉音と類が約束してる日だから、悪いけど類として頑張ってほしいかな」
「約束?」
「実は今日、ハロウィンのお祭りごとがあったりするんだよね」
彼の単語に思わず口元が引き攣る。元の世界でもほんの数ヶ月前にあった催しものだ。そして、わざわざ言葉を言い換えないということは、恐らくそう変わらないものなんだろう。ただの祭りなら別に構わない。しかし、ハロウィンは……。
「まさか、仮装……?」
「ご名答~!」
笑顔でグッと親指を立てるリクを、ここに来て初めて殴りたくなった。リクになってもこういうところはやっぱり変わらないらしい。だが、武力は基本罪になるらしいし、あとでこの世界のオレが罪に問われるのもあれだから、そこは堪えて言った。
「一年と経たずにもう一度とか、何の嫌がらせだ」
「無茶した罰じゃない? それにお前にとっては数ヶ月前でも、この世界のオレたちにとっては一年経つ話だから諦めてよ」
軽い口調で言う彼を思わず睨む。すると、彼は笑みを浮かべつつも、その目を真っ直ぐオレに向けて問いかけた。
「お前が類じゃなくても。莉音がお前の知るリオンじゃなくても。リオンとほぼ同じ存在の莉音が悲しむのは、見たくないでしょ?」
その言葉に、オレの脳裏でリオンの悲しげな顔が過る。確かに見たくはない。それに恋人だと言うなら、オレがルイならば彼女を泣かせようものなら、オレに腹を立てるだろうというところまで想像もついた。そんなオレの内心の動きを読むようにリクは言う。
「なら、引き受けてくれるよね?」
問いかけの様相は呈しているが、内容は確認でしかない。掌で転がされてるような気もして釈然としないが、拒否するという選択肢はなくなったため、不承不承ながら頷き返す。そんなオレに彼はにこやかに微笑んで言った。
「ありがと。類も前世の記憶は粗方持ってたし、性格もそんな大して変わらない。莉音も多少は夢で見てるらしいから、気楽に、ね? オレもサポートはするから」
「何だか騙すようで忍びないが、善処はする」
そうして、オレはさらにリクからこの世界のオレとリオンについて聞いた。武力を必要としないこの世界でオレが目指したのは医者らしい。ダイガクという場所で学生をしていて、リクとも同級生なのだとか。そんなオレたちが師事している医者の娘がこの世界のリオンらしい。
戦うことしか能のないオレが医者、というのも不思議な気分だが、志した理由は弟が病弱だったかららしく、その理由には得心のいくものがあった。
ちなみにそれらは、エマが置いていった仮装に着替えながら行われた。と言っても、パッと見はただの黒いフード付きのマントと大きな鎌だけなんだが。ズボン以外の中身はほとんど見えないにも拘わらず、これまた仕立てのいい白いシャツに黒のベスト、紫のズボンにオレンジ色のネクタイという出で立ち。オレの知っている彼女も衣装には拘るタイプだったが、どうやら彼女の嗜好は生まれ変わっても変わらないらしい。
「死神、か……。狼男よりはましだな」
「類もコスプレ嫌がったんだよ。それでも莉音のお願いを断り切れなくて、シンプルなこれがいいって、そこだけは頑として譲らなかったんだよね」
「よくやった、ルイ」
思わず素でこの世界のオレに対する賞賛が零れる。仮装をすると聞いたときに、また動物の耳を着けさせられるのかと身構えたが、そうじゃなくて本当にホッとした。
そうして、次に待ち合わせ場所と、この世界のリオンの家の場所とその近辺の地図と経路を頭に叩き込む。最後にリクは、この世界のお金について知らないオレに、その辺も説明をしてくれた。
お金の単位が少し違うこと、店ではスマホという、薄い板を翳せばだいたいそれで支払いが済むらしい。ただ、それはあとでこの世界のオレに請求がいくらしいから使うのは程々に、と聞いた辺りで約束の時間が迫っているとのことで、彼の部屋――正確には、その一室が彼の自宅らしい――を後にした。
正直、人でごった返す道を大きな鎌を持って歩くのは面倒くさいことこの上なかった。その上、すれ違う人からは好奇の視線を浴びる始末。こっそりリクを問いただせば、ハロウィンに仮装をする文化というのは広まってるものの、全員がやるものではないのだとか。それを聞いて、この世界のオレがコスプレという仮装を嫌がった本当の理由を改めて思い知ったのだった。