守りたい温もり―前編―
※ 『赤い月の記憶と秘密の誓い』『騎士になったもう一つの理由』に
纏わる騎士団長視点のエピソードですので、残酷描写あります。
内容もそこそこ重いので苦手な方はご注意ください。
絵も微グロ傾向ありますので、苦手な方は非表示などにてご対応ください。
宵闇が広がる深夜、小包を含む旅の荷物を背に愛馬を駆る。小包の中身は、義兄と甥とオレで作った秘密基地の合鍵。まだ小さいからと渡していなかったそれは、六つを迎えた甥への誕生日プレゼントだ。
義兄は秘密基地に薪ストーブを置いて、誕生日の翌日――今日の昼間に驚かせる計画らしい。だから、オレは合鍵作成を担うことになった。
任務の都合で、当初から誕生日の当日には間に合わないとわかっていた。一時赤く染まった満月もとうに天辺を通りすぎたから、すでに日付も変わってるし、完全に遅刻だ。
当日間に合わないと伝えた時に、だいぶヘソを曲げられたが、これで機嫌が直るといいなと思いつつ、喜ぶ甥の顔を思い描く。
そのときだった。騎士になって以来、嗅ぎ慣れつつある錆びた鉄の匂いに手綱を引く。風の流れを読み、一瞬過った甥の笑顔を振り払い、真っ直ぐそちらへ駆ける。
近付けば近付くほど、濃厚な臭いに眉をひそめる。野盗にどこかの商隊が襲われたのかもしれない。そんな嫌な予感に、馬の腹を蹴る。
そうして目に入ったのは、暗い森の中で立ち往生している一台の馬車だった。一目で貴族のものとわかる箱馬車の傍で、二頭の馬が倒れている。傍に護衛らしき者はおろか、御者の姿さえも見えない。
そんな中、暗がりでもわかる、漆黒の艶やかな毛並みに背筋を何かが這い上がり、知らず知らずのうちに体が震えた。
オレの生家が治めるヤヌス侯爵領では馬の飼育や扱いに長けた者が多く、国内の馬の大半はうちの領地で生まれ育てられたものだ。だからこそ、ヤヌス侯爵家は家紋に馬を刻み、その本家には黒い毛並みの名馬が納められる。
愛馬も元を正せば、うちの領地で育てられた名馬だ。ただし、彼はオレが騎士団長就任の折り、騎士団の慣習に則り用意された馬だったため、黒ではなく白だった。オレの愛馬のように国の慣例などが絡まない限り、ヤヌス家所縁の者は基本的に黒い馬を操る。単騎であれ、馬車であれ。
そして、間近で見た馬たちには見覚えがあった。姉が駆け落ち同然で嫁いで行く際、意固地になって何一つ支援しなかった親父に代わり、オレが姉夫婦に贈った番の馬たちだ。
オレの贈った番の馬が引く馬車に乗る貴族。それは誰か。そんなの問うまでもなく、馬車の影に見つけた。
「姉、さん……」
血溜まりに横たわる物言わぬ姉の全身に残るのは、乱暴に暴かれた痕跡と痛々しい裂創だ。光を失った母譲りのエメラルドグリーンの瞳と変わり果てたその姿に、思わず胃のものを戻しそうになる。それを寸でのところで堪え、羽織っていたローブで姉の素肌を隠し、辺りを見回す。ちょうど雲の切れ間から差し込む月明かりが照らし出したのは、さながら地獄のような光景だった。
大地や草木を染めているのは、夜の闇でもわかる夥しい赤。そんな中、あちこちに擦りきれた服を纏った男の死体が転がる。一体何を見たのか、どの男も恐怖を色濃く残していた。
そんな中、一人だけ簡素ながらも仕立ての良い服を纏った男が、木に寄りかかるように座り込んでいるのを見つけ駆け寄る。だが、期待はしていなかった。
――セシリアのことは、この身に代えても守ると月神と剣に誓う。
脳裏を過ったのは、ヤヌス侯爵家嫡男としてのオレから番の馬を受け取った際に、彼が返礼として告げた言葉だ。しかし、彼の誓いは反故にされ、姉は命だけではなく尊厳も穢された。それが意味することなど、とうにわかりきっていた。
「フォル義兄さん……」
姉が尊厳を穢されたのに対し、義兄のそれは相手の憎悪の念が見えそうなほど、全身を赤黒く染めていた。
見開かれたままの藍色の瞳をそっと閉じたあと、オレはもう一人を探し、鉄臭いその場を歩いた。
「ルイス、どこだ? オレだ、グレンだ。隠れてるなら出て来てくれ」
扉が開いたままの馬車にも、姉の傍にも義兄の傍にも姿のなかった甥の名を呼ぶ。昨日が誕生日だったことを考えるに、甥が二人と一緒にいないはずがない。
どこかにいるはずの小さな姿を求め、転がる遺体の中をひたすら探し回る。そんな中のことだった。一際赤く染まった大地の真ん中に、小さな身体に似合わない大人用の剣――義兄の剣を握り、倒れている甥を見つけたのは。
「ルイス!」
抱き上げれば、酷い熱で意識こそ失っていたものの、それでも荒い息を繰り返していた。――生きていてくれた。
その事実に目頭が熱くなったものの、そんな場合じゃないと自身を奮い立たせ走る。姉夫婦の遺体を一時でも放置するのは忍びない。それでも、まだ生きている命には代えられなかった。
「姉さん、義兄さん、すまない。ルイスを預けたらすぐ迎えに来るから、待っててくれ」
二人とも一人息子を大切にしていた。だからきっと彼らがオレに求めるのは、ここで嘆き蹲ることではなく甥を助けることだと、そう信じて愛馬を急ぎ駆る。
そうして、半刻と経たずにたどり着いたのは、アウローラ=リェス、クリフェード領最大の交易の街だ。大通りを避けて人通りの少ない道を進み、オレは小高い丘の上にある大きな領主の屋敷を目指した。
寝静まった街を駆け抜けて目的地に辿り着けば、不安げな表情で門前に立っていたのは門番とクリフェード辺境伯の側近ブレアだ。愛馬の足音に反応した彼らは、オレの腕の中でぐったりとした甥を見て悲鳴をあげた。
「ルイス坊っちゃま!? グレン様、一体何が? 旦那さまと奥さま、それに警備隊長はどうなさったのですか?」
「警備隊長の姿は見てないが、フォル義兄さんたちは……」
首を横に振れば、ブレアは震える手をルイスへ伸ばし、門番は真っ青な顔で立ち尽くす。服のあちこちを赤黒く染めている甥を抱きかかえたブレアから嗚咽も聞こえたが、悲しみに立ち止まる時間を与えることはまだできなかった。
「目立った外傷はないようだが、ルイスが酷い熱で意識がない。オレの名と侯爵家の名を出して構わない、金も言い値で払うと言って、主治医とこの街で腕利きの医者を手配してくれ、今すぐにだ。あと、馬車を一台借してほしい」
そう言って、返事を待たずに勝手知ったる辺境伯家の馬小屋に向けて回れ右をしたオレに、側近が問いかけた。
「グレン様はどちらへ?」
「もう月神の下へ旅立ったあとでも、二人をあのまま放っておくわけにも行かないから迎えに行ってくる。オレが戻るまでの間、ルイスとオレの馬を頼む」
「……かしこまりました。主人たちを、よろしく……お願いいたします」
悲しみに震える声を背に、オレはクリフェード家の馬車で元来た道を急いだ。夜中だったのが幸いだったのか、その場に変化はなかった。警備隊長の捜索と馬たちの弔いは日中改めることにして、オレは姉夫婦の遺体を馬車に乗せて二人の屋敷へと向かったのだった。
そうして屋敷に戻れば、リェスに駐留している騎士たちと、クリフェード家所属の警備隊の面々が揃ってオレを出迎えた。そして、変わり果てた領主夫妻の姿を見た彼らは、一様に息を飲み、啜り泣いた。
そんな中、一人の警備兵が怒りで目をぎらぎらさせながら問いかけた。
「騎士団長殿、賊は……我々の主たちを手にかけたのは誰なのですか!?」
「すまない……。野盗ということ以外は何も。ルイス以外に生存者がその場にいなくて、わからないんだ」
「ならば場所をお教えください!」
止めようにも押し留めるのは難しいと判断し、オレがその場所を伝えれば、彼らは一目散にかけていく。それを見送ったオレに、駐屯騎士の一人が問いかけた。
「団長。私たちも行って参ります」
「わかった。だが、街と屋敷の守りに最低限の人員は必ず残しておいてくれ」
「はっ!!」
そうして、残っていた騎士たちも数名を残して発つと、オレはもの言わぬ姉夫婦と共に屋敷へ足を踏み入れたのだった。
***
翌々日、赤く色付いた木々の葉が風に揺れ、分厚い曇り空が広がる秋の昼。どんよりと重たい空気に満ちた辺境伯家の屋敷を歩いていたときのことだった。
「まだルイス様はお目覚めになられないのか?」
聞こえてきた名前に、考え事が彼方へと飛んで行った。会話の出本を探れば、入り口で会話を交わす騎士と辺境伯家の警備隊の者が視界に入る。騎士の方は、確か辺境伯領の駐屯所に所属している騎士で、凶事が起きた直後、動くことに許可を求めてきた者だった。
「もう二日になるが、まだだ」
「……早くお目覚めになられるといいな」
その騎士は沈痛な面持ちで俯く警備兵の肩を叩いて言った。
「辺境伯と夫人、御者を務めていた護衛の警備隊長のことは惜しい方々を亡くしたと思う」
警備隊と騎士団の捜索により、警備隊長の遺体が見つかったと報告は受けた。外傷は首に受けたと思われる矢毒のみで、馬車よりもだいぶ手前の街道に倒れていたらしい。少々粗野なところもあったが、快活な気持ちのいい人で、何度か手合わせをしたこともあった。そんな年上の知人の訃報に、思わず唇を噛みしめたときだった。
「だが、あんな悲惨な状況でご子息だけでも無事だった。それだけはよかったな」
「……そう、だな。賊を討ち取ったフォルティス様でさえも命を落とされるような相手ともなると、不幸中の幸いだったのかもしれない」
力なく紡がれた言葉にオレは、得も知れぬ何かが引っかかり、思わず口を挟んだ。
「今、なんて?」
不安にも似た何かに駆り立てられるように問いかければ、彼らはギョッとした様子で目を見開いた。
「き、騎士団長殿!?」
騎士がほぼ条件反射的に無言で礼を取る一方、警備隊の者は声を裏返らせる。やや青ざめた顔に、苦笑しながら力を抜くよう彼らに促す。そうして、彼らがホッと胸を撫で下ろしたところで、オレは本題を切りだした。
「今、賊を討ち取ったのが、フォル……いや、辺境伯だと言ったか?」
「え……? ええ、大半の賊の致命傷となった刀傷が、フォルティス様の剣のそれと一致しているというのが検死に当たった医者の見解でしたので」
キョトンとした様子でそう告げたのは騎士の方だ。恐らく検死に当たったのは騎士団所属の医者、或いは普段から騎士団と協力関係にある医者のどちらかなのだろう。……定期的に報告にやってきた騎士からは聞いた覚えのない情報だが。
そんなオレの疑問を知ってか知らでか、オレの同年代と思しき騎士は心底不思議そうに首を傾げながら言った。
「しかし、それは団長もご存じのはずでは……? 駆けつけられた時、既に戦いは終わっていたのですよね?」
「あ、ああ……。いや、すまない。変なことを聞いた」
発見者で既に知っているはずだからと報告しなかったのか、まだ二十歳の若造だからと手を抜いたのか。それとも、オレを下手人と疑ってかは後で連絡係に探りを入れるとして。少なくとも、警備隊の彼の態度からするに、関係者であれば知っていて当然の情報だったらしいと把握した。
同時に不安にも似たそれが、どんどん広がっていく。それを隠しながら二人を労い、その場を後にしたオレは人の気配が少ない場所で一人になったところで呟いた。
「フォル義兄さんが賊を討ち取った、だと……?」
頭を過るのは、二日前に見た紅く染まる惨劇の地。死体は見慣れているはずなのに、見るも無惨な姿に変わり果てた義兄と姉の姿を思い出すだけで、未だに軽く吐き気を覚える。それを堪えながら、記憶にある二人とその他大勢の死体、そしてルイスが倒れていた位置を思い描いていたときだった。
「グレン様、顔色が優れませんが、いかがなさいましたか?」
労るように声をかけてきたのは、茶髪の男性――義兄の側近のブレアだった。オレよりも十ほど年上の彼の気遣わしげな視線に、オレは片手で制して言った。
「いや、問題ない」
そう返すも、彼の目は探るように見返してくる。忙しない中の心配りに申し訳なさと感謝を感じる一方、彼ならば詳細を知っているだろうと踏んで問いかけた。
「一つ確認をしてもいいだろうか?」
「何なりと」
オレの言葉に、彼は胸に手を置いて頷き返す。いつもと変わらない彼の態度に少しばかりホッとしながら、オレは言葉を選びながら尋ねた。
「ルイスは、模造剣を使っての剣の稽古をもう始めていたのか?」
「いいえ。まだ身体が出来上がっていないからと、旦那さまが木剣以外は持たせておりませんでした」
「そう、か……」
身体が出来上がっていないから実剣を持たせない。ならば、未熟な身体でそれを振るえばどうなるか。そう考えた瞬間、到底あり得るはずのない可能性が脳裏を過る。そんなオレの思考を遮るように、『ああ、ですが……』とブレアの声が続く。
「旦那さまや警備団の稽古は毎日のようにご覧になられていて、たまに旦那さま方ですら驚くような指摘をされることもある、と聞いております」
「……訓練を積んだ大人ですら驚くような、か?」
「はい。子供ならではの視点ゆえの気付きであり、発想だろうと旦那さまは仰っておりました。将来が楽しみだ、とも……」
そのときを思い出したのだろう。金緑石のような瞳にじわりと涙が滲む。
「大変なときにすまない……」
「いいえ。葬儀の手配などもご助力いただき、グレン様には感謝してもしきれません」
「感謝など……」
少しでも早くルイスの誕生日に間に合わせようと走らせていたら、もしかしたらまだ駆けつけることもできたかもしれない。そんな『もしも』を想像して、口が重たくなった瞬間、名を呼ぶ声が聞こえた。何事かと思い振り返れば、エプロンを濡らしたメイドが慌てた様子でオレとブレアを探しているところだった。
「我々はここです。何事ですか?」
やや窘めるような声音で彼が居所を伝えると、メイドはそれに構うことなく言った。
「ルイス様が……、ルイス様がお目覚めになられました!」
彼女が持ってきた朗報に、オレとブレアは互いに顔を見合わせると、なりふり構わず甥の部屋を目指して一目散に走り出した。そうして、半ばブレアを置き去りにして甥の元に駆け付けたオレを待っていたもの、それは……。
「どうして父様と母様を助けてくれなかったんだよ!! なんで、今ここにいるのが叔父さんなんだよっ!!」
甥の嘆きと糾弾だった――。
前中後編の三話構成の予定です。




