騎士になったもう一つの理由-後編-
※ 本編61話のネタバレを含む、準主人公視点の過去話です。
「ねぇ、父さん、稽古つけてよ!」
九歳になったオレは、父さんの一人息子として育てられた。
誰が母親か。それは当然ながら、誰も教えてくれなかった。絶対知っているはずのじいさまは、話しかけても、気まずそうにしてばかり。執事やメイドたちも、みんな口を濁して逃げていく。家庭教師として来ていた人間もだいたい似たようなもので。そんな、どこか腫れ物扱いをする彼らが苦手で、オレは一人で木剣を振るうのが好きだった。
まぁ、腫れ物扱いされていたとわかったのは、屋敷を出たずっと後の話なんだが。それまでは、屋敷の外には一切出なかったし。誰かが連れて行ってくれるなんてこともなく、この頃のオレの世界は屋敷の敷地内が全てだった。
今だから言えるが、じいさまを含め、恐らくオレを外に出すのが怖かったんだろう。両親のようになってオレが帰ってくるかもしれない、そんな最悪の未来が。……何も聞かされていなかったオレは、漠然と自分の扱いに対して不快感を覚えるだけで、理解しようとは全然思ってもいなかったが。
だからこそ、休息日で父さんが家にいる時間が大好きだった。彼と過ごす時間だけが、唯一『寂しい』という感情に蓋をしなくても済む時間だったんだ。
そんな存在だったからこそ、父さんに近付きたくて。少しでも父さんに近づけたら、じいさまもオレを避けないでくれるんじゃないかと期待して。この頃のオレは、事ある毎に彼に稽古をせがんでいた。
そんなオレに、聖都から帰ったばかりの父さんは、疲れた表情で言った。
「おい、ルイス。オレが久々の休暇だとわかってて言ってるのか?」
「だって、こんなときじゃないと、なかなか稽古つけてもらえないし」
成長したとは言え、記憶のほとんどを失い、閉鎖空間で育ったオレに『相手の都合を慮る』なんて器量はなかった。今思えば、本当に自分の事しか考えていない子供だったと思う。それでも、父さんはいつだって苦笑を浮かべて――。
「全く、仕方ないな。少しだけだぞ?」
「やった!」
何だかんだ言いながらも、オレに稽古をつけてくれて、付き合ってくれた。だから、甘えてたんだろう。
「踏み込みが甘い!」
「……っ! ならこうだっ!」
「隙だらけだ」
「いっ!」
父さんの振り下ろした木剣が、脳天を殴る。容赦はだいぶされていた方だが、当時はそう思えなかった痛みに、オレは涙目で頭を押さえて言った。
「何も本気で殴らなくても……」
「剣はどういう理由であれ、人を傷付ける武器だ。ただの真似事や遊びで手を出していいものじゃない。痛いのが嫌なら、剣術なんてやめておいた方がいい」
告げられた言葉に、横っ面を殴られたようにオレが立ち尽くす。
「なんだよ、それ……」
動機は確かに不順だった。単純に認められたくて頑張っていただけで、明確な目的があった訳じゃない。けれど、その時間と努力だけが支えだったオレにとって、全否定されたように錯覚する程には衝撃的な言葉だった。
「オレだって、中途半端な気持ちでやってるわけじゃない!!」
「ルイス……!」
癇癪を起こしたオレが、父さんの呼び声を振り切り、当てもなく走ってその場を去る。滅茶苦茶に走って、人気のない廊下の片隅に隠れるように座り込む。チラッと来た道を見るも、誰かが追ってくることも、咎めることもない。
その事実に、手にしたままの木剣を抱きしめて呟いた。
「父さんのバカ野郎……。何のために学んでると思ってるんだよ」
記憶を振り返るように見ている今だから思う。
一言も父さんの跡を継げるようになりたいから特訓してると言ってないのに、この頃のオレはどうして伝わってるものだと思ったのだろう? 伝えてもいないことを察するなど、ただでさえ一緒に過ごせる時間だって少ないのに無理だし、八つ当たりだったなと思う。
そんな未熟なオレが、ささくれ立った様子で漸く周囲を見回せば、少し離れた場所に一つの扉があった。
「あれ、この部屋……」
普段は鍵をかけられている開かずの扉が、オレを招くかのようにほんの僅かに開いていた。
――ルイス様。このお部屋は、旦那様方の許可なく入ってはなりません。いいですね?
口酸っぱく言っていた侍従長の言葉が過るものの、やさぐれていたオレにそれを守る気はなかった。
「開けてる方が悪いんだし、いいよな、ちょっとくらい」
そうして、周囲の人の気配を確認して、そーっと部屋を覗いてサッと身体を滑り込ませる。一体、どんなお宝があるんだろう、と思ったオレの前に広がったのは、宝の山ではなかった。
オレの部屋とは全然違う白だとか桃色だとか淡い色の調度品に、立ち並ぶトルソーと共に飾られた無数のドレス。男が着るものというよりも、メイドたちが着る服に似ているそれは埃も被らず、とても綺麗だった。それを物珍しく思いつつ眺めながらオレは呟いた。
「女の人の、部屋……? お祖母様の部屋、なのか?」
とても大事にされている感じから、いるかもわからない母親というよりかは、祖母なのかと思いつつ部屋を見て回る。そんな中、壁に掛けられた肖像画にオレは釘付けになった。
そこに描かれていたのは、長い黒髪を流したドレス姿の女性。その目の色はオレと同じ深い緑色だった。
――ルイス。
どこからともなく聞こえてきた女性の、どこか懐かしい声に振り返るも誰もいない。その次の瞬間、赤い月が脳裏を過り、これでもかというほどに頭が痛くなったオレは、その場に倒れ、意識を失った。
それから、ふと気付いたオレの目の前にいたのは、憔悴しきった様子の父さんだった。
「ルイスっ!」
「とう、さん……?」
ぼんやりする頭でオレが呼びかければ、父さんはやや苦しいくらい抱きしめて言った。
「よかった……。外傷はないと聞いたんだが、なかなか目を覚まさなくて心配したんだぞ?」
「え……?」
父さんの言葉に窓の外を見れば、昼間だったはずなのに、夜明け前なのか窓越しに見える空は白んでいる。それに戸惑い固まったオレに、父さんは言った。
「お前、離れの部屋で倒れてたんだ、覚えてないか?」
「離れの、部屋……」
そう呟いた瞬間、今し方見ていた夢の内容を思い出し、血の気が引く。そんなオレの様子に、父さんがオレを覗き込む。
「どうした? 何かあったのか?」
「……いや、何でもないし、何もなかったよ」
平静を装いながら返すも、混乱と後悔で頭がいっぱいだった。
「まだ眠いから、一人にしてほしい」
「そうか……。ならゆっくり休め。もしどこか痛んだり、具合が悪くなるようならすぐに呼ぶんだぞ?」
正直、声が震えそうで、顔なんて到底見ることなどできなかった。けれど、体調を崩したせいだと思ってくれたのか、父さんは特に何かを追求するでもなく、『おやすみ』と告げて部屋を出て行った。
ベッドに寝転って目を閉じれば、夢で見たものが再び呼び起こされる。それはただの夢ではなく、実際にあった過去の記憶。オレが忘れていた記憶の夢だった。
「そう、だよな……。オレ、実の息子じゃないんだ。父さんの……叔父さんの跡なんて継げるわけ、ないじゃないか……」
そう呟いたオレの脳裏に過るのは、叔父の顔だ。『どうして両親を助けてくれなかったのか』と詰ったときの顔と、殺してくれとせがんだときに見せた顔。浮かんだそれらに対し、オレは腕を翳して呟いた。
「あれだけ傷付けておいて、なんで忘れてたんだ、こんな大事なこと……」
それから間もなく、休暇を終えた叔父さんは聖都へと戻った。倒れる前の喧嘩染みたことも、その前のことも、なんて言って謝ったらいいかもわからず、何一つ伝えることもできないまま。
そして、叔父さんが屋敷からいなくなったあと、オレは機会を見ては離れの部屋に忍び込んだ。オレが入れない場所と認識しているからか、そこに隠れているといろんな会話が聞こえてきた。
「セシリアさまがお亡くなりになって、もう三年なんて……早いわね」
「あ、バカ! その話はしちゃダメよ! ルイス様が忘却水で忘れてると言っても、旦那様もグレン様も傷は癒えてらっしゃらないんだから!」
噂好きのメイドたちの話や、部屋の机にあった母様と父様の手紙。それらから、自分が二人の死のきっかけを作っただけではなく、ヤヌス家からすると出生さえも望まれたものではなかったことを、ようやくオレは知った。
「実の息子じゃないばかりか、侯爵家にとっては醜聞の元でしかないじゃないか、オレは……。どこまで行っても、疫病神でしかないんだな……」
――生き、て。
「こんなことなら、あのとき一緒に死んでた方がよかったんじゃないかな、母様……」
叔父さんを傷付けたのに、謝ることもしないでのうのうと息子として生きて。醜聞の元でしかない孫から何度も話しかけられて。叔父さんにしろ、当主のじいさまにしろ、どれだけ迷惑だったことだろう、という気持ちが当時のオレの心を埋め尽くしていく。
「生きてるだけで迷惑しかかけないのなら、自死さえも許されないなら……。死ねる場所とできるだけ傷付けない理由を作るしか、ないか」
そんな気持ちとは裏腹に、記憶と共に沸いたどす黒い感情が迫り上がる。
「けど、あの男だけは、モールだけは絶対に許さない。全てを終わらせる前に、差し違えてでも。アイツだけは絶対に……」
そうしてオレは、それまで何となくでしか掲げていなかった目標に、昏くも明確な目的をつけたのだった。
***
「お前、今なんて……?」
カトラリーナイフの動きを止めて、呆けた様子で聞き返す戸籍上の父親を真っ直ぐ見つめて、オレは言った。
「騎士団に入るって言ったんだ」
「それもだが。そうじゃなくて、もう一つの方だ!」
彼の言葉にチラリと上座を見れば、じいさまも驚いた様子で手を止めて、オレを見ている。ようやく真っ直ぐオレを見たじいさまの反応に、『ああ、これが正解なんだな』と思いながら、オレは養父に視線を戻して言った。
「ヤヌスの名前は名乗らない」
「何故?」
「騎士団長の息子だってわかったら、周りが気を遣うだろうし。それに色々調べたけど、オレ、実の子供じゃないんだろ?」
前以て準備していた言葉を並べれば、二人の赤い瞳が大きく見開かれる。使用人たちも動揺した様子でオレを見つめる中、オレは言った。
「ルイス=クリフェードが本来の名前なら、オレはそれを名乗って、オレ自身の力で騎士になりたいんだ」
そう告げれば、彼は難しい顔で真っ直ぐオレを見て問いかけた。
「本気、なんだな? 覚悟はできてるのか?」
「……覚悟ならできてる」
彼の言いたかった覚悟はたぶん『傷付く覚悟』と『傷付ける覚悟』。それらの覚悟も当然してはいたけれど、大半の覚悟は正直に言ってそれとは別のものだった。
でも、オレが記憶を取り戻していると知らない彼は、難しい顔で考え込む。そうしてしばらく長考したあと、渋々といった様子で彼は『わかった』と返したのだった。
そして、この日からオレは、父さんと呼ぶのをやめた。義父さんとも基本的には呼ばなかった。……そう呼ぶ資格などないと思ったから。
じいさまはそれ以降、以前にも増してほとんど目も合わせなくなり、ここにオレの居場所はないんだなと心底思った。ならば、せめて育ててもらった分、侯爵家のために、義父さんのためになることをしよう。それが二人への贖罪になると信じて、十歳になる年の春、オレは屋敷を出たのだった。
***
久々に見た昔の夢から覚めれば、目の前に広がるのは薄暗い秘密基地の光景だった。ほんの少しばかり深く眠ってしまっていたらしい。火がやや弱まりつつあったストーブに追加の薪を焼べて、背後を振り返りながら、夢の中の出来事を思い返す。
「言えないよな、さすがに……」
オレのすぐ傍には、じいさまが届けてくれた毛布に包まり、安心しきった顔で眠るリオン。長かった髪は短くなり、その一部は今オレの左手首にある。オレとリックの無事を祈って作られた組紐に込められた想いを考えたら、到底伝えられる気がしない。少なくても、今伝えたとしても不安にさせるだけだ。
騎士になった理由として彼女に告げた内容。それは単純に全てじゃなかっただけで、決して嘘じゃない。ただ伏せたそれを言ったら、きっと彼女は泣く。過去について話したときの反応を思い返すに、もしかしたら勘付いてはいるのかもしれない。彼女自身、あの聖湖での記憶を取り戻したら、気付くかもしれない。
「団長は覚えて……るんだろうな、きっと……」
恨んでるかと問われたときのことを思い返す。忘却水を使ったことを、と言っていたけれど、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。
「落ち着いたら、ちゃんと謝らないとな……」
何があるかわからないから、正式に騎士になった際に、謝りたかったことは全て手紙に書いて机の引き出しに入れてある。それでも、生きて帰ったら、オレの口から直接伝えたい。
恨んでいたから呼ばなかったわけじゃない。傷付けたかったわけじゃない。
ただ、オレがオレ自身にそれを許すことができなかっただけだ。だから……。
「義父さんって呼んだら、今はどんな顔するんだろうな……」
幼い頃はうっかり呼ぶと、それでも嬉しそうに笑っていたけれど。団長呼びが板についてからは、そのうっかりもなくなった。団長としか呼ばなかったことを気にしていたから、驚いたあとで昔のように笑うんだろうか。
――そんなこと、できるわけないだろ……っ!
――やるからには必ず生きて成功させろ。失敗だけは許さないからな。団長としても、オレ個人としても、だ。
夢の中で聞いた言葉と、神殿を出る前に言われた言葉が脳裏を過る。どれだけ遠ざけようとしても、時に優しく、時に拳骨と共に向けられた想いに、今なら素直に答えられる気がする。
ずっとじいさまに対して、ヤヌス家に対して抱いていた誤解が解けた……と思われる今だからこそ。同じものを食らったからこそ、二人とも大切に思ってくれていることだけは、今ならわかっているつもりだ。
正直に言えば、こっちの方が夢なんじゃないかと疑いたくもなるが、今も昔もリオンが教えてくれた。幼い頃から望んではいけないとずっと思っていた答えを、オレは望んでもいいんだと。
だから、無事生きて帰ったら、せめて二人きりのときくらい、義父さんと呼びたい。本当の父親ではなくても、嘘から始まった親子でも、それでも彼はオレにとって、二人目の大切な父親に代わりはないのだから。
決戦の夜明けを待つ中、魘されたリオンの声を聞くまで、オレはそんなことに思い耽っていたのだった。
グレンやイーサン(じいさま)が何を思っていたのかなどについては、サブCPに関する話の中で一部、残りは後日談の中ないし後日談時間軸での番外で回収していく予定です。




