騎士になったもう一つの理由-前編-
※ 本編ネタバレを含む、準主人公視点の過去話2です。
残酷描写はありませんが、『赤い月の記憶と秘密の誓い』に関連した話なので重いです。
苦手な方はご注意くださいませ。
ふと悪夢から目を覚ました幼いオレが目にしたのは、上等な天蓋だ。幼いオレにとっては見慣れた、今のオレにとっては懐かしい模様。その映像に、オレはこれが何なのか把握した。
これは、月が赤く染まったあの惨劇の続きだ。吐き気を催しそうな悪夢ほどではないものの、あまり見たくはないもう一つの苦い記憶の夢。
それに眉を潜めたくなった今のオレを他所に、悪夢に怖がった小さなオレが窓の外を見る。そこには穏やかな秋の空が広がっていて、ホッと息をつく。
ぎこちない体に戸惑い、首を傾げるオレが起き上がったのと同時に、ガシャンと金属の何かを落とす音が聞こえた。
その音に振り返れば、メイドの一人が銀のピッチャーを取り落としたところだった。中に入っていたお湯が、湯気を立てながら絨毯に染みていく。だが、メイドはそれを詫びるでもなく、口元に手をやり、泣きそうな顔をした。泣きそうと言っても、不安だとか、そういうのではなく、どちらかと言えば感極まった様子で、だ。それに違和感を覚えた小さなオレが、不思議そうに首を傾げる。
「ルイス様、目を覚まされたのですね……! ヤヌス卿をお呼びして参ります!」
彼女は濡れた床を片付けることもせず、慌てて駆けて行ってしまった。それから、バタバタと駆けてくる足音と共に、やってきたのは黒髪にガーネットのような瞳の男性だ。
「ルイス、目を覚ま……うわっ!」
メイドが溢したお湯で濡れた絨毯に驚き、声をあげたのはまだまだ若い時分の母方の叔父――グレン=ヤヌスだった。
「申し訳ありません、今すぐ片付けを……」
「いや、その前に先生を呼ぶ手配をしてくれ。片付けはそのあとで構わない」
「かしこまりました」
そう言って彼女が出て行くと、彼はオレに駆け寄って言った。
「どこか痛いところとか、辛いところはないか?」
「叔父さん、どうしてここにいるの……? 騎士団の仕事があるから来れないはずじゃ……?」
「え……?」
オレの問いかけに、赤い目が戸惑った様子で瞬く。やや間を置くと、彼は訝しげに問いかけた。
「ルイス、今日は何日だ?」
「今日は僕の誕生日だよね? 父様と母様に星祭りに連れて行ってもら……っ?」
そこでズキッと、幼いオレの頭が痛む。赤く染まる月と、赤で染まる両親の姿が脳裏を過る。
「ルイス、どうした? 頭が痛むのか?」
「叔父さん……、父様と母様は?」
その言葉に、叔父の表情と体が強張る。それが意味するところに、幼いオレの心が徐々に凍り付く。それでもなお、現実を受け止められない幼子は、震えながら問いかけた。
「なんで、僕の誕生日なのに、叔父さんがいて、父様と母様がここに来ないの?」
――私がいいと言うまでここから出るな。
――お願いやめて! その子に手を出さないで!
脳裏を過る断片的な両親の言葉を振り払うように首を振り、幼子はすがるように目の前の彼に尋ねた。
「ねぇ、あんなの夢だよね? 父様も母様も寝坊してるだけだよね? 元気だよね?」
「ルイス……」
「生きて、るよね……?」
かける言葉に迷うその目に、同情と悲しみの色が浮かぶ。その目が、真実を物語っていた。それと同時に、現実から逃げていた幼いオレの脳裏に、最後の決定的瞬間が蘇る。
――ル、イス……にげ、なさい。生き、て…………。
「うわぁああああああ!」
赤く染まる母と微動だにしない父。その記憶に半狂乱に陥ったオレを、彼はその腕で強く抱きしめて言った。
「ルイス、落ち着け! もう怖いことはない。もう大丈夫だ。大丈夫だから」
『大丈夫だ』と何度繰り返していたかはわからない。だがそれでも、落ち着きのある声に徐々に、涙も恐慌状態も落ち着きを取り戻す。そうなったところで、メイドが呼んだと思われる医者がやってきた。
一通り診察をした医者は、筋肉を酷使したことで筋を痛め、熱が出ているものの、他は異常なしと告げた。そして、激しい動きはしないようにとだけ言って帰っていった。医者が出て行ったあとに残されたのは、幼いオレと叔父だけだ。そして、幼いオレは彼に向かって言った。
「なんで……もっと早く来てくれなかったの?」
オレの言葉に、ガーネットのような瞳が大きく見開かれる。
正直、この後に続く言葉も聞きたくない。バカなオレの口を塞いでしまいたいほどだ。それでも、幼いオレは今のオレに言い聞かせるように、あの日の言葉を叫ぶ。
「騎士は民を守る強い人だって言ったじゃないか! なら、どうして父様と母様を助けてくれなかったんだよ!! なんで、今ここにいるのが叔父さんなんだよっ!!」
癇癪を起こした子供は、容赦ない言葉を叔父へと投げかける。
「すまない。二人を助けられなくて、間に合わなくてごめんな、ルイス……」
掠れ声の謝罪に、幼いオレはただただ声をあげて泣きじゃくった。傷付けてしまった叔父への罪悪感と、日常を突然奪われたことへの行き場のない怒りや悲しみで、泣き疲れて眠るまで、わんわん泣いた。
***
記憶は飛んで、暗い曇天が広がる下で、喪服に身を包んだたくさんの人が、両親の名が彫られた石碑を前に涙を流す。そんな中、幼いオレは、叔父の隣でただただぼんやりと、それを眺めていた。
涙を流しながらいろんな人が、オレに何か声をかけて、一人また一人と去っていく。それでも何を言っているのか、聞いているようで聞いていなかったオレの記憶にそれらの言葉は残っていない。だから、口は動いていても、音として聞こえない。
そんな中、最後まで残っていた黒髪の老人――母方の祖父が言った。
「駆け落ちなどさせなければこんなことには……」
「なんでそういう言い方しかできないんだ、あんたは! それは親を失ったばかりの孫の前でする話か!?」
赤い瞳と目が合えば、何か言いたげな顔をしつつ、祖父は『すまない』と告げて沈んだ面持ちでどこかへ去る。力なく頼りない背中が見えなくなると、オレを抱き締めた叔父の声が耳元で響く。
「親父の言ったことなんか気にしなくていいからな」
次いで頭を撫でると、叔父は哀しみの色を乗せた笑みを浮かべて言った。
「それより頑張ったな、ルイス。きっと二人とも、これで迷わず月神さまの元に辿り着けるはずだ」
死んだ人は巫女や神官の鎮魂の祈りによって、魂を月神の元へと運ばれる。そして、守護神が座す楽園で次の生を得るまで過ごす、というのは生前母から教わった話だ。
ポツリポツリと雨が降り始め、石碑を濡らす中、幼いオレは叔父に問いかけた。
「ねぇ、叔父さん」
「なんだ?」
「……僕がいなかったら、父様も母様もまだ生きてたかな……? 僕なんか庇って死ぬことも、なかったのかな……?」
今でもふとした瞬間に思う、もしもの幻想。それは、あの現場からオレを見つけ、両親と共に連れ帰ってくれた叔父を傷付ける言葉でもあったが、当時のオレにはそれに気付くだけの余裕はなかった。
そんなオレを泣きそうな顔で抱き締めて、叔父は言った。
「そんな悲しいこと、言わないでくれ」
オレを抱きしめてくれた腕は温かかった。それでも、両親を喪った心の穴はあまりにも大きすぎて、それを塞ぐには至らなかった。
「でも、僕が悪いんだ。母様は、悪い予感がするって言ってたのに……。それを聞かなかったから……」
「お前は悪くない」
「僕だよ……。僕があのとき、母様の言葉に従ってさえいたら、そうしたらきっと……」
あんな形で両親が死ぬことはなかったのかもしれない。今もまだリェスの屋敷で笑っていたのかもしれない。もしかしたら、弟や妹も生まれていたのかもしれない。
今でもふとした瞬間に、そう思う。そんな考えで、幼いオレの頭の中がいっぱいになっていく。そんなオレを訝しげに見つめ、額を合わせて彼は問いかけた。
「ルイス、お前熱があるんじゃないか?」
何も答えないオレを見つめたあと、叔父さんが立ち上がり、離れて立つじいやに向かって口を開く。
「屋敷に戻って医者に……」
「叔父さん、僕を殺して」
遮るように紡いだ言葉に、赤い瞳がこれでもかというほどに見開かれ、振り返る。
「何を、言って……」
「全部、僕が悪いんだ。人もいっぱい殺した」
「あれは正当防衛だ」
「でも、人殺しは悪いことだって、悪いことした人は償わないといけないんだって、父様が言ってた。だから……」
そこで小さな体は、熱に耐えきれずに崩れ落ちる。地面に叩き付けられる寸前、逞しい腕がそれを抱き止めた。
「ルイス……!? しっかりしろ!」
慌てて抱き抱える叔父の喪服を掴み、幼いオレは言った。
「ぼく、は……父様と、母様を死なせたことも……償わなきゃ、いけないんだ……。だから……」
そこで限界を迎えたオレの意識が途切れる。
「そんなこと、できるわけないだろ……っ!」
意識が途絶える瞬間聞こえたのは、そんな言葉だった。
***
場面がまた飛ぶ。ベッドに横たわるオレに、叔父が薬湯を手に声をかけた。
「解熱剤だ、飲めるか?」
「苦いから、飲みたく、ない……」
「この薬は今まで飲んだ薬よりももっといいものだ。飲めば楽になる。だから、な?」
この頃、オレは葬儀を境に事あるごとに殺してくれと叔父にせがんだ。そして、その度に両親の最期を思い出して、人を斬った感触を思い出して、その度に熱で倒れることを繰り返していた。
その状態のオレを放ったまま屯所に戻れなかったらしい彼は、基本的にずっとオレにつきっきりだった。
そんな叔父の言葉と、必死な顔にオレはその薬湯を、解熱剤だと疑うことなく飲み、眠りについた。
目が覚めたオレの視界に最初に映ったのは、不安げな赤い瞳。目を開けたオレに、彼は恐る恐る問いかけた。
「ルイス、気分はどうだ?」
「……だれ?」
その言葉に叔父の表情が強ばる。ただそれはほんの一瞬で、彼は泣きそうな笑顔と共に言った。
「オレはグレン=ヤヌス。お前の父さんだよ」
「とう、さん……?」
ここから、叔父さんと甥の関係は、父と子になった。直接血の繋がらない親子だとは知らないまま。
『始まりの物語』でライルに語った話と、多少の誤差があるように感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、ライルに語ったものは表向きの話と捉えていただけると幸いです。




