赤い月の記憶と秘密の誓い―前編―
※ 本編ネタバレを含む、準主人公視点の過去話です。
残酷描写等入りますので、苦手な方はご注意ください。
絵も微グロ傾向ありますので、苦手な方は非表示などにてご対応ください。
――夜空に浮かぶ月が赤く染まる。まるでオレの罪を忘れるなと言うように……。
穏やかな光が差し込む中、懐かしいその人は少し困り顔で言った。
「ルイス、今日は止めて、来月にしない?」
それを見て『またこの夢か』と、他人事のように思う自分がいた。
そう、夢だ。何度となく見た、過去を追体験するだけの夢。夢だとわかっているのに、起きろと頭では思うのに、それに反して意識が起きてはくれない。
ならばせめて、夢の中でくらいとも思うのに、オレの小さな体は思った通りには動かない。まるでそれを忘れるなと言わんばかりに、あの日をなぞるように過ぎていく。
「嫌だ! なんで今日が誕生日なのに、来月まで待たなきゃ行けないの? 父様も今日は休息日なのにどうしてダメなの!?」
「ルイス……」
オレと同じエメラルドグリーンの瞳が揺れる。さらりと真っ直ぐに伸びた見事な彼女の黒髪を撫でながら、オレと同じ茶色の髪の男が言う。
「私もいる。君が心配するようなことにはさせない」
「あなた……」
ややあって、彼女――母は、渋々ながらに頷く。それを見て、振り返った彼――父の深く澄んだ青い瞳が細められる。
両手を掲げて跳ね回る子どもとは対照的に、このとき母の言葉に耳を傾けていたらと思ってしまう。そうしたら未来は違ったのだろうか。
場面が飛ぶ。海辺の村で星見の祭りが行われる中、見上げた満月も星もすごく綺麗だった。
「月も星も綺麗ですね」
「……ええ、そうですね」
父の言葉に、僅かに照れくさそうにする母の声が聞こえる。そっと振り返れば、寄り添う二人の姿がそこにあった。じっと見つめるオレに見つめられているのが恥ずかしかったのか、父は食べ物を買ってくると出店へ向かい、オレと母の二人になる。
「ねえ、母様」
「なぁに?」
「どうして、『月が綺麗ですね』とか『星が綺麗ですね』って父様が言うと母様の顔赤くなるの?」
これらの単語を発するときだけは、何故か丁寧口調になる父。それが意味するところを何も知らないオレの問いかけに、母の顔が赤く染まる。『その時点で察しろ、オレ』と思うが、六つになったばかりの子どもには土台無理な話だった。そんな子どもに、母は照れくさそうに、でもとても嬉しそうに微笑んで言った。
「教えたこと父様には内緒よ? あの人照れ屋だから、好きって言葉を簡単には言えないの。その代わりに満月や星の綺麗な夜に綺麗ですねって言うのよ」
「どうして?」
「私と父様が出会った場所では、相手に好きって直接は伝えられなかったから、そのときの癖、かしらね」
「ふーん……」
男女間における機微や風情だなんだのというのは、今もなおよくわからないし、直に言えばいいだろうと思う。このときも『素直に言えばいいのに』としか思っていなかった。そんなことを振り返っていると、また場面が変わる。
ゴトゴトと揺れる馬車が突如、男の絶叫と共に不自然に止まる。それに対し、父が腰の剣を握り言った。
「私がいいと言うまでここから出るな」
「あなた……」
「心配するな」
そう言って、父は母の額にキスをした。記憶の中の父は、人前でこういうことをする人ではなかった。もしかすると、無意識でも何か虫の知らせがあったのかもしれない。そう勘ぐりたくなるくらい、珍しい行動だったと今なら思う。
そして、剣撃の音がしばらく続いた後、馬車を取り巻く音が無音になる。父の合図の声は聞こえない。それに対し、どうしようもなく不安に駆られた子どもが、母の手から抜けてその扉に手をかける。
やめろ。開けるな。父様にいいと言うまで出るなと言われただろう。
そんな思いも虚しく、愚かな子どもは自身の不安を解消したいが一心で、その扉を開けた。
開けた先には、虚を突かれたような顔をする黒髪に昏い赤い目の男。あちこちボロボロな服装は、貴族にも平民にも見えない。その男は小さなオレと目が合うや否や、ニヤリと嗤い、首根っこを掴んで引きずり出した。
母がオレを呼ぶ声が響く中、震える子供の目が捉えたのは、剣を握りしめて木にもたれ掛かり座り込んだ父の姿。父に手を伸ばそうとするオレの首元にダガーが突きつけられる。
「やめて! その子に手を出さないで!」
「何の対価もなしに、オレがそれを聞く義理はねぇよなぁ」
そのときも感じた嫌悪感が、ぞわりと這い上がる。下卑たその声が言わんとしていたことが何なのか、今ならばわかってしまうから尚更で、腸が煮えくり返りそうだ。
「その子に手を出さないと約束してくれるのならば、何でも言うことを聞きます」
母のその言葉に男の口が歪な笑みを浮かべる。そして、オレは投げ飛ばされ、地面に転がされる。幼い子どもに何かできるとは端から思っていないのだろう、男達の興味がオレから外れ、母へと向かう。
起き上がったオレが見たのは、服を刻まれ、生まれたままの姿に剥かれた母の姿だった。
「母様っ……! やめろ! 母様をはな、っ!?」
「ルイスっ!」
殴り飛ばされて転がるオレの頭上に、湾曲した剣の刃。ついさっきまでは青く光っていたはずの月が赤く染まって、その剣先が赤く光る。
「お願いやめて! その子に手を出さないで!」
その声に、赤目の男から制止がかかり、オレに振り下ろされようとしていた剣が収められる。そんな中、母は微かに微笑んで言った。
「ルイス。母様は大丈夫だから、心配しないで。目と耳を塞いでじっとしていなさい」
その言葉を最後に、母は男たちに姿に隠され見えなくなった。ただ時折漏れ聞こえる声は、苦痛に耐えるもので、オレは座り込んだままの父に駆け寄った。このときのオレにとって、世界で一番強いのは父だと、そう信じていたからだ。父ならきっと母を助けてくれるものだと、心の底から本気でそう思っていた。
「父様!! 早く立って! 母様を助けて!」
どんなに揺さぶっても彼は動かない。青い目は瞳孔が開ききっていて、幼子が気付いていないだけで、彼はとうに事切れていた。立ち上がれるはずもない。
血溜まりの中で父を呼び蹲る中、背後で荒々しい怒声が響く。同時にそれまでと違う呻き声が聞こえ振り返れば、仰向けに倒れた母の姿がそこにあった。その胸からあふれ出る命の水が大地を染めていく。
「かあ、さま……?」
「ル、イス……にげ、なさい。生き、て…………」
最後は声が掠れて聞き取れないが、そう呟くのを最後に彼女の瞳から、光が消える。死を目の当たりにしたことのない幼子には、それがそれであると理解できない。何故逃げろと言われたのかさえもわからないまま、気付けば男達に取り囲まれた。
「さぁ、あと残るはお前だけだ。安心しろ、約束どおりオレは手を出さないで居てやる。だが、他のヤツは約束なんかしてないからな」
「いひひひっ。モールの頭も人が悪ぃなぁ」
「は、なせっ……!」
髪を掴まれ持ち上げられた幼子が痛みを訴えたところで、男達が放すわけもない。
「そう焦るなよ。死ねば、お前の親父とお袋にも会えるんだからよ」
その言葉に暴れる幼子の動きが止まる。恐怖に震えたからではない。ようやく両親の状態が『死』であることを認識して、絶望したが故に、だ……。視界が赤く染まっていく。そこから先はオレ自身の記憶が曖昧なせいか、音も映像も途切れ途切れだ。
掴んでいた男の手に噛み付いて引っ掻き、転がり落ちた先で、手近なところにあった剣を握る。血に濡れた菫青石が赤く光るが、それに構うことなく、襲ってくる男たちを力任せに斬っていく。
父から剣を教わったことはただの数回程度。実剣なんて危ないからと握らせてもらったこともない。ただ、父と警備隊の訓練を毎日眺めていたから、動きだけはわかる。
あそこでこうしたらいいのに、なんでしないんだろう。そう思っていたものを体に乗せて動く。悲鳴のようなものが上がっているが、くぐもって聞こえない。そんな中、手を出さないと言ったはずの男が剣を構える。だが、それはものすごく遅くて、オレは相手に迷うことなく切りつけた。
ただ、誤算があったとすれば、男もそれなりの武人だったことだ。今なら知っているこの男の過去。元神殿騎士の盗賊、モール。元隊長を務めた騎士故の剣があったからこそ、父をはじめ、多くの人が犠牲になったのだと。
そんな男だったからこそだろう。ろくに構えもしていない無防備なところを切りつけたにも拘わらず、左目を切りつけるだけに留まったのは。
手応えが他と違い軽かったことに対し、『おかしいな』と暴走状態の獣が首を傾げれば、男は恐怖を露わに駆け出した。その背中と首を狙うために獣も駆け出す。
だが、気持ちとは裏腹に体がくずおれる。無茶な体の行使の反動で起き上がれなくなった幼いオレは、赤い満月を見つめたまま、意識を手放した――。
***
「……ス! ルイスっ!」
オレの名を呼ぶ声に、ハッと目を開ければ、そこには碧い目と金髪。もう何だかんだで十年近く、共に過ごしている男の顔があった。その顔には気遣わしげな色が浮かんでいる。
「だいぶ魘されてたけど大丈夫?」
「……ただの夢だから、平気だ」
「またお前はそうやって……」
ため息が聞こえてくるが、平気だろうが平気でなかろうが、オレが一生向き合い続けなければいけないものだ。そもそも泣き言なんか言っている場合じゃないし、そんな暇もない。それに今日は……。
今日の予定を振り返るオレの額に手を当てて、彼は真顔で問いかけた。
「熱は出てない? 茶会、延期してもらう?」
「いや。オレのせいで延期するわけにもいかないだろ。調子が悪いわけでもないしな」
「でも……」
同室者――リックの眉間に皺が寄る。だが実際、体が元気にも拘わらず、断ることは難しい。たかが夢だ。そうして、案じる彼を余所に、オレは茶会に参加した。
だがその一刻後、その茶会に参加したことを、オレは半ば後悔した。何故なら……。
「ルイスはどうして騎士になったの?」
何の因果なのか、今一番問われたくない質問を投げかけられたからだ。
木々が赤く色付き、秋が深まり行く中で設けられた茶会。聖域とされる聖湖の畔に広げられたシートの上には、三段のティースタンドにホールのパイ、籠に入った果物がところ狭しと置かれている。
そんな中、オレに先の質問を投げかけたのは、目の前に座るこの国の巫女姫――月巫女さまだ。首を傾げた彼女の青い目には、興味津々な光が微かに見え隠れしている。表情が出にくい頃から、目にいろいろ出やすいのは変わらない。
この話をすると、リックには『無表情経験者が言うと説得力あるね』なんて茶化される。だが、目は口ほどに物を言う、とは誰の言葉かは知らないが、彼女ほどそれがぴったりな人はなかなかいないようにも思う。
そんなことをつらつらと考えていたものの、これは所謂ただの現実逃避だ。
相手は神殿で最高の権力を持つ女の子で、オレはただの騎士。問いかけに答えないのは無礼にあたる。だからこそ、オレはすぐにでも彼女の問いに答えなければいけないのに、言葉が出ない。何と返せばいいのかわからなかった。
無言で固まったままのオレに、その場の視線が否応なしに集中するのを肌で感じる。目の前の巫女様はもちろんのこと、彼女の護衛騎士を務めるライルさん。そして、給仕をしている月巫女付き侍女のエマに、こんな日に限って同席してる団長。隣に座るリックからは、気遣うような雰囲気すら感じる。
オレが騎士になった理由を正確に把握してるのは、唯一リックだけだから、そのせいもあるんだろう。ただ、その理由は到底褒められたものではないから、オレもリックも口を開けない。
騎士になった理由は、明確なものがある。それこそ、思い出してしまえば、昏い怨嗟と悔恨の感情がいくらでも沸いて出る程に。けれど、それは目の前の彼女たちに見せていいものでも、教えるべきものでもない気がしてならなかった。
「ルイス……?」
いつまで経っても返事がないからだろう。名を呼ぶ声に顔を上げたことで、いつの間にか顔を伏せていたことに気付く。そして、顔を上げたオレの顔を見て、彼女が微かに動揺したように固まる。
どうしてそんな反応をされているのか皆目見当がつかない。だが、それは問うまでもなく、彼女自身の口から語られた。
「ルイス、なんだか怖い顔してる」
恐る恐る告げられて、オレはようやくどんな顔をしていたのかを自覚した。それにやや焦りを見せたのは、オレと一番付き合いの長い団長だ。
「月巫女様、口を挟むご無礼をお許しください。ルイス、遠征の疲れが抜けていないなら、少し東屋で休んで来い」
その言葉はまさに渡りに船だった。オレは一にも二にもなく、その言葉に乗り、一言断った上でその場を離れたのだった。




