始まりの物語-Last-
※ 本編全体のネタバレを含む、あるサブキャラ視点の過去話です。
(時間軸は本編前)
※ 残酷描写(心理的にもキツめ)入りますので、苦手な方はご注意ください。
月神の花嫁の一件から約一月後の新月の夜。巡回の騎士を除いて、神殿内で起きているものがいない静まり返った夜中に、私はそっとリオンの部屋に入った。
豪奢な天蓋付きのベッドで、娘は心地よさそうに眠っていた。村にいたままではまず得られなかった生活ではあるが、その代わりに今の娘に自由はない。今までも、そして、これからも。だからこそ、私は彼女を揺すり起こした。
「ん、ライル……? どうしたの……?」
「巫女さま、外に行きたくはありませんか?」
「……え?」
寝起きでぼんやりとしていた様子のリオンの目が驚きでパチリと開く。そんな彼女に私は重ねて言った。
「もし外へ行きたいと今もお望みなら、私があなたをここから外へお連れいたします」
「……外には行きたいけど、そんなことして平気……?」
「大丈夫です」
『少なくても、あなたは』という言葉は敢えて言わなかった。全てを話さずに選択させるなど、自分は酷い父親だと思う。
それでも、娘がほんの少しでも自分の気持ちに正直になれるのなら、自分はどうなろうが構わなかった。例えそれが、ほんの一時で終わる自由であったとしても。
そんな私の気持ちも知らずに、リオンは『それなら連れて行ってほしい』と笑顔で言った。
それからは、警備の目を盗み、闇夜に乗じて繋いでおいた馬に乗り駆けられるだけ駆けた。
――いや、正確には駆けようとした。
その日は本当に間が悪いことに、聖都を出てすぐのところで遠征に出ていた騎士たちと鉢合わせたのだ。たまたま、遠征から強行軍で戻ってきた二隊が『聖都までもう少しだから』と無茶をしたらしい。しかも、さらに運が悪いことに、その二隊とはネルソン隊と、そしてハワード隊――ルイスとリックがいる私の古巣の隊だった。
話かけてきたのは、私が護衛騎士になるときに隊を任せた後任のダニエルだった。
「ライルさん、こんな夜更けにどうなさったんですか? それにそちらの方は……」
「いや、少し急ぎの用事があってな……」
「……ライル、どうしたの?」
護衛騎士の私がここにいることにざわついていた騎士たちが、腕の中でうとうととしていたリオンが声をあげたことにより、そのざわめきはより一層大きくなった。中には剣の柄に手を置いて、構える騎士もいる。
そんな中、ダニエルは眉根を寄せて問いかけた。
「ライルさん。お答えください。まさかとは思いますが、そちらの方は月巫女さまではありませんよね……?」
「隊長、ライルさんがそんなことするわけがありません! それはあなただってよくご存じのはずです……!」
そう言って、ダニエルの腕を掴んだのは馬から下りて駆け寄ったルイス。リックはルイスと私を心配そうに見ている。腕の中では、張り詰めた空気に身体を強張らせたリオンの口から、ルイスの名が小さく零れる。
それは幸いにも、がやついてる二隊の騎士たちには届かなかったようだが、それでもその状況に私は一人冷や汗を流す。
私一人ならまだしも、リオンのために巻き込んだ二人だけは、何があっても巻き込むわけないはいかない。私の共犯者と思わせるわけにはいかない。だから、私はリオンをしっかり腕に抱え、馬上で剣を抜いて言った。
「そこをどいてくれ。元とはいえ、部下だったものを切りたくはない」
そんな私の行動に、ルイスの緑色の瞳が愕然とした様子で揺れる。
「ライル、さん……。あんたまさか、本当に……?」
「ダニエルもルイスもそこをどいてくれ」
「なぁ、嘘だって言ってくれよ! あんたそんなことするヤツじゃないだろ!?」
ダニエルの腕を放したルイスが、縋るように私へ近付く。だが、そんな彼に私は剣を振った。それはダニエルがルイスの襟を引っ張ることで、剣先が頬を掠めるだけに留まったが、それで十分だった。
ルイスの目が絶望の色に染まる。それに胸は痛むものの、これでルイスに下手な疑いはかからないはずだと、僅かに内心で胸を撫で下ろす。
私は悪と罵られても構わないし、自らその道を行くと決めた。だが、年若く真っ直ぐ前を向く彼らは、光を進むべきだ。決して、ここで私の味方など、させるわけにはいかないんだ。
そうして、届かない謝罪の言葉を胸の中で告げながら、彼らが怯んだ隙に駆け抜けようとした。だが、ネルソン隊は私との関わりなど、訓練時以外皆無だ。そんな彼らに遠慮などなく、単騎で一隊以上を相手にした私は、抵抗も虚しく捕縛された。
結局私が娘に与えられた自由の時間は、神殿を出て、聖都を出るまでの僅かな時間だけだった。
捕縛され、地下牢に投獄された私の罪状は月巫女の誘拐未遂。リオンは誘拐なんかじゃないと訴えていたが、混乱しているのだろうと鎮静剤を打たれ神殿へと連れて行かれた。そのあとどうなったのか、私にはわからなかった。
ただあったのは、彼女をたった一日すらも自由にさせてやれなかった、自身の運のなさとふがいなさに対する憤りと諦めだけだった。
***
それから何日が経過したのかはわからない。度重なる拷問で日を数えることもやめ、あと何日生きられるのか、リオンはどうなったのか、そればかりを考えていた。
ちなみに私の拷問を担当したのは、グレンだ。護衛騎士と言えば、騎士団長の次に諸々の権限を与えられている。だからこそ、騎士団長であるグレンにしか、私から情報を聞き出す役は務められない。一般の隊長以下の騎士には伏せている事柄などを、そう易々と知られるわけにはいかないから、当然と言えば当然の措置だ。
そして、その拷問にはあの副神官長の目もあった。穢れ云々と散々言っていた本人が、こんなおぞましいものに関わることに矛盾を覚える。だがそもそもアンナを手にかけたのならば、とっくに彼自身の手はもう血で染まっているから今さらか、と他人事のように思った。
他人、それも神殿側の目がある状況で、演技で誤魔化すことなど到底できるはずもなく、悲痛な面持ちをして躊躇う彼に、私はただ『やれ』と声なく伝えた。それをどう取ったのかはわからないが、彼は小さく『すまない』と謝罪すると、感情を殺し、私を拷問にかけた。
爪は全て剥がれ、鞭による傷も治りかけのものから真新しいものまで体中に刻まれている。そんな中、副神官長が言った。
「目の一つでも焼いてはどうだね?」
その言葉は、さしものグレンも予想していなかったのだろう。目を見開き固まる。微動だにしない彼に松明を差しだし、副神官長は冷酷な笑みを浮かべて言った。
「できないのかね? 騎士団長ともあろう人間が? この騎士を任命したのは貴殿だというのに、その責任すら果たせないと?」
明らかな脅し文句に、差し出された松明を手にして、グレンは私と向かい合う。向かい合って、焔を見つめるグレンの手が微かに震える。そんな彼が何を考え迷っているかなど、十年以上苦楽を共にしてきた相手だ、手に取るようにわかった。
爪は生える。鞭で打ったとしても時間さえかければ、皮膚はある程度再生する。加減さえ間違えなければ死にはしない。……だが、目を焼けばそれはもう二度と戻らない。だからこそ、躊躇っている。
だが、勝手に暴走した私のせいで、親友の――引いては騎士団の信用を落とさせるわけにはいかなかった。だからこそ、『大丈夫だ』と彼に伝えるために、副神官長には見えない角度で彼に笑顔を送る。それに対し、腹を決めたのか、彼は唇を噛みしめ松明を近づけた。そうして、腹を括ってもなお揺れる彼の赤い瞳と迫る焔を最後に映し、私の左目はその役目を終えた。
一向に動機も目的も吐かない私に見切りをつけたのか、途中から副神官長は来なくなった。そんな中、グレンは拷問の体でやってきては、拷問の代わりに隠し持てる分の食料と水を私にくれた。
「こんなことしたら、お前までただじゃ済まないぞ」
「だったら、なんでオレに一言も相談しなかったんだ。オレは言ったはずだ。お前自身も守り抜いてほしいと」
「それじゃ、リオンの願いを叶えられないんだ。父親として名乗れなくても、子の自由と願いを叶えたいと思うのが親だろう?」
そんな私の言葉に、グレンはかっとなった様子で私の胸ぐらを掴んで言った。
「当然だ! オレだって子の願いは叶えたい。だが……」
「私は大罪人だ。それを天下の騎士団長が庇うのは許されない。騎士団の信用問題に関わる」
それはさすがにグレンもわかっているのだろう。グッと唇を噛みしめる彼に、私は静かに言った。
「大丈夫。もう私の覚悟はできてるから気にするな」
「お前はできていても、オレは……オレたちにはできてない!」
普段、どんなときも冷静な彼が訴えるように、絞り出すように叫ぶ。きっとこんな状況でも、彼は私をどうにか助ける道がないかを探っているのだろう。そして、同時に罪悪感に苛まれているのだろう、とも思う。
「目のことなら気にするな。お前が奪ったんじゃない。私がお前に差し出したんだ。何よりもう片方は無事だから問題ない」
「……そういう問題じゃないだろ」
「そういう問題だとも。元々、あの日お前が手を差し伸べてくれなかったら、侵入者として捕らえられ恐らく死んでいただろう身だ。それが今まで生きられた。リオンを傍で守れた。それだけでも奇跡だったのだから」
そう、グレンに出会ったあの日から、リオンを連れ出したあの日までが、奇跡のような毎日だった。だから私に悔いはないし、死ぬことも別に怖くない。それでも、気がかりなことがあった。
「ただ、もしリオンが自分を責めているようだったら、忘却水を飲ませてやってくれ」
「ライル……」
「辛いことばかり強いてすまない」
「……そう思うのなら、こうなる前に頼ってほしかった」
グレンは出会った頃から何も変わらない。自身が大変なときは何も言わないことの方が多い腹黒狸の癖に、こうして今も私なんかのために泣くのを堪えているくらいのお人好しだ。そんな彼に拷問させるなど、辛いことを強いてしまったと思う。
「信頼はしてるさ。ただ、今回ばかりは誰も道連れにしたくなかった。お前もルイスたちも」
唇を噛みしめる彼に、私は続けて言った。
「お前やルイスたちも、辛かったら私のことは忘れたって構わない。リオンが幸せであれば、私はそれだけで十分だ」
そう笑って言えば、彼は『バカ野郎』と小さく呟き俯く。その姿がいつか見たルイスと重なり、『直接の血のつながりがなくても親子なんだな』と暢気にも思ってしまったのだった。
そんな会話を最後に、グレンさえも来なくなって数日が経ったある夜のこと。グレン以外来るはずのない地下牢に現れたのは金髪の騎士――リックだった。
「ライルさん、ここから逃げてください」
「逃げてどうすると言うんだ……。どうせ追っ手からは逃れられない」
「追っ手は放たれません」
リックの言葉に私は目を見開いた。目の前にいるのは、ルイスと同い年の青年なのだろうか? そんな呆れた疑問が一瞬頭を過る。そのくらい、目の前にいるリックは普段と全く別人のように見えた。そんな私の無言をどう受け取ったのか、リックは言った。
「神殿と騎士団の人間、その大半に忘却水が使われました。今あなたを覚えているのは、外の人間と忘却水を使った人間、そしてオレだけです」
「なんだって……? まさか、ここ数日グレンが姿を見せなくなったのは……」
「そうです。数日前、慰労と称して神殿からの差し入れがあったんですが、どうもそれに混ぜられていたようで……」
「ちょっと待て、それならどうしてお前は平気なんだ?」
そう、食事は基本中の基本だ。目の前の若い友人も食べたはずだ。そんな私の疑問にリックは苦笑しながら言った。
「忘却水が使われるタイミングまでは知りませんでしたけど、使われることだけは知ってましたから」
「知っていたって、お前……。まさか神殿の上層部と……」
「それは違います。オレが平気なのは、体質的に効かないだけです。そして、オレの目的のためには、今から約一年後、あなたの手が必要になるかもしれないんです。だから、逃げて下さい。今を逃したらいつ殺されるかわかりません」
彼の言葉は確かにその通りだった。国における犯罪者の大半は基本的に、この地下牢ではなく、別の監獄へ収容される。この地下牢に入れられる罪人は、そういった場所に収容できない者だけ。よほどの機密を握った犯罪者が出ない限りは普段使われない。
そんな中、忘却水で大半の人間が忘れるということは、私がここで一人のたれ死んだとしても、リックと忘却水を使った人間以外それを知る術がない。――いなくなっても、誰も気付かない。
死そのものを覚悟していたとは言え、存在諸とも消そうとするかのようなそれにぞわりと肌があわ立つ。だが、それ以上に、私には気がかりなことがあった。
「一年後に一体何がある? お前は私に何を期待して逃がそうとしてるんだ?」
まるで未来を見てきたかのような言い方をするリックに、私が問いかければ、彼は言った。
「逃がすのは、オレだけの望みじゃなく、団長の願いでもあります。団長が今忘れてしまっていたとしても、それだけは伝えておきます。そして、オレが望むこと。それは……」
そこまで言ったあと、彼はやや躊躇うように視線を彷徨わせたあと、意を決した様子で言った。
「一年後の春、ヤヌス侯爵領のリユニオンに酷い嵐が来ます。その日、そこからほど近い崖に面した海に船を出してほしいんです」
「大時化で船なんか出すなんて狂気の沙汰だぞ。なんだってそんな……」
「月巫女さまとルイスのためです」
彼の口から出てきた理由、そして人物の名に驚き、目を見開く。そんな私に彼は、深く頭を下げていった。
「無茶なお願いだとわかってます。ただでさえ危険なことをお願いしていることも、あなたからすれば何のことかわからないのも……。運が良ければ、ただの杞憂で済むことかもしれない。でも、オレはあの二人の未来を守りたい。守るための可能性を信じたい、最大限の努力をしたい。だから、お願いします」
微かに身体を震わせ、頭を下げたまま微動だにしないリックと私の間に、沈黙が降りる。どこか遠くで水が滴る音を聞きながら、私は口を開いた。
「わかった」
「えっ!?」
私の返事は予想外だったんだろう、ガバッと顔を上げた彼の碧い瞳が丸く見開かれる。その姿は私がよく知ったリックだった。驚き言葉を失った友人に、私は言った。
「正直、何が何だか全くわからない。だが、お前は訳もなく無茶を言うタイプじゃない。そこまで必死になる理由も根拠も、何かあるんだろう? ならば聞こう。今の私があの二人にしてやれることがあるのなら、何だってしてやる」
そう返せば、リックはポカンとしたあと、泣きそうな顔で『ありがとうございます』と笑った。そうして、彼の手で地下牢の隠し通路から脱出した私は、彼から路銀や変装用の着替え、旅の荷物を受け取り、闇に紛れて十年ほど過ごした神殿から逃げたのだった。
神殿から逃げ、乗合馬車を乗り継いで数日掛けて辿り付いたのは、リックが言ったリユニオンだ。護衛騎士になる前、任務で海辺の街に行って以来になる潮の香りと、アンナとリオンを思い出させる海が目の前に広がっていた。
一年後の春の嵐の日に何があるのかはわからない。だが、それが娘のためになるというのなら、そして、それが傷付けてしまった年若い友のためになるのならば、何が何でも生き延びようと決意したのだった。
そして私は、後に知る。私がリユニオンに着いた頃、神殿ではグレンが新体制を打ち出し、ルイスとリックの二人を新たな護衛騎士に任命したこと。そして、私に関する忘却水により、共に過ごした記憶の一切を失ったリオンとルイスが、もう一度『初めまして』からやり直し始めたことを……。
***
これで私の話――リオンに纏わる始まりの話は終わりだ。
一年後の約束の日。大時化で一時的に洞窟へ船を寄せて避難していた中、私の目の前で海に落ちたルイスとの間にあったことについては、機会があればいずれまた。
他の過去話にもチラホラ顔を出しますが、ライルの本編前の話はこれで終わりです。
本編に繋がる話かつ、元々キャラ背景設定用に書いたものなので、容赦も遠慮もない上、後味がいいとは決して言えない重い話ですがお付き合いくださった方、ありがとうございました<(_ _*)>




