始まりの物語-4-
※ 本編全体のネタバレを含む、あるサブキャラ視点の過去話です。
(時間軸は本編前)
初めての顔合わせ以来、少しずつ時間を見ては、聖湖の畔でささやかなお茶会を開いた。最初こそ、ぎこちなかったものの、リックは元々の人懐こさから割とすぐにリオンと打ち解けた、のだが。その一方でルイスは、『そうですね』とか『ええ』しか言わないゼンマイ仕掛けの人形のようだった。おかげでリックやエマが話題を上手く繋がないと沈黙が降りることもしばしば。
だが何より難題だったのは、何故かリオンの関心はルイスに向いているようで、彼によく話かけたがったことだ。グレンとの親子漫才染みた会話や、リックとの掛け合いを気に入ったのか。それともみなが謙る中、最初の最初こそ地で接したルイスが物珍しかったのか。理由はわからないが、とにかくルイスに話しかけたがった。とはいえ、リオンはリオンで、無言でジッと見つめ、エマがその都度促してようやく口を開くのは相変わらずだったが。
感情を出すのが不器用なリオンと、人付き合いが苦手なルイス。不器用な者同士ということもあり、リックとエマ、そして私は度々途切れる会話に頭を悩ませることも決して少なくなかった。
そんな中、ルイスは私に返す調子で、うっかりそのままリオンに返すという失敗をした。さすがに罰でも下るかとヒヤヒヤしていたようだが、むしろそれをリオンが喜んだこともあり、グレン不在の際は砕けた口調で返すことも少しずつ増えていった。ただ、それは彼女を尊重してというよりも、そこまでしなくてもいい相手という認識によるもののようだったのが、気がかりだった。
しかし、それのおかげなのか。ルイスとの会話がそれなりに弾むようになった。そうして、その頃から少しずつ……本当に少しずつ、リオンは自分の感情を出せるようになっていったのだった。
***
そうして季節を二周したある日のこと。たまたま二人が長期遠征で数ヶ月ほど不在だったり、月巫女としての務めが増えたことによりリオンの自由な時間が減ったりで、お茶会そのものが半年ぶりになった。
そんな久しぶりのお茶会で、驚いたこと。それは、遠征先で一体何があったのか、ルイスが一回り成長して帰ってきたようで、リオンに対して敬語で普通に返事ができるようになっていたことだ。……まぁ、貼り付けた微笑み擬きはは、まだ本人自身が慣れないのか、どこか引き攣っていたが。
その変化は本来であれば、出会った当初からすべきことで、成長を喜ぶところだ。しかし、何故かリオンは眉を寄せてジッとルイスを見つめた。不満げな娘の態度に、ルイスはぎこちなく笑いかけながら問いかけた。
「巫女さま、畏れ多くも申し上げます。そのように見つめられても、私には巫女さまのお心内まではわかりかねますので、どうか言葉にしていただけないでしょうか?」
「それ、やめて」
「それ、とは……?」
「ルイスらしくないしゃべり方と顔」
エマも私もあえては言わなかったことを、リオンはズバッと言った。これにはルイスも予想外だったのか、目を見開いたあと、ハッとした様子で言った。
「私らしくない、と言いましても、本来はこうあるべきで……」
「私はいや」
「いやと申されましても……」
「いやなものはいや」
長くお茶会が開けないことに、たまに不満をもらす程度には感情豊かになりつつあるリオンだったが、ここまで人にはっきりとした形で不満をぶつけているところは初めて見た。そして、ぶつけられたルイスはといえば、やはりというか慣れないことを必死で取り繕っていたためか、徐々にだんまりを決め込み始める。これはあまり良くないように思ったが、リオンはそれで収まらなかった。
「今までどおり話して」
「……ですからそれは無理だと……」
「無理って誰が決めたの?」
「誰って、それは偉い方が……」
「私、王様と同じくらい偉いよ? その私が言ってるのに、どうしてダメなの?」
「それは……」
リオンの返しに、今度こそルイスが返す言葉を失う。そんな彼に、リオンは公務の最中に学び始めた交渉術を駆使して畳みかけ始めた。
「私が命令したらいいの?」
「そういう訳には……」
「じゃあ、どうしたらやめてくれるの?」
「だから! 無理だって何度も言ってるだろう!」
「ルイス!」
「あ……。申し訳ありません……」
思わず声を荒げたルイスに、リックが慌てて名を呼べば、まだ未熟な青年はハッとした様子で謝罪の言葉を紡ぎながら頭を深々と下げた。だが、リオンが何も言わないため、しばし間を置くと、窺い見るようにそっと彼女を見て目を見開いた。
「巫女、様……?」
「あ……ごめんなさい。やっといつものルイスに会えたと思ったら、嬉しくて……」
そう言ったリオンは、嬉しそうに微笑みながら、ポロリと零れ落ちた涙を拭った。傷つけたわけではないと察したのか、ルイスは僅かに安堵の息をもらした。エマから借りたハンカチを目元にあてる娘に、私は問いかけた。
「月巫女さまは、何故ルイスにだけ敬語ではない話し方を望まれるのですか?」
「……エマもライルもリックも、最初から敬語で。敬語じゃないの、ルイスだけだったから……」
「そ、それは……! オ……じゃなかった、私が未熟だっただけで……!」
「でも、私はそれがいいの」
未熟だった頃の……気を抜いて喋っていたときの方がいいと言われたルイスが、困惑したように私を見る。そして、同様にリオンも真剣な顔で私を見た。
方向性は真逆ながら、『助けてくれ』と言わんばかりの二人に、正直私自身も判断に迷う。
ルイスが言うことは、身分制度のあるこの国において重んじられるべきものであり、常識だ。それと同時に、リオンの言うように『身分が上だから』と言うならば、娘の言葉そのものを無下にし逆らうのも得策ではない。相手によっては、それを理由に罪を問うことも可能なのだから。
どちらの言葉も想いも、ある程度汲み取ることが可能なだけに難しい。そして、悩んだ末、私はルイスに言った。
「ルイス、ここでのみ月巫女さまの願いに付き合ってやってくれないか?」
「で、ですが……」
「頼む」
「ライルさん……」
頭を下げた私に、ルイスの当惑した声が降り注ぐ。そうして僅かに時が過ぎる中、リックが言った。
「ここだけならいいんじゃない? そう滅多に人来ないし、お前なら人が来たらすぐ気付けるでしょ?」
「だが……」
「それとも何。オレが騎士団のみんなに吹聴するとでも?」
「いや、そんなことは……」
「じゃあ、エマが?」
「私そんなことしません!」
さすがにリックの言葉には焦ったのか、それとも年が近いためか、エマもやや素が出ている。そんな彼女の言葉に、リックは言った。
「当然、言い出した月巫女さまも、ライルさんも吹聴するわけがないんだけど……。あと何が大丈夫ならお前はいいわけ?」
「それは……」
「初志貫徹はいいけど、そこまで頑なになる必要はないと思うよ。ネルソン隊長みたいなこと言う人たちじゃないんだから」
ルイスが突然敬語を使い出した理由はどうやら、ハージェス=ネルソン――熱血漢なところのある戦闘狂が原因だったらしい。恐らく、先輩風を吹かせてルイスに何か言ったのが、現実として何か起きたのだろう。納得しない限り、ルイスはそう簡単に考えを変えられる性分じゃない。
彼に考えを変えさせるだけの何か大きなことがあったはずだ。そう、例えば――。
「遠征で何かあったのか?」
「……いえ、大したことでは……」
「バカ、こんなときまで見栄張るのやめなよ」
言葉を濁すルイスの頭をはたいたあと、リックは続けて言った。
「遠征先で大雨に降られたことがあったんです。そのとき、増水した川を越える超えないで揉めてる商人の一団がいて、ルイスがそこに割って入ったんです」
「リック! それは巫女さまたちに聞かせるような話じゃな……」
「けど、ルイスの物言いに腹立てた彼らの半数は、ルイスの警告の半分も聞かずに先を進んで行ってしまって。その結果、先に進んだ全員が土砂崩れで犠牲になったんです。それをネルソン隊長に『敬語の一つも使えず、目上の者に対する礼儀が日頃からなってないからだ』と言われた結果が今のコレです」
本人の制止も聞かずにリックが事の次第を全て語り終えると、ルイスは悔しげに視線を逸らして言った。
「実際、私が人として未熟だったせいで起きたことです。団長にも『学べ、身に付けろ』と再三言われていたにも関わらず、それを怠った私の責任です」
「だから、目上の者には敬意を、と決めたのか。繰り返さないために」
「はい」
グレンに似たのか、はたまた巫女の血筋故かはわからないものの、歳こそ若いがルイスの直感や危機判断能力は時折私ですら舌を巻くことがある。ただ、如何せん。彼の言葉遣いや態度もそうだが、まだ十代後半の若者、という理由で聞き入れられない者が多いのも事実だった。
今回の商人たちも、恐らくは彼よりも遥かに年上の人間だったんだろう。彼の物言いに対し、年上が故の自尊心の高さから反発し、生意気な若造の戯れ言と判断を見誤った可能性は多いにある。私の副官を務めていたときですら、似たようなケースで同じ隊の仲間と衝突することは決して珍しくはなかったのだから。
誰かが上手く仲裁できれば丸く収まることもあるが、今回はそう行かなかったばかりか、死人まで出た。ならば、口は悪くとも根が真面目で、任務に対する責任感そのものは人一倍強い彼が自身を責めるのも無理はない。リックの態度を見るに、ルイスだけが責められる話ではないのだろうが、本人がそう思えないからこそ、この状況なんだろう。……少々極端が過ぎるようにも思うが。
リオンもだが、ルイスももう少し上手く肩の力を抜いて生きられれば良いのに、とそう思う。しかし、そう言って素直に聞く彼でもないから、私は狡い手段だとわかりながら言った。
「ルイス、それで月巫女さまは悲しんでおいでだが、それは構わないのか?」
「……それ、は……」
私の言葉に、ルイスは視線を彷徨わせる。そんな彼に声をかけたのは、彼がきつく握りしめた手にそっと手を重ねたリオンだった。
「私はルイスの話聞きたい。敬語じゃなくていい。ルイスのそのままの言葉で聞きたいの」
「巫女さま……」
リオンの言葉に、呆気に取られた様子でルイスは言葉を失う。ややあって顔を逸らして俯けば、微かに零れ落ちた滴と共に、彼は小さく頷き返したのだった。
そして、ルイスの調子も落ち着き、元に戻った……いや、元とは違い、相手のために腹を括って砕けた話し方を始めた頃、それは起きた。
「ルイスとリックは遠征で外を見たんだよね?」
「まぁ……。神殿内での任務以外は、基本的に全部外だし」
「外はどんなところだった?」
リオンの質問に、私とエマは思わず顔を見合わせた。だが、一騎士でしかないルイスたちは、本来リオンと接する機会がないため、聖典と呼ばれる戒律に関する書物を読んでいない。ただ漠然と『月巫女に話かけてはならない』と暗黙の了解があるだけだ。
そして、今彼女が問いかけたそれは、聖典により禁則事項とされている内容の一つに抵触する。唐突に直面した問題に対し、エマが口元を引き攣らせつつリオンに声をかける。
「み、巫女さま! お茶のおかわりはいかがですか?」
「さっきもらったから大丈夫」
「あ、そう、でしたね……。では、こちらのお菓子はいかがですか?」
「今は大丈夫。それで、どうだった?」
エマが何とか話題を逸らそうと試みていたが玉砕した上に、質問は再度年下の友人たちへ投げかけられた。ルイスもリックも、エマの様子を見て顔を見合わせたものの、判断がつかなかったのだろう。そのため、私に判断を仰ぐように見てきた彼らに、どう答えるべきか逡巡した。
存外、リオンは好奇心旺盛な性分だと発覚したのはここ最近だ。もしここで納得しないことで、神官長に聞きに行くなどの行動に移る可能性を考えると、多少危険ではあっても話をさせる方がいいのかもしれない。そう判断し、私は二人に話すように頷き返した。
そんなオレの判断に、二人は再度目を合わせて言った。
「外は……街があってここよりももっとたくさんの人がいる。小さい子供から大人まで」
「みんな幸せ?」
「……全員が幸せとは言えない。いつだって悪意を持った人間はいるから、その分不幸になる人はいる」
「バカ。なんでお前はそういう言い方するの」
ルイスの言い分にリックは脇腹を小突いて止めながら言った。
「えと、ルイスが言ったように悪い奴もいますけど、大半の人は優しいですし、喧嘩とかしてもそれでも幸せに過ごしてる人もたくさんいますよ」
「……少しは私のしてること、意味ある?」
「もちろんです」
彼の言葉にリオンはホッとした様子で微笑み、呆れ顔のリックと目を合わせたルイスはバツが悪そうに頭を掻いた。
「いつか、私も外を見ることできるかな?」
「え……?」
リオンがポツリと漏らした言葉には、リオン以外の全員が目を丸くした。感情が乏しいとは言え、物心ついたときから神殿内で生活してきて、外に関する情報を限りなく遮断されている彼女が外に行きたいと思っているとは思ってもみなかった。
唖然とする中、ルイスがおずおずといった様子で問いかける。
「巫女さまは、神殿の外に行きたいのか?」
「うん。私の本当のお父様とお母様のお墓参りしたいの」
「巫女さま……」
「でも今はダメだって神官長様に言われてるから、いつか行けたらいいなって」
そんな二人の会話、特にリオンの言葉に、私は思わず『私がお前の父なんだ』と言ってしまいたい衝動にかられた。だが、それをすれば、何故生きている私が死んだことになっているのか、リオンは神殿に対して不信感を持つだろう。そして、経緯はどうあれ、もしここから逃げたら恐らく私は殺され、リオンが今よりも不自由を強いられることになるのは目に見えていた。だから、喉元まで出かかったその言葉は寸でのところで飲み込んだ。
私の葛藤を余所に、哀しげな表情でルイスが言った。
「いつか行けたらいいな」
「うん」
ハラハラと驚きの連続だったその日のお茶会は、そうして終わりを告げた。
***
それからまた季節が四周し、リオンは十六歳になった。ルイスたちも任務で飛び回り、リオンはリオンで月巫女の公務に追われる中、極々たまにお茶会を開くなど、相も変わらぬ生活を送っていたある日のことだった。
「新しい聖典……?」
「はい。今朝神官長様から、よく読むようにと、渡されたんです」
そう言って、エマが差し出したのは一冊の古びた本。それは、護衛騎士を拝命した際に読んだ聖典と同じ装丁だ。
「エマはもう中身読み終わったのか?」
「……一応は……」
歯切れの悪いエマの様子が気がかりではあったものの、祈り場で務めを果たしている今くらいしか読む時間はないため、パラパラと他の聖典に比べて薄いそれの頁をめくった。途中までは元からあった誓約を細分化したものだったが、一つだけ見過ごせない一文が最後の最後に付け足されていた。
「二十歳となり成人を迎えたら、月巫女は月神の花嫁とする……?」
思わず口をついて出てしまったその言葉に、私は慌てて口元を押さえて周りを見たが、周囲にいる騎士には届いていなかったようでホッと胸をなで下ろした。だが、ずっと隣で窺い見ていたエマには届いていたようで……。
「月神の花嫁って、一生ここにいるってこと、ですよね……?」
「……そういうことになるな。実際、月神の花嫁として生涯神殿に務める巫女は少なからずいると聞いたことはある」
「月巫女さまの場合、外に出られる日は来るんでしょうか……?」
「……わからない。だが、月巫女として月神の花嫁になるのならば、出られない可能性の方が高いだろうな」
自分の口からこうも淡々とした言葉が出てくるとは思ってもみなかった。まさかここに来てさらに、娘を……月巫女を国の道具か何かのように扱うような慣習が出てくるとは思いもせず、頭がただただ真っ白になった。
エマは唇を噛みしめ、泣きそうな顔で私に問いかけた。
「ライル様、私は一体どうしたらいいんでしょうか……?」
「それは、わからない……。だが、エマに何かあったら月巫女さまはきっと悲しまれる。だから、君は下手なことはするな。自分の身を守ることを最優先にするんだ」
「ライル様は……?」
「私のことは気にしなくていい」
そう私は返したが、もしかしたら、彼女は私が何をしようとしているのか薄々気付いたのかもしれない。
「ライル様がいなくなってもきっと月巫女さまは悲しまれますから、ライル様も御身を大切になさってくださいね?」
そんな言葉を私に真剣な顔で投げかけてきたのだから……。
彼女に打ち明けたことはなかったが、もしかしたらどこかで気付かれるようなへまをしたのだろうか。
聞くに聞けないことを思う反面、このとき私はある決心を固めた。リオンが望むのならば、神殿の外へ連れて行こうと――。




