始まりの物語-3-
※ 本編全体のネタバレを含む、あるサブキャラ視点の過去話です。
(時間軸は本編前)
隊長となって二年が過ぎようという年の瀬のある日のこと。穏やかな冬晴れのその日、私はグレンに執務室へ呼ばれた。
「グレン、今日はどうしたんだ? ルイスならリック共々元気だが」
「それはよかった。最近、殊更によそよそしくなって困って……って、違うからな?」
「なんだ、いつもの親バカとは違うのか。ならどうした?」
そう問いかけると、グレンは両手を組んで慎重に口を開いた。
「月巫女さまの就寝中、刺客に襲われてアレクシスが怪我を負った」
「……リオンと彼の怪我の具合は?」
アレクシス=ノーランドは先輩騎士だが、神殿警備の際に遠目に見かけるだけで、個人的には全く知らない。だが、それでも娘を守ってくれている今の護衛騎士だ、心配にはなる。そんな私にグレンは、沈んだ面持ちで言った。
「月巫女様にお怪我はない。月巫女様が目を覚まされる前に賊も捕縛したから、襲われたことすら認識されていない。しかし、パチル様……いや、パチル殿の見立てでは、アイツはもう剣を振れないだろう、とのことだ」
「そうか……。それで、お前がここにいる現状、誰が護衛を?」
「神殿警備の担当がテオのところだったからな。一先ず臨時でテオに任せてきた」
グレンの判断を疑っているわけではないものの、この瞬間も誰かが傍にいることにホッと胸を撫で下ろす。ただ、そんな状況でわざわざ自分を呼び出すには、相応の理由があるのだろうと踏んで、話を戻した。
「それで、次は誰を据えるんだ? 剣の腕で選ぶならルイスか?」
「いや、アイツはまだ人としていろんな面で未熟過ぎる。一人で任務に当たらせるのは無理だ。私は……ライル、お前を推そうと思っている」
その言葉に私は息を飲んだ。期待しなかったわけじゃない。ただ、それが可能だと思えなかっただけだ。
「あちら側、特に副神官長が反対するんじゃないか?」
約十年前、リオンが月巫女であることを告げ、そして神殿に連れてきたアルバート=ロウ。恐らく彼がアンナを殺した犯人だ。
だが、あるのは状況証拠だけで決定的なものはない。
とはいえ、私が手出しできないように、彼も私に表立っての手出しができない。『リオン=フローレスは孤児だった』という、忌々しい文言が図らずも私の盾にもなったからだ。
月巫女の父親は死んでいる。そう言った手前、私に気付いても、彼は私をどうすることもできない。
彼はあくまでも神殿の人間で、私は騎士団の人間。管轄が違うため、何かしようにもよほどの理由でもない限りは越権行為になる。
だからこそ、表立っての排除は少なくとも、私が抵触行為をするか、騎士団長が変わらない限りは困難なはずだ。
ただし、護衛騎士の任命は別だ。なんせ対象は神殿で一番権力のある月巫女。月巫女を守るのに適さないと反対することは、ただ難癖つければいいのだから、容易いだろう。
そう思ったのだが、グレンは違ったらしい。
「任務は忠実にこなしているし、騎士団内での評判もいい。何より成人している騎士の中では、あの騎士団長候補だったテオと同格の腕だ。そんな騎士を護衛騎士につけない理由を探す方がよっぽど難しいだろう?」
「しかし、私に関しては時々変な噂も流れてるだろう? あれを槍玉にあげられたら難しいんじゃないか?」
「なーに心配するな。敢えて放ってはおいたが、お前に関する下手な醜聞全て根も葉もないデタラメだと証明も可能だ。それを盾にしたところで、あんなものは武器にもならない。むしろ、下手をすれば信用が地に落ちるのは向こうだ」
ニヤリと笑いながらグレンは軽い口調で言う。彼は思いつきで言っているようで、その実、なかなか計算高いところがある。最年少で騎士団長に抜擢されたのも、そこによるところが大きいのだろう。腹黒いというか、テオもといローレンス隊長の言葉を借りるなら腹黒狸か。とにかく敵に回したくないタイプだ。
神殿に忍び込んでこの男に見つかったとき、あれ以上騒ぎ立てるバカな真似をしなくてよかったと、心の底から本気で思う。
「常々思うが、敵に回したら厄介そうだよな、グレンは」
「褒め言葉として受け取っておこう。で、もちろん引き受けてくれるんだろう?」
「当たり前だ。何のためにあの日、お前の提案を受け入れたと思ってるんだ」
そんな私の返事にグレンは満足げに、しかしどこか哀しげに笑った。
その数日後、私は隊長をダニエル=ハワードに引き継ぎ、晴れてリオンの護衛騎士として任命された。
そして、リオンと再会したオレは、その段になってようやく、親友が哀しげだった意味を理解した。
「月巫女様、本日より貴女の護衛騎士としてお世話になります、ライル=フローレスと申します」
「……」
「……月巫女様」
「はい」
黒髪の幼い侍女兼巫女に促されて、ようやく返事が返って来る。それに対し、騎士の礼を取りながら言った。
「よろしくお願いいたします」
「……」
「……月巫女様」
「はい」
遠くからではなく、約十年ぶりに間近に見た娘は、まるで陶器でできた人形のようで、私は年甲斐もなく涙が出そうになった。喜びからではなく、後悔と怒りと悲しみで、だ。
僅かに微笑みらしいものは浮かべているものの、娘より少し年上の侍女――カラーナ伯爵家の令嬢でエマというらしい――が促さなければ反応を示さない。私がいない間、娘に何があったのか。どうして私は、もっと早くあの木の牢から出て助けに来ようとしなかったのかと悔やんだ。
護衛の合間、エマと話す機会があり、彼女がリオンの侍女となってからの約二年弱の間について聞いた。
彼女の話からわかったこと。それは、当初彼女の言葉にすら何も反応もせず、笑みすらも浮かべなかったのだと言うこと。そして、あることをきっかけに判明したのは、リオンが感情の出し方はおろか、人との接し方を知らないということだった。
人と会ったときに何をするといいのか、モノをもらったときにどう言えばいいのか。そういった一切のことがわからない、もしくは辿り着くまでに恐ろしく時間がかかる状態だったのだとか。二年弱の時間をかけてようやく、リオンに僅かばかりの笑顔の仮面を被せて誤魔化すまでに至ったのだという。
正直に言おう。そんなエマの話に私は絶句した。彼女は公爵の依頼でリオンの侍女兼話し相手兼先生として神殿に入ったらしい。そのことに対し、いい年した大人が揃いも揃って、もうすぐ十二になる子供に何を押しつけているのかと、そう思わざるを得なかった。
グレンは知っていて私に話さなかった。いや、話せなかったんだろう。私がこの状況を知ったら、暴挙に出かねないとも知っていたからこそ。そして、それは決して的外れの予測ではなく、事実だからこそずっと伏せていたんだろう。
いい年した大人が不甲斐ない。公爵も、グレンも、そして誰より何より、私自身が不甲斐なくて泣きそうだった。
私はグレンの協力がなければ、恐らくとうに死んでいただろう。侯爵家の跡取りという立ち位置のグレンですら、どうにもできない娘の現状を、娘を縛るこの国と神殿の仕組みを、どうしたら平民上がりの私に壊せるというのか。このときほど、権力というものを何一つ持たない自分の無力感に押しつぶされそうになったことはない。
そんな私の心中を知らずに、エマは歳に似合わない大人びた表情で、考え込みながら言った。
「もう少し日頃から人と話をする機会があれば違うかとは思うんですが……。同年代の巫女は私だけですし、みんな月巫女様の不興を買わないようにって近付こうとしないんですよね……」
「……神職者じゃないとダメだろうか?」
「え? いえ、そんなことは……。アレクシス様には断られてしまいましたが、できたらライル様にもお願いしたいくらいです」
「それはもちろん。あと、同年代……というには少し歳は離れているんだが、異性でも構わなければ心当たりが二人ほどいる。どうだろう?」
「その方々が良ければ是非!」
期待に満ちたエマの顔を見て、私は少しでもリオンが普通の女の子のように過ごせるよう頑張ろうと改めて思った。
そうして、グレンとも相談をしているうちに新年が明け、リオンは十歳の祝いを迎えた。誕生日には、月巫女就任の儀を行うのだそうだ。それに伴い、それまで安穏と過ごしていた娘は、少しずつ月巫女としての役割を学ぶべく、練習と称し祈り場に立つようになった。
感情の篭もらない、歌詞も音階も全て覚えきれてはいないらしい祈りの詩。それにどれだけ力があるのか私にはわからない。だが、それが始まって以来、神官や巫女たちがリオンを畏怖するような目で見るようになったのは、悪い意味で確かな変化だった。
そんな中、長閑な春の陽が降り注ぎ、桜の花びらが舞う聖湖の畔で、小さなお茶会が開かれた。そこにはグレンに連れられてやってきたルイスとリックの姿もあった。
二人を見た瞬間、エマが『あ』と目を丸くし、微かに戸惑いを見せる。だが、それでも侍女としての振るまいがすでに板についているのか、すぐにいつもどおりリオンの傍に控えた。
一方、年若い友人二人は、リオンと私の姿を見た瞬間、ピシッと音が聞こえてきそうなほど見事に固まった。リオンほどではないが、表情の乏しいルイスが目を見開いて固まるのはなかなか見られる光景ではない。そんな二人の背中をポンと叩いたのはグレンだ。それにハッとした様子で見上げた二人に、彼は言った。
「彼女たちがお前たちの特別任務の『笑顔にしてほしいご令嬢方』だ。頼んだぞ」
「とうさん、あんた、謀ったな? こんなの聞いてない」
「嘘は言ってないぞ。公爵令嬢と伯爵令嬢だ」
ニヤニヤと嬉しげにしまりなく笑う彼の顔を見て、思わず口走った呼び名に気づいたらしい。ルイスはハッとしたあと、誤魔化すように声を荒げて言った。
「その前にもっと大事な情報あるだろ!?」
「ルイス、漫才やってる場合じゃないから」
「漫才なんてしてない!」
訂正。グレンとリックの努力によるところなのか、多感な時期だからなのか。半年ほど会わないうちに、ルイスはそれなりに感情豊かになっていた。そんな友人の変化を微笑ましく思いながら眺めていると、ルイスはバツの悪そうな顔で目を逸らした。が、あいにく彼が逸らした先にいたのはリオンで、彼は再び体を強張らせて固まった。
無言で見つめ合ったまま固まった二人の様子に、どうしたものかと考えたが、思いもよらないことが起きた。
「……まんざいって何?」
「え……?」
エマに促されないとなかなか話をしないリオンが、自ら喋ったのだ。私とエマ、グレンはリオンの変化に、騎士二人は思いもよらない問いかけに、全員目を丸くして声を上げてしまったほどの衝撃だった。
確かに神官や巫女はもちろん、娘の視界に入る騎士たちはまずこんな軽口を叩き合う姿など見せない。漫才という単語というよりも、見たことのないそれに、見慣れないからこそ興味を持った、ということなんだろうか。
そんな中、さすがというか、最初に我を取り戻して口を開いたのは、誰よりもリオンと長く接してきたエマだった。
「月巫女様。恐れながら申し上げます。漫才というのは、複数の人間で会話をし、それで人を笑わせることを指します」
「さっきのがそれ……?」
「違う!」
思わず強い口調で反論したルイスは、ハッとした様子で口元を手で塞いだ。が、一拍置くと、深呼吸をして言った。
「失礼しました。先ほどのはただの上司と部下の会話だ……です。なので、気にしないでください」
「……とうさんって……」
「…………聞き間違いかと……」
……ルイスよ。いくらうっかり出てしまった呼び方を誤魔化すにしても、それはさすがに無理があると思うぞ。
そう思ったのは何も私だけじゃなかったようで、私の内心を代弁するように、呆れ顔でリックが言った。
「ルイス、それ無理ありすぎ」
「巫女様。左の彼がボケというもので、右の彼がツッコミという役割のようです」
「それも違いますからっ!」
私と知り合った頃には反目することの方が多かったルイスとリック。そんな彼らが、口を揃えてエマの言葉にツッコミ――もとい反応しているのを見ると、随分といいコンビになったものだなと、少々感慨に耽ってしまった。きっと、二人の隊長になったダニエルが上手いことやってくれているのだろう。しかし、いつまでも傍観者を決め込む訳にもいかず、私は咳払いをして言った。
「月巫女様、紹介が遅れましたが、彼らは護衛騎士になるまでの間、私と同じ隊に所属していた騎士です。左の騎士がルイス=クリフェード、右の騎士がリック=ディオスです」
「ルイスと、リック……」
名前を呼ばれた二人が、思わずと言った様子で背筋を伸ばす。そんな中、エマがそっとリオンに耳打ちした。
「月巫女様、ご挨拶を」
「リオン=レスターシャと申します。以後お見知りおきくださいますよう」
「こ、こちらこそ……」
優雅に礼をするリオンに、若い友人二人は戸惑った様子でどうにかこうにか返す。よろしくの言葉が出てこないのは、本来言葉を交わせる相手ではないから、無難なところで切った、といったところか。そんな二人の様子に苦笑していると、グレンはリオンに向かって言った。
「月巫女様。たまにですが、この二人もあなたの話相手になりますので、よかったらよろしくお願いいたします」
「話、相手……」
「エマ嬢と同じようなものと思っていただけたら」
「エマと同じ……」
グレンの言葉にエマを見たあと、緊張で固まっているルイスとリックを見つめると、リオンは微かに口角をあげて微笑んだ。そんなリオンの微笑みに、ルイスとリックは目を瞬かせ、通訳のエマに視線を投げた。二人の視線にエマもまた微かに困惑した様子でリオンを見ると、取り繕った笑みを浮かべていった。
「よろしく、ということかと……」
「わかりにく……いって! 何するんだ!?」
頭を押さえ、睨みながら問いかけたルイスに対し、拳骨を振り下ろしたグレンは、ルイスの肩を組んで、私たちに背を向けると、リオンたちには聞こえない程度まで声を殺して言った。
「反抗期と思って大目に見ていたが、お前もいい加減、目上の人への接し方を学べ。騎士団の人間が世界の全てじゃないんだ。そもそも、粗相のないようにとは最初に通達しただろ」
グレンの言葉に対し、ルイスはチラリと娘を見た後、小声で言った。
「だったら、最初からオレじゃない別のヤツにやらせればいいだろ。そもそも偉いって言ったって、オレより年下じゃないか」
「今回の任務の条件に合う年齢の人間はお前たちだけだ。騎士団における基本任務の最少実行人数は?」
「……二人」
「そうだ。該当者が他にいない時点でお前に拒否権はない。それと、身分は年齢の問題じゃない。それはお前だってよく知ってるだろう?」
間を置くと、ルイスは苦々しげな顔を浮かべつつ、グレンの言葉に頷いた。それで一段落つくかと息をつこうとしたが、隣で親子の様子を見ていたリックがポツリと呟いた。
「ルイスが素直とか、明日槍でも降るんじゃない?」
「うるさい」
「いったぁ!」
まるでグレンからもらった拳骨を見舞うかのように、ルイスがリックの頭に拳骨を落とす。それに対し、リックは目尻をつりあげて言った。
「お前、団長に言い返せないからって、オレに八つ当たりしないでよ!」
「ふん」
「二人とも頼むから、時と場所を考えてくれ」
感情が豊かになった分、ルイスとリックの関係はだいぶ近くもなったらしい。だが、未だにしょうもない喧嘩をしている様子を見ると、これでは先が思いやられるな、なんて思った。
そんな中、微かな笑い声が聞こえて、何を考えるでもなくエマを振り返った。だが、彼女は彼女で驚いたように別の方向を向いていて、その視線を追えば、口元を隠しつつ楽しげに笑う娘の姿があり、私は驚きを隠せなかった。
普段、ほとんど感情を露わにしない娘が、初対面の人間相手に微笑んだことだけでも珍しいことだ。声をあげて笑うなど、エマと私の前を除いたらもはや皆無だった。それが出会ってさほど経ってない二人に向けられている。
その笑い声に気付いた二人は、顔を見合わせると気まずそうに、互いに視線を明後日の方向へと向けた。だがそのとき、私は直感的に思った。この出会いはきっとリオンのためになるものだと……。




