始まりの物語-2-
※ 本編全体のネタバレを含む、あるサブキャラ視点の過去話です。
(時間軸は本編前)
騎士団長を名乗る男に案内されたのは、シンプルながら重厚感のある部屋。途中で何人か騎士とすれ違ったものの、彼が自身の客人だと言って人払いを命じると、奇異の目で見られはしても、大した詮索をされることもなく、部屋へとたどり着いた。その頃には、彼が本物の騎士団長であることを、私は確信せざるを得なかった。
自身のボロボロの衣服などを考えると、勧められた革張りのソファーに座るのは躊躇われる。だが、彼はそんな私に構わず半ば強引に腰かけさせ、何やら作業を始めた。
得体の知れない人間に背を向け、鼻歌交じりにお湯を沸かし始める彼に、私は呆れ混じりに言った。
「騎士団長と聞くともっと年嵩行ってるものだと思っていたが、案外若いんだな」
「確かに先代はそんな感じの方でしたから、そう思われるのも無理はないです」
そう言って頬を掻いた彼は、道中で見せていた総指揮者としての顔ではなく、素のように見えた。お湯を沸かす横で、何かをゴリゴリと音を立てて挽く。何をしているのかわからず、じっと見つめれば、その視線を肌で感じたのか、彼は振り返ることなく言った。
「ああ。最近、ノトスから伝わった珈琲というものがありまして。なかなか気持ちを落ち着けるのに有用なようなので、それを飲みながら話をする方がよいかなと思ったのです」
「こーひー……?」
得体の知れない名前のものに対し、何か盛るつもりなんじゃないかと思う反面、医者としての知識欲がそそられる。そうして、彼の作業を見ているうちに、こーひーというものができあがり、私にも一つ差し出された。
見た目は泥水のような色だ。だが、芳ばしい香りは、嗅ぐとどこか落ち着くのも確かだった。
「人によっては、甘みを加えると飲みやすくなるようですので、飲みにくくければ、こちらをお使いください」
そう言って彼は小壺を差しだしながら、コップを傾ける。上手そうに飲む彼の姿に好奇心はそそられるが、彼を信用できると判断できたわけじゃない。そんな私の内心を見抜いたのか、彼はコップを置くと姿勢を正して言った。
「今からお話するのは、月巫女様が神殿に入られてからこれまでの五年間にあった、私が知る限りの話です」
「五年……。そうか、そんなに経っていたのか……」
「それは一体どういう……?」
「妻が殺され、娘を連れ去られてから、ずっと村の連中に牢へ閉じ込められて、月日を数えていなかったんだ」
その言葉に、騎士団長は唖然とした様子で目を見開いたが、先を促せばハッとした様子で話し出した。
彼の話をまとめるとこうだ。
五年前、先見の巫女のお告げどおりの娘を、ある高位の神官が連れて帰ったらしい。その際『両親は他界し、生まれ故郷の教会で保護されていた孤児』と伝えられたという。そして、私達の名前は上層部の一握り以外誰も知らないのだとか。そして、孤児だという話を聞いたレスターシャ公爵が養父に名乗りを上げ、長い議論の末、つい先日、リオンは正式にレスターシャ公爵家の娘として迎え入れられたらしい。
黙って聞いていたが、腸は煮えくり返りそうだった。正直、目の前の男の顔面を殴ってしまいたかった。
そんな衝動を、なけなしの理性を総動員して抑えながら私は言った。
「あなた方は人の娘を連れ去ったばかりではなく、政争にまで利用するつもりなのか?」
自分でも思った以上に低くて冷たい声が出る。
「お怒りはご尤もです。報告を鵜呑みにしていたこと深くお詫びいたします」
「そう思うなら娘を、そして妻を私に返してくれ!」
「それは……申し訳ありません。奥方様はもちろん、そして貴方の娘も、貴方にお返しすることはできません」
カッとなって怒鳴った私に対し、悲痛な面持ちで騎士団長は深々と頭を下げた。だが、それで納得できるはずもなかった。当たり前だ。
「何故だ。何故、実の父親の私が娘を連れて帰れないんだ!?」
「レスターシャ公爵家の娘として、月巫女として、民にお披露目をしたのが今日の昼のことです」
「それが何だと言うんだ!」
感情のままテーブルを叩く。しかし、それに怯むこともなく、彼は静かに言った。
「国の希望として称えられた彼女を、民から今取り上げようものなら、彼らはあなた方親子を血眼になって探すでしょう。その先どうなるか、貴方はすでにご存じのはずです」
彼の言葉に、変わってしまった村の者達の姿と、アンナの最期の姿が脳裏を過る。自然と拳を握った私に対し、彼はさらに続けた。
「村単位の話では済まないでしょう。今度こそ貴方も死ぬかもしれない。そうしたら、月巫女様が孤児という話が真実になってしまいます」
「隠蔽している神殿の人間に言われてもな……」
「だが、私にも、そして貴方にも、彼女の実の親であることも、神殿が無理矢理連れ去ったことを証明する術がないのも事実です」
「……だから私にはただ泣いて、娘を諦めろとでも?」
「いえ」
私の皮肉に、彼は首を横に振ると、真顔で続けた。
「騎士団に入りませんか?」
「は? 何をバカなことを……」
心の底からそう思って出た言葉だったが、生憎相手にとってはそうじゃなかったらしい。真顔を崩すことなく、彼は私を真っ直ぐ見据えて言った。
「いえ、本気です。月巫女としてお披露目をした、それは他国にも瞬く間に伝わるでしょう。そうすれば、何れは彼女を亡き者にしようと刺客を送り込んでくる国もあるはずです」
「それと私が騎士団に入るのがどう関係あるんだ」
「彼女には、彼女を守る専属の護衛騎士となる者が必要です」
その一言に、それまで沸き立っていたものがすっと冷める。そんな私に彼は言った。
「すぐにとは行きません。ですが、騎士となり、護衛騎士となるだけの実力を示していただければ、彼女の傍にあなたを置くことはできます」
「はっ、何ともそちらには都合のいい話だな」
「……恥ずかしい話ですが、今の私には、貴方の望みを聞き入れ、あなた方親子を守り抜くだけの力も実績もありません。現時点ではこれが精一杯なのです」
そう言って目を伏せた彼は、顔を上げると苦笑しながら言った。
「それに、私にも一人息子が居まして……。想像することしかできませんが、お気持ちは多少わかるつもりです」
そこで笑みを消した深紅の瞳が、私を真っ直ぐ見つめる。
「私としては貴方に安全な場所で生きていてほしい。だが貴方はきっとそうはなさらないでしょう?」
「当然だ」
「だからこその提案です。私の部下ならば、私もある程度は貴方の力になれます」
迷いのない言葉に、久々に触れた人の優しさに、枯れ果てたと思っていた涙が溢れそうになる。それを堪え、私は問いかけた。
「何故そこまで……」
「月巫女様に息子と同じ思いはさせたくない。そう思ったんです。例え、事実を告げられないとしても」
「息子と同じ思い……?」
その言葉に、彼は一度目を閉じたあと憂いを帯びた目で言った。
「息子の実の両親は、野盗から息子を守るために庇って死んだそうです。六歳になったばかりの息子の目の前で」
彼の言葉に思わず息がつまった。
「私が息子と再会したときは、ショックのあまり心を閉ざし、ただひたすら自分を責め続けていました。そして、何度も夢に見ては、自身を苛むように熱をだした。それを見るに見かねた私の判断で忘却水を使い、これまで私の息子として育ててきました」
「そう、なのか……」
「それが正しかったのか、私にはわかりません。だが、私にもわかることはあります。もしも貴方が月巫女様を守ろうとして、彼女の目の前で死ぬことがあったら、悲しみのあまりご自分を強く責めかねないと。だから私は、貴方に月巫女様のこともご自身のことも守りきって頂きたいのです」
「……随分と無茶を言うんだな……」
真っ直ぐ向けられた目に偽りがあるようには思えず、ただただ本心で言っているようだった。そんな彼に苦笑しながら返せば、彼は微かに眉を寄せて言った。
「大真面目な話です。無茶でも何でも、それが為せるだけの技量を身につけていただけないのなら、私は貴方に協力できません」
「……わかった。神殿の神官たちは信用できないが、貴方なら信用できそうだ」
「では……!」
パッと顔を明るくする彼を前に、冷め切ってしまったこーひーをぐいっと飲み込む。独特の苦みが口の中に広がるが、決して嫌いなものではない。
父親と名乗れないのは辛い。だがそれでも、どんな形であれリオンの傍に居られるのならば、アンナの願いを叶えられるのならば。辛さも毒さえも全て、飲み込んでみせようと心に決める。
「その話受けさせていただこう」
こうして私は騎士団長――グレンの提案にのり、騎士団に入団する運びとなったのだった。
***
中途入団という形で騎士団に入った私は、春先に入団した者達と同じ騎士見習いとして、騎士団での生活を始めた。そこには、私を騎士団に引き入れたグレンの息子もいた。
彼の息子は感情に乏しいのが難点で、ことある毎に周囲と衝突し、それが裏目に出て集団での実技試験でなかなか騎士に上がることができずにいた。座学は多少の得手不得手こそあれど問題はあまりなく、個人の技量だけで言えばトップクラスだというにも関わらず、だ。
そんな彼のことは、グレンから聞いた話もあり、とても他人事とは思えなかった。
聞けば、彼の両親はその婚姻こそ周囲になかなか認められなかったそうだが、それぞれはとても心穏やかで優秀な人間だったらしい。父親は元騎士……それも隊長補佐を務めるほどの実力者で、辺境伯としても腕は確かな人物。そして、母親もまた力のある巫女だったそうだ。
そんな彼らをただの野盗が奇襲程度で殺せるとは到底思えない、というのがグレンの考えだ。しかし、唯一の証人がその記憶を失っている上、主犯の手がかりらしいものはなく、捕まえようがないらしい。
そしてその証人の彼は、どうやってか、自身の本当の名を知ったらしい。そこに加えて反抗期なのか、ヤヌスの名を伏せ、グレンとは他人同然で過ごしているのだという。それもあって、グレンはなかなか彼に声をかけにくいのだとかで、気に掛けてやってほしいとも言われていた。
同期の中では、というか、騎士団としても稀な十歳で入団した二人が、ちょうど自主練をしているところに出くわし、私は声をかけた。あえてグレンの息子ではなく、もう一人の金髪の少年に。
「君がルイスかな?」
「オレはリック=ディオスだよ。ルイスはそっちの無愛想な方」
返ってきた答えに、ほんの僅かばかり面食らう。入団してから二人の様子は窺っていたものの、いつも笑顔を絶やさない彼がやや雑とも思える態度で返すとは思わなかった。というか、二人の関係性を知るために敢えて彼――リックに声をかけたのだが、だいぶ難ありの予感がした。
今知ったという体で、グレンの息子――ルイスを振り返るも、彼はもはや私に興味関心すらない様子で、思わず苦笑いを浮かべそうになる。
「そうか、君が……。君のことは父親から話は聞いている」
そう言えば、驚いた様子で少年が振り返る。次いで浮かんだのは、敵対心……いや、この場合は得体の知れない人間に対する警戒心と言った方がいいんだろう。それを隠すことなく向けてくる彼のその姿は、どこか痛々しく思えた。
そんな中、何やらあれよあれよと、二人の少年が言い争いになっていた。そんな中、ルイスの放った『誰も頼んでない』という言葉に対し、リックは今にも泣きそうに顔を歪めて叫んだ。
「オレだって好きでやってるわけじゃない!」
「あ、リック!」
私が止める間もなく、リックは訓練場を出てすぐの森へと駆けて行く。何が起きたのかよくわからないまま、ルイスを振り返れば、それまで人を寄せ付けない雰囲気を晒していた彼が、明らかに動揺して立ち竦んでいた。瞳を揺らしながら、リックが消えていった先を見つける彼に、私は言った。
「言い過ぎたと思うなら、行って謝って来い」
私の言葉に、ルイスはハッとした様子で視線をそらして言った。
「なんでオレが、そんなこと……」
「言い過ぎたと思ったんだろう? 違うか?」
そんな私の言葉に、彼はバツが悪そうに唇を噛みしめる。恐らく今まではここまでの衝突をして来なかったんだろう。ただ、現状を見る限り、リックがずっとそれを笑顔の下に押し殺していただけで、いつ何がきっかけで起きてもおかしくなかった。それがたまたま私をきっかけにこうなってしまったんだろう。
ならば、大人として彼に伝えられることは伝えなければと思い、しゃがみ込んだ。俯くばかりで動かない彼と目線を合わせ、私は静かに言った。
「悪いと思ったのなら、言ってこい。誰かがいるのは当たり前じゃない。伝えられるうちに、伝えてこい」
「余計なお世話だ!」
カッとなった様子でルイスもまた駆け出す。それを追おうと一瞬思ったものの、その方向はリックが消えていった森の方で、私は思わず小さく息をついた。
「素直なんだか、素直じゃないんだか……」
仲直りできるのか否かは二人次第だが、大人の出る幕ではないなと思いつつ、二人の帰りを待とうと訓練場の入り口に座った。雨も降り出し、なかなか帰って来なかったのにはだいぶ肝が冷えたものの、無事帰ってきた二人はいつも通りに見えた。
ただその日を境に、ルイスは多少周囲への態度を軟化させ、リックもまた多少怒ったりなんだりという笑顔以外の側面も見せるようになった。それは、年齢に合わない雰囲気を醸し出していた二人が、ようやく見せた子供らしさのように思え、こっそり私はホッとした。それはどうやら周りの見習い騎士たち――特に歳がそれなりにいっているヤツも同じだったらしい。
その様子にまだどうとでもなる気がした私は、それ以降二人に積極的に関わるようになった。座学を一緒に受け、剣の訓練も共にした。リックから一本取れるようになるまではそうかからなかったものの、ルイスに至ってはそうも行かず、彼の剣の才能には本当に舌を巻いた。
そんな彼からリックと私は剣のコツを、そして彼には私たちから人付き合いについて少しずつ教えていった。
それから私は一年後に、まだまだ年端のいかない少年達は二年後に、無事騎士となった。
彼らが騎士となる頃には、一年の間に積み重ねてきた任務の実績もあり、私は自分の所属する隊の副官をしていた。その半年後、隊長が王宮の近衛騎士に抜擢されたことにより、繰り上がりで私が隊長に、そしてルイスがその技量を評価され私の副官に据えられた。
そうして、月日は緩やかに流れ、二年の歳月が過ぎていったのだった。




