始まりの物語-1-
※ 本編全体のネタバレを含む、あるサブキャラ視点の過去話です。
(時間軸は本編前)
残酷描写入りますので、苦手な方はご注意ください。
雨の多い時期にしては珍しく、雲一つなく晴れ渡り、満月がいつもより大きく綺麗に輝く夜。娘が生まれた。
体の弱いアンナが、無事に子供を産めるかどうかは、私の見立てでもリェスの医者の見立てでも五分五分だった。
だからこそ、最愛の彼女が床に伏せ気味になったとは言え、母子共に生きていてくれたことを月神さまに感謝した。娘がなかなか泣かず、気が気でなかったが、小さいながらも産声をあげてくれてどれだけホッとしたことかわからない。
産血に塗れた娘が小さな両手でしっかり握り締めた、青い石と金でできた飾りのようなものが何なのか、気にならなかったと言えば嘘になる。だが、通常よりも長引いたお産に耐えて、どうにか生まれてきてくれたことが何よりも嬉しかった。
体を冷さないよう最低限の処置を施し、おくるみに包んだ娘を妻の腕に抱かせる。疲労の色は濃いが、生まれてきた娘に対し愛おしげに頬を寄せ、彼女は微笑んだ。
そんな彼女の肩をそっと抱き寄せ、はやる気持ちを隠さずに私は聞いた。
「アンナ、この子の名前は何にしようか?」
彼女はポカンとしたあと、『しょうがない人ね』と言わんばかりにくすっと笑った。
「実はもう考えてあるんです。男の子ならリック、女の子ならリオンって」
「そうだったのか……。じゃあ、この子の名前はリオンだな。リオン=フローレスか……。私の好きな響きだ」
「そうでしょうとも。私が身籠もってから、時間をかけて考えた名前ですもの」
私の言葉に、アンナは青い髪を微かに揺らしながら鈴の音を奏でるように笑った。柔らかく細められた空色の穏やかな目、それがほんの二月……。たった二月で絶望に叩き落とされることになるとは、このときの私達は想像だにしなかった。
***
「今、何と……?」
言われた内容にあまりにも信じられず、何とも間抜けな返答をしてしまう。そんな私に、相手はため息交じりに言った。
「ですから、リオン=フローレスは月神の寵愛を受けているとの神託がありましたので、こちらで御身を預からせて頂きたいと申しました」
「生まれてまだ一月の赤ん坊ですよ!?」
「赤子だからこそ、です。月巫女を穢れに触れさせる訳には参りませんので」
「私の娘は月巫女ではない、リオンだ!」
自分の娘をまるで何かの道具のように話すのは灰色の瞳の神官だ。どうにも反りの合わない相手に腹が立ち、思わず立ち上がれば、彼はこれ見よがしにため息をついて言った。
「この国を盤石なものにするには月巫女の祈りが必要なのです。それが何故わからないのですか?」
「そんなものなくても、神殿で毎日祈りを捧げているではないですか! 神託もどこまで信憑性があるか……」
「先見の巫女が視たものだと言っても、ですか?」
その言葉にギクリと体が強張る。
この国の守護神である月神の寵愛を受けた娘は、祈りの力に長けた月巫女と呼ばれる。そして、月神の対として祀られている太陽神の寵愛を受けた娘は、未来を見通す力に長けており、その能力故に先見の巫女と呼ばれる。それはこの国に住む者なら子供ですら知っていることだ。
「先見のが見たのは、リオン=フローレスという名前。そして、海のような青い髪に、瑠璃のような青い目の女子だということです」
その特徴は名前の他も全て一致するものだ。目の前の神官にはまだ引き合わせてすらいないと言うのに、ピタリと一致する特徴に背筋にひやりとしたものが伝う。
「仮にそうだとしても、私達の娘です。できれば娘自身に選ばせたい。せめて十歳の祝いが済むまで、待っていただくわけには参りませんか?」
「……そういう訳にはいかないと申し上げているつもりなのですが、埒があきませんね。今日のところは一度出直しましょう。ですが、よくお考えくださいますよう、お願いします」
そう言って彼は去って行った。だが、彼は決して、考える猶予を私達に与えたわけではなかった。それを知ったのは数日後のことだった。
「なぁ、ライル。お前のとこに生まれたリオン、月巫女なんだって?」
「……カーティス、どこでそんなことを……」
「リオンが月巫女になったら国が豊かになるって神官様が言ってたんだ。なぁ、お前達夫婦には悪いとは思うけど、子供ならまた作ればいいだろ? だから、リオンを……」
「お前にそんなこと言われる筋合いはない!」
友好関係を築いてきた友人とはその日を境にギクシャクし、それはまるで甘い毒のようにゆっくりと村全体に広がっていった。
神官が来てから一月が経つ頃には、家に石が投げ込まれることも日常茶飯事になっていた。外に出れば白い目で見られ、場合によっては物すら売って貰えないことがあるほどに事態は悪化していく一方だった。
神官は毎日のようにやってきて、時に苦言を、時には甘言を囁いて帰っていく。それでも、私もアンナも、一人娘を簡単に手放そうとは思えなかった。
そんなある日のこと。仕方なしに自ら漁に出て食料を調達して戻ると、普段なら炊事の湯気が立っているはずの我が家がシンと静まり返っていた。いつもなら聞こえるはずのアンナの歌声も、リオンの笑い声は愚か、泣き声さえも聞こえない。
嫌な予感を覚え、知らず知らずのうち足早になる。海風に混じった錆びた鉄の匂いに、医者の本分で思わず足を止め出所を探す。その出所はあろうことか、玄関が開いたままの我が家から。その事実に、血の気が引く。
手の中から魚の入った籠が滑り落ちるが、そんなのはどうでもよかった。ただただ、アンナとリオンの声が聞きたかった。それだけでよかった。私が望んだのはそれだけだった。
しかし、駆け込んだ私の目の前に広がったのは無残な光景だった。
「アンナ、しっかりしろ、アンナ!」
ぐったりした様子で倒れ伏した妻を抱きかかえれば、ふっと彼女の目が薄ら開く。
「ライ、ル……。リオンを……」
「アンナ!」
いつになく弱々しい声音の原因は、切り裂かれた脇腹だ。そこから溢れたものがじわりじわりと、床を赤く染めていく。
最期の声を聞けたのは奇跡だったんだろう。私にリオンのことを頼むと、まるでそのためだけに耐えていたかのように、アンナは静かに息絶えた。
誰だ。あの神官か。村の人間か。
私たちの生活を滅茶苦茶にしてでも、自分たちの幸せがそんなに大事か。
自分たちが幸せなら、私たち家族は犠牲になっても構わないというのか。
そんな怒りに突き動かされるまま、リオンを探す。しかし、家の中にはまるで赤子などいなかったかのように、揺り籠などの育児道具を含め娘の姿はない。
連れ去られたのだと理解し、頭に血が昇る。そのまま、娘を取り返しに行かねばと家を飛び出した。だが、そこには私達に石を投げつけてきていた村の人間が……正確には男達が顔を揃えて待ち構えていた。
「ライル、みんなのために耐えてくれ」
「……そのために、私と死んだアンナ、そしていなくなったリオンには犠牲になれと言うのか」
「それがこの国のためなんだ、わかってくれ」
そんな言葉の後、私は頭を後ろから殴られ昏倒し、気付いたときには村はずれの木の牢の中だった。見張りはおらず、日に二度、代わる代わる村の人間が食事を運んでくる他は何もない場所だった。
最初こそ、そこから抜け出そうと体当たりをした。村の同胞をなじりもした。だが、何をしようが彼らはしつこく私を追い立て、その度に牢へと戻し、鍵も強固なものへと変えられていった。それから何日、何ヶ月経ったのか、数えることすらやめ、村の同胞や神を呪い、日々を過ごしていたときのことだった。
今日もまた私に食事を持ってきたのは、元友人だった男だ。食事に一切手をつけなくなった私に、彼は言った。
「なぁ、ライル、オレたちを憎んでいてもいい。それでもせめて、食事は食べてくれないか? お前が飢え死にしてしまう」
「アンナを見殺しにしておいて今さら何を」
白々しい言葉に吐き気がする。嘲笑う私に彼は訴えかけるように言った。
「アンナを殺したのはオレたちじゃない。オレたちが気付いたときにはもう!」
「だが、助けようともしなかったんだろ。重傷で倒れていたアンナも、連れ去られたリオンも」
「それは……」
言い淀む元友人に、私は苛立ちを隠さずに言った。
「もう私のことは放っておいてくれ。お前達の顔を見るくらいなら、飢え死にした方がマシだ」
「ライル……。すまない。本当にすまなかった」
「謝るくらいなら、アンナとリオンを私の前に連れてきてくれ。今すぐに」
叶うはずもない要求に、友人だった男はすごすごと肩を落として村へと帰っていった。
その夜は酷い嵐になった。牢の中は水浸し、屋根からも水が滴り落ちてくる始末だったが、そんなことはどうでもよかった。鳴り響く雷に、私を殺してくれと、ただただそれだけを願っていた。
そして、ふと空を見上げたときだった。閃光と共に轟音が鳴り響いたのは……。
目を開ければ、木でできた牢は焼けただれ、焦げた臭いが辺りに漂う。そして、そんな中だと言うのに、奇跡的に私は無傷だった。死にたいと願ったのに、何故殺してくれないのかと月神を恨みそうになったが、雨が上がり、雲の切れ目から見えた月とアンナの髪と同じ深い青を見た瞬間、彼女の最期の言葉がよぎる。
――リオンをお願いね。
「そうだ、リオンを探さないと……」
ただそれだけの思いが、私の体を突き動かした。
雨水をすすり、野草と木の実で命を繋ぎながら聖都へと辿り着いた。その最奥、敷地内が木々で覆われて見えない白亜の壁の向こう。そこが恐らくリオンがいるであろう、神殿だった。
神殿の敷地に入るのは比較的容易だった。夜間、巡回の騎士が居ぬ間に、木伝いに壁を越えればそこはすでに神殿の敷地内だ。どんなに広大でも、晴れた満月の夜空の中では嫌でも目立つ石造りの建物へ私は真っ直ぐ向かって行った。しかし、あと少しで神殿の扉に触れるといったところで、背筋がぞくりと粟立つ。
「止まれ」
低い声と共に、背中には鋭い何かがぴたりと当てられているのを感じた。そして、その声の主は続けて問いかけた。
「ここで何をしている」
「……娘を探しに」
「娘?」
「リオン=フローレスという名の娘だ」
その名に、背後にいる声の主が息を呑む気配がした。
「まさか、月巫女様の……」
「やはりここにいるんだな?」
「両手を頭の後ろで組んで、こちらへ振り返ってくれ」
言葉に従い、両手を挙げれば、背中に当てられていたものがなくなる。そして、言われたとおり振り返れば、目の前にいたのは軍服を纏った黒い短髪の騎士。年の頃合いは私と同じくらいか。右手にある長剣を下ろした彼は、深紅の瞳を真っ直ぐ私に向けて言った。
「目の色は同じ、か……。念のため名前を聞かせてもらいたい」
「ライル=フローレスだ」
「やはりそうか……」
そう呟くと、黒髪の騎士は難しい顔で剣を鞘に納めて言った。
「話をするのにここは不向きです。場所を変えさせていただきたい」
「話など必要ない。私はリオンを迎えに来ただけだ。娘を連れて帰る」
「それは不可能です」
「不可能でも私はやる。そのためにここまで来たんだ」
しばし睨み合うように互いを見つめていたが、その沈黙を破ったのは、小さく息をついた騎士の方だった。
「彼女は現在、公爵家の娘です。彼女を連れ去ると言うなら、神殿も王宮も敵に回すことになります。無論、私もです」
「公爵家の娘、だと……? どういうことだ!?」
「お静かに。他の者に今見つかったら、私は貴方を牢へ入れざるを得なくなります。ですから、黙って私についてきていただけませんか?」
彼の手で口を塞がれ、睨むしかなかった私だったが、こちらを案じるように、どこか願うように向けられた深紅の視線に、気付けば静かに頷いていた。そんな私にホッとした様子で息をつくと、塞いでいた手を外して彼は言った。
「ありがとうございます」
「自分のためであって、名前も知らないあなたを信用した訳じゃない」
そう言えば、今になって気付いたのか、彼は目を瞬かせる。そして、苦笑いを浮かべると胸に手を当て、お辞儀をしながら言った。
「失礼いたしました。私の名はグレン=ヤヌス。騎士団長を務めている者です」
彼の名乗りに、今度はこちらが驚きで固まる番だった。まさか、神殿に忍び込もうとして見つかった相手が、国を守護する騎士団のトップに立つ人間などと誰が思おう。
そんな焦りなどで冷や汗を流す私に対し、彼はにこやかに『こちらへ』と優雅な動きで案内を始めた。
これが、後に私の親友となるグレン=ヤヌス……ヤヌス侯爵家の跡取りでもある騎士団長との出会いだった。
5話構成の話になります。




