もう一つのバレンタイン
※ この話の時間軸は、本編の41話-42話の間の期間、
かつ『数日後のバレンタイン』の少し前にあった、サブキャラたちのお話です。
「ねぇ、エマはバレンタイン、どうするの?」
きっかけはリオンのそんな一言だった。
思わぬところから飛んできた、思いがけない質問に、たぶん今の私は相当間抜けな顔をしてると思う。そのくらい、それは本当に不意打ちだった。
「リオン、バレンタインなんてどこで聞いたの?」
「巫女たちが話してるのを聞いて、リックに教わったの」
私は敢えて伏せていたのに、まさか今更、巫女たちの噂話で露呈するなんて……。
私も色々忘れて話しちゃった迂闊さがあるから、人のことはとやかく言えないけれど。暗黙の了解はどうしたのかと、ちょっと頭を抱えたくなる。
まぁ、今ではリオンも事情をある程度把握してるからこそ、リック様に聞いたのだろうけど。ただ、詳細がリック様からって辺りにちょっと不安を覚えなくもない。
ルイス様以外に実害あるようなことは吹き込まないはず、とは思う。でも、言葉を返せば、ルイス様だけ被害を被りそうなことに関してだけは、茶目っ気もとい悪戯心を見せることが多いから、変なことを教え込んでないといいのだけど……。
「それで、どうするの? 団長さんに食べさせてあげるの?」
「食べさせてあげるというか、例年どおりならお茶ついでにお出しして終わりかしらね」
「……食べさせてあげないの?」
「よほどじゃない限りは難しいわね」
私の返事に、『そっか』と目に見えてしょんぼりとしたリオンに、私は苦笑で返す他ない。きっとリオンは、私を参考にしたかったんだと思う。だけど、生憎、私は想いすら伝えてもいないし、伝える勇気まで持ててない。多少のアドバイスはできても、それ以外は私の方が誰かに相談したいくらいだ。
ただ、その前に一つ彼女の言動で気になることがあった。
「というか、食べさせてあげるってどういうこと?」
「え? だってそういう日なんだよね?」
至極当然といった様子で返ってきた言葉に、思わず口元が引き攣りかけた。
リック様ってば、一体何て言ってリオンに説明したのかしら。好きな人にお菓子を食べさせる日、とでも言ったのなら、この反応も頷けるけど。医務室で安静にしてた頃も、食事介助をしてもらうことすらルイス様は照れてたって話だから、大方その辺が関係してそうよね。
そんなことを考えつつ、正しいバレンタインについて説明しようとして、はたと止まった。
バレンタインは本来、好きな人にお菓子を渡して想いを伝える日だ。直接食べさせてあげるとなると、それなりに親しい相手でもない限りは難しい。ルイス様に至っては、リオンのすら断ろうとしたくらいだから、私だって恐らく例外じゃないと思う。
だけど、食べさせてあげるではなくて、渡す日となれば話は変わる。相手は朴念仁なルイス様だし。そもそもバレンタインの行事自体特別視せずに、誰かに渡されたら素で受け取りそうな予感がするのよね。
リック様がそこまで深く考えたのかはともかくとして。今言ったら、バレンタインに強行しそうな気がして、思わず開いた口を閉じる。
そんな私の様子に気付いたのか、リオンは不思議そうに首を傾げた。一応、釘を刺して置いた方が良いのかもしれない。
「リオン、念のため言っておくけれど。バレンタインにルイス様のとこに行くのはなしよ?」
「うっ……」
ギクッとした様子でリオンの肩が跳ねる。この様子だと、こっそり行く気満々だったらしい。思わずため息が零れる。
「バレンタインがそういう日だっていうのは、それこそみんな把握してることよ。誰かに見られて、神官長さま方の耳に入ったら、謹慎中なことも合わせて、本当にろくなことにならないわよ?」
「わ、わかってるよ~……」
そう言ったものの、彼女は目に見えてしょんぼりと落ち込んだ。その落ち込みようはまるで、お祝い事が一転、お葬式になってしまったかのようだった。そんな彼女の様子に、少し迷ったものの、私は妥協案を出すことにした。
「謹慎があけてからなら、私も手伝うわ」
「ホント!?」
いっそ現金なくらい、リオンの青い瞳が元気を取り戻す。こういうところはまだまだ子供っぽいなと思うものの、それもリオンの良いところだと思う。……なんて、ホッと笑っていた私は、彼女の性格を考慮に入れるのをすっかり失念していた。
「それなら私、エマみたいにお菓子を手作りしてみたい!」
「……え」
返ってきた言葉に、思わず固まる。
月巫女が自らお菓子作り。
神官長さまが聞いたら、卒倒するか、卒倒しなくても即反対されそうな予感しかしない。
でも、気持ちが理解できるだけに無下にもできなかった。
だって、初めて好きになった人と両想いになれて、初めて迎えるバレンタイン。できる限りのことをしたいと、リオンの立場だったら、きっと私もそう思うだろうから。
だから、彼女にとって初めてとなるお菓子作りも、どうにか神官長さまを納得させる理由を考えつつ、了承したのだった。
***
その後、リオンの授業に必要な資料と一緒に、お菓子の本を借りて図書館を出たときだ。山積みになった本でうまく前が見えないまま歩いていたら、唐突に腕が軽くなると同時に視界が拓ける。
それ自体にはもう驚かない。何だかんだで、私と面識のある騎士さまたちは、だいたい無言でそれをするからだ。
ただ、今回そこにいた騎士は、今は会いたいようで会いたくない人だった。
「全く、あなたは相変わらずですね」
「グ……騎士団長さま」
思わず名前を呼びそうになったけれど、一応公の場だから慌てて呼び直す。それにちょっとだけ、グレン様の目が悲しげに細められた気がした。けど、それはほんの一瞬だったから、私の見間違いかもしれない。
だって、最初に私の呼び方を畏まった呼び方にしたのは彼の方だし。それに合わせて私が役職名で呼ぶようになって何年にもなるのに、気にする訳がない。
そんなことを考えていたら、彼は私から奪った――もとい、私の代わりに持った本を、軽く持ち上げながら言った。
「これはお部屋に運べば良いですか?」
「あ、はい。……って、お待ちください! さすがに騎士団長さまに荷運びをさせるようなことはっ……!」
「どうぞお気になさらず。元々、あなたに用があったので」
「私に、ですか?」
そう問いかけても、彼はにっこり微笑むばかりで、本題に触れようとしない。どうやら、ここでお話をするわけにはいかない類いのものらしい。そう理解した私は、彼の好意を大人しく受け入れる他なかった。
いつもなら、こんな風に前触れなく会えたら嬉しくなるのだけど。時期が時期なせいか、ちょっとだけ複雑な心境になりつつ、彼の少し斜め後ろを歩いて、共に部屋へと向かったのだった。
部屋につくと、彼は私の机にまっすぐ向かう。何度も訪れているから、勝手知ったる何とやらだ。……まぁ、今日みたいなこともあるから、片付けは小まめにしてないと目も当てられない。
それはさておき、本を運んでくれた彼に礼を言って、私は手早くお茶の支度を始める。わざわざ部屋まで来ての話だから、たぶんそう短くはないのだと思う。
「グレン様、紅茶とハーブティー、どちらがよいですか?」
「ではハーブティーで」
紅茶ではないところから察するに、どうも少しお疲れらしい。ソファーに腰かけた彼をちらりと見れば、目の下にうっすら隈ができているし、少し眉間の皺も深い気がした。
それを見て私はローゼルとオレンジピールの瓶に手を伸ばしたのだった。
蒸らし終わるまで少し時間がかかるから、お茶菓子と共にそれを持って、テーブルへと運べば、彼は静かに口を開いた。
「エマ嬢。身辺にお変わりはないですか?」
「ええ、特にこれと言っては何も……」
「そうですか」
ホッと息をつくグレン様とは対照的に、私の胸に不安が宿る。
「ここ最近、同じ事をよく聞かれますけど、何かあるんですか?」
「いえ」
そう言ってグレン様が浮かべるのは、いつもと変わらない笑み。これがルイス様やリック様が相手なら、多少態度に出るからわかりやすいのに、彼はそれを本当に出さない。
出さないから、行動が始まった時期を照らし合わせを試みる。でも、正直、先見の力を打ち明けたことくらいしか思い付かなかった。
もしかして、打ち明けたことで、私が思ってる以上に心労をかけてしまってるのではないかと思い至る。そんなことを思いつつ、赤く色付いたハーブティーをカップに注いで、ハチミツと共に彼へ差し出した。
飲んで少し落ち着いたところで切り出してみようと、カップを傾ける彼を見守る。一口飲んだ彼は、小さくホッと息をついて言った。
「珈琲もいいですが、エマ嬢の淹れるお茶は落ち着きますね」
それがあまりにも柔らかい微笑みで、思わず心臓が跳ねる。それと同時に、聞こうと思ったそれは意識の遙か彼方へ飛んでいってしまい、私が思い出したのは彼を見送った後のことだった。
それから、何だかんだで夜になり、寝支度を整えた私は、図書館で借りてきた本をベッドで開く。それはレシピが書いてある本ではなく、『プレゼントに纏わる話』という、ものすごーく今の私にぴったりそうな本。
だけど、その本の出だしを読んですぐ、私は唸ることになった。
「うう……。なんで私、最初のバレンタインにクッキーなんて……」
飛び込んできたのは、クッキーには友達でいようという意味がある、という言葉だ。
いや、クッキーを渡した理由ならちゃんと覚えてる。初めて出会ったときに、グレン様が美味しいと言って食べてくれたからだ。
最初は親切な騎士団長さまとしか思っていなかったし。その頃は、まだ恋心だって持ってなかったと思う。何より、贈り物に意味があるなんて今の今まで知らなかったし、単純に得意なお菓子だから、喜ぶ顔が見たかっただけだった、はずだ。
まぁ、もしも彼が意味を知っていたとしても、それでがっかりしたりしたとも思えないし。ましてや本命用のものを渡したら、そっちの方が困らせたかもしれない。
そう思い直すと共に、出会ってからこれまで渡してきたものを思い返してみた。クッキー、カヌレ、パウンドケーキ、キャラメル、ドーナツ、ティラミス、ガトーショコラ。そして、去年がブランデーケーキだ。
そして、読み進めていくうちに、私はまたも凹んだ。
「思いっきり、本命向けの渡してたことあるじゃない、私のバカ!」
それもティラミスの諸説とか読んだら、なかなか際どそうな意味まであった。……まぁ、何をどうするのかとかは全く知らないのだけど。
「でも、これだけ渡していても、何も変わった様子がないってことは、脈ない……のよね、やっぱり」
私の両親の方が遥かに近い年齢差だし。親子ほどに離れた小娘を一人の女として見ている感じは、残念ながら今までなかった。親子揃って、筋金入りの鈍感なのかしら、なんて、ちょっぴり失礼なことを思わなくもない。
そうでもしないと、困らせずに済んでよかったと思えばいいのか、相手にされてなさそうな現実に凹めばいいのか、わからないのだもの。
「もしも義理じゃないと言ったら、グレン様は受け取ってくれるのかしら……?」
何気なく天井を見上げた私の口から、無意識に洩れたそれは、期待と言うよりも不安。義理だからこそ受け取ってくれているだけで、本命だと言ったら受け取ってくれないんじゃないか、なんて。
自信をなくしかけたところで、頭を振って後ろ向きな気持ちを振り払い、今日の彼を思い浮かべる。
「そういえば、随分とお疲れのようだったけれど、ちゃんと休んでるのかしら……」
普段からお茶も楽しんではくれていたけれど、話をしている最中の彼の目は、どこか疲労の色が滲んでいた。神官長さまと何かあった後でも、少なくても私の前で疲れを見せることなんてなかっただけに、それがすごく気にかかった。
全く意識してもらえてなくても、グレン様のために何かできたらいいのに。
そう思って、読書のお供に入れたハーブティーを飲んだときだった。
「あ、そうだ、これなら……」
降りてきたアイディアに、両手を打つ。一つ問題があると言えばあるけれど。
「意識されてないのなら、別に問題はないわよね」
自分の言葉に感じた胸の痛みに目を瞑り、私はレシピ本を手に取ったのだった。
***
そして、何気なくお茶の約束を取り付けたバレンタインデー。彼は約束どおり、私の部屋を訪ねてくれたものの、手ぶらではなかった。
手にしている贈り物は私に対するものではなく、彼に贈られたであろう包み。それも取っ手のついた紙袋二つがいっぱいになるほどの数だ。
「相変わらずというか、例年すごい数ですね」
「義理だと思いますがね」
その言葉にチラリと包みの山を見て思う。
確かに義理も混ざってはいるのだろうけど、この人は本当に気付いてないのかしら。どう見ても本命っぽいラッピングだったり、高価そうなものが混ざっているのに。
相手の大半が巫女だから、気付かないフリをしているのか。それとも単純にルイス様並みに超が付くほど鈍感なのか。グレン様とはそこそこ長い付き合いになるけど、正直、未だにその辺はつかみ所がなくて判断に困る。
まぁ、考えてもわからないものはわからないし、他の人の想いがこもったそれらを見ていても、ヤキモチを妬くだけだから、今に集中する。そして、昨日の夜、お役目のあとに作ったお菓子をハーブティーと共にお出しした。それを見た彼の緋色の瞳が微かに見開かれる。
「マドレーヌ、ですか?」
「はい。無地のははちみつとレモンでさっぱり目に、もう一つはドライフルーツをお酒につけ込んでみました」
いつもなら甘い物にするのだけど、いくら甘い物がお好きでも、グレン様がもらう量はそこそこある。それに気付いて以来、バレンタインのお菓子はあまり甘くないもので、珈琲やお茶によく合うものを選ぶようにしていた。今回はお疲れのようだったから、疲労回復、或いは食べて少しでも気が休まればと思って、この組み合わせになった。
味は問題ないはずだけれど、彼の一口目はいつだって緊張する。固唾を呑んで見守っていると、グレン様は飲み込み、満足げに笑って言った。
「これは酸味があって、いくらでも食べられそうですね」
その言葉に、これなら箸休めになりそうだと、ホッと胸を撫で下ろす。あまり量は勧められないないし、彼も食べられないのだろう。同じものが入った包みを横に、温め直したばかりのそれを、彼はいつもより時間をかけて、のんびりと召し上がられた。
そうして、綺麗に平らげた彼は、置き時計を見て一瞬固まったあと、苦笑いを浮かべて言った。
「思っていたよりも長居してしまったようで申し訳ない」
「あ、いえ。まだ月巫女様の夕餉まで時間はありますので大丈夫です」
「それならばよかった」
そう言ったあと、『アイツは怒ってそうだな』とポツリと溢した言葉に首を傾げれば、何でもないと返される。何か予定でもあったのかしらと思うものの、その割に急ぐほどでもない様子に、私の疑問が晴れることはなかった。
そうして、彼が暇を告げ、戻ろうとしたとき、私は用意していたもう一つの包みを彼に差し出した。
「グレン様。もしよかったら、これどうぞ」
赤いリボンを結んだ小花柄の薄い箱に、彼が一瞬たじろいだ気がした。けれど、それはほんの僅かで、私の差し出したものを手に取って、興味津々といった様子で彼は問いかけた。
「こちらは?」
「カモミールを使って作った飴です。最近お疲れのご様子だったので、ゆったりしたいときや、口寂しいときにでも召し上がってください」
マドレーヌもキャンディも、本命用と言われるお菓子。だけど、今回はそこに私の好きは、敢えて詰め込まなかった。
気付いてほしくないわけじゃない。本音を言えば、むしろ気付いてほしいし、意識してほしい。
だけど、疲れていても気遣ってくれるような人に、さらに負担をかけたくはなかった。何より、詰め込んだところでたぶん届かないから。届かないのなら、意味なんて関係なく、せめて彼のためになるものを渡したかった。
そんな私の気持ちに気付いているのか、いないのか。手にした箱をしばし見つめたあと、グレン様はそっと微笑んだ。暖かくて、ホッとする包み込むような、私の大好きな笑顔を浮かべて。
私のしたことは、ただの自己満足でしかないのかもしれないけど。それで少しでも彼が安らげる時間を得られるのなら、彼が笑ってくれるのなら、私はそれだけで十分だった。
以下蛇足です。
女性から男性へのプレゼントとして、ティラミスにある意味としては『私を元気づけて』というものがあるそうですが。ある国では、強壮剤のデザートとして夜遊び前に振る舞うものだったのだとか(ネット情報です)
エマが読んだ本に載っていたのはそういった類いのお話です。
ちなみに、彼女が送ったもので本命チョコとして捉えられやすい意味を持つお菓子は、ティラミス、ドーナツ(諸説あり)、キャラメル、そして今回のマドレーヌとキャンディでした。




