赤い糸と運命の人
※ この話の時間軸は、本編の12話-13話の間の期間に相当します。
触り程度ですが、17話までのネタバレも多少含んでおります。
本編とは異なり、一人称にてお送りいたします。
前半は主人公、後半は準主人公となっておりますので、ご留意ください。
私がそれを知ったのは、リックを共犯に巻き込んだその日の湯浴みのときだった。
「赤い糸……?」
湯浴みをする私の傍に控える彼女――エマが、たった今教えてくれた単語を繰り返す。そんな私にエマは得意げな顔で言った。
「そう。どうしてそう言われるようになったのかはわからないんだけど、昔から言われてるの。運命の殿方の小指と自分の小指は、見えない赤い糸で繋がってるんだって」
その言葉に思わず両手を見つめる。お湯にふやけた両手の小指には、赤いものなんて何も見えない。
「好きな人が運命の相手で、生まれたときから赤い糸で結ばれてたらって考えたら、ロマンチックだと思わない?」
「そう、だね」
うん。好きな人が運命の人だったら、それはとても素敵なことだと思う。思うけれど。
「リオン?」
「……私にもあるのかな、赤い糸」
そんな私の言葉に、エマが息を呑んだ気配がした。だけど、一度もたげた考えを、どうしても拭うことができなかった。
「だって私、神殿の外にも出られないし、知ってる男の人なんて神官長さま方を除いたら、ルイスとリック、団長さんくらいしか知らないんだよ?」
「リオンは、ルイス様と繋がってたらいいなって思わないの?」
「……よく、わからない」
運命の相手がルイスだったら、そうしたらこの想いはエマの言う恋だと断言できるのかもしれない。だけど……。
「私、ルイスに感じるこれが恋なのか、まだ確信できないの」
「リオン……」
エマが言いたいことはわかる。だって、最初にこの気持ちが恋なんじゃないかって言ったのはエマだもん。私の知らないことを知ってるエマからすれば、きっと恋と断言できるものなんだと思う。だけど、説明された今もまだよくわからないのが正直な気持ちだった。
「たまたま護衛騎士になった人が、私のほしいものをくれた。そのおかげで今が楽しいし、すごく感謝もしてる。してるけど、それはエマやリックも同じなのに、ルイスだけ特別っておかしいじゃない。不公平だよ」
そう。彼だけがしてくれてるわけじゃないのに、彼だけ特別扱いはそもそも巫女としての精神に反する。神殿ではみんな平等だもん。……みんな外に行けるのに、私は出してもらえない不平等はあるけど、月巫女だからと言われてしまえばどうしようもない。そんな不平等を、私の大切な人たちに向けたくなかった。
だけど、そんな私にエマは言った。
「不公平だと思うくらい他の人への好きと違うなら、それが答えなんじゃないかしら」
「え……?」
思わず顔を上げて、琥珀のようなその目をマジマジと見れば、エマは真剣な表情で私に問いかけた。
「リオンは、ルイス様がリオン以外の女性と仲良くしてたらどう思う?」
「どうも何も、ルイスが他の女の人と仲良くしてるところなんて、エマ以外に見たことないよ」
「なら、私と仲良くしてることはどう思うの?」
「それは……。別に、どうとも……」
嘘だ。二人が仲悪いよりはいいけど、嫌だ。でも、嫌だと思う理由は、ずっと一緒だったエマを取られるように思うからなのか、ルイスがエマに恋してるかもしれないからなのかの判別がつかない。だって、どっちも私にとって大切な人だから。モヤッとする方がおかしい。
そんな私の顔を覗き込んで、エマは呆れた様子で息をついて言った。
「全然どうでもいいって顔してないじゃない」
「あうっ」
「リオンはちょっと難しく考え過ぎちゃってるのかもしれないわね」
指で弾かれた額を押さえつつ、抗議の意味を込めて睨めば、エマは苦笑して言った。
「今リオンが想像した私の立ち位置に、そうね……。ルイス様の年齢に近い人で言えば、ミリー辺りかしら。彼女がいるところを想像してみたら?」
言われるがまま、思い浮かべた構図にミリーを当てはめる。ハニーブロンドの柔らかい髪を揺らしながら微笑む彼女の隣で、ルイスが軽口を叩いて笑う。その瞬間、自分でも驚くくらい嫌な気持ちが広がった。
「私はリオンのずっと傍にいたから、無意識に感情を排除しようとしたんだろうけど、それ以外の人だったら素直に出てくるでしょう?」
「……こんな気持ちヤダ」
ルイスは意地悪だけど優しい。何だかんだで、私の願いを叶えてくれる人。もしかしたら、外に出たい私の願いも、彼なら叶えてくれるのかもしれない。だけど、私ですら知りたくなかったこんな気持ちを知ったら、どう思うんだろう。今までと同じように接してくれるのかな。
知られるのが怖い。だけど知って欲しい。
どこにも行かないでほしい。傍にいてほしい。
ほんの些細なことで溢れた感情が止まらない。彼は私の護衛騎士ではあっても、所有物じゃないのに。
俯いた私の顔が水面に映る。酷すぎる顔をしている自分が嫌になる。この湯が、私の嫌な感情も何もかも洗い流してくれたらいいのに。
そんなことを思っていたら、エマの手が私の頬に触れた。
「だから、願うんだと思うわ。好きな人と自分の小指が、赤い糸で結ばれていますようにって」
そう言った彼女は笑顔だけど、どこか少し苦しそう。彼女には私と違って明確に好きと言える人がいる。だからこそ、なのかもしれない。
「赤い糸で結ばれてたら、こんな気持ちなくなる?」
私の問いかけに、エマは『うーん』と唸って難しい顔で言った。
「なくなるかは微妙なところね。仮に結ばれていると確認ができたとしても、彼がずっと女性と話をしないなんてことはあり得ないし。そんなところを見たら妬くと思うもの」
「妬く……?」
「さっき、リオンがイヤだって言った気持ちの正体。嫉妬、とも言うわね」
赤い糸があってもなくても、この嫉妬と言うらしい感情はなくならないと聞いて、気持ちが沈む。
「こんな気持ちを持ち続けなきゃいけないなら、恋なんてしたくない」
「……まぁ、したくないと思ってしなくて済むなら、ホント苦労しないんだけどね」
そう言ってエマが、私の頭を撫でる。その感触は嫌いじゃないし、好きな方だ。だけど、無意識にもっと大きな手のそれと比べている私がいた。
「今、ルイス様の手だったらいいのになって思ったでしょ」
「えっ!? そんなこと思ってないよっ! そ、その……ルイスの手はもっとゴツゴツしてたなって……」
そんな私の言い訳染みた言葉に、エマは柔らかく笑って言った。
「そういう風に、無意識に浸食してくるものなのよ、恋って。私たち自身が望んでも、望まなくても」
もしかしたら、エマも私と同じように思ったことがあるのかもしれない。
「エマは辛くないの?」
「そりゃ、辛いときもあるわよ。なんでもっと年の近い人じゃなかったんだろうって、何度も思ったわ」
少し大袈裟に肩を竦めて見せた彼女は『だけどね』と、先の言葉と違って穏やかな口調で言った。
「辛いばかりじゃなくて、相手のことを考えたらドキドキして、暖かい気持ちになるの。笑顔が見られたら嬉しいし、少しすれ違って言葉を交わせるだけでも嬉しくなるのよ。こんなに単純だったんだなって呆れちゃうくらい」
胸に両手を当てて、エマは続けて言った。
「私はそんな恋する気持ち、嫌いじゃないわ」
そう言って笑ったエマは、本当にすごく綺麗で、何だかちょっと知らない人に見えた。それと同時に、彼女みたいに思えたらいいなって思った。
「私もエマみたいに思えるようになる、かなぁ?」
「なるわよ、きっと。そのために私がいるんだから、任せなさい」
少し遠いと感じたけど、やっぱりエマはエマだ。いつもどおりの彼女にちょっとホッとした。そして、もう一度だけ、自分の手を見つめる。
「もし私にも赤い糸があるなら、私のはルイスに繋がってたらいいな」
ポツリとこぼれ落ちた本音に、私自身も少し驚いた。だけど言葉にしてしまえば、それは疑いようもないほどに私の本心だった。
もう言われなくても、何となくわかる。きっと私が否定しても、これは恋というものでたぶん間違いなくて、どうしようもないんだって。
だって、さっきエマが言ったのと同じで、ルイスのことを考えるだけでドキドキしてる。今日見かけた姿を思い出しただけでも口が緩む。
こんなにも彼は、私の中にもう居座ってて、そのこと自体はむしろ心地がいいくらいなのだから……。
そんな私に、エマは『そうね』と言って、もう一度頭を撫でたのだった。
***
その話題が出たのは、リックが護衛の日のこと。オレが休暇の最中、ハリー――護衛騎士になる前に同じ隊の後輩だった男が隊長を務めるオルコット隊に混ざり、日頃できない模擬訓練をしていたときだった。何やら一人の騎士に対し、数人の騎士がよってたかって追い打ちをかけていて、何事かと思い声をかけたのがきっかけだった。
「クリフェード隊長、止めないでください。これはオレたちの愛の鞭なんです!」
「あい……は?」
返ってきた返事に思わず素で返事をすれば、別の騎士が言った。
「コイツ、街で人気の女の子を密かに彼女にしてやがったんです……!」
「……はぁ。で?」
勢いに飲まれ気味になりながら返せば、三人の騎士が代わる代わる言った。
「恋人ですよ、恋人! それも滅茶苦茶美人の!」
「人気のレストランのボンキュッボンな看板娘ですよ!」
「オレたちだって頑張って声かけたのに、こいつときたら抜け駆けしたんですよ!」
「……つまり?」
なんとなく続く言葉に予想がついて、頬が引き攣る。だが、そんなオレに気付く様子もなく、そいつらは真顔で言い切った。
「羨まし過ぎるじゃないですか!」
と。外れていてほしかった理由に、思わず額を押さえる。追い回されていた騎士はと言えば、いつの間にやらオレの背後に回っている。立ち回りが上手いと言えば上手いんだが、騎士の姿勢としてはどうなのかとため息が洩れる。
「羨ましい腹いせに、訓練にかこつけて追い回してた、と」
ちょっかいをかけていた騎士三人が、全く迷う素振りも見せずに頷く。
一体、ハリーはどういう指導をしてるのか。そう思って、こいつらの隊長を務めるハリーをジロリと睨めば、リックのようにへらっと笑って返してきた。全く、変なところでリックに似た後輩も、後できっちりシメようと心に決めて言った。
「よし、お前ら。ああ、オレの後ろにいるお前もな。オレが四人とも相手してやるから、ちょっと付き合え」
「えっ」
四人の口から、驚きの声が上がる。三人は濁音つきな辺り、自分の言動のあれそれにようやく気付いたらしい。そして、背後からは戸惑う気配が伝わってきている。が、逃げ回るだけならば騎士としては半人前にもほどがある……ということには、未だに思い至っていないらしい。その事実に思わず目が据わる。
「く、クリフェード隊長。あの、その……目が、笑ってないようにお見受けするのです、が……」
四人横一列になって俺の前に立つ中、冷や汗を流しつつ、一人がそう宣う。まぁ、そんなことを宣うだけの余裕はあるらしいし、これなら加減する必要はなさそうだ。
「なんでだと思う?」
敢えて意識して笑みを浮かべれば、四人の身体が石のように固まる。
「羨ましいってだけで、子供染みた真似を訓練中にしようと考えるお前達も。戦いを挑まれてずっと逃げ回るだけのそっちも。どっちもその根性を叩き直すために決まってるだろ」
そう告げれば、四人の顔色が目に見えて青くなる。そんな中、離れた場所で組み手をしているハリーの呼ぶ声が響く。
「あー……ルイスさん。そいつら明日、市中の巡回担当なんで、ほどほどでお願いします」
ハリーの声に一瞬、顔が明るくなったが、その内容は状況を打破するどころか、容認する言葉だ。それに対して、彼らはさっきよりも顔を青くして叫んだ。
「隊長、見捨てないでくださいいいいいいい!」
「うん、さすがに今回ばかりは擁護しようがないから、大人しくしごかれてね」
ハリーはいろんな意味でリックに似ている。それはもう、適所適材と言って仕事から逃げる手腕から、ある一定までは笑顔で見守る反面、それを超えたら容赦ないところまで。
全く、どこからどこまで想定しての訓練なのかはわからないが、たぶんオレが目をつけてしごくところまでが彼にとっての予定だったんだろう。掌でいいように使われてる気がするのは釈然としないが、叩き直す必要性があるのは確かだから仕方がない。
そうして、オレとその四人とで模擬戦をすることになったのだった。
まぁ、明日に備える必要も考え、一応歩ける余裕が残る程度には留めたけどな。
息を切らし、仰向けに転がる四人の状態を確認したあと、オレは模造剣を剣立てに戻しがてら、ハリーに近付いた。
「全く。他の隊にあまり口を出したくはないが、お前、ちょっと甘やかし過ぎなんじゃないか?」
「鞭ならほら、たまにこうして適任な人が来てくれますから。オレは飴役で」
「……何ならお前も一緒にしごいてやろうか?」
「それはまた今度、改めてお願いします」
にっこり笑って躱すハリーも、何だかんだで他の騎士の相手をしていた疲労が出ているらしい。つい先ほどまでの覇気はないため、シメるのはまた次の機会に持ち越そうと、小さく息をついたときだった。
「うう……。オレの運命の赤い糸で結ばれた人はどこにいるんだ~……」
情けない声をあげる騎士に『もう少ししごいてやってもよかったか?』と思う反面、出てきた単語に意識が向く。
「赤い糸?」
「あれ、ルイスさん、聞いたことないです? 運命の男女は小指と小指が赤い糸で結ばれてるっていう伝説ですよ」
「あー……昔聞いたことがあったかもしれないな」
「相変わらず、この手の話には関心ないんですね」
放っとけ、と内心でボヤく。別に他のヤツらが色恋に現を抜かそうが、それ自体はどうでもいい。ただ、オレ自身は微塵も興味がない、ただそれだけの話だ。
そんなオレにハリーは苦笑いを浮かべて言った。
「月巫女さまや侍女殿と話す機会があっても、とは……筋金入りですか?」
「巫女を穢れから守るのが役目なのに、懸想してどうする」
そんなことになったら、本末転倒にも程がある。至極当然のことを言っているのに、彼は頬を掻きながら言った。
「でも、少しは夢見たりしません? 月巫女さま、もしくは侍女殿が自分の運命の相手だったら、とか」
そう言われた瞬間、リオンの笑顔が浮かぶ。一番思い浮かんではいけない人が浮かんだことに、思わずハッとして言った。
「バカバカしい。そんなこと考えるだけ無駄だろ」
あるわけがない。あったら大問題もいいところだ。そもそも、年の近いエマなら、落ち着きもあるしまだわかる。よりにもよって、なんで五つも年下のアイツなんだ。女性らしさがない、とは言わないが、お転婆にもほどがあるお嬢様で、誰よりもまず穢すことの許されない相手だと言うのに。
そんなオレの顔を見て、ハリーが面食らった様子で言った。
「あれ。その割に顔赤いですけど、もしかして想像……」
「してない」
「でも」
「し・て・な・い」
しつこいくらい食い下がるのを、逆に食い気味に否定しつつ睨めば、彼は両手をあげた。
「わかりました、そういうことにしておきます」
その言葉は正直、実際は想像したと思っていると言っているようなものだ。ただ、蒸し返せば蒸し返すほど、墓穴を掘りかねないというのは、リックで散々経験済みのオレは、黙るほかなかった。
そんなこんなで訓練を終えたオレは、次の交代に備えて自室へと戻った。閉めた扉に思わず寄りかかり、口元に手を当てれば、再び脳裏に浮かぶのは、叩きのめした騎士の言った赤い糸と、リオンの顔。
「なんで、リオンの顔が浮かんだんだ」
これではまるで、オレがリオンを異性として見ているかのようじゃないか。そんなことあり得ないというのに。まかり間違っても、あのお転婆巫女だけは絶対ない。女性らしさがないかと言われれば、月巫女としての立ち居振る舞いは、淑女そのものだ。でも、それはエマが鍛え上げた表向きの顔でしかないことも知っている。
本来は窓からシーツを使って脱走図ったりするようなお転婆娘だ。名前を呼ぶと約束したあの夜以来、一人でふらりと居なくなることはなくなったものの、彼女の突拍子もないことに振り回されるのは、今日も含め多々ある。そんな彼女に何をどうしたら恋心なんか抱くと言うんだ、バカバカしい。
そう思ったものの、それに反して彼女の笑顔が脳裏から消えることはなかったのだった。
このときのオレは、まさか正真正銘、リオンに恋心を抱いているとは夢にも思ってもみなかった。翌日、リックに指摘をされてもなお、気のせいで済ませたオレが、オレの初恋を自覚するのは、もう少し先のこと。




