逃走劇
「さあさあ、皆さんやって参りました毎日恒例の逃走イベント! 実況は私須藤海斗がお送りします!」
「解説の牧野恋と申しまーす☆私達の実況と解説は念話でクラスの皆には伝えちゃうぞ♡」
机の上に乗り、男子が実況を始める。
すると、その隣の席の女子が「キャピッ」と今では最早死語の言葉が相応しいポーズを取る。
普通に可愛いのが憎たらしい。あざとい、実にあざといが、嫌悪感を抱かないあざとさだ。計算された可愛らしさだ。
「……状況は俺の式神が投影する……。なお、これは温暖化には見えないため御安心を……」
端暮の手から、黒い折り鶴のような何かが飛び立ち、すぐに見えなくなった。
そして、次の瞬間、壁に根元先生の頭頂部が……!
「こ、こらー、ぼ、僕の頭を映すなー!」
自分で言うほど薄くないと思うのだが、根元先生の種族は毛深いらしく、これでも十分禿げなんだとか。
素晴らしい連携。日頃から恒例なのが伺える。
注意すべき根元先生も、どこかワクワクしている。それでいいのか教師。
「うーん、いつ見てもカオス」
「はは……それでも、僕達が一番目を付けられているのだけどね?」
「謎だよな…………」
しかし、温暖化が来るのは予想以上に早かった。
今が二時間目の保健体育の授業中だから、実に三十分もかからずあの縄を解いたということになる。
流石の学園長……というより咲夜でも、亀甲縛りの中年を触る勇者ではないだろうから、自力で抜け出したということか。咲夜なら、誰にも見られていないのをいいことに、投げナイフの要領で切りそうだが。
「あの縛り方は結構自信があったのに! くそっ、リベンジだ!」
「おおっと、今回はまさかの反撃かぁー? 勇者の一族と事を構えるつもりなのかぁー!」
「アホだねっ♪」
茜で練習した日々が、あの大男のせいで無為になるなど許せない。これは『縄縛り師』の異名を持つ者としての意地だ。
(亀甲縛りは、諦めずに英梨をナンパするイケメン君の協力もあって、さらなる高みに登れたのに……! そんなことがあって良いわけがないっ!)
そろそろ、イケメン君がGクラスに編入されないか心配になってくる。亀甲縛りで放置されていた彼は、その時一体何を思っていたのだろうか。
そして、ここまで(英梨に無機物を見るような目を向けられたり、天井な吊るされて放置されたり、愛衣にボロクソに論破されたり)されてなお、英梨に猛烈アタックをするのは少しばかり尊敬してしまう。
無論、だからといって、英梨が嫌がる限りは邪魔し続けるが。
「バカなこと言ってないで逃げるよ龍弥! これはむしろチャンスだろうに!」
「分かってるよ! 英治!」
『……健闘を祈る……』
窓を開けて飛び降りる英治に続き、龍弥も躊躇わず飛び降りる。
ここですごいのは、周りが特に何も反応しないことだ。いや、一部実況している方もいるが、ここで言いたいのは驚いているとかそういうことだ。
かき氷を作って周りに配っている奴もいるし(かなり美味しい)、様々な色の炎で幻想的なアートを机の上に繰り広げている奴もいる(普通にお金取れる)。
さらには、忍者のように天井からぶら下がったり(スカートの下はジャージ。……喧嘩を売っているらしい)、大根を極限まで薄く切ったりしている(目を凝らせばやっと見えるレベル)。
彼らに比べたら、会話なんて可愛いものだ。
そもそも、彼らは騙された被害者なのだから成績にもそれが考慮される。
さらに言えば、こんな非常識だとしても、彼らはこの先の未来を左右する任務を、一人二人で任せられる程の種族内のエリートである。さん彼らは小さい頃から戦う上での思考力を身につけているため、普通に頭も良い。クラス全員が入試上位の成績(やり過ぎないよう手を抜いて)であり、期末や中間試験では、必ず上の下から上の中の順位をキープしている。
授業態度は最悪だが、Gクラスを担当する教師たちは全員一般人でない。教師達も、龍弥達の現状に思うところはあるようで、特に注意もしない。
一般の人間に比べ、結果重視・実力主義の考えが強いから、普通と一緒に考えると混乱する。実際、これまでは普通の中学に通っていた―つまり昔から一般世界に紛れ込んでいた―者達は、少し困惑していた。
勿論、この保健体育の教師もそうだが、他にも色々といる。
ただ……温暖化は普通の人だ。副担任だが、普通の人だ。ああ、普通の。
普通の人間が、三、四階は部室になっている旧校舎の方に来ている。そのため、魔法でかき氷を作ったり、炎系統魔法の練習をしたりという、非日常の世界は直ぐになくなった。
人間に魔法や、その身体能力は見せない。
これは、悪魔や龍、獣人や魔忍者などの亜人といった、人外の生物と上人族、便宜上、異人と呼ばれる者達にとって共通の認識だ(彼らの住む世界は異界と呼ばれる)。
ここは二階で、飛び降りるのは十分危険だが、このクラスの目をつけられている男子十二人は皆これができる。種族解放しない、つまり普通の人間の身体能力でだ。
ちなみに、男子が少ないことに関しては言ったら負けである。
二階から飛び降りるのは、身体能力ではないのかという最もな疑問だが、誰にも見られなければ構わない上、そもそも種族解放していないから大丈夫。
温暖化は、人間だけど、多分三階から飛び降りられる。
二階から降りるくらい、普通だと考えるだろう。
「っふ……」
『危ない、後ろだよ☆』
「……っ!」
『ッチ……避けたか……』
「おい、どっちだ今舌打ちした奴!」
地面に着地すると同時に、衝撃を加速に変えて走り出す。勿論、あくまで常識の範囲内の速度。
その瞬間、後ろから飛んできた包丁が頭を掠めたことに関して、何か言い訳はあるのだろうか?
恐るべし家庭科教師。
龍弥達は鍋の蓋で作られた盾すら持っていないというのに。
温暖化が着地したことを確認し、全力で走り出す。
「ハハッ、アイルビーバック!」
「ははっ、それでは皆様さようなら!」
『……果たして戻ってくるのか……!?』
「待てや、オラァ!」
「ああ、僕の授業が…………ちょっと楽しくなってきたね」
根元仁先生は、悪魔だからか、結構ノリが良い。
♢
あれから、何分の時が経ったのだろう。
龍弥の感覚では、二十分と少し。
龍弥と英治は、まだ土方源蔵、通称温暖化から逃げていた。
「おい、待て!」
「キャー、助けてお巡りさん! 私、穢されちゃう!」
『大丈夫、皆見たいからっ♬』
「よし、少し黙ろうか」
英治と自分のそういうところを見て得する人間がいるとは……龍弥の常識とはかけ離れた領域である。皆目見当もつかない。所謂、腐……なんでもない。
「大丈夫だよ! 包丁を投げる画像は既に録画してもらっている上、ここに物的証拠もあるんだ! これで我々の勝利だねっ!」
『キャー、流石の英治君! 抱いて!』
「あ、あいつ終わったな」
きっと、彼女の後ろには黒髪の美少女がいることだろう。
「「…………」」
『解説変わりました、村雨天音です』
「……龍弥」
「……ああ…………」
言わなくても、お互い通じ合える。
大切な仲間が、かけがえのないクラスメイトが、今一人消えたのだ。することは一つだろう。
「「よっしゃー!」」
雄叫びを上げるしかない。
『……最低だが、その気持ちは分かる……』
小踊りしながら逃げる二人に、端暮が同意する。
だが……
『フフフ……私がここで終わる訳ない! 要請に応じて、再び降臨しちゃうぞっ☆』
「「帰れ!!」」
悪魔はしつこい。よく、身を以て実感した。
と、それを見ていた温暖化が一言。
「……なあ、なんでお前ら疲れた様子がないんだ?」
『さあて一体なんででしょーう!』
須藤が言うが、一般人である温暖化には聞こえない。ただ、根元先生は悪魔らしく大笑いしている。
そして、そう言った温暖化は既に息が切れていた。
やはり体育の授業がデカイ……と思ったら、この人ワンダーフォーゲル部の顧問でした。
勿論、答えは単純な生物としてのスタミナの差だ。
英治は魔族、龍弥は龍族。
「と言っても、そろそろ三時間目だよな」
「確か次は数学だった筈。戻るかい?」
「そうだな」
『と言っているところ残念だけど、国語だぞぉ?♡』
「う、ウゼェ…………」
ものの数秒で意思決定するのが、この二人の「慣れ」を感じさせる。
だが、いつまで経っても牧野のテンションには慣れない。何故、勇者の一族はこいつを人類の脅威だと認識しないのだろう。
「ならば補修室で一緒に数学の勉強だな、子猫ちゃん達!」
『『『え、きしょ…………』』』
……素が出てますよ、牧野さん。
「どうやって、逃げようか、『天性の覗き魔』」
「確かに吐きそうだね『ロリコン』。あと、僕にそんな異名はないんだけど」
「それはこちらのセリフだ!」
「…………え?」
『『『…………え?』』』
「え、ちょっと待って、俺ってロリコンだと思われてんの?」
「……え? 僕の同志じゃないのかい⁉︎」
「全然違うけど⁉︎ 何故そんな噂が⁉︎」
『えー、だって英梨さん好き好きオーラ出しすぎなんですよー☆ちょっと、重いというかぁハッキリ言って少し気持ち悪いですよ?』
「お、重い……」
「おい龍弥! 気をしっかり持て!」
龍弥の命が、カウントダウンを刻み始める。
と、その時……。
『……大丈夫。嬉しいから…………』
『ッチ、リア充爆発しろよ……』
「いや、だからどっち!?」
素の牧野か、本音が出た須藤か。
「というか……好きなことは否定しないんだな」
…………あ。
「はあ!? な、何言ってんの!? なんで、俺がアイツのことが好きってことになるんだよ! べ、別にアイツのことなんかなんとも思ってないし! ただの幼馴染だよ、幼馴染! 好きになる訳ないだろ!」
『…………っ!』
「いや、だっていつも心配してるじゃん」
『『『うんうん』』』
英治の意見に、賛同する実況者ら三人。
村雨は先程から不気味な沈黙。教室の中で、英梨はかなりショックを受けて既に涙目なのだが、勿論龍弥は知らない。
そして、一部女子からの株がどんどん下落していることにも、勿論気付いていない。
「は? 心配するだろ普通。だって、幼馴染だぞ?」
「いや、幼馴染は魔法の言葉じゃないよ……?」
『アホだな』
『アホだね☆』
『……不治の病……』
『? マスター、幼馴染は魔法の言葉だぞ?』
「ほら、賛同者がいたじゃないか!」
「いや、龍弥はそれで良いの!? 天音だよ天音!」
『おい、マスターそれはどういうことだ』
「…………」
英治は、黙って前を向いて走る。
都合が悪いと、聞こえないフリをするのはダメだ。
いや、そもそも多分意味はない。
何故なら……。
『英治くんはー、天音ちゃんに責められたいドMなんだね♡』
「……ドMは一人でいいからな、英治?」
「ち、違うからね!? やめてくれよ牧野さん!」
「村雨さーん、これは浮気じゃない?」
『分かっている豚野郎。マスター、浮気だな?』
「なんで!?」
なんかよく分からないが、英治には復讐心が湧いてきた。何故だろう。
やはり、美少女に恋愛の好意を向けられているからか。
龍弥に向けられている好意は、愛衣のは尊敬の感情だし、英梨は幼馴染として、茜は……飼い主へのそれだ。少なくとも、龍弥はそう思っている。
「そ、そんなことより! 龍弥の雪浜さんへの庇護は少し異常だからね?」
「いやいや、そんな訳ないだろ……」
『異常だな』
『異常だね☆』
『……ストーキングの技術も敵わない……』
『そうだな、豚野郎は異常だ。だが、それも大切だと思えばこそだろう。私も、マスターにそれくらい大切にされたいものだ……』
「…………」
速攻で否定されて、何も言えなくなる。
その裏では、英梨の顔色がどんどん良くなっていったりしているのだが、龍弥は知らない。
そして、一部女子からの株が回復していることも、勿論知らない。
「異常だとして……仕方ないだろ……」
「?」
「昔、守りきることが出来なかったんだから、今度こそ守ってやりたいだけだよ……。もう、喪うのは嫌なんだよ」
『龍弥…………』
どこかしんみりとした空気になる。
牧野も、空気を読んだのか何も言わない。
だが、この場には空気を読みたくとも読めない人もいることを、皆忘れている。
「お前ら、さっきから二人で何言ってんだ?」
「うおっ! 近!」
一般人である温暖化は、念話が一人だけ通じない。
後ろから声がかから振り向くと、目と鼻の先に温暖化がいた。
咄嗟に身を捻って温暖化の手を躱し、細い道に入り込む。
なおこの学園、先生から生徒まで、普通の人間は皆忘れているが、サバイバル試験を行うほどに広い。単純計算でも、旧校舎の分、つまり普通より二倍広いのだ。
はっきり言って、入試の時や団体のお客様が来るときに在校生が肉壁となり道を作らなければいけないとか、どう考えてもおかしい。
ちなみに、その肉壁の中には、時々氷像があるらしいが……龍弥は見たことがない。あれはきっと違うんだと、龍弥はそう考えている。
どことなく咲夜に似た女神像。どことなく咲夜に似た戦士の像。どことなく咲夜に似た以下略。果てには、龍族の龍弥でさえ思わず見惚れるほどの威厳あるドラゴンの像まで……いや、あれは違うんだ。
(俺は何も見てない。いいね?)
いくら咲夜が学園長らしくないからと言って、自分と同じクラスの誰かが、そんな誰も得しない悪戯で危ない橋を渡っているなど、脳が認めたくない。
その後、顔を真っ赤にし涙目の咲夜が、細身の男をポカポカ殴っていたが、龍弥の考えでは、その男の人は注意してしまったのだろう。全然痛そうじゃなかったが、殴られたくないので、龍弥は何も言わない。
結構何が言いたいのかというと、そこまで入り組んだ作り、誰もが道を間違える可能性があるということで……。
「行き止まりかよ……!」
『おおっと、皆さんお待たせしました、お仕置きのお時間です!』
目の前には、新校舎の壁が。
端暮の式神によってこの様子を見ているクラスメイトの中、実況をしている須藤は、何やら興奮した声だが、須藤の望むようにするつもりはない。
「龍弥!」
「おう!」
行き止まりの壁を蹴り、空に身を踊らせる英治の足を、龍弥はレシーブの要領で押し上げる。
そのまま、外に剥き出しのパイプと、なんかよく分からない出っ張りを上手く使い、そこに一度着地した英治が再びそこから飛び降りる。
そして、今度はトスのように力強く押し上げて……英治は窓に手が届いた。
そして、上からロープを使えば……
「んじゃ、それではさようなら」
「おい、待てや、何勝手に行こうとしてるんだ」
「いや、龍弥一人で出来るでしょ? それに、先生が来たからしたくても出来ない」
「奴が来たから、俺は二階に飛び上がっちゃいけないんだよ!」
一般人に異常な力を見せてはいけない。二階から飛び降りることは慣れれば普通の人間でも出来るが(現に温暖化は出来た)、その逆は難しい。
龍弥の想いも虚しく、英治は姿を消してしまった。
(くそっ、俺たち友達だよね?)
友達だと思っていたのは俺だけ? そんな疑惑が龍弥の頭に浮上し始める。
「やっと、やっとだ。遂に俺はお前を追い詰めたぞ!」
「おっと、温暖化だ」
「ん、お前今何て言った?」
そう言うと、突然突進してきた。
ゆっくり話をしていたのに、急に飛びかかるとか汚ない。
流石、大人はやることが違う!
大人、汚い!
「素晴らしい盆栽家って言ったんですよ」
「盆栽はいいぞー」
「ああっ、そんな情報は知りたくなかった」
盆栽と睨めっこする温暖化というパワーワードに、龍弥の頭が処理しきれない。
そんな龍弥に、温暖化の大きな手が迫る。
その手は、誰にも避けることはできない。
……これまでは。
今回の相手は龍弥である。
そこら辺の者達と一緒に考えることは出来ない。
(遅いな……)
これくらいなら愛衣との修行の方が、避けるのが大変だ。追い詰めたという心理的優位からか、避けられるということを全く考えていない。
龍弥の今の身体能力は種族解放していないため運動神経の良い一般人並みだが、感覚は解放関係なく超速度選士のそれである。
「ふんっ!」
「どしっ!」
大人気なく突き出される拳の勢いを利用して、上に飛び上がり、そのまま窓へと着地。
そんなに昔の下着が好きなのだろうか。
全身ホットプレートの考えることは分からない。
(え、いやいや、流石に力ヤバくね? 何今のパンチ。拳圧だけで根元先生の髪の毛吹き飛ぶぞ)
そんな巨漢の拳は、やはりとてつもなかった。
龍弥よりも強いのではないか。
……いや、流石にそれはないか。
「おう、遅かったねふんどし」
「ああ、やっぱりいたのか。あと俺はふんどしじゃない」
そこには携帯片手に微笑む親友が。
「くそっ、今日のところはこれくらいにしといてやる」
龍弥を二階まで押し出したと勘違いしてくれたのか、温暖化が去っていく。体育会系は自分の力がすごいと思ったとき、勝手に満足するようだ。
流石に独力で二階に行くことは出来ないのか、悪役らしいセリフを吐いて行った、土方先生もとい温暖化もとい……ふんどし。
普通、生徒に対してあそこまでの拳圧を放つだろうか。やはり、彼は大人気ない。
「よし、全部録音完了」
しかし、一番大人気ないのは、爽やかな笑みを浮かべるこいつだと思ったのは、龍弥だけの秘密である。
(朗報)咲夜って誰って思った方、そろそろ登場しますよ。…………多分。




