とある日の朝(七月二十二日)
ここから本編開始です……!
「先輩、これはここに置いといていいですかね?」
「…………」
干し終わって取り込んだ、洗濯物の入った籠をどこに置こうかと、彼、夜叉堂龍弥がこの部屋と洗濯物の持ち主である東堂茜に尋ねるが返事はない。だが、ただの屍というわけでもない。
「あの、先輩?」
「…………」
その先輩は長い黒髪を弄りながら、高校の夏服なのも(つまりスカートが短い)気にせず、ベッドの上で大胆にも脚を組んでいるせいで、その眩い白い太腿が際どいところまで露出している。
……ありがとう。
ムスッと頰を膨らませ、プイと目を合わせようともしない。腕を組んでいるせいで大きな胸がさらに強調されて、組んだ脚も相まって目に毒だ。
……目の保養に役立つ。ありがとう。
だんまりを決め込む彼女は体全体で不満を表そうとしているのだろうが、正直言って可愛いだけだ。
美人が怒ると怖いというが、彼女の場合は微笑ましい。
「む、なんでこっちを見て笑っているのかしら、龍弥くん?」
「いえ、別になんでも」
「ええ、私が着る物がなくて困っていたところにタイミングよく、ノックもなく入ってきて下着姿の私を見たのになんでそんなに落ち着いていられるんだなんて、これっぽっちも思ってないのよ」
「シャツ羽織ってたから、後ろからだと見えてないけどね」
誠に残念ながら。
籠を持って両手が塞がっていたからノックはしなかったが、ちゃんと声をかけて許可も貰ったから入ったのに、何という理不尽だ。
カーテンを閉め扉に背を向けるようにして制服のシャツ一枚の姿でいた彼女は、ドアノブに手を掛けて固まる龍弥に気付くや否や、真っ赤な泣きそうな顔で頭だけ振り向いたのだが、それが果たして狙ってないと言えるのか。
恐らく確信犯だろう。
まあ、どちらにせよだ。事故だろうと、不可抗力だろうと、例え向こうから見せてきても、女の子が恥ずかしがれば男が全面的に悪いのだ。
男の子って大変だと、この家に来てもう何度目かの理不尽さに苦笑しながら、龍弥は取り敢えず足元に籠を置く。
ちなみに、さっきも言ったが、大事なところは見えなかった。
お尻の部分は際どかったが、すぐに尻尾で隠されてしまった。
「そもそも、一人暮らしでもないのに何で服が足りなくなるんだよ……」
「私に聞かないで欲しいわ」
「まあ、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れませんが……」
数日前に高校が夏休みに入って、なのに制服を着ているのは、別に間違えたわけでなく、ただ単に服を昨日一気に洗濯したから。
梅雨というわけでもないのに長く続いていた大雨のせいで、確かに碌に洗濯も出来なかったのだが、それでもこれはおかしい。
「まさか、コインランドリーに行ってないの……行ってないんですか?」
「雨に濡れるのは嫌いなの」
「そうなんですね……って、それくらい行けよ!」
流石に看過できず、声を荒げるが、茜は嬉しそうにニコニコとしている。
どうやらもう、不機嫌でも怒ってもいないようだ。
「ふふ、やっと敬語じゃなくなったわね」
「…………っ」
ピョンとベッドから立ち上がり、覗き込むように顔を近づけてくる茜。
手を後ろ手に組み……揺れた。
さっき腕を組んでいたときも、思えばいつもより弾力を感じた気がする。
まさかとは思うが、自分では下着姿と言っていたが。実は下着すら着ていないんじゃないだろうか。 そう思った龍弥は動揺を隠すことが出来なかった。
「? どうかしたの? 龍弥君?」
「い、いえ別に何でも」
ちなみに、龍弥が茜に敬語を使っていたのは、ささやかな仕返しの意味もあった。実際年齢だけは茜の方が龍弥よりも一歳年上なのだが、茜は龍弥に敬語を使われることを嫌がる。
朝、下着姿にシャツ一枚の格好で突っ立っていた茜への意趣返し的なものだ。
(本当は、朝見た時はシャツを着ていて、下着を着ていたかどうかが分からないんだよな……)
いや、流石に茜もそこまで考えなしでない筈。そう自分に言い聞かせ、龍弥は改めて頭を働かせる。
本当の意味でのワイシャツ一枚の格好で、部屋に男を入れるなど、悪戯にも度がすぎる。
(ずっと腕を組んでいたから見えてないけど、ブラウス一枚しか着ていないということは流石に……)
「寂しかったんだから、仕方ないじゃない」
(この人、着けてねえ!)
茜が、拗ねたように口を尖らせながら龍弥の腕を抱える。これほど密着されれば流石に分かる。
この柔らかさ、絶対にそうだ。
夏服一枚の薄生地の向こう。
少なくとも、上は着けてない。
「あ、あのっ、先輩⁉︎」
「む……何で昔に戻っちゃうのかしらね。飼い犬として、ご主人様から敬語を使われるのはむず痒いのよ? あ、これはあれね! そういうプレイなのよね!」
「あ、はい」
不満気な表情で腕を解放した茜(やはり身に着けていなかった)は、聞きようによっては、いや聞きようにやらなくとも問題ある発言をする。
何を隠そう、この人物、夜叉堂龍弥の飼い犬志望で、常日頃からご主人様になってくれと頼み込む程だ。敬語が嫌なのも、そのためだ。
それだけでも一般、極々普通に暮らす人はあまりお目にかからないことなのだが、彼女にはそれに加えてさらに驚くべきことがあった。
「私、犬だし」
(犬、ね……)
そう、彼女は犬の特徴を持った人間、所謂獣人というやつなのである。証拠というか、根拠というか。まあ、一目見て分かるのだが、今犬の耳を出している。朝の時も、尻尾でお尻を隠していた。
尻尾は風呂場などの全裸になる所で出しているのだが、それを何故龍弥が知っているのかについては黙秘する。
この少し特別な先輩と一つ屋根の下暮らしていれば、まあ色々あるのだ。
だが勿論、犬の獣人が皆こんな変態なわけではない。そんなことを言えば、きっと戦争が起こる。
過去に色々あって、異界(一般人の住む世界の隣に存在しており、世界各地にあるゲートから行き来できる)の中でも獣人と龍族は仲が悪いのだ。それこそ、魔族と上人族くらい。
上人族というのは、異界に住む人族のことだ。一般世界の人族と姿形は同じだが、その力は桁違い。噂によると、一般世界から転生や転移と呼ばれるのをした奴らの子孫らしいが、詳しくは分かっていない。
あやふやな状態で世界を渡ったせいか、生物として最早別物と言ってもいいレベルになっている。
話を戻すが、この飼い犬志望は茜の性格、オブラートに包まれなければ性癖で、例え猫の獣人だろうと、彼女は飼い犬を目指しただろう。
龍弥がこの妖荘に来たのが、入学式より少し前の時だったから、それから五ヶ月少し。半年まであと少しといったところ。
二ヶ月程前から飼い主になってくれと言い始めて、それを断る龍弥とセットで一日一回以上のここ妖荘の風物詩にもなっている。
季節関係ないけど。
「ほら、まだ朝も早いのよ。時計を見て、まだ五時よ。英梨さんは隣で大声で話さない限り起きないから、心配することはないわ。浮気よ、これは」
「心配する要素しかないけど⁉︎」
「敬語」
「あ、ごめん。ん? 敬語?」
お姉さんキャラ、性格とかそういうのを除けば一見お姉さんキャラである茜に、意趣返しとか関係なく思わず敬語を使ってしまう龍弥。
勿論これには飼い主になる気はないという意味もあるのだが、焼け石に水な効果しか出ないどころか、むしろ茜が意地を張って本気になってしまうことを知ってからは、あまり見かけなくなった。だが、今回は珍しく敬語が出た。
起きて直ぐに茜の洗濯物を取り込んでいる時点で分かると思うが、龍弥は少し寝惚けている。
無論、茜は自分が試されていると感じ、反抗精神を燃やし始める。
龍弥にそんな気はさらさらないというのに。
「龍弥くーん」
「…………」
「あら、無視して良いのかしら? ふふ、これでも無視出来るかしらね?」
「っ! …………」
「龍弥君。そんなに頑張って……やっぱり本当は嬉しいんじゃないの?」
「え? って、あっ、ちょっと!」
そんな龍弥に、背中側に回った茜を無視し続けた天罰が下った。
いや、茜による犯行なので天罰とは言えないかも知れない。
背中にしなだれ掛かる茜を無理し続けていると、突然、ベッドの上に倒され、茜が腰に馬乗りになるように座った。
そこで、気づく。龍弥は気付いてしまった。
着るものが一切なかった彼女は、昨日どんな格好で寝たのだろうか。
皺の少ないブラウスとスカートを見るに、恐らく裸族になっていたに違いない。仕方なく全裸で寝て、朝シャツを羽織ったのだ。
そのベッドに、茜に馬乗りにされる格好で寝ているのだ。
具体的に言って、匂いとか以前の問題だ。
茜の汗を直接吸ったシーツ。茜の肌が直接触れたシーツ。まるで変態のようだが、一旦気づいてしまえばそれが頭から離れない。
「おい、マジで何をする気? 流石にこれはバレたら洒落にならないって」
「ふふふ、ご主人様に放ったらかしにされて、昨夜は一人寒い思いをしたのよ?」
「いや、それはお前が悪い」
それはどう考えても何も着なかったせいだ。
思わず突っ込んでしまう龍弥に対して、『あうっ、でもいいわ!』とか言っている茜は本当に駄目かも知れない。
下着を着けていないせいで、お腹のあたり、特にその上に乗っかっているものに変に意識してしまう龍弥の理性も、もう本当に駄目かも知れない。
いける、そう思ったのか、茜がニヤリと微笑み、最後の一撃とばかりに体を重ねてくる。
とすれば当然、圧倒的重量を持ったアレが間に挟まれて潰れることになり、薄布二枚の先に感じる夢に、龍弥の理性が崩壊する五秒前を刻み出した。
「龍弥君……」4
「茜……」3
「私のご主人様になってください」2
「……それは…………でももう、仕方が――」1
「そこまでです! 一人だけ抜け駆け……じゃなくて! 皆に睡眠薬まで飲ませて何のつもりですか!」「龍弥…………私は悲しい。浮気は駄目。それとも、私はもう飽きたの…………?」
突然、扉が開かれ、部屋に入ってきたのは、二人の少女。
「英梨……」
「龍弥の英梨なのに…………龍弥は飽きた」
「うん、色々と誤解を生むからやめてね?」
整った顔立ちに、長く伸びた紅の髪。桃色のパジャマを押し上げる双丘は、はっきり言って小さめ。その悲しげな眼は眠たげで、寝起きなのか幾つか外れたボタンから覗く輝くような玉の肌に、思わず生唾を飲んでしまった。
英梨も下着は身に付けていないらしい。
「愛衣ちゃん……」
「師匠が二股……女の戦いが今、始まる!」
「大丈夫、始まらない」
成長し過ぎな茜、成長してない英梨。二人とは違い、比較的平均的な成長率の彼女は、水色の髪に同じ色の瞳でお人形さんみたいな美少女だ。
水色のパジャマも加わって、全体的に青という印象を受ける。
腰に手を当て怒ったような様子の彼女のその胸は、英梨にとって残念なことに、英梨よりも大きい。
彼女の名前は宮島愛衣で、龍弥を師匠と仰いでいる。
魔術、特に儀式を必要とする魔術に詳しく、それは大人でさえ脱帽ものだ。
龍弥は知らない話だが、妖荘に来た初日、龍弥もその儀式魔術に世話になっていたりする。
「こ、これは違うのよ。ご主人様に言われれば、飼い犬の私は喜んで従うしかないじゃない? 何だってしてあげる私としては、むしろこれはご褒美とも言えるのよ?」
「残念ながら飼い主になった覚えはありません」
テンパりすぎて、支離滅裂というか、結局自分を擁護したいのかそうじゃないのか分からなくなっている茜。
その一瞬の隙を突き、愛衣が茜を後ろから引っ張り、逃げようとした龍弥を英梨が後ろから羽交い締めにした。
茜は既に抵抗する気もないのか大人しく捕まっており、龍弥は背中に当たる幼馴染の昔とは違う感触に、動くことが出来なくなっている。
大きさも成長したが、感触も違う。
夏のパジャマ一枚。幼馴染は寝ぼけているのか、自分の格好に気づくこともなく、そのまま龍弥の理性を殺しにくる。
「龍弥」
「師匠」
龍弥にかけられるのは無慈悲な声。
今の本当の時間とか、一体どこからどこまでが茜の策略だったのか、疑問は尽きないがそれが解消されることはなく。
「「後で何があったのか、じっくりと話を聞かせて(くださいね?)」」
「はい……」
どこか怒った様子の二人に挟まれ、龍弥は言い訳することもなく、返事をするしかなかった。
相手からされようと、男が悪い。
それは、たとえ幼馴染だろうと弟子だろうと、決して容赦してくれるものではなかった。
取り敢えず、この時間軸を主軸にすることにしました。