彼の里での思い出[1]
最初に言っておきますが、分割して投稿します。
龍人族の里のお話。
ここではない世界のどこかに、常人を超えた身体能力を持つ異人達でも、越えるのは容易でない山々に四方を囲まれている里があった。
その里の存在を知っている者は多くとも、その里が何処に存在しているかを知る者はほとんどいないと言われる所以である。
山々は、一つ越える毎に魔獣や魔物が一段階ずつ凶暴化凶悪化していくため、文明を形成できる生物がその山々の中央に住んでいるなど、普通はあり得ないのだ。
そもそも、その山々の中央が人間が生活できる環境だということすら知らない者が多い。魔獣や魔物と対抗できる、という意味でなく、地形的にそこが生活可能な場所だということを知らないのだ。
だが、確かにそこに里はあった。
物理的外界から遮断されていると言っても過言ではない里が、確かにそこにはあった。
連なる山々の谷底、里から一歩出た深い森では、凶悪で異次元の強さを誇る魔獣や魔物が闊歩している。
その里の居場所は、その里の者しか知らない。
魔王も、聖剣の一族や勇者の一族も、誰も知らない。世界の果てにあるという図書館の館長は知っていると言われているが、そもそも世界の果ての図書館に行くことが不可能に近い。
──だが、何が住んでいるのかは知っている。
それは、決して天変地異を起こす、概念的な意味での神ではない。
個体としては確かに強いが、それも数の暴力に呆気なく負けてしまう程度のレベルで収まる。何故、彼らがこのような山々を住処とするのか。それは自己防衛のためである。
──他の魔物を寄せ付けない威圧感を持ち、どんな環境でも生活できる生物としての格を持ち、そしてかつて迫害されてきた種族。
龍から進化した、人型の生物。
即ち、龍族──龍人族だ。
彼らは、決して生物の上位個体として君臨する訳ではない。
かつて、上人族や魔族、そして同じく迫害されてきた獣人族からも、およそこの世界上のほとんど全ての生物から忌み嫌われ、住処を失い、家族を失い、散り散りになりながらも逃げ続けた。
この山々へ逃げた龍族は、運良くこうして再び生活することができるようになったが、他の龍族は分からない。
彼らもまた、人の住むことのできない筈の、世界の果てへと逃亡したのか、それとも道半ばで殺されたのか。そんなことは誰も知らないし、知る必要はない。
だがその忌々しい過去も、今、この里で笑い声が生まれる程には遠い昔の話であった。
たとえ、その恨みは血筋の中に残っていても。
♦︎
「スゲェー! にいちゃん、本当に何でもできるんだな!」
「なんでもは出来ねえよ、恭弥」
目を輝かせている少年は、夜叉切恭弥。
せがまれたから少しだけ炎の魔法を使って、幻想的なショーを見せたんだが、やけに良い食いつきで少し戸惑いを隠しきれない。
このくらい、親に頼めば見せてくれるだろうに。
「うー、でもにぃに、言えばなんでもしてくれる」
「仁美……言い方を少し変えてくれ……」
ポヤポヤ、そういった擬音が相応しい彼女の名前は夜叉切仁美、恭弥の双子の姉だ。ところで、ポヤポヤってなんだろうな? お風呂場のカポーンくらい、なんの音か気になるんだが。
そして言い方。まるで俺がパシリのようじゃないか。
いや、実際こいつらの頼みは、極力叶えてやることにしてるけどさ。それも全部じゃない。
いやでも、実現不可能な頼みはほとんどしてこないからな。俺が何でも聞くように見えても、それ程おかしくないのか……?
「……にぃには、私の奴隷」
「おい待て誰だ仁美にそんな言葉教えた奴」
「…………誰、だろ?」
「マジかよ……後で、加奈さんに怒られないかな……」
「んー、大丈夫だと思うぜ? 多分教えたの母さんだから」
「加奈さん、愉快犯だからな……いや、俺の困った顔を見るために娘を使うのは流石に注意しとかないとな……」
夜叉切さんの家は俺の家の隣にある。と言っても、家と家の間の距離は離れているから、窓を開けたら仁美ちゃんが着替えて……とかはない。
自分の部屋に入ったら仁美ちゃんが……は沢山あったが。同じくらい恭弥が……もあったが、まあ男同士だから問題ない。仁美ちゃんの方は問題あるが。
……ずっと昔、この谷底で暮らし始める前は、家と家の間隔ももっと近かったらしいけど……。あまり想像がつかないな……。森の木みたいな感じだろうか。
「でもさー! にいちゃんは、俺たちの中でも一番年上じゃん!」
「…………? ああ、俺が何でも出来るって話か」
一瞬、何の話か分からなかった。
それと、正確に言えば子供たちの中で俺が一番年上かと言われれば、少し違う。
ただ、俺より年上の子供は一番若い人でも十六歳で、俺より五歳も年上。その人も、来週には里の外に出る予定だと言っていたから、今はその準備で遊ぶ時間が取れないのだとか。
俺も、十六になったら里を出るんだよな……。
外の世界を見てきて、気に入った街があればそこに住めということらしい。龍族のしがらみになど縛られるな。お前はお前の世界を生きろ、と長老が三ヶ月前に里を出て行った人に言っていた。
それでも里が維持できているのは、外の世界で結婚した後、家族を連れて帰ってくる人がいるからだ。初めて龍族の里を見た人たちの顔は、本当に面白くて、次の日の子供たちの話のタネになったりする。
「英梨ねえちゃんもいるけど、最近調子が悪いみたいだし……」
「…………」
顔を俯かせた恭弥の頭をポンポンと軽く叩き、「心配するな」と励ます。
恭弥と仁美は、他の子供たちの中でもやけに俺に懐いているが、これでも九歳。俺と英梨、あと十六歳の人を除けば、この里の中で一番年上の子供だ。
こいつらがこんな浮かない顔をしてたら、小さい子にまで心配が伝播する。
と、そこで、仁美が俺の顔をジッ……と見ているのに気が付いた。
「……どうした? 仁美?」
「……にぃにが、一番心配してる……」
「────ッ!」
そう、か……。隠せていたつもりなんだけど、見抜かれてたか。
「ああ、俺だって心配だ。だけど、俺たちが暗い顔してたら英梨だって嬉しくないだろ? 俺は、英梨の前では泣きたくないんだよ」
「……ん、分かった……にぃにがそう言うのなら、仁美も元気出す。…………やー」
「やー!」
「やー!」「え、あ……やぁ!」」「やー!」「や、やー……」
やけに間延びのした声で、ゆっくりと拳を振り上げる仁美に、勢いよく元気よく拳を振り上げる恭弥。恭弥に続いて、他の子たちも拳を天に突きつける。
性格こそ正反対の二人だが、恭弥がドンドンみんなを引っ張っていき、仁美がそれを影からサポートする。
…………この二人に任せておけば、他の子供たちは大丈夫だな。
「……にぃには、仁美たちのにぃにだよね……?」
恭弥を中心に、皆は集まって、元気になったらどんなお祝いをしようか話し合っている。
胡座をかいて草木の生い茂った地面に座り、それを外から眺めていると、俺の脚の上に少女が座った。
俺もまだ成長期だから、スッポリとはいかないが、仁美が小柄なおかげで俺も別に辛くはない。
「……ああ、俺はお前らのにぃにだ」
「……どこにも、いかない?」
「…………ああ……」
その後も、仁美は子供たちの輪から外れて俺の側で一緒に皆を見ていたが、恭弥たちの議論に決着がついたのを見ると、何も言わずに混ざりに行った。
「……どこにもいかない、か……」
空を見上げれば、天高く昇る太陽が。
谷底とは言え、日光量には困らないくらい周囲の山の傾斜は緩い。だから、一見簡単に出ていけるように思えるが、実際はそんな生易しいものじゃない。
何故か緑の生い茂る坂道を登り、頂点に立って見えるのは、文字通りの地獄だ。
里側とは比べ物にならない程急な傾斜の山肌は、最早崖である。さらに、そこを下ったとしても、待ち構えているのは得体の知れない魔獣に魔物。
日光の光は隙間もない程に生い茂る木々によって、上からは綺麗な緑の絨毯に見えても、その下は夜のように暗い。
さらに、木に擬態した魔物だけでなく、水に擬態した魔物もいるとなれば、いよいよ何も信じられなくなる。
木々に擬態した奴の中には、遥か昔に組まれた龍人族討伐隊の武器や鎧を身に付けた醜悪な奴もいる。北側には、死んだ当時の姿で氷漬けにされたままの人間もいるのだとか。
どうやっても、里から出るためには、正規のルートを取らなければ死んでしまう。
そして、その正規のルートである転送魔法の魔法陣は里の長たちが管理し、裏ルートとも言える飛龍を使った移動も、肝心な飛龍を長老たちが管理していて使えない。
…………だから、この里から勝手に出て行くことは出来ないのだ。
──ある方法を除いては。