表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編

 空にクジラが見える日は、家で祈りを捧げる日。

 まだ10にも満たない少年、レイト・ライクが両親に初めて教えられた(と、本人は記憶している)事がそれだった。

 別に特別な事ではない。誰もが守っている事だし、学校の同級生も、朝にクジラが空に見えれば、みんな家で空に祈りを捧げている。

「守らず外に出たら? みんな家に居るから、誰も居ない街があるだけなんじゃない?」

 ふと、今朝になって気になった事を同級生に聞くと、そんな答えが返って来た。

「それだけ……かな?」

 午前の授業が終わった学校で、給食を食べながら、レイトは同級生たちと話し合う。

 特に意識が向いているのは、正面の席に座っているミーシャ・カリーナだ。

 彼女はクラスの中では一番かわいい女の子だ。そうして何より、同学年の中でも一番かわいいと、レイトは考えていた。

 今回の話題にしてみたところで、彼女が乗って来たから、レイトも話していると言った部分はあった。

 ただ、話し合いに参加しているのはレイトとミーシャだけではない。残念な事に、本当に残念な事に、嫌な奴だって、どうしてだか話には参加してくるものだ

「何だよ、レイト。もしかして、祈りの日に、家を出た事無いのか? もしかして一度も?」

 意地の悪そうな顔をした、これも同級生であるダングル・デデイル。

 彼は金属の皿の上に乗ったパンを千切りながら、中々それを口へ運ばずに、レイトに向けて口を開いてきたのだ。

「……そんな事ない。一度くらいはあるさ」

 強がりを言葉にするレイトであったが、正直、その言葉を発した事に後悔した。

 何時だってそうだ。嘘を吐くなんて後悔しか生まれない。実際には、生まれてこの方、クジラへ祈る日に家を出た事なんて無いのだ。

「へえ、じゃあ、クジラの事も外で見た事あるんだよな? 家の窓からじゃなくってさ」

「あ、ああ。そうだよ。あるって。ほら、家から見るより、やっぱり大きく見えるよね」

 ミーシャが居る手前、今さら強がりだったとは言えず、引っ込みがつかないレイト。

 ダングルはそんなレイトの本音を知ってか知らずか、まだ嫌な笑いをにやにやと続けていた。

(バレた? バレたかな? いや、バレてたら、何時もこいつは教室中に響く声で馬鹿にするはず)

 だからバレてはいない。とりあえず、この場を取り繕う事さえできれば、これ以上馬鹿にされる事は無いと考える。

「ふぅん。じゃあさ、次、クジラが来るのは明日だろ? もう一度見て来てくれよ。本当に大きく見えるか、確認してえじゃん」

「何で……そんな事」

「ん? やっぱり、祈りの日に外に出るのが怖いのか?」

 これはやはり、バレているのかもしれない。

 もしくは、単純にレイトを馬鹿にしたいだけなのか。向こうも向こうで、ミーシャに良い格好をしたいという可能性もある。レイトを馬鹿に出来れば、少なくともレイトよりかは強い人間だと見せつける事が出来ると言うやつだ。

 何にせよ、ダングルの言葉に寄って、レイトの逃げ場は無くなって行く。

「良いよ。明日、家を出て、散歩でもすれば良いんだろ? それくらい、何てこと無いさ」




「ねえ、本当に明日、家を出るつもりなの?」

 今日の授業が終わってからの帰り。下駄箱で靴を履き替えていたところで、ミーシャが話し掛けて来た。

 それはレイトにとって嬉しい事ではあったが、向こうはどうしてだが、真剣な顔をしていた。

「別に、そんな大変なことでも無いでしょ?」

 レイトはミーシャの顔を見て、自分の軟弱さを心配されているのだと取った。

 確かに、レイトは同年代の男子達より背は低いし、線だって細い。体育の成績だって中の下だ。

 だけど、女の子、それもちょっと気になっている相手に心配されるなんて、男子としての沽券に関わるのだ。

「家にいる間、父さんや母さんにずっと見張られてるわけじゃあないしさ。ちょっと目を盗んで、窓とか玄関からこそっと出るくらい、僕にも出来るよ」

「そうじゃなくて……ほら、お祈りの日って、大切な事だからお祈りの日なんだよ? それを破るって、やっぱりいけない事なんじゃないかな?」

 ミーシャは基本的に真面目である。不真面目な人間は、人気者にはなれないという不文律が学校にはあるので、それはレイトだって良く知っていた。

 そうしてレイトは明日、不真面目な事をしようとしている。その事をミーシャは注意しに来たのだ。

(注意したら、それで止めるくらいの奴だって思われてる)

 やっぱり、軟弱な奴だと思われているのだ。その事実に、レイトの心はざわつく。

「ミーシャは、そういう事したりは、一度も無い? そりゃあクジラへ祈る事は大切だよ? けど、一日中家に居なくちゃいけないなんて、ちょっと馬鹿らしい話だって」

「でも、みんな守ってる事だし。大事な事だもの」

 けど、みんなと同じ奴だと思われる事は嫌だ。

 少なくともミーシャ相手ならそう思っているレイトは、さらに強がる事にした。

「何てこと無いよ。別に。明日、僕がどうしようとも、世界が何もかも変わるわけ無いんだから」

 だから……明日はこっそり家を出よう。レイトはそう考える事にした。




 次の日。レイトが自分の部屋で目を覚ますと、やはり窓の外に見える空に、クジラが見えた。

 つまり今日はクジラが空に見える日で、家を出てはいけない日で、クジラに祈りを捧げる日なのだった。

「良い? 外には出てはいけないけれど、窓からクジラを見る事は別に構わない。祈り方についても、どんな方法でも良い。祈るって言う気持ちが大事なの。わかった? レイト」

 両親と一緒に朝食をとる。そんな時間も、クジラへの祈りの日であれば、この様に母からの、堅苦しい話の時間へと変わってしまう。

「わかってるよ。クジラは二週間に一回。必ず来るんだからさ。その度にそんな話を聞かされてたら、内容なんて全部おぼえちゃうって」

 何時も、母がこれから何を説明するかも、しっかりと頭に入っていた。祈る場所は、自分が落ち着ける場所。レイトの場合であれば、自分の部屋の中だ。

 お腹が空いたり喉が渇いたりしたら、飲食したって構わないし、本当に……祈るだけで退屈になったら、あまり良くは無いけれど、遊んだって構わない。

 大事な事は、クジラを大切に思うことと、家を出たりはしないこと。そういう話が、ここから続くのだ。

(苦手な時間……だよね)

 退屈だし、食卓に並ぶ朝食だって、薄味で具の無いスープに、妙な固さのある四角いパン。それと切り分けられた芋に辛めのソースが少しだけと、祈りの日特有の、味気ないものだ。

 別にレイトの家が貧乏なわけではない。祈りの日は、決まってこの朝食が出て来るのである。手間暇だって掛けているらしく、贅沢をしていないわけでもなかった。

「レイト、聞いているの? 母さんが何度も説明するのは、それがクジラへ祈る時に大切な事だから。母さん、何時も言っているでしょう? 祈る気持ちが大切だって。ねえ、あなた」

「ああ、そうだな」

 大事な事だって言うのなら、父のこの態度はどうかと思う。

 何時も、母が難しい話をする時、父はこんな風に聞き流している。きっと、父だって母のこの話はうんざりしているのだろう。

(けど、それで母さんに何も言われないのはズルいって思うんだよなぁ)

 祈りの日に、母が話をする先は、何時だってレイトに向けてだった。

 今、この瞬間だってレイトに話し掛けているし、レイトは父と違って、聞き流してもいなかった。

 この母は定期的に、ちゃんと聞いているかと尋ねて来るからだ。

(考えてみれば、生まれてから一度も、祈りの日に家を出た事が無いっていうのも……我慢強いよね、僕)

 ただ、今日だけは違う。我慢だってする必要は無い。既にそのルールを破る事を、心に決めてしまったのだから。

「レイト」

 と、この場では珍しく、父が自ら話を始めた。母の言葉を聞き流すだけだった父がである。

「何? 父さん」

「母さんは色々言っているが、要するに、約束はちゃんと守る様にしろという事だ。良いか? 守るという心掛けが大切だ。信頼というのは、そういうものから生まれる」

 珍しい父親の言葉。それはレイトに、ギクリとした罪悪感を与えて来た。何せこれから、日頃の約束を、レイトはあえて破る気でいたのだから。




(けど、僕にだって事情と……今日は家を出るっていう、学校の同級生との約束があるんだ)

 朝食を終えて、自室へ戻ったレイト。

 普段であれば、そのまま部屋で空でも見上げながら、ぼーっとしているところであるが、今は部屋の外の様子へ注意を払いながら、言い訳染みた事を考えている。

 正真なところ、染みてはおらず、実際言い訳であった。

(約束だって? ダングルの奴との約束が、そんなに大事か?)

 馬鹿げてはいた。父親の言葉が、まだ頭に響いているから、特に馬鹿らしいと感じる。

 悪い事だと思うのなら、やらなければ良い。そんな事はレイトだって分かっているのだが、どうしようも無い意地がそこにあったのだ。

(だから……こうやって、バレない様に、窓から外に出ようとしてる)

 折衷案みたいなものだ。親に叱られず、けれど意地も張れる。ちなみにレイトの部屋は家の二階にあるため、バレたら叱られるどころで済まないだろう。

「慎重に。兎に角慎重にだ」

 窓の縁に足を掛け、周囲の様子を伺う。窓からどうやって下に降りるかと、部屋の扉から、突然母親が顔を出さないか。その両方に気を使わなければならない。

 これだけの苦労をしていながら、見返り何てこれっぽっちも無いのだから、虚しい事をしていた。

(分かってる。分かってるけどさぁ)

 一度動いたらもう止まらない。戻れもしない。丁度良く、伝って降りられそうな雨どいを見つけたのだ。

 二階と言っても、自宅はそれほど大きな家でも無いため高さも無い。足場さえあれば、簡単に降りる事が出来るのだ。

 部屋へ戻る時も、この雨どいを使えばまた帰って来られるはずだ。

 レイトはそんな願望の元、雨どいに手を掛けた。

 その瞬間、二つ程、レイトは失敗する。

 一つは、警戒していたはずだと言うのに、部屋の扉を開いた母の顔が見えた事。そうしてもう一つは……。

「レイト!」

 母の……怒りでは無く驚きの表情が見えた。

 息子が自分の知らないところで、取り返しの付かないことをしてしまった。そんな状況を、まだ完全に飲み込めず、固まった表情。

 レイトもまた、同じ顔をしているのかもしれない。

 二つ目の失敗。手を掛けたはずの雨どいから、その手を滑らせてしまったのである。

(何か、体を支えるものは―――

 無かった。

 体が窓から滑り落ち、地面まで数瞬の浮遊感。だが、それもすぐに終わり、地面へとぶつかる衝撃があった。

「え?」

 だが、その衝撃は、想像よりも大した事は無かった。

 むしろ、衝撃とすら言えない。浮遊した後の着地。そんな感覚さえあったゆったりしたそれに、レイトは驚く。

(違う。違う。そうじゃない)

 驚いたのは、目に映る光景だった。

 地面に仰向けで倒れているレイトの目には、クジラが見える青い空と、どこまでも高い塔だけがそこにあったのだ。




 アンテライトの街には多くの人間が集まって来る。

 商人に旅人、そんな人間達に泊まる場所や食事を用意する者。街のガイドに、路上芸人や路上ではない芸人と、その姿は多彩だ。彼らに彩られた街は、大凡の人が、賑わった街だと表現するだろう。

 あと、忘れてはならないのが、魔法使いもまたその街に存在するという事。

「何人もいるから、目当ての相手を探すのも一苦労よねえ。どうにかなんないもんかしら?」

 街へと入る正門近くで、そこから見える街並を見つめながら嘆くのは、マナリー・ポートリーという女だ。

 確か数えで今年20歳になり、故郷においては結婚適齢期……を、少しばかり過ぎた女。女性としての魅力は顔や体に見えているものの、残念ながら相手がいない長身の女。

(と、その隣に立つ妹。私達を表現するなら、そういうものになるのでしょうか)

 マナリーの妹であるメイリー・ポートリーは、街並を見つめている姉の方を見ていた。

 自分の金色の髪とは大きく違う赤毛。その色に合わせた様に、姉は活発な性格をしていた。

 活発というか、過ぎて故郷の村を飛び出し、こんな街までやってきている。別に旅行者と言うわけではない。

 どちらかと言えば、姉妹揃ってある種の特別職であった。

「ちょっと、メイリー。聞いてるの? どうしたもんかしらって、私、さっき言ったと思うんだけど……聞こえて無かった?」

 若干、いや、かなり不安そうに話しかけてくる姉。メイリーが返事をしなければ、ずっとこんな調子で、それでも話し掛けて来る事だろう。

 それくらいに、彼女はメイリーに対して強権的では無いが、どんな相手にもしつこい人間だった。

「聞こえてます。聞こえてますよ、姉さん。それで、街で魔法使いを探すにはどうすれば良いか。でしたよね」

「そうそう。そうなのよ。意気込みは十分にあるけど、空回りしちゃったら嫌じゃない? こう、今は元気が溢れてるけれど、体力の限界ってのが私にもあるし」

「姉さんのそれは、私から見て底なしですけれど、確かに、無駄骨は避けたいところですねぇ」

 アンテライトの街にやってきたメイリーとその姉、マナリーであるが、この街ですべき事は既に決まっている。

 街に住んでいる魔法使いを探す事である。

「魔法使いさん。いるかしらね? いないと困るんだけど」

「そうですね。困りますね。けれど、居ないと言う事も無いのでは? 何せ、あの塔に挑むなら、必ず魔法使いの同行が必要との事ですし」

 メイリーの言葉で、マナリーは顔を上げた。ただし、元気が出たからではあるまい。どちらかと言うと、話題がそちらに向かったから、視線も同じく動いただけだ。

 マナリーが見つめる先をメイリーも見れば、そこには、街のどこからでも見る事が出来る、ひたすらに高い塔が存在していた。




「へへへ、姉ちゃん。田舎から来たみたいだが、世間知らずは危険だぜ? 今みたいな状況になっちまうからよ」

 頭を抑えながら、まあこうなるかとメイリーは考えている。

 場所は街の路地裏。下卑た顔で笑う男4人程に囲まれた、逃げ場は無さそうな袋小路だ。

 何故こんな状況になっているか? 姉がとりあえずそこらにいる相手に、良い感じの魔法使い知りませんかと尋ねて、いるぜ、案内してやるぜと怪しそうな男の返答に、ほいほい付いて行く事を選択したからだ。

(まあ……反対しなかった私の責任もありますけどね……)

 だから頭を抑えている。文句を言葉にしたい衝動だって抑えなければならない時もあるのだ。

「ねー、どうしようかしら、メイリー。これって、もしかしてナンパ?」

「広義的な意味ではそうかもしれません」

「おいおいお嬢ちゃん達。事の前に結構な余裕じゃねえか。それとも、そういう事に慣れて―――

「ナンパならお断りね」

「へっ!?」

 男達の内、マナリーにもっとも顔を近づけていた男が、地面にキスをした。

 もうちょっと直接的な表現をするのなら、マナリーが男の足を引っ掛けてバランスを崩したところを、相手が転倒する勢いに任せて、さらに自身の手で男の頭を押したのだ。

 結果、男が一人、地面へ頭からぶつかった。結構な衝撃だった様で、ひくひくと痙攣したまま、男は立ち上がって来ない。

「……そうですね。こうなりますよね」

 だいたい予想していた。姉は人に襲われれば襲い返すタイプの女である。その事をメイリーは良く知っている。

 良く知っているからこそ、ここまで放置し続けたのだ。

「なっ……お前……何っ」

「残り2人っと」

 姉のマナリーは凶暴だ。

 どれくらい凶暴かと言えば、とりあえず敵だと判断した相手は、一通り打ち倒そうとする女なのである。それはもう物理的に。

 さっそく、また別の男に近づくや、その顔面に、腰から抜いた木の棒を叩き付けていた。

 だいたい腕一本くらいの長さがある細い棒。軽いが勢いを付ければ、女の力でだって男を倒せるそんな棒。

 そんな物を腰にぶら下げている時点で、目の前の男達はマナリーを警戒しておくべきだったのだ。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。あ、も、もしかして、あんたら……あの塔目当ての冒険者だったのか……!?」

 二人が真っ先に倒され、怯える残った二人の男達であるが、こんな袋小路からでも見える塔を見やった。

 街の中心に建ち、天頂が見えぬ程のその塔。いや、その塔を中心として、街が出来たと言うべきか。

 その塔はずっとこの土地に存在し、その塔を目当てにした多くの人間を呼び込んだ結果、このアンテライトの街が出来たのだ。

 そうして男達が言う様に、マナリーとメイリーもまた、そんな呼び込まれた人間の内に入っている。

 とても表現しやすい単語も言ってくれた。冒険者。確かにその言い方が正しい。

「そういう事ですので。片方は逃げていただいても結構ですよ。残るもうお一人については……とりあえず、ポケットから取り出そうとしている何がしかを捨ててから、ちょっと待機していただけませんか?」

「ひっ」

 ポケットに手を突っ込んでいた方の男に対して、メイリーは短剣を突き付ける。

 姉が棒で戦うなら、メイリーはこの様に短剣を護身用の道具としている。

 そこそこに鋭く、そうして危険に輝く、女子供も使えそうな短剣だ。そんな短剣だろうと、喉元に突き付ける事が出来るのなら、大の男の動きを制限できる。

「あら、援護なんていらなかったのに」

「姉さんに任せていたら、全員を気絶させてしまいそうですから」

「じょ、冗談じゃねえ!」

「あ、おい! 待ってくれよ!?」

 逃げても良いと言った方の男が、背を向けて去って行く。これで漸く、一人の男に対して、メイリーは集中する事が出来た。

「ああ、安心してくださいね。別に酷い目に遭わせたり、嬲り殺しにしたりとか、そういう事はしないつもりですから。あなたが大人しく質問に答えてくれるのなら……ですけれど」

「なるほど、そういう感じのあれね。漸く分かって来たわ」

 姉はこういうが、絶対に分かっていない。そう難しい事が分からない姉なのだから仕方ない。姉妹仲良くしていくには、そんな姉に対する諦めが必要なのだ。

「そういう感じのあれですので、早く質問に答えてくれませんか? そこのあなた」

「何の質問だよ!? お、俺は……そんな……」

「ええ、分かっています。あなたも頭が悪そうに見えますから、そう難しい事は聞きません。期待もしてません」

「あなたもって、それ以外に頭の悪そうな人間ってここにいるかしら……いないわよね?」

「姉さんはとりあえず黙っててくださいね。後で飴を奢りますので。そしてそこのあなた。質問なら、ここに来る前に言いましたよね?」

 メイリーの方は、最初から目的なんて変わっていない。尋ねた相手が下衆な人間で、下衆な事を仕掛けて来ようとも、尋ねたい事はずっと同じのままだ。

「魔法使いを探しています。どなたか、心当たりはありませんか?」




 今年で恐らく14歳になる少年、レイト・ヒースの一日は、アンテライトに住む人々の平均からは、やや遅い。

 日が出て、暫くしてから動き始める人が多いのに対し、そこからさらに日が昇った頃に、レイトはベッドから体を起こすのだ。

「……きっついなぁ」

 ベッドから上半身を起こす。体は重く、頭はさらにずっしりと重い。別に風邪を引いたわけでは無い。この不調の原因は良く分かってもいる。

 就寝したのが、だいたい、今から3時間くらい前の事であるからだ。

(キリの良いところで終わっとくつもりだったけど、結局、最後まで読み進めたんだっけ)

 ベッドのすぐ横にある机を見やる。そこには雑に放られた一冊の本と、その隣で塔を作っている複数冊の別の本。

 いや、ちょっと言い方が違う。別に本は塔を作っていない。もっと雑に、山の様になっているし、机の上どころか、ベッドの一部分すら占拠し、あちこちで散らばっていた。

「整頓は……後にしようか」

 朝……もうすぐ昼かもしれないその朝は、様々な諦めの結論に達してから、ベッドより抜け出す事で始まった。

 その動きで、さらに何冊かの本が崩れた気もするが、やはり気にしない。整頓は後にすると決めたのだ。多分、もっと、ずっと後に回すのである。

 服も着替えない。今着ている服は着てからまだ一日と少しだけ。こちらに関しても、洗ったりするのは後に回せる。

 寝間着と普段着を併用できる、ちょっと長めで分厚いローブみたいなものなので、皺なんてものを気にせず済むのだ。

(少なくとも、僕自身はだ)

 他人がどう思うかは知った事じゃあない。顔も洗わず自分の部屋を出れば、呆れた様な顔をした男がこちらを見て来るが、やはり知った事ではあるまい。

「おやおや……どうやら、また徹夜をしたみたいですねぇ」

 扉を開けた先にある居間には、やや広めの机があり、その机の上に、皿を並べている男が話し掛けて来た。

 男……呼び方をもっと適切にするなら師である。

 彼の名前はファン・ヒース。年の頃は40代の後半。やや長めの黒髪を後ろでまとめ、顔には眼鏡を掛けており、全体的な風貌は知的なそれである男。

「えっと……その……はい。すみません」

 師がおはようより前に向けて来た言葉には、やや非難の感情が込められていたため、レイトは素直に謝る事にした。

 師に朝食の準備をして貰う事に対しても、弟子としては謝罪しなければならない事態だろう。

「理解はしているのでしょうが、それでも、行動を改めてくれなければ意味が無い。それは分かりますね」

 手際良く、机の上に並べた皿。そこへフライパンで焼いた目玉焼きを置きつつ、ファン師は話を続けて行く。

 要するにお叱りなのであるが、その話に対して、レイトは頭を下げるしか出来なかった。

 これからは行動を改めますとは言えないのだから。

「分かってはいるんですけど……どうしようも無いと言うか」

「勉学に励むのは良い。そもそも、だからこそ、私があなたの師となっているのですから。ですが、若いうちから寿命を擦り減らす様な事をしろとは言えない」

「若い人間って言うのは、無茶だってするものじゃあ……」

「あなたの場合は、その無茶を通り過ぎている。だからこそこう……ああ、止めましょうか。ここ最近は、毎日この話だ」

 説教を続ける間、師は既に、朝食の準備をすべて終えていた。

 説教の意味が無いと考えたからか、朝の作業が終了したからかは知らないが、師はそのまま、自らの席へと座る。

 レイトの席は、そんな彼の向かい側だ。この位置が、レイトとファン師の何時もの場所なのである。

「申し訳なく思ってるんですよ? ただ……やらなきゃいけない事ではあるんです」

 レイトも席へと座り、朝食を取り始める。徹夜の勉強と、だらしない起床。せめて朝食だけはちゃんと取れとの師の教えが、レイトに食事を進めさせていた。

「それに関しても毎日の事ですが……それで、成果はどの程度で?」

「その程度が良く無いから、焦っているんだと思います」

 最近、常にレイトは頭を悩ましていた。

 それは、この師から教えられている事に関係しているし、この師が書いたり購入したりした資料で悩みを埋め合わせようとして、徹夜だってしている。

「座学だけではもう満足できない段階……ですかね」

「それも分からないから、焦っています。実感が持てなくて」

 レイトはここ最近、ひたすらに不安な日々を送っていた。

 自分の人生に関わる、とても大事な事。それをどこかに置き去りにして、忘れ去ってしまいそうな、そんな不安が、何故か最近、大きくなって来ているのだ。

「分かりました。考えておきましょう。けれどあなたくらいの年齢なら、その人生を学習に費やすべきだと私は……こんな時間に何でしょうね?」

 師の話が中断される。玄関からノックの音が聞こえて来たからだ。

 師の家はそれほど広くは無いため、来客がれば、どの部屋に居ても気が付く。

「私が出ましょう。レイト、あなたは食事を続けて居なさい」

 師はそう言って席を立つが、さすがのレイトでも、そこで無神経に食事を続ける事は出来ない。

 師に言われたとしても、そこは遠慮するのが弟子と言うものだ。

 だから、師と来客がどんな様子なのか、聞き耳を立てる事にした。

「はいはい。何でしょうか。ええっと……朝から女性の訪問の予定は無いのですが……ええ? はぁ……どういう」

 玄関からは、師の困惑した声が聞こえて来た。来客は若い女性だったらしく、相応に高い声もまた聞こえて来た。

(確かに、うちみたいな男二人のむさい家に、女性がやってくるなんて、戸惑うってもんか)

 理由があると言うのなら、それは特殊なものだと思われる。何かしらの商品を押し売りに来たとか。

「そりゃあ確かに、その通りですが……どなたに聞きましたか? 私が魔法使いだと?」

(ああ、そっちか)

 聞こえて来る師の言葉に合点が行く。

 師は、アンテライトの街に存在する魔法使いの一人だ。魔法使いとしての師を目当てにやってくる客も、結構居たりする。

(とりあえず、僕目当てでは無いって事さ)

 当たり前の事であるが、弟子のレイトの方は、それほど名が売れているわけでも無い。

 ただ、師が魔法使いであるのだから、レイトは魔法使いの弟子であるわけで、レイト自身、魔法使いと呼べる立場ではあった。




「だから、その魔法使いのおじさまに用があって来たんですよ!」

 マナリー・ポートリーは、尋ねた家から出て来た男に対して、愛想良く(少なくとも本人はそう努めている)挨拶をする。

 妹のメイリーがチンピラ達より聞き出した、街で一番の魔法使いとやらに会いに来ているからだ。

 そうして、その家から顔を出した男。背格好や外見の年齢からして、間違いなく目当ての魔法使い、ファン・ヒースであると判断して、積極的攻勢に出たのである。

「あの……二回目になりますが、尋ねさせてください。どうやって私が魔法使いで、この家が私の家だと判断できたのです? 見る限り……失礼ながら街の人間では無さそうですが」

「街の出入口付近で会った、若い男の人たちに聞きました! 何でも話してくれましたよ?」

 メイリーが上手い具合に脅していたから、間違いない。目の前の男だって、自身が魔法使いである事を否定しなかったので、問題も無い。

「若い男たち? そういう知り合いが居たかな? ええっと、それで……確かに、私はファン・ヒースと言う魔法使いなのですがね? 突然に尋ねられて、会いに来たと言われても、困ると言うか」

「困惑されるのも仕方ない事ですね。訪問の理由も、碌な挨拶も無しで。姉さん。少し黙っていてくれませんか?」

 何故か、隣にいるメイリーに口を塞がれてしまった。文字通り、手の平で無理矢理に。

 どうしてだろうか。自分はこんなにやる気なのに。

(あんまり邪見に扱うと、お姉ちゃん暴走するわよ?)

 そんな事を考えながらも、口出ししたって口で妹に勝てない自分なので、とりあえず様子を見てみる事にする。何分持つか自分でも分からないけれど。

「失礼しました、ファン・ヒースさん。私はメイリー・ポートリー。こちらは姉のマナリー・ポートリーと申します。ご自宅の方へ訪問させていただいたのは、姉の言う通り、魔法使いを訪ねての事だったのですが、その理由は―――

「言わなくても、薄々は分かってきました。なるほど。あなた方は冒険者ですね」

「すごい! どうして分かったんですか!?」

 さて、一分も持たなかったわけであるが、マナリーは口を開いた。

 メイリーの方は、何やら頭の痛そうな顔をしているが、これは何時もの事なので無視しておく。良く良く頭痛持ちな妹なのだ。

「お二人共、旅慣れた服装をしていますし、一方で観光や商売が目当てなのならば、私の様な者を訪ねてはきませんからね」

「そうなんです。観光や商売で来たんじゃあないんです。けど、観光には良さそうな街ですよね! 街のどこからでも塔が見えて、街も賑わってて、それで居て、絡んで来るチンピラが多いですけど」

「そこについては、街の住人として申し訳ない話ですが……なるほど。あなた方は、私を雇いたいと考えている?」

 何だか、こちらの提案を先読みされ続けている。眼鏡を掛けているだけあって、頭も良いらしい。何せ眼鏡を掛けているのだから仕方ない。

「あのね? 姉さん。黙っていてくださいって言葉の意味は分かりますよね?」

「分かるけど、黙りたくは無いかしら。私、やっぱり喋ってるほがふっ……むー! むー!」

 妹に唐突に腹を殴られ、腰を曲げたところで、両の腕で口元を塞がれる。

「すみません。うちの姉が本当にこんなで。その……あなたが街一番の魔法使いであるという事を聞き及び、ここまでやってきたのですが、そこまでは理解していただけましたか?」

「え、ええ……その……あなた方が今、流れる様に行った事に関しては理解し難いですが……ここに居る目的は分かりました。しかし、それを受け入れるわけにはいきません。何せ私、魔法使いとしてはほぼ引退した身ですので……」

「そうなんですか? けれど……そうであれば困りました。私達、街に来たばかりで、魔法使いについてはアテが無く……」

「ふむ。確かにそれは、あなた方にとって困った事態でしょうね……そうなると……いや……しかし……あっ、それはそれとして、宜しいのですか?」

「何がでしょう」

「その……姉妹の方の顔色が、とても悪いそれに……」

「あら」

 ファンの言葉に、メイリーは漸くその腕をマナリーから外す。

「ぷはっ! ちょ、ちょっとメイリー! 今のは無いんじゃない!? 私、ちょっと3年くらい前に死んだおばあちゃんの顔が見えたんだけど!?」

「まあ、姉さん。それって、とても貴重な体験かもしれませんよ? 生きて死んだ人に出会えるなんて」

「死に掛けたって言ってんのよ! ああもう。ほら、ファンさんが困ってるでしょ? 私が死んだりしたら、もっと困ると思うのよ」

「確かに、家の前で死体が出来上がるのは、御免被りますが……やっぱり、止めとこうかな……」

 何か、ファンはこちらへ提案しようとしていたらしいが、これまでのやり取りからか、及び腰になっている様子。

「ええっと、もしかしたら、別の魔法使いを紹介していただける……予定だったりとか?」

 メイリーは若干、焦りを見せながらファンに尋ねている。姉を無下に扱うから、そういう困った状況にもなるのだ。反省して欲しい。

「いえ、忘れてください。ちょっとまた、別の方に紹介する事にしましたので」

「ええっ。どうしてですか!? 私達、冒険者としてはそれなりの腕だから、魔法使いさんもきっと、大喜びしますよ! 小躍りして、そのまま崖から落ちちゃったりしたら、責任はちょっと取れないかなって私思いますけど!」

 妹が不甲斐ないせいで、大切な話題を取り逃がしそうになっている。だからこそ、マナリーは小粋な営業トークでフォローしようとするのであるが。

「すみません。やはりあなた方はちょっと……信用できないという話ではありませんが、それ以前の問題と言いますか……正直なところ、勘弁していただけませんか」

「何故に!?」

 これほど頑張って、こちらの思いを伝えようとしているのに、まったく通用していない様子。

 あちらは妹と同様に、何故かこちらを害虫でも見るかの様な目で見て来るのである。

「本当、うちの姉が大変に申し訳ありません。頭を下げるしかできないこちらですが、出来る事ならば、その別の紹介先について話していただく事はできないものでしょうか?」

「そうですねぇ……」

「冒険者なら、塔目当てにこの街へ来たんですもん。そりゃあ魔法使いの紹介が欲しいですよね」

「そうそう。そうなの。魔法使いさんを雇えなきゃ、無駄足に……あん?」

 ここに来て、また別の人間が現れた。

 ファンの後ろ側の玄関口。そこから、だぶついたローブを着込み、寝癖の目立つ黒髪を頭から生やす、だらしの無さそうな顔をした少年が現れたのだ。




 ファンと来客の会話を、レイトはそこまで真剣に聞いていたわけではないし、興味も薄かった。

 しかし、その来客二人。マナリーとメイリーと言う姉妹らしいが、彼女らが冒険者と聞いて、席を立ち、会話に参加させて貰う事にしたのだ。

「おはようございます。僕はファン先生の弟子である、レイト・ヒースと言う者です」

「レイト。あなたは朝食を続けて居なさいと言っておいたでしょう?」

 あまり参加させたくない話題だったと、ファン師は暗に伝えて来た。

 ただ、レイトとてそれを承知している。それ以上に、聞き捨てならない話題であったのだ。

「ヒース……息子さんですか?」

 姉妹の内、礼儀正しそうな方の女性が口を開く。話の流れを聞いた限りは、メイリーの方だろう。

「息子……ええ、一応、養子と言いますか―――

「ファン先生の弟子です。身寄りが無いので、一応、養子として身受けして貰ってます」

「弟子と言う事なら……つまりあなたも?」

 話が早くて助かる。そういう話を、今、ここでしたかったのだ。

「魔法使い。僕も魔法使いです。引退した先生と違って、現役の」

「魔法使い! え!? 本当?」

 元気が無駄に良さそうな方の女性、マナリーがこちらへ飛び掛らんばかりにその場で跳ねた。喜びを表現した様子だが、若干、勢い余って怖い部分がある。

「レイト、嘘はいけません。あなたは現役ではなく……」

「まだ見習いですが、現役は現役でしょう? そりゃあ、経験だって無いですけど」

 師にこちらの売り込む価値を一つ、さっそく潰されてしまったが、尋ねて来た姉妹はどう反応するだろうか。

 とりあえず、真っ先に何かしら言いそうな姉のマナリーを見てみる。

「んんー、経験が無いって事は、その、ちょっと詳しい、素人みたいな魔法使い君ってこと? あなた?」

「端的に言ってしまえばそうですね。そういう、見習い魔法使いです」

 思うに、望みは薄そうに見える。幾ら彼女らが魔法使いを必要としていると言っても、レイトの様な立場の人間を、金を出してまで雇いたいとは思わないはずだ。

 だから、次の売り文句を言葉にするのだ。

「けど、残念ながら、この街の大半の魔法使いは、既に誰かに雇われていると思いますよ」

「え? そうなの!? 道理で探してみても……いえ、探してたりは、まだそんなにしてないわね」

 ならばチャンスはある。相手はまだまだこの街について知らないのであろうから、これから、ある事無い事を吹き込み―――

「そこまでです、レイト。あなたは何時、師の私の意向を無視して、魔法使いとしての役割を自分で決められる立場になりましたか?」

「うっ……いや、けど、先生」

「許可無く、自らを雇わせる事は禁止します。それとあなた方……マナリーさんとメイリーさんでしたか。わざわざご足労いただき申し訳ありませんが、魔法使いを雇う事も、魔法使いを紹介する事もできません。本日は、お帰りいただけませんか?」

「ええー、そんなー」

「姉さん。無理とは知っていて忠告しますが、空気を多少なりとも読んでください。完全に拒絶されていますから、これ以上は無理みたいです」

 レイトが望む展開になってきたと思ったタイミングで、これである。ファン師がいるところで、迂闊に欲望を晒すべきでは無かった。

「魔法使いは無理ですが、良い宿くらいなら紹介させていただきますよ。レイト、あなたに関しては、今日一日、勉学は禁止です。朝食を終えたら、街で散歩でもしてきなさい。分かりましたね?」

「はい……」

 こうなってしまえば、どう足掻いたところで、ファン師は意見を変えてくれない。反論したって無駄だ。そんな事、これまでずっと理解し続けてきたのがレイトなのだ。




 今日も塔が高い。何時だって塔は高いし、そのすぐ下に来れば猶更高い。雲の少ない良い天気であれば、やはり塔は高く見える。

(空の果てを貫いて、この塔はある。らしい)

 師から聞いた言葉。いや、師が持っている資料に書かれていた言葉だったか。

 どちらかを思い出せないまま、レイトは塔をそのすぐ下から見上げていた。

(……考えるにしたって、ちょっと雑音が多いな)

 ファン師の言う通りに、街の散歩をしているレイトであったが、自然と足は塔の近くまで向かっていた。

 そうして辿り着くわけだが、そこで何かが起こるわけでも無い。

 塔の真下と言っても、そこは人が大勢いるし、建築物を建てる事は禁止されているが、露店等は許可さえ出せば許されているため、そういう店もまた賑わいの一部となっていた。

「んー? あれ? あなた。ちょっと、そこのあなた」

 これもまた賑わいの一部。雑踏の中から声が聞こえる。何やら間の抜けた馬鹿っぽい声だ。大分間抜けなので、そんな印象がまずあったが、女の声で、どうやらレイトへ話しかけて来る声である事にも気が付く。

「って、え? 僕?」

 話し掛けられた方を見れば、朝に家へ尋ねて来た姉妹。その片割れであるマナリー・ポートリーがそこにいた。

「そうそう、そこの僕。僕ちゃん? どっちでも良いけど、ええっと……名前なんだったかしら。思い出せないの。いえ、忘れたわけじゃなくて、こう、ここまで来てるんだけど」

「レイトです。レイト・ヒース。思い出さなくて良いから、その喉をどんどんと叩く仕草やめてくれません? 周りから変な女がいるって思われてますよ、きっと」

「そうかしら。そんな変なジェスチャーだったかしら。けど、それもまた乙女よね」

 どうだろうか。女性ではあるが、乙女かどうかを考えるならば、ノータイムで否定できそうに思えるが。

「……いやいやいや。そもそもそんな話じゃなくて、いきなり話しかけて来て、何なんです? 魔法使いを探してるんじゃなかったんですか? 妹さんも居ない様ですけど」

「ちょっと、まって。いきなりそう何度も尋ねてくるもんじゃあないわ。お姉さん、そういう時は幾つか忘れちゃう性質なの。えっとね、まず、妹のメイリーが居ない理由だけど、ほら、あなたの先生に、宿を紹介されたじゃない?」

「そういえばそんな感じで厄介払いされてましたよね」

「……厄介払いだったの?」

 どうしようか。正直に言えばその通りだし、嘘を吐こうとしても、適切な言い方が出来ない気がする。

「とりあえず、そこらへんぶらっと歩いておけば、何かこう、良い感じに話を逸らせそうだからそうしません?」

「あら、メイリーと同じ事を言うのね。あの娘も、私達が紹介された宿に泊まるための手続きをしてた時、姉さんは邪魔なんで、そこらへんをぶらついてたらすっごい助かりますよって言って来たのよ」

「妹さんがここに居ない理由と、何であなたがこんなところに居たのかの理由はしっかり分かりました」

 ただ、正直近寄りたくない気持ちにさせられたので、プラスマイナスゼロと言ったところだろうか。

 何だか空を見上げたい気持ちにもなってくる。塔がまっすぐ伸びる晴天が映るのみだが。

「ああ、それなのよ。空を見上げてるあなたの顔を見て、つい、話し掛けちゃったのよね」

「何でです?」

「だって、今朝がた会ったばかりの少年が、泣きそうな顔をして空を見上げてれば、気になって、どうしたのって話し掛けたくもなるでしょうが」

「泣きそうって……」

 目元に手で触れる。別に濡れてなんていないし、泣いてもいない。だいたい、空じゃなくて塔を見上げていたのだ。

 何時だって、自分は塔を見上げている。それだけで、泣きそうになるはず何て無い。

「違ったかしら? そういう雰囲気にだけは鋭いつもりだったのだけれど。じゃあ何で、空を見上げていたの?」

「そういう気分になる時だってあります。僕は魔法使いで……それに見上げてたのは塔ですし……」

「あ、そうね。魔法使いなら、そうやって塔を見上げたくもなるわよね。良く分かんないけれど」

 良く分からない癖に、あれこれと話す相手である。しかも、妙に隙を突いて来るのだから厄介だ。

「魔法使いは……少なくともこの街の魔法使いは、この塔に対しては強い思いを抱いてるはずですよ。そもそも、この塔が無ければ、食べて行けませんからね」

「そうなのよねぇ。それが私にとっても問題。この塔、魔法使いが居なきゃ入れないって話、本当なのよね?」

 本当だ。アンテライトの街の中心にそびえ立つ、遥かな天を貫く塔は、その出入口を常に塞いでいる。

 その出入口を開く事が出来るのが、街の魔法使いである。

 さらに塔の内部は、幾つもの、用途が不確かな装置が幾つも存在しており、それをどうにか出来るのも、魔法使いが持つ知恵だけなのだ。

「とりあえず、塔目当ての冒険者は、必ず魔法使いの手を借りる必要があるとは断言しておきます。何なら、これからあの出入口に向かってみると良い。幾つもあるから、誰かに邪魔されるって事は無いはずです」

 塔はその高さのせいで細く見えるものの、近くへやってくれば、その太さだって、並の建築物を遥かに凌ぐ。

 円柱状のその形の下部には、幾つもの出入口が存在していた。一つ一つがこれまた大きく、家がまるまる収まりそうな穴がそこにあった。

 その穴を進めば、塔の内部だ。ただし、すぐに行き止まりに突き当たるのであるが。

「話には聞いてるわよ。魔法使いが同行しないと、行き止まりがあってそこまでだって。それで魔法使いさんが居れば、そこで……ええっと、何とかなる」

「中にどう入るかは秘密ってところです。話すとなると、街の他の魔法使いから、色々と嫌がらせもありますし……」

 もしくは、もっと酷い状況に遭う事もあるだろう。何せ、そういう秘密こそが、魔法使いが生きるための糧なのだから。それを奪われるとなれば、必死にもなる。

「あなたは……知ってるの? その秘密」

「言ったでしょう? 見習いとは言え僕も魔法使い。勿論、塔への入り方も知ってますし、入ってから、どうやって上を目指すのかの知恵もある。だから……例えば冒険者の方が同行してくれるのなら、その中の価値のあるものだって提供できる」

 少しばかり営業文句っぽくなってしまったが、つまり、この街の賑わいとその構造の話であった。

 街の中心にある塔は、それこそ街が出来る前からそこに存在し、ある時に誰か、恐らく最初の魔法使いが、塔への入り方を発見したのだ。

 その塔の中は、ある意味、宝の山でもあった。塔の中には、何者かが残した物が多く存在していたのである。

 宝石みたいな結晶。異常な程の硬度と軟性を持つ金属。細緻を極める部品により形作られた絡繰り細工。

 それらは高く評価された。俗な物言いをするならば、高く売れたのだ。

 何時しか塔の周囲には、それらの物を目当てにした人間達が集まる。人が集まれば、自然と村が出来上がり、街へと発展していく。

 それこそがアンテライトの街であった。

「私達、そういう価値のあるものを求めてこの街へ来たの」

「ええ、冒険者なら大概がそうですよね。そうして需要もある。塔が発見されて、街が出来上がるまでは相当の時間が流れています。手頃な場所にある宝物なんてのも、もう無いでしょう」

 だから、それまで手が届かない場所にすら、人は貪欲に手を伸ばし始めたのだ。

 塔の内部の専門家が魔法使いだとしたら、彼らは労力としての冒険者を雇う事で、さらに探索範囲を伸ばそうとしたのである。

 そんな構造が、さらにアンテライトの街へ人を集める事になっている。タワーラッシュと言ったところだろうか。

「ごめん。そういう複雑な話はちょっと……頭が痛くなってきた。私も空を見上げて良い?」

「そこは冒険者なんだから分かりましょうよ。妹さんも大変だな……」

 あまり、話をしたって仕方の無い相手だったかもしれない。

 だいたい、話し掛けて来たのはこの女性なのだから、レイトの方が話題を継続する必要は無いはずだ。

「私はねー。塔に求めるのは冒険と名誉ってやつなの。故郷に錦を飾る? そんなの」

「はぁ、そうですか」

 邪見に扱うのは何であるが、真剣に聞く必要も無いと、レイトは話を流す事に決める。

「だかんね、別に、街にいる魔法使いみんなに断られたとしても、それはそれで構わないかなって思うのよ。世界なんてだだっ広いし、冒険をするところ何て幾らでもある」

「そうでしょうね。冒険者なんて職業、そんなもんだと思います」

「耳が痛い話よねー。不真面目で怪しい奴なんて言われる事もあるし、実際、そうなんでしょうけど、だからちょっと気になる」

「何がです?」

「ひたすら、真剣に、塔について気にするあなたが」

 人差し指をこちらに向けるマナリー。やはり、心の隙を突いて来る相手だ。

 どうしたものか。これ以上、痛い部分をくすぐられるより前に、この場を離れてしまおうか。

 逡巡するレイトであったが、その時間すらもマナリーにとっては遅いらしく、次の言葉を続けて来た。

「冒険をする時に必要な人間って、どういう人間だと思う?」

「知識と技術がある人間ってところじゃ?」

「それも大事だけど、何より、その冒険に、どこまでも人生を費やせる人間が重要ね。そういう人間なら、知識も技術も後から付いて来る。そう思わない?」

 どうだろうか。どれだけ人生を費やせたとしても、知識も技術も無く、向こう見ずに事を行えば、その人生とやらの終わりはすぐ先にあるかも。

「……僕が、そういう人間に見えたと?」

 少しばかり、流せない話題になってきた。レイトは逸らしていた目線を、もう一度マナリーの方へ向ける。

「違うかしらん? だからね、あなたが見習いとは言え魔法使いだって言うのなら、ちょーっと雇っても良いかなって思った。あくまで直感だし、メイリーの奴がどう言うか分からないけれど」

「こっちだって、ファン先生が許可なんてくれませんよ」

 レイトにとっては、そこが一番の問題だ。ファン師は、何時かはレイトを一人前の魔法使いとして認めてくれるだろう事は分かる。

 そうして、その時がレイトにとって、塔を目指す時になるであろう事も。

(けれど……それじゃあ遅いんだ。今だって、時間を掛け過ぎてる。僕が……この街に来て何年経った?)

 自分の身の内を思い出す。何時だって、心の奥底が掻き毟られた様に疼くその思い出を。

「私もねー、あなたを雇いたって言っても、メイリーが何て言うか。ほら、見る限り、まっじめーな感じでしょ? うちの妹」

「あなたに比べれば、誰だって真面目では?」

「あらあら言うじゃない。けど、これからしようとしてる事を考えれば、確かに私ってば不真面目かしら?」

「は?」

 マナリーは強く、レイトの背中を叩いた。そうして、塔の方を指差す。

「お姉さんが人生の中で学んだ事の一つ。誰かに無茶を通したい場合は、既成事実にしちゃいなさい。行くわよ、塔へ。入り方、知ってるんでしょう?」

「え? いや……はい?」

 レイトは戸惑いの声を発し続けるのであるが、押される背中への抵抗は、あまり力の無いものであった。




「何で僕……こんな事してるんだろう」

 塔の入り口の奥。広い穴の奥にある、これまた大きな、金属光沢を持つ壁に手のひらを付けながら、レイトは呟いた。

「あら? 流されるにしても、流されまくってる人が言う事じゃないと思うわよ」

「流してる側が言わないでくださいって」

 隣に立っているマナリー。レイトが作業を続ける間、彼女は暇らしく、良く良く話し掛けて来る。

 集中できないから、どこかへ行って欲しいのであるが。

「んー、壁に手を触れて、いちいち手を動かしてるけど、それが塔への入り方なの?」

「そんなものですね。ああ、動きを憶えても駄目ですよ? 手の動かし方以外にも、ちょーっと特殊なやり方がありまして」

「安心して。3秒くらい前の手の動かし方すら、私、憶えて無いわ」

「これから塔に入る同行者がそれって、まったく安心できないんですが……っと、これで終わりです」

 レイトが作業を終えると、触れていた壁の一部が青く輝き始めた。

 輝きは最初、点でしか無かったが、線状に伸びて行き、壁に複雑な紋様を映し出す。

「なんだか……扉みたいな形になったわね?」

「そう。これが、正真正銘、この塔への玄関口ってところです。さあ、まずはマナリーさんが手を触れて」

「うん? 私が……これに手を?」

「そうです。でなきゃ、塔に入れないでしょう?」

「……どうしても?」

「何で嫌がってるんですか」

「だって、何かこの光、ぬるぬるしてそうでって、あっ、ちょっと背中押さないでよ! いやぁ! 何これ! 壁に手が入ってくんだけど!? これで良いの!? これで良い感じなの!?」

 五月蠅い冒険者もあったものだ。冒険者みんながこんな感じなのだろうか。

 レイトはこの後の事への不安を感じながらも、マナリーを壁の光へと押し付けて行く。

 壁は何故か、マナリーの障害物とならずに、傍から見ればマナリーが壁へと埋まっている様にも見えるだろう。

 そんなマナリーが完全に壁へと埋まった後、レイトも彼女を追って壁へと触れる。

 自らの体も壁へと飲み込まれている様であるが、その実、実際に埋まってはいない事をレイトは知っている。

(どっちかと言えば転移……転送? そういう類のものだと言う説もある)

 壁に埋もれて、壁の向こう側へ向かっているというわけでも無いのだ。この入口は、まったく別の、塔のどこかの箇所へレイト達を連れて行ってくれる。

「おおう、うっわぁ……ここが塔の中なのねぇ」

 マナリーの馬鹿っぽい声が聞こえる。レイトの方も、塔へ入る際に発生する視界の暗転から回復し、その目には塔の内部が映る様になっていた。

「広いでしょう? ここがまず、塔の一階ってところです。

 幾つもの、金属で出来た様な階段や土台。何らかの巨大な装置等がそこに存在している。所狭しと言う印象もあるが、一番驚愕するべきは、塔の壁の縁に立つレイト達の目に、反対側の壁の縁が見えないと言う事だろうか。

「ひったすら広くて、障害物も多いせいで、全貌ってのが分かんないわね、これ。これで……一階って事なの?」

「そうです。魔法使いの同行が、ここでも必要でしょう? 一応、この一階部分に関しては、大半の部分が探索されています。だから、次の階へ上がる事も出来ますし、その次の階も、同じ様な広さですよ」

 言いつつ、上を見つめる。階を上がると言ったが、実際に上がっているかどうかも分からなかったりする。

 今、自分達が居る階が、入口の次に立つ場所だから、便宜上そう呼んでいるに過ぎないのだ。

 詰まるところ、この塔は謎に満ちた塔と言う事。どこまで続くのかと天井を見つめたって、内部を照らす、これもまた動力不明の照明があるのみである。

「確か、価値あるものは、上へ昇らないと無いって聞いてるんだけども」

「そうですね。上へ向かえば向かう程、未探索の領域が増えて、面白い物があるかも。勿論、未探索なもので、危険の予測とかもし辛くなりますけど」

「危険……どこまでも人工物? そう言うべきかは知んないけど、こういう場所で、危険な物もあったりするのかしら」

「じゃなきゃあ、冒険者なんて人達を必要としませんって。っと、ほら、例えばこんなのだ!」

 物陰から、何か動くものが飛び出して来た。レイトはそのものを避け、姿勢を立て直し、飛び掛って来たものを確認する。

「ちょっと、大丈夫? って、大きな鼠だこと!」

 飛び掛って来たのは、一抱えくらいの大きさのある鼠だった。耳が広く大きく、顔はどこか愛嬌があるものの、偶に人間を襲ってくる。

 今もまた、レイト達に襲い掛かってきているのであるが……。

「ああ、もうっ!」

 今度はマナリー目指して飛び掛り、彼女の持って居る棒の様なもので叩かれ、逃げ出して行った。

「良い体捌きしてますね。これなら中でも安心かな」

「襲ってくるのがあんな鼠なら、あなたを守るくらいはできるわよ? けど……鼠だけよね?」

「いやあ……この一階ではそうかもですね。次、行きましょうか」

 何時までもここで立っていたところで仕方ない。レイトは塔の内部にある、次の階へと進むための場所へと進んで行く。

「随分と慣れた発言と行動だけど、やっぱり何度か来た事あるっぽい? あなた」

「見習いとは言え、魔法使いを名乗る以上、塔の中には入っておかないとですよ。ただ、ファン先生に同行して貰ってですし、行くとなってもだいたい5階までです」

 そこまでは、塔の中でも比較的安全だからこそ、ファン師もレイトを案内してくれた。

 実際には危ないと思った事は何度かあったものの、この通り、レイトの命は失われていないのだから、確かにまだ安全なのだろう。

「んー……塔って、上に行けば行くほど、危険な場所って考えて良いのかしらん?」

 歩き、金属の壁をなぞりながら、マナリーが尋ねて来る。一階なんて、見るべきものなんて殆ど無く、先へと進むだけなのだから、お喋りはむしろ歓迎だ。

「未探索の領域が多くなりますから、必然的にそうなりますし、この塔、多分なんですけど、すごく性格の悪い奴が作ったんだと思うんです。価値があるものに比例して、妙な罠……トラップみたいなのが多くなるんですね」

 それが塔の探索を困難にしているし、一方で探索そのものへの熱意を擽り続けている。

 街を運営する者達にとっては、人の流入が促されて笑いが止まらないと言ったところだろうか。

 最近では、塔を崇める宗教染みた連中まで出てきているらしいが。

「じゃあ、私みたいな新参者がきっちり名誉とお金を得ようとするなら、上の危険な場所ってところに行くしかないわけねぇ……憂鬱。だいたい、どれくらい昇ればそういう場所なのよ」

「現在、塔への挑戦者の中で、もっとも上に行った記録は49階までですね」

「……正直な感想言っても良い?」

「どうぞ」

「意外とそれほどでも無いのね?」

 レイトが先導して前へ進んでいるため、マナリーの表情は見えないが、もしかしたらレイトの答えに驚いているのかもしれない。

 マナリーの気持ちも分かる。恐らくレイトが生まれる前から、塔の探索というのは行われてきているのだ。その事実に対して、まだ49階までしか塔の探索が進んでいないというのは、意外な話ではある。

「危険な場所って事でもありますし……色々と事情もあると聞いてますね。それに49階はかつて辿り着いた人がいたってだけで、現状、主な探索がされているは36階くらいまで……だったかな」

 それくらいの階で探索物を街へ納めれば、十分過ぎる見返りがあると言う事だ。

 食うに困らない程度の成果と言う意味なら、もうちょっと低い階での探索だって、それなりの報酬が期待できるだろう。

「ちょっと、わくわくしてきたかも。魔法使いさんの手を借りれば、一攫千金も夢じゃないって感じ?」

「それほど簡単なわけでも無いと思いますけどねぇ……僕もまあ、上の階に関しては、資料でしか知らないんですけど」

 とりあえず、自分が向かった事のある二階部分までは進むつもりのレイト。そこまでは安全を確保できるし、休み無しでも十分に辿り着ける目算がある。

 問題は、そこからどうするかだ。

「こうやって、一緒に塔に入った以上、私、何かしらを持って来なきゃ、妹に叱られちゃうと思うのよね」

「それは僕も同じです。ファン先生にバレて叱られるなら兎も角、何も成果が無ければ、それこそ魔法使いとして失格と言われる」

 それだけは避けたいのだ。叱られる事は良いが、魔法使いには向かないと断定される事は、レイトにとってもっとも痛手だと考える。

「じゃあ、今から高い階を目指さなきゃなのね!」

「やる気になってる事申し訳ありませんが、より上の階目指すってなると、一日程度じゃたどり着けませんよ。そういう準備……お互いにしてませんよね?」

 少なくとも、塔の中で寝泊りするための道具や食糧が必要になってくる。突発的に塔へ挑戦することにしたレイトとマナリーは、当然、そんな物を用意していない。

「えー……じゃあどうすんのよ。このまま帰っちゃう? まだ時間的に、バレないと思うけど、それはそれで情けない話よね?」

「同感です。情けない人間には成りたくない。何かを成し遂げられる人間にならなきゃ意味が無い。だから……くだらない事でもやってみましょうか」

「やっぱり、高い場所を無理に目指すのね? 時間を間に合わせるために寝ずの突貫!」

「そういうの好きそうだから、やっちゃう前に行っときますけど、違いますからね」

 レイトがするのは、もうちょっと狡い事だ。正道では辿り着けない成果というのもまた存在するのである。

「んー……じゃあどうするのよ。お金儲けって、楽なもんじゃないわよ?」

「そういう事もまた正論ですね。そこは好感です。けど、苦労なら前払いでしてきましたんで、あとはいただくだけなんですよ。僕の知識が、古くさく無ければの話ですけど」

 ずっと、ファン師の元で勉強を続けていた。

 それは魔法使いとしての教えを受けていたと言う意味であり、そのまま、塔の内部についての知識でもある。

 五階までしか実際に昇った事の無いレイトであったが、資料として残っている事柄については、目に映ったかの様に想像できる。

 何時かは自身も塔に昇る。その日のために、ひたすら知識だけを蓄え、反芻し、また自分の血肉にして来た。

「もう少しで二階へ上がるための場所へ辿り着きます。今回の目的と言えば良いのか……流れでこうやって塔の中に入った上での、出さなきゃいけない結果は、その二階にあるって事ですね」

「たった二階。この上に……」

「上かどうかは分かりませんが、辿り着ける二つ目の空間である事は確かです。はい、ここですよ」

 一階については、塔内にうろつく野生化した大鼠に気を付けていれば、次の場所へと向かえる。

 そこには、幾つかの建造物の隙間を歩き、辿り着く事が出来る。あるものと言えば、妙な紋様が彫り込まれた金属の床だった。

 それ以外は何も無い。狭苦しい空間と廊下とも呼べない狭い道があるのみ。

「何? こういう場所でも、魔法使いの同行が必要ってわけ?」

「ですね。この紋様を踏めば自動的にってほど、親切な塔じゃありません。ちょっと待ってくださいね」

 レイトはその場でしゃがみ、床の紋様に手で触れる。

 階の移動に関しても、魔法使いの知識は必要だ。知識さえあれば、一般人でも可能ではあるのだが、そこはやはり、街の魔法使いは秘匿している。

 街に住み、街で食べて、街で生きていくための大切な知識……なのだろう。レイトにとっては、そこまでの実感は無いが。

(だからこそ、僕はまだ見習いの魔法使いなのかもね)

 ほんの少しだけ、自分の事について考える。自分が魔法使いでありながら、他の魔法使いとは違う部分。

 ほんの少しだけ考えて、それで終わる。すぐに床の紋様が光り出したからだ。これで、階の移動はできる。

「床に乗ってください。この状態なら、それだけで次の階に向かいます。ちょっと、びっくりするかもですよ?」

「この塔に入った時に驚いたから、またって事も無いんじゃないかしら?」

「どうでしょうね?」

 二人して床を踏み込むや、また視界が暗転する。ここは塔へと入る時と変わらない。変わるのはこれからだし、驚くのはここからだ。

「……ごめん。前言撤回しちゃう」

「でしょう? 誰だって、こんな光景は予測できない」

 草原がそこにある。とこまでも続きそうな草原と青空だ。

 自分達は、塔の外へと弾き飛ばされたのか? いや、そうではない。ここもまた、塔の内部だ。

 一階部分とて、色々と建造物が多かったから分からなかったのであろうが、この程度の広さがある。それが塔なのだ。

「さすがに、空はそういう絵って言えば良いのか……動く絵みたいなものみたいです。壁についても、すごくリアルな絵みたいなんですけど、それでも、相当な広さがありますよ。それこそ、どこかの土地にある草原程度には、中を楽しめます」

 そして今度は、目印の無い、迷宮とすら呼べない塔の内部を探索して、次の階を探さなければならないのだ。

 もっともそれは、どこに次の階へ向かう場所があるかを知らなければであるが。

「このだだっ広い草原のどこかにも、上へ向かえる何かがあるって事よね? そうじゃなきゃ、ちょっと……こう……大変な感じの……」

「言葉が思いつかなければ、無理しない方が良いんじゃないでしょうか。遠目に見える景色や、空にある雲の動き方にも癖がありますから、方角さえ分かれば、迷いはしないんですよね。次の階についても、場所さえ知っていればすぐに向かえる」

「けど今回の目的地はここ……なのよね? ここで何かをして、すぐに帰るの?」

 その予定である。今日はさらに上を目指すつもりは無いし、その必要も無いとレイトは考えている。

 塔を探索する上での成果物は、確かにこの階にあるはず。

「上手く行けば今日中に帰れますよ。ところでマナリーさんは、この階についてどう思いますか?」

「どうって……だだっ広くて、目印になるものも少なくて……お昼寝するなら良いところだけど、冒険はしたくないかもしれないわね」

「多分、大半の人間はそう考えると思うんです。昼寝はともかく、冒険とか探索の必要は無いから、次の階へ進もうって」

 それはまあ正解だろう。ここはまだ塔の二階目。先はまだまだあるし、一階と同様に、既に探索はし尽されている。誰もがそう思っている事だろう。

 そこに盲点がある。

「塔の各フロアはまさに円の形をしてる。で、一階から二階へ出る場所はその円の内のどこかで、まっすぐ三階までの地点へ向かうとすると、結構、塔内で見逃す部分ってありますよね?」

「そりゃあまあ、こんなだだっ広いところを隅々まで見て回りたくなんて無いわよ? 私」

「けど、本来、探索ってそういうものです。塔の探索もされ始めて長いですから、それでもあちこちに何があるとかの資料は揃って来てるんですが……未だにこの二階において、未探索の領域がある」

 ひたすらに資料を漁り、勉学に勤しんでいたレイトだからこそ気が付いた。

 丁度、塔の内部の探索者が見逃し続けているその場所が、まだ浅いこの二階部分に残っているのだと。

「けど、何も無さそうな場所に見えるわよ? そこが探索されていなかったとして、だから何なのってならない?」

「そうですね。とりあえず塔内部の地図が埋まる。そういう成果はあると思いますけど……それだけじゃあ終わらないんじゃないかな」

 話しつつも歩き始める。止まっている時間が惜しいのはこの場に置いても同様だ。ひたすらに広いこの塔において、動き回る人間の方が、何かを手に入れられる。

 と、レイトは勝手に思う事にしていた。

「塔の事なんて、私、なーんにも分からないけど……何かあるって思うわけね?」

「誰も、気にも留めなかったから、ただそこを探索していないだけ。そうも考えられます。けど、そういう場所にこそ、何かを置く……みたいな発想が、この塔にはあると思います。実際、僕が学んだ資料ではそうだった」

「端的に言って、根性がねじ曲がってるわね、設計者さんは」

「そこは同感」

 意地が悪い。そういう部分が塔にはある。まるで上から目線で試練でも与えている様な、そんな感覚を与えて来るのだ。

(それは、僕が文字でばかり塔の事を学んでいるからか。それとも……)

 自分は、他とは違う目線で塔を見ている。そういう自覚がレイトにはある。他より優れているなどと言う奢りでは無く、実感としてそれがある。

 この塔に対して、余人には存在しない思いが、これまでのレイトを動かし続けて来たのだ。

「まーた、何か悲しそうな顔してる。そんなに塔内の冒険って不安になるものなの? 一階の時に襲って来た大鼠が怖いとか」

「鼠は苦手ですね。塔のどこにでもいると言うか、厄介ですよ。けど、そんなのは注意すれば済む話で……怖いのは、予想外の何かがそこにある事か……」

 もしくは、嫌な予感が当たった時か。

 今回はそのどれに当たるだろうか。やってきた、塔二階の数少ない未探索領域において、想像通りの何かがあったわけであるが。

「これは……石碑かしらね?」

「その割には、何も記されてませんけど」

 四角い石が草原に突き刺さっている。大きさはレイトより一回り小さい程度であるが、草原だけが広がるこの二階部分においては、それだけで異質な物と言えた。

「んー……これが発見? これって、何か、お金になったりする?」

「これまで、少なくとも僕が知る限りの資料には、二階にこんなものがあるなんて情報は無かったし……報告すれば、子どもの駄賃程度の報奨金は貰えるかも」

「私、子どもじゃなくて大人のお姉さん」

「そこのところは議論の余地がありますね」

「どういう余地よ!?」

 今は議論をする時間では無いため無視しておく。重要な事は、隣の女性の精神性が大人とか子どもだとか言う部分には無い。

 やはり、目の前の石板にこそあるはずなのだ。

「とりあえずこの石板。三階へ上がるための装置と良く似てます。外観はそっくりだ」

「ん? じゃあ、これ、何やらすれば、上の階へ行けるってこと? 新しい私達の道?」

「そこはちょっと、調べてみない事には」

 ここに置いても、レイトに躊躇は無い。普通の魔法使いであれば、一旦は様子を見たりするところを、物怖じせずに石板に触れた。

(形が似てるって事は、その動かし方も同じって事だ)

 とりあえず、三階へ上がるための装置とまったく同じ方法を試みてみる。傍から見れば、石板のあちこちを撫でている様に見えるだけだろうが。

「ふと思ったのだけれど……なんだかとっても石が好きな変な奴みたいね、今のあなた!」

「そんな風に見える事は分かってますから、言葉にしないでくださいね?」

 ちょっと集中しなければいけない作業であるため、益々に黙っていて欲しい。特に、手が触れた時の感触が重要だ。

 塔内部にある幾つかの装置は、適切に動かせば、ただの石を触るそれでは無く、微妙な熱を感じるのだ。

 その熱を感じる範囲、形、動かし方で、それがどの様な効果を持つのかも分かってくる。あくまで、ひたすらに学んだ上で、その方向性が見えて来ると言った部分ではあるが。

「ん……これ。妙だな」

「何々? 何か分かった? やっぱり、王者の道とかそういう感じの?」

「それがどういう感じかは分かりませんが、道では無さそうかな。むしろ一方通行の……こちら側に向かってだから、穴……みたいな印象?」

 自分で言って置いて、良く分からなくなってくる。仕組みは簡単なのだ。塔にどこにでもある、階層を移動するための出入口だと考えれば良い。

 ただしこれは、こちらからは入れず、どこからか出て来るためだけの装置に感じられた。

「私、そういうの、何て言うか知ってる」

「へえ、何て言うんですか?」

「びっくり箱」

「……っ!」

 レイトは咄嗟に、石板から身を離した。

 マナリーに言われたからではない。レイトが触れる触れないに関わらず、石板が一方的に輝き始めたからだ。

 その判断は正しかったと言える。石板の輝きは瞬時に光度を増し、その光の中から人型の何かが飛び出して来たからだ。

 現れた人型。それは手足があり、頭があって、目に当たるものもあったが、人間では無かった。

 全身が金属質の何がしかで出来た人間などいない。顔には髪の毛も口も鼻も無く、その凹凸の無い丸顔に、赤いガラス玉が二つ嵌っている。そういうものを人間の顔とは呼ばない。

 だいたい、レイトに対して顔4つ分くらい高い人型は、そもそも巨人の範疇のはず。

「あらあら、何だか凄いのが……って、あっぶないわねぇ!」

 人型は現れるや否や、近くに居るレイトに向かって、拳を振り上げて来た。それが振り下ろされるのはすぐ後の事であったが、何時の間にかレイトの前に居たマナリーが拳を防ぐ。

 瞬時にレイトの目の前へと移動し、振り下ろされた拳を、得手とする棒で受け流したのである。

 さすがに正面から受け止める事は出来なかったらしいが、受け流す形で、その軌道を難なくズラしていた。

「早い……ですね」

「喋ってる暇があったらさっさと下がる! 見る限り……凶暴そうっ……っていうか暴れん坊!」

 人型はレイトからマナリーへと標的を変えたらしい。マナリーに向かって、その巨体から拳を振り下ろし、それを避けられている。

 驚くべきはマナリーのその動きだろう。ネコを思わせる程の俊敏さと柔軟さを併せ持ち、ある程度の速度があるはずの拳を、愚鈍な動きであるかの様に、余裕を持って回避していた。

 その事にレイトは驚き、それに平行して、現れた人型についても、漸く正確に把握した。

「ガードマンだ」

「ガード? え? 何?」

 戦闘中にも関わらず、話す余裕のあるマナリー。そのおかげか、レイトも冷静になっていく。

 具体的には、ガードマンと呼ばれる人型から、マナリーの忠告通りに距離を取ったのだ。

「だいたい、塔の十階くらいから姿を現すって言う、塔への侵入者を攻撃してくるやっかいな奴! けど、二階部分に出たなんて報告、初めてだ」

「ふぅん。ババ引いちゃったって感じ? けど!」

 ここで、そのババとやらにやられるつもりは無いらしい。

 実際、マナリーは体格でガードマンに負けているものの、その速度と機転において圧倒的に上回っていた。

(すごい。人間に、あんな動きが出来るのか?)

 振り下ろされるガードマンの腕を避け、その腕を足場にし、ガードマンの顔を棒で叩く。すぐにもう一方の手で振り払われそうになるマナリーであるが、その動きよりも早く、さっさとガードマンの腕から飛び退き、距離を置いた。

 動きはそこで終わらない。ガードマンが一の動きをする内に二も三も先を行くマナリーの戦い方は、次にガードマンの足。その膝関節に目を付けたらしい。

 体を屈ませ、頭部への一撃にひるんでいるガードマンへ接近。相手の膝目掛けて再び棒を振り被る。

(常道の手段だ!)

 二足歩行を行うものは、二本の足で立つという当たり前の事をするために、常にバランスの悪さというハンデを抱えている。

 4つ足の獣とは違い、どちらか一方でも不足が生じれば、進む事も退く事もできずに、その場で倒れてしまう。

 それを狙うのは、戦う者の常道だった。そうして、ガードマンを相手にする際の基本でもある。

(あの人がそれを知ってるはずがない。塔に関して無知だって言うのなら、ただガードマンの動きを見ただけで、その弱点を判断したんだ)

 レイトの評価は、マナリーは活発で、その活発さの分だけ頭の足りないところがある女性というものであったが、そこに一つ、評価を付け加える事になる。

 マナリーは凄腕だ。

「ほんっと、言う通り、性格悪いかもね! この塔を作った奴って!」

 戦いの最中に言葉を発するという余裕をまだまだ抱えているらしいマナリー。

 相対するは、一見すれば脅威となり得るガードマン。勝ちはどちらに転ぶだろうか。

 少なくともマナリーは、次の勝ちを得ようとしていた。棒を膝目掛けて正面から叩き付けると、次に大きなガードマンの股を潜り、背部へ回り込み、今度は裏側から棒で叩いたのだ。

「そりゃあまあ……既に対処方も考え出された相手だけどさ……」

 マナリーからのたった二撃。それだけでガードマンが倒れた。

 膝の表と裏を叩かれただけで、鉄の巨人は耐え切れなかったらしく、地面に向かって尻餅を突き、次には上半身も倒れ伏す。

「デカいって事は、そんだけ体を支える事に力を使ってるって事。だから、一般的にはこういう風に戦えば……良い!」

 倒れたガードマンの顔面に向けて、棒の先端を上から突き刺すマナリー。

 案外脆いガードマンの顔は、棒を突き入れられた結果、その機能を停止させた。

「けど、本当に実感させられるわね。この塔、いったい何なの?」

「その質問って、具体的にはどういうもので」

「だからさっき言ったじゃない。根性ねじ曲がった設計者さんが作ったんじゃないかって話」

「このガードマンに対してもそうだと?」

「だって、人間と同じ急所が用意されてるのよ? 人間と同じ素材してないのに、わざわざそう作られてんのよ。だから私、大きい人間を相手にする様に戦って、それで勝っちゃったの」

 神がかり的な動きをしていた様に見えたマナリーであるが、本人にとっては、色々と考えさせられる戦いだったらしい。

 では、レイトにとってはどうだろうか。

「この塔は、昇って来る人間を試してるんじゃないか。そういう説もありますね。何人かの魔法使いが、そういう考察を資料で残してる」

「上から目線って奴ね。だから塔とか作ったのかしら。今でも塔の天辺に居たりして」

「塔が出来てから、確実に人間の寿命よりは長い時間が経過してますから、それは無いんじゃあ……いや、それも分からないか」

 この塔は、人智を越えた何かがある。それは確実だ。だいたい、目の前で倒れているガードマンからして、人間が作れる様な物ではないのだから。

 故に、この塔に関して、何がしかを有り得ないとする事こそ有り得ない。

「っと、難しい話したところで、付いて来れませんよね? すみません」

「え? ちょっと、なんで既に諦めたみたいな事言っちゃうの? そりゃあ、さっきまでの話の半分くらいは分からなかったわよ? けどけど」

「半分くらい?」

「ごめん、5分の3くらい? 分からなかった気がするの。うん」

 それはそれで別に構わない。先ほどまでの戦いで、マナリーに期待できる能力はそういう部分では無く、もっと、そして確実に役に立ってくれる力があると理解できたのだから。

「じゃあ、分かり易い話をしましょうか。マナリーさん。このガードマンの身体ですが、幾つか分解できたり出来そうですか? その棒で」

「あんまり耐久力は無さそうだから、無理に引ん剝く程度は出来そうだけど、何でわざわざそんな事しなきゃなの? これ、結局罠だったし、さらに苦労しなきゃいけないって、ちょーっと割に合わないかなって」

「割を合わせるためにそうするんですよ。ほら、ガードマンの顔に突っ込んだ棒を抜いてください。ちゃんと無事だと良いんですけど……」

 マナリーがガードマンから棒を引き抜くと、レイトはその壊れた顔を探る。そうして、二つ。ガードマンの目に当たる部分にあった、ガラス玉みたいなそれを取り出した。

「これ、換金できます。集光レンズとしてかなり高品質だそうで、街の特産品にもなってる。他の街じゃあ作れない物なんだそうですよ。あ、この街でも作れはしないのか」

 塔から産出できる資源と言い換えても良い。街の利益に直結するし、その発掘者たる魔法使いや冒険者にもまた、その利益の配当が存在するのだ。

「え? じゃあ、このガードマン自体も?」

「装甲は仰る通りに脆いから、あまり良い素材にはならないそうですけど、関節の部分に、ゴムに近い材質の物があって、それも結構な高値で。骨格で背骨にあたる部分だけは頑丈だから、いろいろと利用できて、そこも買い取ってくれますよ」

「なるほどなるほど。あ、じゃあ、もしかして、私達が狙ってた、塔に入ってからの成果って言うのは……」

「ええ、どうやら達成できたみたいですね。こいつを倒してくれたマナリーさんのおかげってところでしょうか」

 レイトは笑う。それはマナリーに向けた愛想に寄るものだったが、自分自身、一歩、漸く目的へ近づけた事への喜ばしさからも来ていた。




「それでね、何て言うか、一日で、一月分くらいの滞在費は稼げちゃった。メイリーはどう思う?」

「そうですね。姉さんの行動力に、とりあえず呆れさせていただけませんか?」

 借りた宿の部屋(姉妹別々なんて贅沢はしない。何時だって、頭が悩ましく痛くたって、借りる部屋は一部屋だ)で、メイリーは本日の姉の無茶を聞くに及んでいた。

(そう。私、落ち着いて。姉さんのこんな行動、何時もの事じゃない。予想して然るべきよ。できないから頭が痛いのだけれど)

 額を指で押す。変な皺が出来ない様に、この癖は抑える様に努めているものの、一日三回から減らせた試しが無かった。

「んー……何て言うか、さっそく、街に来て良かったって思う事だったんだけど、メイリーはそうじゃあないの?」

 あっけらかんと言ってくる姉に対して、メイリーはどう思えば良いのか。

 確かに、成果があった事は喜ばしいが。

「危険とは思わなかったのですか? 私抜きで、それも今日会ったばかりの魔法使い……しかも少年と一緒にだなんて」

「それっておかしくない? 危険なんて当たり前だもの」

「それはそうですけれど」

 姉は物事の核心を付く事が良くある。そういう部分しか理解できない頭であるとも言えるが、今回は正論だ。

 マナリーとメイリーは冒険者である。それがどういう意味を持つかと言えば、何時だって危険に自ら挑む人種であると言う事。

 危険だと思ったとて、行動を止める理由にはならない。そんな身も蓋も、節操すらも無い連中の一員なのだった。

「聞いた話、魔法使いって、この街にもあんまりいないみたいなの。だからこそ、冒険に対する報酬もそれなりに維持されてるってわけ。つまり……若手で安く雇える人が見つかったのは運が良い。そう思ってる」

「姉さんの癖に、打算的な事言うじゃないですか」

「だって、そうしなきゃ、メイリーはあの子を雇うなんて事言わなそうじゃないの」

 珍しく、姉が頭を使っているな思っていたが、その実、利益云々とは別の部分に、その数少ない知恵を回していたらしい。

「役に立つ立たないの話は、とりあえず置いておきますね。実際に、結果を出された以上、文句をつける事はできませんし」

「そうそう。小っちゃい癖に、知識はすっごいの」

「勉強は出来そうな雰囲気はありましたね。あくまで私の印象でしかありませんが。けれど、この話について、私が一番聞きたい事は―――

「どうして、そこまで私が肩入れしてるのかって事でしょ? メイリーの言いたい事なんて、だいたい分かるわ」

「……」

 別にそこにも文句は無い。姉妹なのだから、幾ら単細胞に近い部分がある姉と言えども、思考を読まれる事はあるものだ。別に屈辱なんて感じていない。本当だ。

「あんね。私達と同じ匂いがしたの、あの子」

「匂いって、まーた、姉さんの直感ですか」

「あら? こういうの良く当たるって、メイリー知ってるでしょ。あの子ね、自分から危険に挑んでやるって気持ちがあると思う。少なくとも、あの塔に関しては、人生を賭けてる。そう感じるのよ」

 だから、姉は例の少年、レイト・ヒースの存在を信じる事にしたらしい。

(姉さんが信じるって言うのなら、それはとても厄介ってこと)

 姉が誰かを信じる場合、その人間が必ずこちらを裏切って来ない……と言う事ではない。姉の方が、別に裏切られたって構わないと考えていると言う事なのだ。

 だが、不思議な事に、そんな姉の信頼を裏切る人間というのは少ない。

「結論としては、私も一度会ってみない事には、結論を出せないという事ですね」

「ふふっ。つまり、会ってはみてくれるのね」

 反論はしない。ここまで来れば、メイリーの負けである。この姉に対して、妹として勝てた事の方が少ない。

「ところで、こっちで勝手に雇う方向で進めていますが、あちら側はどうなのです? 確か……あの少年の師の方が、強烈に反対していた様な」

 具体的には、この姉の尋常ではない存在感に、お断りの姿勢を貫いていたはずだが。

「そこらへんは、向こうの頑張り次第……かしらね? 説得くらいは出来そうだけど」

 短い間でしか無いと思うのだが、姉はレイト・ヒースと言う少年を、相当に評価している様子だった。

 であれば、メイリーはその少年と会う事だけを考えれば良いだろう。

(深く考えたって、全部台無しにする姉がいるからでもあるけれど)

 人生、諦める事だって肝心だ。本日、メイリーが辿り着いた結論と言えば、そんなものでしかなかった。




 自分の人生において、何が重要か。

 レイトはその答えを、とっくの昔に得ている。だから、その重要な事柄を抱えるにあたり、何がしかのデメリットがあるのならば、それだって受け入れるつもりではある。

(だからと言って、二時間近く続く説教に耐えられるかって言ったら、難しい話なんだよ。うん)

 ファン・ヒース邸。そこはレイトにとっての家ではあるだろう。そんな場所であるが、レイトの胃は痛かった。

 何せ、目の前にファン師がいる。ずっと、レイトの言動に対する小言を繰り返している。

 何時もならば夕食も終わっているはずの時間。それでもリビングのテーブルを前にしているのは、その向こうにいるファン師の話が終わらないからである。

「これまで私は、あなたの事を慎重な性格だと考えていました。取り返しの付かない様な事はしないと。ですが、それを改めなければならなくなった。どういう事か分かりますか?」

「分かりますけど……どうしようも無いと言いますか……」

 ファン師の説教は正論だった。危ない事をするな。危ない事を考えるな。もっと安全な選択肢を選べ。

 要約するとそう言う事であり、そんなのは何時だって正解の言葉なのだから、反論できる訳が無い。

 そんな正解に対して問題があるのであれば、レイトは正解を選ぶ気が無くなって居ると言う点だろうか。

「あなたの願いは、分からないわけではありません。むしろ助力したいとすら考えている。けれど……それはあくまであなたが十分にその願いを果たせる様になった後の事だと私は考えています」

 やはり、これからも正しい言葉が続く。知識があると言っても、レイトは未熟だ。塔に関する探索について、魔法使いとしての経験が圧倒的に足りない。

 いや、知識についてだって、目の前のファン師には劣っているかもしれない。そんなレイトを心配している師を、悪く思うつもりは無いのだ。

 ただ、この説教が続く中で、レイトはずっと結論を出し続けていた。それを言葉にするタイミングが掴めなかったが、何時までもこの時間が続くのであれば、いっそ説教を遮ってでも話さなければならない。

「もう……5年なんです。魔法使いとして何かを学ぶのなら、それでも短いかもしれない。けど、僕にとって5年は……長すぎた。ここからまた何年も……そんな風には思えなくなってくるくらいに……長い時間なんですよ」

「……」

 理屈が通じない以上、感情を吐露するしかなくなる。

 それはきっと、こういう場においては卑怯な物言いになるのであろう。言葉を向ける相手は、レイトの事情をすべて知っている、ファン師なのだから。

「ふぅ……何時かは、あなたは塔へ行く。その事をずっと覚悟している以上、強く引き留めようなどとは、私とて思っていませんよ」

 ファン師の声が優しいものへと変わっている。レイトを責めるという気持ちは、既に無い様子だった。

「ただ、心配をしているだけです。朝にあった彼女ら……塔を共に昇る事になるであろう相手は、彼女らで本当に良いのか。ああ、実は、一番聞きたかったのはそれなのですよ」

 ファン師の言葉は、彼の本音か。それとも、レイトの行動を許すための虚言か。

 どちらにせよ、彼はレイトのこれからを認めるつもりであろうし、であれば、レイトとてしっかり答えなければ、不義理になってしまう。

「妹のメアリーって方とはこれからですけれど……姉のマナリーさんは、多分、とびきりだと思います。あらゆる意味で……ですが」

「それはそれは……期待すれば良いのか、それとも心配すれば良いのか、ちょっと分からない」

「期待の方を大きくしてください。とりあえず、最初はそれくらいが一番良いかなと」

 思うに、塔を昇るという事は、レイト自身の望みではあるが、それでいて、ファン師の願いでもあるのではと思う。

「期待、させて貰いますよ。あなたなら、きっと、私がたどり着けなかった場所へも、向かえるのではないかと信じられる」

 その信じるという言葉も、本音か虚言かは分からない。ただ、本音である事を信じようと思う。

 やはり最初は、それくらいの心持ちが丁度良いと思うから。




「遂に来たわね、この時が! 塔を目指し! 塔を昇り! 塔を……ええっと……塔」

「良い言葉が出て来なければ、無理しなくても良いんですよ? 姉さん」

 塔の真下。晴天に恵まれたと言える空の下で、レイト・ヒースは漫才の様なことを始めた姉妹を見ている。

 マナリーとメイリーのポートリー姉妹。魔法使いとしてのレイトの、先日、雇用主となった二人だ。

「レイトさん……最初から姉がこうで、とても申し訳ありません」

 メイリーとも、既に幾らか話をしている。彼女について、レイトが抱いている印象であるが……。

「多分、メイリーさんの方がずっと苦労していそうですから、僕も受け入れる事にします。多分、塔を冒険する間くらいは耐えられるかなって」

 彼女には、姉よりは良くも悪くもまともであるという印象があった。とりあえず、そういう性格であれば助かると思う。

 レイト一人では、到底、マナリーという女性を御する事なんて出来ないからだ。メイリーがいたとしても、可能かどうかは怪しいものの。

「ちょっとー、お荷物か何かみたいに言わないでちょうだい。これでも、腕は確かなのよ?」

「導火線近くに火打石がある爆弾か何かだと思ってるんで、腕が確かだとしても安心はできませんよね」

 レイトの言葉に、メイリーも頷いている。彼女の方とは、良い関係が築けそうだとレイトは感じた。

「姉はこんな感じなので……爆発させるのであれば、塔へ入ってからの方が良いかと。言う通りに塔への正式な初冒険という事になりますし、私などはまさに言葉通りなので、今回の目標などを教えていただきたいのですが」

「とりあえず……十階くらいを目指してみましょう。そこくらいで、十分に利益を見込める物品が手に入り始めますし、長くても塔内で一泊すれば往復できる場所でもあります」

 ただ、実のところは、初の冒険であるのならば難易度が高いと言える階数ではある。最初からそういう無茶をするのには、少々理由があるのだ。

「そういえばちょっと気になる事があるわ。塔に挑戦する理由って、私達は冒険とお金目的みたいなところもあるけど」

「姉さん、一応、名誉も含んでください」

「そう、それも。そういうのが大切なのよ。それで、あなたもそうなのかしら?」

 そう言えば、レイトが塔を目指す目的と言うのを明かしていなかった気がする。そういう話を抜きにして、雇用関係を結んでしまったというのが、少々愉快な話だった。

「僕は魔法使いです。魔法使いにもいろいろですけど、やっぱり、一番のそれは、塔の中にある、誰も辿り着いた事のない場所を目指す事。当面の目標と言えば、記録に残っているもっとも上層部である49階を越える事……ですね」

「目指せ50階って事ね。あら、丁度良い数字」

「ふむ。確かにその通りです。夢が大きいか小さいかは私には分かりませんが、そういうものも正当な目標に聞こえます」

 二人して納得してくれた様子で助かる。何よりのレイトの本音であるからだ。

 ここでそんな夢は追うなと言われれば、せっかくできた雇用関係を潰してしまいかねない。

「ではとりあえず、そんな塔の上を目指してみましょうか。お二人とも、付いて来てください」

 さて、遂に魔法使いとしての冒険が始まったわけであるが、その冒険が、どの様な形になるのかは、今のレイトには分からない事だった。




 塔の内部は複雑怪奇だ。その事をレイトは良く知っている。

 迷宮の様に入り組んだ場所があれば、本当に迷宮として作られている場所もある。

 開けた草原の様にデザインされた空間もあれば、森林地帯に擬態した階もあった。

 総じて、人を困惑させ、あらゆる困難をぶつけて来る様な場所。それが塔なのだ。

 それでも、五階まではレイトとて一度は来た場所。さらに上層階についても、知識としてはどういう場所かを知っていた。

 苦労はするだろう。実際に見る光景に気圧される事とてあるだろう。想像すらしていなかったところから、手痛い失態を演じてしまう事とてあるはずだ。

 それらを覚悟したとしても、それでも十階までは行ける。その様な予想の下、レイトは足を進めたし、ポートリー姉妹もまた付いて来てくれた。

「だから……だからこそなんだけど、こうなる事は予想外だったなぁ」

「どったの? っていうか、手を止めてないで手伝ってよー! こいつバラすの、結構大変なのよ?」

 黒い床と壁で構成された大きなフロアに、金属の長細い箱が、あちこちに並んだ様な空間。奇異極まりない塔内部の一風景であるが、マナリーの愚痴がそんなフロアに響いている。

 愚痴を言ってくるマナリーの横には、倒れたガードマンがいた。

 塔の、基本的に十階くらいから出て来るという金属の巨人だ。ちなみに、前回遭遇した時の様に、塔内の未探索領域を探った上での遭遇ではない。

 レイト達が十階に辿り着いた結果、普通に、予想できる範囲で遭遇し始めたのである。

 ちなみに今、レイト達がいるのは13階だ。もっとちなみに、これが正式な、初めての冒険のはずだ。

「ふむ。なるほど、これから取れる素材に価値があるわけですね。ですが、さらに別の場所を目指すとなると、取得物は厳選する必要があると思われます」

 マナリーと同じく、メイリーの方も、ガードマンの解体を始めている。彼女に至っては、金銭面と今後、持ち運ぶ時の労力を含めての計算までしていた。

 取らぬ狸のなんとやらと言う話では無く、実際に得た物品に関する事なのだから、彼女の計算は冷徹な物なのだろうが……。

「なんだろう。順調に過ぎるな、これ」

「良い事だと思われますが」

 メアリーはそう言うが、塔の探索に対して四苦八苦している同業者達を何度も見ているレイトにとっては、この状況が異常に映ってしまう。

 順調とは言え、想像外の事やしっぺ返しが起こるのではと、心を不安にさせてくる。

(問題は、この原因がどこにあるかだ)

 心の中で浮かぶ疑問は、すぐに自分で答えを見つけた。

「お二人とも……様々な技能をお持ちの様ですけど、どこで身につけたんですか?」

「もー、だから話すんじゃなくて手を動かしなさいってー。どこにどんだけの価値があるかの判断なんて、そっちの仕事じゃない!」

 世間話より実利を優先しろ。そういう言葉をマナリーから向けられるが、こういう姿勢であるから、やはり探索は進むのだ。

 何かにつけて、ポートリー姉妹の技能が優秀なのである。探索時の方向感覚。緊急時における咄嗟の反応。純粋な体力面においても、彼女らは疲れ知らずではないかと思わせてくる。ここまで、殆ど休まず塔を昇り続けて来たのであるが、既に知識と、多少の経験だって持っていたレイトの方が、先にバテ始めている程だ。

「ちょっと待ってください。もっとこう、先に言って置くべきでしたけど、一旦休みましょう。倒したガードマンが、また立ち上がるわけでも無し」

 精神的にも体力的にも、レイトは休息したかった。レイト自身、少しばかり興奮してきていたからだ。

(これは危ない。もっと上を、僕が望む様な場所へ、すぐにでも向かえるんじゃないかなんて思って来てる)

 幾ら探索が順調とは言え、この塔は、容易く昇り詰める事が出来る存在とは思えない。

 塔にはさらに上があるし、そもそも、この階だって、既に誰かが探索した場所ではあるのだ。難易度で言えば、まだまだ低い階層と言える。

「休み……ですか。確かにそれも良いでしょうね。少しばかり、聞きたい事もありますし」

 ガードマンを解体しつつ、塔内のマッピング作業ついでにするという曲芸染みた動きをメイリーは一旦止め、レイトの方へと近づいて来る。

「何でしょう? 僕に答えられるものなら何でも構いませんよ。お二人とは、良い関係を築きたいと、今も確認したところです」

 打算的な判断かもしれないが、二人とは深い関係では無いのだから、実利的な関係を続けるべきだろう。

 マナリーはともかく、メイリーの方はそうであるはずだ。

「少々妙なところがあります。まず、私達以外の冒険者に、これまですれ違わなかった」

「そこについては簡単です。塔がこうまで広くて、反して冒険者の数は少ない。もっと言えば、魔法使いの絶対数が少ないんです」

「その数を街が管理している……と言ったところでしょうか」

 話が長くなりそうなので、レイトはとりあえずその場に座る。休む事にした以上、立ち話は損な時間になってしまう。

「塔の資源は有限……かは分かりませんが、利益は取れるだけ取るより、ある程度管理した方が、長期的には得るものが多いと考えてはいるらしいです。僕なんかも、ファン先生に教えを受けなければ、塔に入る事も叶わなかった」

 魔法使いの総数は、だいたい二桁前半であろう。状況に応じて、街側が許可証を出す。レイトとて、ファン師に教えを受け、その認可を受け継ぐという形で、許可証を貰う事が出来ている。

「だからと言って、まったく居ないと言うわけでもありませんから、何時かはすれ違う事もあるでしょう。出来れば避けたいですけど」

「なーに? レイトったら人嫌いなわけ?」

 休むと言ったのに、まだ解体作業を続けているマナリーが、顔だけこちらに向けて話し掛けて来る。一人寂しかったのかもしれない。

「何時の間にか名前を呼び捨てにしている事への追及は、きっと無駄だから諦めますけど、この塔で、僕ら以外の人間に出会うって言うのは、同業者に会うって事ですよ」

「なるほど。同じ塔で利益を奪い合う関係ですからね。仲良くとは行きませんか」

 マナリーは兎も角として、メイリーの方は、多少なりとも理解を深めてくれたらしい。今後、そういう面での慎重さも期待できそうだ。

「その点で、ちょっとした問題もあります。頭角を現してきた冒険者は叩くとか、そういう感じの。僕らに関しては、まだそういうのは早いでしょうけど」

 一応は注意をしておきたい。もっとも、まだまだ新参者の身だ。出る杭にしたところで、出ている事を確認される前までは、打たれる事もあるまい。

「いーろいろ、この街もどろどろしてんのねぇ」

「どこだって、そんな話はあるでしょう? 冒険者のお二人だからこそ、そういうの、分かってると思いますが」

「どっちかって言うと、そういうのを見る前に、さっさとどこかに行っちゃうのが私達。どこかの街や人間と、深くなんて関わんないの」

 そういう生き方も、もしかしたら良いかもしれない。悪い事を消せない以上、見ない様にする事が健全な事なのかも。

(もっとも、僕はそんな生き方は出来ない。この街を……塔を離れてどこかに行くなんて……)

 むしろ今の自分は、この街と、そして塔に深く関わろうとしている。そう思うのだ。

「他人とすれ違わない理由は分かりました。今後はその可能性がある事も。ではさらに、もう一つなのですが―――

「そう言えば、なんでこいつみたいに倒れたまんまの奴が見当たらないのかしらねー」

「……ということです」

 未だにガードマンに対してあれこれいじくり回しているマナリー。そんな彼女に言葉を奪われた形のメイリーであるが、気にせず話を続ける事にしたらしい。彼女なりの慣れと言う事なのだろう。

「いちいち塔内部を清掃する人間もいませんから、塔自体に片付け用の仕組みがあったりします。街の人間が用意したわけじゃあなく」

「つまり……まさしく自浄作用があるという事ですか」

 レイトの返答に納得したかどうかは分からないが、何か考え込み始めるメイリー。

「こうなると、うちの妹は、それはもう長いわよ。休むにしたって、短時間じゃ終わらないかも」

「頭の良い妹さんが居て、羨ましい限りです。まあ、長くなるならそれでも良いじゃないですか。一旦、ここでテントを張りましょう。恐らくもう、外じゃあ夜ですし、明日になれば、一旦街へ帰る予定で」

 塔内部は常に何かしらの光源があるため、時間の感覚が狂いがちだ。故に、休息するタイミングを測るのも魔法使いの役目と言える。

「ん? テントは兎も角、もう先には進まないの? 一応、余裕はまだあるわよ、私?」

「最初の冒険は上々で終わりたいんですよ。それに……ここまで一気に来られる事に対して、僕の覚悟が出来てなかった」

 塔を昇る事への覚悟が足りない……と言う意味では無い。そんな覚悟は、常日頃から抱いている。

 どちらかと言えば、準備に近い意味だ。

「覚悟しなきゃならない事が待ち受けてるって事かしらん?」

「魔法使いらしい仕事をしなきゃいけない。そういう場所が、だいたい15階くらいから……って、何か鳴きましたか?」

「は? 動物じゃないんだから、行き成り喋るにしても、鳴いたりしないわよ」

 そうだろうか。マナリーであれば、雨が降りそうになればいきなり空へ向かって鳴き始めたりしそうだが。

 もっとも、塔の中だから雨なんて降らないだろうけれど。

「これは鳴き声というより擦れる音ですね。金属の様なものかと」

 考え事をしていたはずのメイリーが、ぽつりと呟く。彼女にも、レイトが聞いた音が聞こえていたらしい。それも、レイトよりももっとはっきり。

「金属が擦れる……あっ」

 メイリーの言葉で分かる事もあった。いや、思い出せた事があったと言うべきか。

「あって何よ、あって。なんかお姉さん、ちょっと嫌な感じに聞こえたんだけど?」

「いやあ、その……お二人とも……体力とか、まだ余裕がありますか?」

 レイトは空を見上げた。そこには勿論、塔内部の天井があるわけだが、ひたすらに高い天井なので、空と呼んだって、別に違和感はない。

 違和感があるとすれば、そんな空に、ぽっかりと穴が開いている事だろうか。

 そんな穴をメイリーも見つけたらしく、レイトに話し掛けて来る。

「一つ質問です。あの穴は、恐らく天井の一部が開いているのだと思われますが、その中から出て来た、金属で出来たムカデの様なものは何でしょうか。あくまで……参考までに」

「これくらいの階から出て来るんですが……さっき、塔内部の自浄作用の話をしたじゃないですか」

「良いです。悪い予感がしますからそれ以上は。疲れてはいますが、そうですね……走りましょう!」

 察しが良くて助かる。メイリーはすぐさまに走り始めたし、レイトもそれに続く。メイリーの言う通り、疲れてはいるが、その場でじっとしているよりマシなのだ。

「えー!? ちょっとー! 二人とも、いったいいきなりどうしたのよー!」

 マナリーは、残念ながらこちらの動きに対して、何ら察しをしていない。未だにガードマンの近くで解体作業を続けていた。

(手くらい止めろよ畜生!)

 レイトは焦る心をそれでも抑え付けて立ち止まり、マナリーに向けて叫んだ。

「塔内部の掃除屋です! その場所にいたら、巻き込まれ―――

 叫びが、大きな質量が地面にぶつかる音と、舞い上がる埃煙によって掻き消された。

 天井より落ちて来た、のたうつ巨大な長物が代わりに視界へと映る。

 メイリーはこれを、金属で出来たムカデの様なものと表現したが、魔法使い達はこれをソークシャーと呼んでいる。

 全体は確かに長く平べったく、ムカデに似ているのであるが、頭部には目も触覚も無く、長方形に開いた穴が口の様にあるのみ。

 それと、とても大きい。巨人と表現できるガードマンの5倍はあるだろうか。口だって相応に大きく、舞い上がった埃を、その口へと吸い込んで行く。

「あれが……塔内部の掃除屋……ですか」

 近くで、レイトと同じく立ち止まっていたメイリーの、息を飲み込む音が聞こえてくる。

「あれの存在を忘れてた……数日に一回、ああやって降りて来て、塔内部を掃除するんだ。今日がその日……って、冷静になってる場合ですか!? マナリーさんが――

「いえ、姉はほら……あれよりもっととんでもないので」

 メイリーの表情を見れば、冷静になんかじゃあ無い事が分かった。むしろ驚愕しているのだ。けれど、そんな彼女目線は、ソークシャーでは無く、その長い身体のとある一部に向けられている事を、レイトは漸く気が付く。

「掴まって……る……!?」

 ソークシャーは、地面に転がったガードマンを飲み込むや、のたのたと動いて、あちこちの、あらゆるものを飲み込んで行くのだが、飲み込めないものがまだそこに存在していた。

 ソークシャーの、鋼色に鈍く光るその装甲に、必死になってしがみ付くマナリーという女だ。

 落ちて来たソークシャーに潰されたと思った女が、健全な状態で、ソークシャーに張り付いているのだ。その光景をどう受け止めれば良いと言うのか。

「……何故だか分かりませんが、あれ、こちらに近づいて来ていませんか?」

 メイリーが指さすのは、やはりマナリーだ。

 自分の姉をあれとはどういう事だと思うものの、マナリーが近づいて来ていると言う事は、ソークシャーもまた、レイト達に近づいて来ているという事でもあった。

「よし、やっぱり逃げましょう!」

「同感です」

 レイトとメイリー、二人して、マナリーの異常な姿を無視する事にした。あの女の生態について、深く考える暇が今は無いのである。

「ちょっとおおおおお!!! こ、これ!? どうなってるのよおおおお!!」

 恐ろしい事で、背後から声が聞こえて来る。マナリーの叫び声であるが、ちらりと後方を見れば、マナリー及びソークシャーが迫って来ていたので、振り向くのを止めた。

 張り付いたマナリーが、丁度ソークシャーの背中にいるため、彼女がソークシャーを御しつつレイト達へ襲い掛かろうとしている様に見えるのは、きっと気のせいのだはずだ。

「姉さん! わざとですか!? その行動はすべてわざとなのですか!?」

「知んないわよ! 私も必死なのよ! 何か落ちて来て、押し潰されそうだなってなったら、こうするでしょ!? 生きようとするでしょ!? 仕方ないじゃないの!」

「そんな仕方の無い姿はありませんよ姉さん!」

 三人して必死のはずだが、傍から見ればコントか何かにしか見えないのではないか。レイトはそんな事を思えた。

 事態がコントだと言うのであれば、もっと馬鹿らしい事も出来るのではないかとも。

「触覚です! マナリーさん!」

「え!? 何!?」

 走り逃げながらもレイトは叫ぶ。マナリーの方は、レイトの言葉が聞こえているかどうか分からないものの、この場におけるもっともな解決策は言って置くべきだ。

「そいつの頭部近くには、細い触覚みたいなものがあって……それで周囲を判別している……そういう話がありますから!」

「ぶっ潰せば良いのね!」

 こちらの声は通じていたらしい。未だソークシャーの背中に掴まったままのマナリーが、動き出すのを見た。

(良くやる……ほんっとに良くやるよ、あなたは!)

 信用するべきだ。むしろ信頼に近い。畏怖だって感じるが、今はそれらより、自らの命が助かるかどうかが重要だった。

 祈りを捧げるのは神様でもクジラでもなく、マナリーに対してだったが。

「一つ、尋ねてもよろしいですか?」

 今度はメイリーが言葉を発する。逃げ回っていて、良くそんな余裕があるなと思うところであるが、その実、気にする程の事でも無かった。

 逃げるのは終わったからだ。フロアの壁際に、二人して追い詰められたのである。

「要件があるなら、手短にって状況ですね、これは」

 壁を背にして、レイトは振り向く。迫りくるは大きな金属のムカデ。

(僕にとっては、あれは蛇だな。何もかも飲み込もうとする悪い蛇だ)

 そんな事すら考える余裕が生まれていた。何より優先するべき、逃げるという思考から解放されたためか。

 今のレイトには、ただ、迫りくるソークシャーを見つめる事しか出来ない。覚悟するべきは、押し潰されるか吸い込まれるかした時の痛みくらいだろう。

「あれの触手が、姉に潰されたとして……あれは止まるのでしょうか?」

「それは……うん。祈りましょうか。クジラにでも」

「みーっけ」

 ソークシャーがのたうつ騒音で、聞こえるか怪しいはずのその声。

 だが、レイトの耳には届いた気がした。マナリーがにやりと笑う表情も見えた気もしたのであるが、恐らく、そちらの方は気のせいだろう。

 ただ、ソークシャーの動きが止まったのは事実だ。時が止まったかの様に停止するソークシャーは、すぐに再び動き出したが、レイト達の方へ迫る事もせず、大人しさを思わせる動きで、ゆっくりと今いるフロアを去って行った。

「…………! あ、姉はどこへ!?」

 一難さった事への安堵。それが終わった後に、まずメイリーの方が慌て始めた。

 ソークシャーに潰されなくなった事は有難い話であるが、その背中に乗ったままのマナリーはどうなったのだろうか。

 ただ、ここで無事かと言わないあたり、自身の姉に対するおかしな信頼がメイリーにはあるらしい。

 実際、マナリーは無事であった。

「こっちー。なるほどねー。あんなおっきいの、どうすれば良いかしらって思ってたけど、あれは触覚狙いで何とかなるのねぇ」

 ソークシャーが去ったその場所で、マナリーが五体満足で立っていた。擦り傷くらいなら見えているが、それだけだ。大怪我はしていない。

 むしろ、先ほどの戦闘を振り返る余裕すらあるらしい。

「普通は何とかなりませんって。動くあいつの触覚が、障害物にぶつかって、偶然潰れた結果、急に大人しくなったって報告例があるだけで……あ、遅れましたが、大丈夫ですか?」

「なーんで人が怪我したかどうかが後回しになんのよー」

 マナリーへと近寄りつつ、レイトは頭を掻く。正直に答えて良いものか迷ったのだ。

「ああいう超人的な行動を見せられれば、誰だろうとそうなりますよ、姉さん。私でさえ時々、驚いたり、獣から生まれたんじゃないかと思う事がありますから」

「あんたと同じ父親と母親から生まれたわよ! ったく、私の頑張りに対して、何か別に言う事があるんじゃない?」

「いや、本当に助かりました。実際にあんな事が出来るとは思ってませんでしたよ。そして……すみません」

 レイトはここに来て、純粋にマナリーへ感謝していた。

 いくら知識があったところで、意味ある事を実行できなければ無意味になる。そもそも、ソークシャーに襲われた事がレイトの失態だったのだ。

「あれが塔内部で掃除をする時期について、先に察しておくべきだった。知識があるって言うのに、それを活かせないなんて……」

 経験が無い。知識だけが先行した頭でっかち。ファン師からも、遠回しに何度となく注意されていた事だ。

 もし今、ここに居るのがポートリー姉妹でなく、凡百の冒険者であったならば、レイトの命だって無かったのかもしれないのである。

「確かに、あまり良い事ではありませんが……後悔は先に立たぬもの。他に選択肢もありませんでしたし、今後に改善を希望と言う他ありませんね」

 キツい事を言われても仕方ない。そういう覚悟はあったが、メイリーからは、想像したよりも優しい言葉が返って来た。

 マナリーに至っては、それ以上に気安い。

「反省とかする前に、まず私を褒めなさい。ほら、早く」

 まあ、彼女に関しては、特に深い事を考えられないだけかもしれない。

「それよりさあ、これ、拾ったんだけど、どうしようかしら。高く売れる?」

 金属質の細長い何かをこちらに示して来るマナリー。もしかしなくても、潰したとか言うソークシャーの触覚だろう。

「あんまり流通とかしてませんから、どうだろう……少なくとも、研究材としては値がつくかな……素材としては、脆いところがあるかもですけど……って、そういう話は後にしましょうよ」

 ポートリー姉妹が、レイトのミスに対して、大した深刻さを感じていないのは分かった。しかし、レイト自身は、まだ反省が足りないと感じているのだ。

 出来れば、暫く時間を置いて、今後、どうして行くべきかの結論を出したいのであるが……。

「焦りは禁物だと思います」

「えっ」

 こちらの思考を読んでいたかの様に、メイリーが口を開いた。マナリーには絶対に出来ないタイプのやり方だ。

「結局、出来る事を出来るだけしか人は出来ません。深刻に考えて、何かが良くなるのであれば、私も問題視するでしょう。けれど、今の、こういう状況が、私達の、出来得る限りの結果だと私は思います。別に手を抜いていたわけでもありませんし」

「それも……そうなんだけどさ」

 頭を掻く。今度こそ、メイリーに諫められたと感じたのだ。望むべくもの以外は望んだって消耗するだけだと彼女は言う。

(だけど、僕が目指している場所は……)

 今度はレイトが思考の海で溺れそうになる。そんな彼を引き上げるのは、いちいち人の繊細な部分などを気にしないマナリーであった。

「で、一難去ったところでどうしよっか? とりあえず……先に進んじゃう?」

「いいえ、休みましょう。っていうか、そういう話でしたよね?」

 とりあえずは、今できる事にベストを尽くす。どれほど考えたところで、それくらいしか出来ないと、レイトは思う事にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ