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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

王子様と猫

作者: まあじ

にゃあ、と鳴き声がした。

振り返ってみると、カラスより美しい濡れ羽色の毛並みをした黒猫が窓枠に登っていた。


「こら、いつも言ってるだろ。勝手に僕の部屋入ってくるのが見つかったら、お前は処分されちゃうんだぞ」


僕の部屋は二階にあって、窓の外には大木がそびえ立っている。この黒猫はその木から、毎日のように僕の部屋に侵入してくる。


「にゃ~」


黒猫はうんざりしたような返事をして、僕のベッドに飛び移り、枕元で丸まった。

「わかってるよそのぐらい」とでも言ってるんじゃないかな。





僕は、第一王子だ。次の王様になるはず“だった”。

魔女に呪いをかけられるまでは。

魔女は僕が18歳の誕生日を迎えた日に突然現れた。


「この国は魔女への迫害が酷いね。これじゃ私たちは満足に生きていけないよ」


その日は僕の成人祝いも兼ねて誕生会を盛大に行っていたから、多くの人がその魔女を目撃した。

もちろん、衛兵たちは捕まえようとしたけど、魔女はのらりくらりとかわしていた。


「国を変えておくれよ、魔女が住みやすいようにさ」


お父様--国王様は「断る。魔女ごときに我が国は屈しない」と言い切った。


「だろうねえ。じゃあ、こうしよう」


そう言って魔女は不可思議な言葉と記号を操り、僕に呪いをかけた。


「魔女への迫害が無くならなかったら、王子様の姿を木に変えよう。2年変わらなかったら足が根に、4年そのままなら手が枝に。6年も経つ頃には頭しか残ってないだろうさ。10年後には立派な樹になってる頃かね」


周囲は騒然とした。騒然としていたが、僕は冷静だった。

僕には弟がいる。僕が死んだら代わりに王になる「スペア」の弟が。

勘違いしないで欲しいんだけど、僕は普通に弟が好きだった。仲の良い兄弟だったと思う。歴代でも稀な仲の良さだったらしい。


つまり、何が言いたいのかっていうと、僕は魔女の呪いがかけられて不吉な「欠品」になったから、お父様は「スペア」の弟を次期国王にするんだろうな、って思ったんだ。


それは事実、その通りになった。


「この国が変わらない限り、この呪いは解けやしない」


魔女はそう言って、消えた。


魔女の呪いは強力で、魔術師や祈祷師、巫女や科学者が力を尽くしても結局解けなかった。

「魔女の呪いが解けるのは魔女だけ」という言い伝えが奇しくも証明された。


お父様は僕を国の端っこの方に追いやり、そこに立派な屋敷を建てて、“療養”させた。

次期国王は弟になった。

僕は今まで王になるために色々教育を受けてきたけれど、結局ぜんぶ無意味だったのだ。

弟には「国を頼んだよ」と微笑みかけた。

弟も「任せてください。兄様に恥じぬよう精一杯やりきってみせます」と応えてくれた。十分だ。国の将来は心配ないだろう。




もうすぐ2年が経つ。足が日に日に動かなくなってるのを感じるので、そろそろ足が木に変わるんだろうな、と思う。

屋敷の召使いは僕を割れ物を扱うかのように接してくる。大切に、慎重に、僕を傷つけないように気遣ってくれる。

その気遣いが嬉しくもあり、息苦しくもあった。

屋敷の召使いは僕の部屋に不吉な“黒猫”が侵入していると知ったら、きっと血相変えて猫を叩き出すだろう。

そんなことしたって、何も変わりはしないのにね。



王としての教育もなくなり、何もすることがなくなって以来、僕は一日中ぼーっとしていることが増えた。召使いが用意してくれる食事を食べて、寝て、気が向いたら外を歩くけど、特に目新しい発見もなく、また戻る。


けれど、ここ3ヶ月ぐらいはこの黒猫が僕の部屋に来てくれるお陰で退屈しない。

気ままに僕の部屋に来ては、寝転がっているだけだが、時折、本に興味を見せたり、僕の足にすり寄ってきたりする。

よく分からないのが動物だけど、この子は特に分からない。


賢いのだとは思う。

僕が読書を始めたときはヒョイっと近寄ってきて鳴きもせずじっと本を見つめていたり、外で生えてる草花を咥えて僕の手に置いたりする。

まるで知性があるみたいだ。


「お前を見てると、僕も外へ行きたくなるよ」


そう呟くと、黒猫は扉の方へ優雅に歩いて、振り向いた。

猫の不思議な双眸にじっと見つめられて、僕は根負けした。


「ついてこいってこと?」

「にゃあ」


僕を外に連れ出そうとしてるのだ。

足が木に変わってしまう前に、気がすむまで歩き回るのもいいかもしれない。

僕は猫に連れられて歩き出した。


「屋敷の人に見つからないようにな」


猫をひと撫ですると、猫はとんとんとん、と身軽に階段を下りてあっという間に外へ出て行ってしまった。なるほど、早く出ていけば見つからないな。

僕も追いかけなきゃ。




黒猫は屋敷の外で待ってくれていた。

僕が外に出たのを確認すると、スタスタと歩いていく。


「待ってよ」


僕は動かしづらい足を動かして黒猫についていく。黒猫は僕が歩くのが遅いのをわかっているのか、立ち止まっては振り向いて確認してくれている。


屋敷の庭を抜けて、林の中に入る。

普段はあまり入らないけれど、この林も手入れされてるのを知っている。


黒猫は林の中を少し進んだところにある池で足を止め、地べたに丸まった。


「お前、外で寝そべったその体で僕のベッドに寝転がってるのか」

「に"ゃああ」


「そんなことない」と否定しているのか、「口うるさいな」と怒っているのか分からないが、黒猫の気分を害してしまったらしい。

いや、でも、僕のベッドに勝手に寝てるの君だからね?


「まあいいんだけどね。僕の話し相手になってくれるなら」


僕も黒猫の隣に腰かけ、黒猫の体を撫でる。

黒猫は気持ち良さそうに目を細めた。







黒猫と出かけた翌日、僕の体は足首まで木に変わっていた。歩けるけれど、足裏の感覚はほとんどない。

靴要らないな、と僕は益体も無いことを思った。


今日も僕の部屋に黒猫は顔を出した。

僕の足首を見ても何も言わず、顔色一つ変えずにいつもと同じように部屋に上がり込んだ。


「お前、もう少し僕のこと心配してよ」


ほら見て、足が木に変わってるんだぞ。

僕は足をぶらぶら揺らして見せつけた。


「にゃー」


黒猫は「どうでもいいよ」とでも言いたげだった。

冷たい奴め。


「……いや、冷たいって言ったら僕もか」


ずっと黒猫と話してるのに、名前すらつけてないのだから。

名前をつけると愛着が湧きそうで怖いんだ。

今でも結構愛着は抱いてるけど、所詮野良猫が立ち寄ってるだけなのだ。

名前をつけてから、黒猫が来なくなったら、寂しい。


でも、黒猫が死ぬのと、僕が死ぬのは同じぐらいかな。いや、僕が木になるまで10年だから、黒猫の方がきっと早く死んでしまうかな。

ならば、いいか。どのみちいつかは別れるなら、それまでの間ぐらい愛着を持ってもいいじゃないか。


「……やっぱり名前、つけようか」


黒猫は耳をピクンと立てた。


「うーん、名前なあ。クロでいい?」

「……に"ゃあ」

「嫌そうだな」


渋々頷いてる感じだ。


「大丈夫、呼ばれてるうちに慣れるよ」

「にゃあー!」

「うわっ、引っ掻くなよ! 布団の綿が出るだろ!」


クロはよほど不満なのか、珍しく乱暴だ。


「そんなに嫌なの?」

「……にゃー」

「じゃあなんて名前がいい」

「にゃお」

「なるほど、わかんないや。やっぱりクロで」

「に"ゃー」

「布団を引っ掻くなってば!」


結局ひとしきり僕の布団を引き裂いた後に黒猫はクロと呼ばれることを認めたらしく、大人しくなった。

布団、召使いにどう言い訳しようかな。





僕の足は全て木になった。クロは相変わらず自由だ。僕を気遣うそぶりもない。


屋敷の使用人達は僕の足が木に変わると、痛ましそうに見つめる。

気にしないフリをして接してくれていても、やっぱりふとした時に足に目が向いているのがわかる。仕方ない。僕も彼らの立場なら、足を見てしまうだろうから。



「今日も来たのか、クロ」


クロは咥えていた花を僕の机の上に置いた。

季節の変わり目だったり珍しい花が咲いてたりすると、この猫は僕のところへ花を運んでくるようだ。


「今日のこの花、なんて言うんだ?」


クロは本棚にヒョイっと登ると、一冊の本を鼻でつついた。

植物図鑑だ。


「クロは本当に賢いよな」


僕は重たくなって言うことを聞かない足を、ドス、ドス、と踏み出してなんとか歩き、植物図鑑を手に取った。

僕の足はもう感覚なんてほぼない。人体と木との継ぎ目あたりは感覚があるけど、足先は多分、切り落とされても気付かないだろう。視覚的に痛いからやらないけど。


ベッドに戻り、植物図鑑をパラパラ開く。

見ても、写実的な絵しか描かれてないので、あまり区別がつかない。せめて色でも塗ってあればいいのに。


「お、これかな?」


僕が図鑑をめくる手を止めると、クロはペシッと僕の手を叩いた。


「なんだよ」


何度も叩かれる。何が不満なんだ。


「これじゃないのか?」

「にゃあ」


うそだあ、そっくりだぞ。

でもクロがそう言うので、僕は渋々猫に付き合ってやることにする。

再度ペラペラめくると、クロが突然本の上に飛び乗った。


「うわっ、本が破れたらどうするんだ!」

「にゃお」


クロは人間の道具のことなんて御構い無しだ。

本は意外と高価で、安いものでも一冊の値段が庶民の外食三回分ぐらいらしい。

クロはその価値が分かってないんだ。

猫に人間の金銭感覚を理解しろ、なんて無理な話だが。


クロは尻尾でとんとん、と本のページを叩いた。

僕はそこに書かれている文章を読む。


「“茎の汁は少量で精神安定剤、多量に摂取すると強い幻覚作用をもたらす”……薬草なのか、これ」


描かれた絵とぴったり合致した。


「王子だった頃は、植物の勉強なんてあんまりしなかったからなあ。新鮮だ」


一応、主要な毒物の勉強はした。

匂い、味、対処法。この三つを重点的に叩き込まれた。毒殺を防ぐためだ。

だが、薬草の勉強はしなかった。王家には専門の医師がいて、わざわざ王族が勉強しなくても良かったから。

ほかに学ぶべきことはたくさんあったから。


「意外と楽しいね」


自由になって気づいたことがある。

僕は勉強が好きだ。

新しい知識が手に入るのが楽しい。知らなかったことを覚えたい。

今までずっと義務感で“当たり前”のこととしてやってたけれど、案外、僕の性格に合ってるのかもしれない。






2年が経った。手が枝になった。

動くけれど、ふとした瞬間にポキっと折れてしまいそうで、怖い。折れたら自然治癒するのかな? それより、痛そうだ。



「クロ、お前を抱っこしてあげられなくなっちゃった」


木になった手で猫の背中を撫でる。枝がクロの柔い毛に引っかかる。「に"ゃあ!!」とても嫌がられた。


「ごめん」

「……にゃー」


二度とすんな、と言わんばかりの目線だ。

そうか、もう君を撫でることもできないんだな。そう思うとなんだか寂しい。


クロはあたたかかった。

抱きしめると動物特有のあったかさがあって、落ち着いた。

ふわふわした毛並みに癒されていた。


そのどちらも、もうできない。


「日に日に出来ないことが増えていくなあ」


どうにもならない。仕方ない。だって治しようがないんだ。魔女の呪いだから。……だから、仕方ない、か。




木になった手では、クロのあたたかさを感じることもできなかった。触れた時の感触すらなかった。


あーあ。





更に二年が経った。僕の体は頭を残して木になった。もうベッドから動くことすらできない。


動かなかったからか、僕の足である根っこがベッドを苗床として根付き始めた。お陰で更に動けない。動かしてもらうことすらできなくなった。


使用人に食事を口に運んでもらう。

ああ、もう何もできないな。

生きてる意味すら、無いじゃないか。


使用人にご飯を食べさせてもらって、やれることもないのでぼーっとしていた。

すると、窓からヒョイっとクロが入ってきた。


「あれ、なんか久しぶりだねクロ。でもごめん、起き上がることすらできないや」


クロは何も言わずに僕の顔のすぐそばに丸まった。


僕は訥々と話し始めた。

もう口すら動かなくなるかもしれないから。

独り言を言うぐらい許してほしい。

たとえそれが単なる愚痴だとしても。


「……僕はね、魔女が嫌いだ」


クロはピクリと耳を動かした。聞いてくれているらしい。


「僕をこんな姿にした魔女が嫌いだ。僕に呪いをかけた魔女が嫌いだ。魔女さえいなきゃ、僕は今頃きっと……」


『王になれたのに』その言葉は続かなかった。

涙が出て止まらなかった。

拭こうとしても手が動かなかった。

嫌いだ、憎い。恨んでる。許せない。

なんで僕なんだ。

なんで僕に呪いをかけたんだ。

僕は何か悪いことでもしたのか?

王になるために頑張って勉強してた。

そりゃ、社会勉強と銘打って城を抜け出したこともあったけれど、それに対する罰がこれか?


頭まで木になったらどうなるんだろう。

意識すらもなくなるのかな。それは、死んでしまうことと同じなのだろうか。

それとも意識だけはあり続けるのか? それでは生き地獄じゃないか。

怖い。こわいよ、こわいんだ僕は。

死ぬのが、こわい。


今までは文句言ったって改善するわけでもなかったから、何も言わなかった。言っても無駄だとわかってたから。今でもわかってる。

わかってる。けど、死を間近に感じて、やっぱり怖くなった。とんでもない弱虫だな、僕は。


「クロ、死ぬのは、こわいよ」


クロは何も鳴かなかった。

代わりに頬を伝う僕の涙を舐めてくれた。










夜、みんなが寝静まった頃。

僕は目を覚ました。窓枠に誰かが腰掛けている。

誰かいる。

僕は目を凝らした。体が動くわけでもなかったけど、正体を確かめたかった。

クロじゃない。あれは人間の大きさだ。


「ごきげんよう王子様。ずいぶん不用心だこと。まるで私を歓迎してくれてるみたいよ」


女性の声だった。くすくすと笑う女性に、僕はなぜか嫌な気持ちにはならなかった。


「君はだれ?」

「私は魔女」


端的に告げられたその言葉に、僕の心は凍りついた。次いで、怒りに震えた。

魔女? 魔女だって? 今更何しに来たんだ!


「この国最後の魔女よ。……ずいぶん惨めな姿ね王子様」


僕は怒りを喰い殺して、落ち着いて見えるように静かに言った。


「君がやったことだろう。今更やってきて何のつもりだ? 僕を嘲笑いに来たのか」


魔女は淡々と告げる。


「間違ってるわよ、あなた。まず一つ、私はあなたに呪いをかけた魔女じゃない。それは私の母だ。二つ、わざわざあなたを嘲笑うのにこんなところまで来やしない。私、そんなに暇じゃないの」


喜びも嘲りも侮蔑も憐れみも……魔女には感情が何一つないように見えた。

そういえば、さっき「惨めだ」と言ってきた時でさえ、魔女の声は平坦だった。

皮肉ぶってトゲのある言葉を発しているが、大根役者のような棒読みで、僕の心には刺さらなかった。


僕は今度こそ冷静になって魔女を見る。


「君の母親が、僕に呪いを? 一体何のために?」


魔女は、夜を写したような見事な黒髪だった。

失礼かもしれないけれど、僕は魔女の髪を見て、クロの毛並みを思い出した。


「私のため、だったらしいわ。この国最後の生き残りの魔女である私が、少しでも過ごしやすくなれば良いと思ったみたい」


魔女の要求は『魔女への迫害をなくすこと』。その要求を軽々しく跳ね除けたのは父だ。

魔女に呪いをかけられた僕は、王に相応しくなくなった。

父が、僕を切り捨てた。


「王子様は知らないだろうけど、魔女には掟があるの。破った者はその場で消えていなくなる。それが昔、人の王と交わした約束なの。言葉の大切さを分かってる魔女は、約束を破らないわ」

「どんな約束を交わしたんだ?」

「『人に呪いをかけないこと』。……まあ、つまり、あなたに呪いをかけた私の母は消えていなくなった、ってわけ」

「……それで僕を恨んでるなら、お門違いだぞ」


むしろ恨んでいるのはこっちなのだ。


「違うわよ。ただ、我が母ながら愚かなことをやったものだと思ってるだけ。母が私のために、命をかけてやった呪いは無意味だった。そんなの、アホらし過ぎて笑い話よ」


魔女の声は平坦だった。

母を罵倒しているにも関わらず、本気で言ってるようには聞こえなかった。

しかし、愛おしそうにも聞こえない。

分からない。彼女は何を考えているんだろう。


「ただ、母の気持ちは尊いものだということも、理解できる。だから否定しない」

「魔女のくせに、ずいぶん人間らしい事を言うんだな」


僕は純粋に驚いた。

魔女というのは、人を人とも思わない冷酷な奴だと思っていたから。人のように考えるなんて。


「人間だもの。母は、わたしよりもずっと人間だったわ」

「は? 僕に呪いをかけるような奴が?」

「だから言ったでしょ、私のためだったんだってば。私への迫害をなくしたくてやったのよ。無駄だったけどね」


娘を想う母の気持ち、ということだろうか。

それの気持ちが「人間らしい」と言いたいのだろうか。

……分からないな。

王族は血縁関係による愛情なんてほとんどなかったから。


「きっかけはもちろん私にあるの。街の男に石を投げられ、気を失うまで鉄パイプやシャベルのような武器で殴られた。気が付いた時には両手両足縛られて口輪をされて目隠しされてた。激しい痛みで目が覚めた。男達に手篭めにされてたの。何十時間にも感じられる苦痛の末、衰弱した私を男達は置き去りにした。満足して帰ったみたい。帰りが遅い私を母が見つけた。私は目隠しを外してもらって、初めて自分の姿を見たわ。全裸で白濁に塗れた汚い身体、青い痣と出血、あらぬ方向に曲がった足……今でも思い出すわ。あいつらを殺してやりたい、って気持ちと共にね」


吐き気がした。

想像しただけで苦しかった。

それを淡々と告げる彼女は、どれほど辛かっただろう。

よく今まで自死を選ばずに生きてきたものだ。


「……殺したのか?」

「殺してないわよ。しばらくは母以外の人間に会うだけで過呼吸になってたから、殺せるような精神状態じゃなかった。少しマシになってからも、男はダメだった。呪い殺そうかとも考えたけど、あいつらを殺すために自分も死んでやるのは、心中みたいで本気で嫌だった。だから殺してないわ」


その答えにひどく落胆した。

殺せばよかったのに。

王子として言ってはならないことだ。

けれど、やはり、相応の報いを受けるべきだと思うのだ。


「それもこれも、魔女が迫害されているせいだと母は思ったみたい。それで、迫害を無くしたくて直談判」

「それは……」


言葉が続かなかった。

誰かを守るために誰かを呪う。

娘を守るために戦った母を、僕はどれだけ責められるだろうか?

呪いをかけられた。僕の人生はめちゃくちゃになった。それは許せない。恨んでる。憎んでる。

けど、けれど、娘を救いたいと願った魔女の行動だと思うと……。

誰かを救いたいと行動することを、悪と呼びたくはなかった。


魔女は小さな声で続けた。


「でも、ほんとは、ほんとはね。迫害なんてどうでもいいから、おかあさんに一緒にいてほしかったの」


魔女は初めて声を震わせた。

それはきっと、掛け値ない魔女の本音だった。


「……」


何も言えなかった。

慰めることはできなかった。だって、僕は呪いをかけた魔女を恨んでる。

責めることもできなかった。だって、彼女も被害者だ。

何も言えなかった。

僕は口しか動かせないって言うのに。その口すら満足に動かせないとは。情けない。


「……母はやり方を間違えた」


魔女は平坦な声を絞り出している。


「誰かを救うために、誰かを傷つけちゃいけなかった。たとえそれが、娘を救うためだとしても、あなたを呪っていい理由にはならなかったの」


誰かを救うために、誰かを傷つけてはならない。

そんなこと、きっと誰もが知ってる。

そして誰もが「綺麗事だ」と鼻で笑うのだ。


けれど彼女は、その綺麗事を真理だと言い切った。

屈辱的な経験をして、一生拭えない心の傷を負わされて、それでも「他人を傷つけてはいけない」と言い切った。

それがどれだけ高潔なことか。


「ごめんなさい。あなたの人生を奪ってしまって」

「……今更謝られても困る。謝られたって、時間は返ってこないからな」

「だから、これから返すわ」


魔女は僕に近づいてきた。

僕は動けない。魔女を見つめるしかできない。


「ずっとあなたを見てた。最初は穢らわしい男と同じだと思ってたけど、あなたは違った。落ち着いてて、清潔で、柔和で、……あまり男性味を感じなかったからかしら、拒否反応は出なかったわ」

「え、ずっと? どういうことだ?」

「私ね、変身魔法が得意なの」


僕は一瞬首を傾げて、そしてすぐ繋がった。

クロか!


「君が、クロなの?」

「そうなるわ。ああ、男性味を感じなかった理由の一つにはきっと、猫相手にあなたが発情しなかったから、っていうのもあるわね」

「当然だろ。むしろ発情してる方がおかしいじゃないか」


魔女はクスクスと笑っている。

彼女の笑顔を初めて見た。


「あなたは、普通ね。わたしも普通がよかった。ああ、今度生まれるときは、普通になれるといいわ」


魔女はそう言って微笑んだ。

そして僕の心臓があった場所に触れる。

フワッとあたたかい光に包まれた。

思わず目を瞑って、次の瞬間には魔女は消えていた。







僕は人間の体に戻った。

呪いが解けたのだ。

弟には喜ばれ、お父様には「しかし王位の座は弟のものとする」と断言された。それでもいいと思った。



僕は旅に出た。


貴族の中には、未だに僕を優秀だと思っていてくれる人がいた。そういった派閥の人たちが、弟を国王の座から引きずり降ろそうと画策してるのを知ったから。

「誰かを救うために誰かを傷つけてはいけない」魔女の言葉が頭の中で蘇る。

もしそれが自分を守る為だとしても、他人を傷つける事は悪だ。

僕は弟を引きずり降ろしてまで得る王の座に興味はない。


弟には渋られた。「旅は危険だ。一緒に国を守ってほしい。俺一人じゃ不安だ」とすがられたけど、僕は断った。

「君は今国王なんだから、もう僕の弟ではいられないんだよ」そう言ったら弟は絶望したような顔をしてた。今にも死にそうなその顔色に、あまりに心配になって、足りてなかった言葉を付け足した。「けど、僕はいつまでも君のお兄ちゃんだから」頼っていいよ、最後まで付き合うから。そんなような事を言った。

なんとか弟は顔色を取り戻してくれた。そして僕が旅に出る許可もくれた。良かった。



一応、旅の名目は「見聞を広める事」。自国のためにいろんな国をめぐって、交流や見聞を深める事が目的だ。

けど、僕個人の目的は別にあった。






「アンタかい? アタシを探してる男ってのは」


フーッと女が息を吐くと、煙たい臭いが小さな部屋に充満した。


「はい」

「アタシみたいな占い師に、高貴なお方がなんのご用で? 言っとくけど、アタシの占いはアタシのためにあるもんだからね。アンタのためには使えないよ」


この占い師はよく当たると評判だ。その評判を聞きつけて、多くの貴族が権力と金を盾に「専属占い師になってくれ」と迫ったのだろう。


「僕は占いはあまり信じてないんです」

「ほォ? それならなんでアタシのとこに来たんだ?」

「あなたは魔女ですか?」

「…………」


僕は単刀直入に聞いた。占い師は黙って僕を睨みつけるように見た。

占いは信じてない。けれど、魔法は別だ。

だって僕は、二人の魔女に会っている。


「……アタシの占いじゃ、アンタはアタシを傷つけない」


やっぱり、彼女は魔女だったか。


「はい。傷つけるつもりはありません。ただ、聞きたいことがあるんです」

「言ってみな。答えるかどうかは質問次第だけどね」


クイっと顎をしゃくって、僕に話を促す。

ぞんざいな態度だ。でも嫌じゃない。


「僕は一度、魔女に呪いを受けました。体が木になる呪いです。その魔女は呪いをかけた後消えました」


僕の人生が変わった日だ。


「そしてその十年後、もう一人の魔女が呪いを解いてくれました。しかし、光に包まれて、木が人体に変わっていく間に、もう一人の魔女はいなくなっていました」

「はあ? そんな話があるものか」

「事実です」


魔女は顔をしかめた。


「そんなわけがない。魔女なら呪いをかけるデメリットも、呪いを解くデメリットも理解しているはずだ」


呪いを解くデメリット、か。

僕は予想が正しい事を確信した。

彼女は、クロは……


「呪いを解くのに必要な代償は、なんですか?」

「命」


魔女は端的に答えた。

僕はうなだれた。

ああ、やっぱり、クロはもういないのだ。

文字通り消えてしまったのだろう。

僕の呪いを解くために。


「……ありがとうございました」


クロがどうなったかを知ることが、僕の旅の目的だった。

クロは、彼女は、死んだ。

旅の目的は果たされた。







僕は城に戻り、弟を助けながら国をより良くしようと努めた。

偏見や差別をなくす事を僕は一番に考えた。

彼女たちの死を無駄にしてはいけないから。


命をかけて僕を助けてくれたクロが、少しでも報われると良い。


遠くで猫の鳴き声が聞こえた気がした。

いっそ王子様が性悪だったら良かったのに。

そしたら私は見殺しにできたのに。

国王様がちゃんと差別をなくそうと努力してくれればよかったのに。

そしたら私は解呪する必要もなかったのに。



私は自嘲する。

なんで母が命がけでかけた呪いを、私は命がけで解こうとしてるんだろう。

この行為は母の気持ちを踏みにじる行為だろうか。でもいいじゃない。最初に私の気持ちを踏みにじったのは母さんだもん。


本当はいつ死んでも良かった。常に死にたいと思って生きていた。恥ずかしいぐらい長い時間を生きた。もう十分だ。誰の役にも立てず、そこにいるだけで忌み嫌われる。


だから、最期ぐらい誰かの役に立ったっていいじゃない。


身体が消える感覚に身を委ねる。

いいの。いいの。魔女は死ぬべきよ。特別な力を持った人間なんて要らないわ。


今度こそ、生まれた時には普通でいたい。



誰かを傷つけて生きるなんて、誰も幸せになれない。

次があるなら、どうせやら、私は誰かを幸せにする力が欲しいわ。

その方が、きっと、幾分か素敵だと思うから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 呪いで体を木に変えられてしまった王子と黒猫のふれあいが良かったです。 そして魔女達の真実を知り、可愛そうと思いました。 実は僕も「店長はこねこちゃん」という小説を連載しています。 主人公の…
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