カフェの中の死神
天使の意図を要約すると、つまりはこうだ。
自分は千咲のパンツを見た。それはもうガン見した。何ならちょっと匂いも嗅いだ。
なのでお金を払うべきだが、手持ちがないので払えない→よって家族に払ってもらう→Q.E.D。
なんという純真さ、なんという誠実さ。千咲の軽はずみな言動が、この愛くるしい生き物を誑かしてしまった訳だ。あまりうかつなことを口走るものではない。
本来ならさっさと誤解を解いて予備校に向かうべきなのだが、もうほとんど陽は落ちかけていて薄暗い。こんな可愛らしい生き物を一人で帰らせるのも不安になって、結局は着いてきてしまった。
「……で、ここが君の家?」
「うぃ!」
ゴスロリ天使は愛くるしく頷いて、より一層力強く千咲の手を握り返した。獲物が逃げ出す気配を察知した、肉食獣の動きであった。
千咲は──ごく一般的な中流家庭に生まれた女子高生は、半ば茫然、半ば恐怖とともにその建物を見る。
そこらの建売住宅の二棟分はありそうなそこは、一言でいうとカフェだった。
黒を基調とした現代的で高級感のある店構えに、ウッドテラスと丹精されたプチブルな庭。
席数は少なく、ゆったりとくつろげるよう大きく間隔をあけている。
そして何より特徴的なのが、むやみやたらと咲き乱れている花である。白ユリ、ポピー、シクラメン、パンジーにマリーゴールドetcetc、なんとハイビスカスや向日葵までもが咲いている。あまり詳しくない千咲が見ても分かるぐらい、四季と気候の概念が乱れるラインナップである。それらが一見無造作に、しかし驚異的な調和を保って目に映るよう配置され、麗しく香しい美的空間を演出していた。
そしてそれらの一つ一つに、目立たぬようさりげなく値札がついている。
カフェであり、花屋でもある。最近はやりのコンセプトカフェという奴だ。
それがまさか我が地元、それもこんな住宅街に出来ているとは知らなかったが。
適度にカジュアル、適度にお上品──千咲にとっては、ジェリコの壁もかくやの敷居。
道路脇にさりげなく置かれた黒塗りの看板には、ファッショナブルな書体でこう書かれていた。
──Sorcière。
「そ……そるしえれ?」
「ノン、Sorcière。フランス語だよ?」
なるほど。道理でさっきから返事が「うぃ」な訳だ。時々日本語が怪しいだけかと思っていたが、むしろ丁寧な応答だったか。
いやまあそんなことはどうでもいい。これからここに入れというのか? このインスタ常連みたいなシャレオツ意識ハイエストプレイスに?
「うん、待って。ちょっと待って。私無理。しんどい」
「ノン。風邪ひいちゃう」
尊き天使はどこまでも行き届いた気配りを見せ、またしても大型犬並みの牽引力で千咲の腕を引っ張った。
地味系女子の悲痛な叫びが、瀟洒なドアの中へとかき消える。
◆
──すいません、すぐ消えますのでそっとして(季語レス)。
心の中で一句詠みつつ入店するが、店内に人の気配はなかった。
予想外というべきか、助かったとみるべきか……いまいち判断しかねるまま、千咲はあらためて店内を観察した。
L字型のカウンターに6席、フロアには四人掛けのテーブルが二つ。庭へと続くウッドデッキに同じものが一つ。
内装は木材をふんだんに使い、椅子とテーブルに至るまでほどんどが黒い。極限まで色味を抑えているのは、この店の色彩の主役を花に任せているからだろう。
花園の秘密の隠れ家──そんな例えがしっくりくる、おとぎの世界がそこにはあった。
流石にこれほどの完成度ともなると、千咲のような食い気全振りの少女でも目と心を奪われる。
手をつないだままのゴスロリ少女は、してやったりの表情だ。天使のどや顔超かわいい。
フロアの奥に目を向けると、陳列棚が置かれていた。
茶葉や石鹸、入浴剤、蝋燭にキャンディなんかが整然と陳列されている。ものすごく可愛いしどれも美味しそう(?)だけれども、お値段も当然のようにセレブプライスなので手が出なさそうだ。
と──。
棚の中に用途不明の小物があって、千咲の興味を引いた。
セロハンで包まれたそれを一つ摘み取り、目の前に掲げてみた。
半球形の頭をした、数センチほどの細長い円柱状の物体だ。円柱部分は真鍮でできていて、半球の部分は赤や白、黄色や藍色に着色されている。カラフルでとても可愛らしいがが、これとよく似た形状のものをテレビや映画で見たことがある。
これは、そう──。
「ああ、それは銃弾です。花でつくった、ね」
チェロの旋律にも似た美しい声音が耳朶に滑り込み、千咲はハッと振り返る。
6席しかないカウンター。その一番奥のスツールに、一人の男が腰かけている。いったいいつの間に現れたのか、それとも千咲が見落としていたのか──それすらもわからぬほど、ごくごく自然に。
「きっ──」
悲鳴を上げかけ、そこから先がかき消えたのは千咲の精神力のお陰ではない。
こちらを見つめる男の姿が、あまりにも麗しすぎて。
極上の美は、たやすく人の意思を絡めとる。千咲の視覚と思考が、暴力的ですらある男の容貌に惹きつけられた。
年の頃は二十代半ばかそこら、背がとても高く、190センチ近くある。真夜中の冬空のような深い色の黒髪、幽かですらある白い肌。
切れ長の瞳に黒曜の輝きをおさめ、くっきりした高い鼻梁。そこだけは血色のいい唇は細い三日月の弧を描き、それらすべてをきわめてバランスよく収めたかんばせ、中でも顎のラインが極めて綺麗で印象的。
服装も特徴的だ。黒地に白いストライプのYシャツ、その上から漆黒のベストとスラックス。全て特注だろう、素人目に見ても仕立てのいい逸品だ。しかし手袋まで黒という徹底ぶりのせいで、闇から浮き出てきたみたいに見える。
首元の赤のボウタイと、みずみずしい唇の朱だけが色づくものだ。
傍らの少女を天使とするなら、この男はまるで、
──死神。
その印象を抱くと同時。
黒い人型存在は、魔法じかけの人形のように。
ゆっくりと、衣擦れさえもたてぬまま立ち上がる。ゆっくりと近づいてくる。
青年が唇を開く。またあの深い音色が聞こえると思うと、ぞくり、千咲のうなじを寒気が走った。
死神が長身を折り、優雅で華麗な一礼を向ける。
「──『Sorcière』へようこそ」
普通ならここでトゥクンってなって淡い恋のスタートアップ研修にJoin us!ってなもんなのだろうが、それを見事に迎撃する要素が一つ、彼の手に握られていた。千咲の視線はその一点に釘付けになり、死んだ浅利のごとくにあんぐりと口を開いた。
震える右手がその一転を指さすと、漆黒の青年があるがままに応える。
「銃ですね。拳銃」
有料待ったなしの極上の笑顔で青年は言う。あと、なんか撃鉄を起こしている。実になめらか、カジュアルな動作でプラプラさせているのは、艶のある漆黒の拳銃──確か、リボルバーという種類だ。アクション映画で見るような武骨で四角いものではない。細く長い銃身、曲線の多い滑らかなフォルム。銃口からグリップに至るまで精緻な彫刻が施されたそれは武器というより工芸品のようだ。
その矛先が──銃口が己の眉間を指し示すに至って、千咲の言語野はようやく再稼働を果たした。
「それ、何に使うんです?」
「決まっています。撃つんですよ」
「誰を?」
「もちろん、うちの看板娘を拐している不審者をです」
指先が引き金にかかる。チキチキと撃鉄が起きあがりかけるなり、千咲はゴスロリ少女の手をさっと手放して言った。
「freeze!!」
「それは撃つ方のセリフでしょうに」
あきれながら青年はクソ雑にトリガーを引く。千咲はぎゅっと目をつぶり、自力で走馬燈を回してこれまで食べておいしかったものを脳裏に1グロスほど並べ立てた。そのあとで両親に詫び、最後に神様に向けてこの日二度目の忖度を要求した。
しかし、いつまでたっても痛みも苦しみも訪れない。恐る恐る目を開けると、そこには魔性かつ満面の笑みが咲いている。
「冗談ですよ、冗談。これは100年前の骨董品です。弾丸の規格も今のものとは異なりますから、滅多なことでは手に入りません。ホラ、弾入ってないでしょう?」
青年は朗らかに笑い、手にした拳銃のグリップを千咲へと向けた。なるほど、確かに弾丸を込める穴の中には何一つ入っていない。
脅かすにもほどがある。どうやらこの魔的に美しい青年は、冗句の方も悪魔的らしい。
そこに抗議の声を上げたのは、千咲ではなくビビットピンクの天使である。
「カエデ! そーゆーのよくない!」
少女がぷんすか怒りながら死神美形に詰め寄ると、スラックスにしがみついてぐいぐいと引っ張る。こうして二人を並べてみると、倍近い身長差がある。
カエデと呼ばれた青年は降参とばかりにしゃがみこみ、絡みつく天使的生命体の頭を撫ぜた。
「悪かったよ、蜜葉。それで、こちらのお嬢さんは?」
「お客様だよ、カエデ!」
これまたお金の取れるスマイルを無造作に振りまいて、天使少女は堂々と言った。青年の方がピクリと震え、かんばせをギギギと千咲のに向ける。信じがたいものを見た表情だ。カエデ氏の視線は千咲の頭の天辺からつま先までを何度も往復し、眉間にしわ寄せ凝視した挙句、最後に凄くいい笑顔を少女に向けた。
「……言ったでしょう、蜜葉。お客様を連れてくるなら、身なりのいい、金と暇を持て余してそうな人になさいと」
「うん、そうだね! そうだったね!」
いけしゃあしゃあとひどいことを言う。全肯定する少女も少女だ。さっきはパンツを褒めてくれたのにと、ちょっとだけ凹む。
そんな千咲のショックを尻目に、二人は二人にしかわからぬやり取りをしていた。
「頼んでおいたチラシは? 配り終えたのですか?」
「……少しだけ」
一転してしおれた調子で、天使あらため蜜葉が応えた。抱えていた紙袋の中身を、カエデが取り出し検める。
先ほどメモ帳代わりにしていた紙袋の中身は、A4サイズの大量のチラシであった。
お店の名前と新規オープンの文字が大書されている。なるほど、開店したてならこの客入りもなんとなく頷ける。
そしてどうやらゴスロリ少女は、お客の呼び込みのためにチラシ配りの命を受け、志半ばにして不調に終わった……という所だろうか。
チラシの余りっぷりからして、途中で怖くなったのかもしれない。
「……まぁ、あなたの性格を考えれば向かない仕事ではありましたね。私の失態です」
数分ほど頭をなで、少女の失敗を優しく受け止めてやると、青年は再び立ち上がる。
「さ、それを片付けて来なさい。仕事はまだありますよ」
「うぃ!」
駆けていく少女の背中を穏やかに見守ってから、青年は所在ない千咲に向けて、先ほどよりもずっとフランクなお辞儀をした。
「……当店のオーナー、射雅楓と申します。わたくしのことはどうか親しみを込め、マスターとお呼びください」
「なんか変なルビが見えましたが」
「気のせいです。どうぞお好きな席におかけください」
千咲は腑に落ちぬものを感じたが、温和かつ魔性の笑みは崩れない。迫力満点の美貌を前に、千咲はなすすべなくカウンターの席に座らされた。




