アイウィッシュ解決
そののちの雪華の行動は、およそ千咲も知る通りだ。
教師たちに報告を行い、礼央馬に千咲を呼んでもらった。
程なくして彼女があらわれ、事のあらましを知る事となる。
千咲はとても落ち着いていた。淡々と荷物を改め、盗られたものを確認し終えると、『困ったもんだね』と微苦笑を浮かべるだけだった。雪華は見ていられず、彼女から目をそらした。そんな顔をさせた自分を心から嫌悪した。それでも表情にはおくびもにも出さず、何食わぬ顔で教師の聴取を受けた。質問には応えていたが、頭の中では別の事でいっぱいだった。
自分は何をやっているのか。
あの男はなんだったのか。
そして結局犯人は誰なのか。
考えているうちに時間は過ぎ、気が付けば雪華は帰宅していた。机の上には二つの品が置かれている。
銃とハンカチ。
この二つをどうするべきか、頭ではきちんと理解している。
銃はどこかに捨て、ハンカチは即座に持ち主に返す。どこかで拾ったことにして、責任は犯人に被せればいい。
だが万一本当の事がばれたとしたら、雪華には弁明できる自信がない。
千咲の困った笑顔を思い出す。見知らぬ誰か、罪深い誰かにあてた笑顔を。それが自分に向けられた時の事を思うと、恐ろしくて仕方がなかった。
雪華は銃を手に取ってみた。奇妙なことに、心がひどく落ち着いた。それは力を持っていた。人ひとりを容易く支配できる、純然たる力が。あの男の言葉がよみがえる。
──大事な人を守りたいなら、こういうのも必要だろう?
かぶりを振って否定する。こんなものは過ぎた力だ。
銃なんかに頼らずとも、千咲を守るすべはある。それに、先生だって動いている。
今回は千咲の希望で見送られたが、再発すれば警察も呼ばれるだろう。雪華が危険を冒す必要はどこにもない。
なのに今や手放しがたい。またあの男の声が聞こえた気がした。
──さぁ、想像してごらん。それを使う自分の姿を。
囁きに誘われ、頭が勝手にイメージを始める。何者かに襲われる千咲と、銃を片手に救い出す自分。今どき中学生でもやらないような、
失笑物の妄想活劇。しかしそれはたまらなく甘美で、憔悴しきった雪華の心を心地よく慰める。
そしてついに妄想は、ある光景に行き着いた。
出会った時から望んでやまず、すぐあきらめた光景に。雪華は千咲を抱きしめていた。千咲も抵抗はしなかった。
そんな事はあり得ないのに、今のままで十分なのに、涙が出るほど欲しくって。
けれども罪を犯した今の自分に、それを夢見る資格はない。
雪華はハンカチを手に取り縋りついた。布地はすでに乾いていて、持ち主の名残は残っていなかった。
◆
それからは徒労と空回りの日々だ。
雪華は盗んだものを返しそびれ、犯人は姿を見せずに犯行を重ねる。
ついには千咲の両親にも知れ渡り、いよいよ警察も動き出した。こうなってしまうと、もう詫びを切り出すタイミングがない。
せめて彼女の支えになろうと思ったのだが、彼女はさほどそれを欲していなかった。
毎日きちんと登校し、授業を受けて帰る。事件の前と変わらないリズム。呆れるほどの強靭さに、自分の出る幕はないと思い知った。
そして夏休み明け、クラスメイトが先に参った。
雪華は強く反発した。千咲は正しい。どこまでも正しくて強い。彼女に息づくしなやかな意志の強さに、羨望と尊敬を覚えた。
同時にまた、クラスメイトに共感もしていた。彼女は正しすぎて眩しすぎて、直視していると怖くなる。
そのうち自分も呑まれるだろう──そうなる前に、彼女の側に立たねばならない。その為には強い力が必要で、既に雪華は手にしている。後は意志と覚悟の問題だった。
──犯人を見つける。必ずこの手で撃ってみせる。
◆
「だから、アンタが『戦おう』って言った時は嬉しかった。信じてるって言われたことも。絶対上手くやろうと思ってたんだ。なのに……」
なのに、ここでも雪華は震えていただけだ。強い力を持っていたのは、何も自分だけではなかった。
あの男が関わっているなら、向こうも銃を持っている。少し考えれば分かりそうな話だ。
その程度にも気づかないくせに、何をどう上手くやるつもりだったというのか。
ようやく銃を抜けたのも、標的が自分じゃないと思ったからだ。最初から目的が分かっていたら絶対に無理だった。
振り返ってみて思う。結局自分は、何がしたかったのか。この後これからどうなって欲しいのか。ぐちゃぐちゃで分からない。
唯一ハッキリと分かったのは、知りたくもない本性だけだ。恥知らずで臆病な卑怯者。それが自分だと、最悪な形で思い知った。
洗いざらい話し終えても、別に肩の荷は下りたりしない。
やるせなくて、雪華はついに叫んでいた。
「……なんで、なんで今なんだよ! なんでもっと早くに来ない!! 最初からアンタらみたいのが出張ってたら、出会ったのがあいつじゃなくてアンタだったら、こんな目に合わずに済んだのに!!」
分かっている。これは単なる八つ当たりだ。けれど、叫ばずにはいられない。
突然現れ、ペテンみたいな力を見せつけ、今も千咲の側にいる。撃つ理由はそれで充分、なのに指は動かない。
千咲は何も言ってくれない。折れろとか諦めろとか、言ってくれたらそうするのに。
代わりに口を開いたのは楓だった。どこか懐かしむように雪華を見ている。
「……今のあなたと同じ事を、私も叫んだことがありますよ」
ずっと昔、彼がまだ少年だった頃。当時フランスに住んでいた楓は、ある事件で両親を失った。
ありふれた銀行強盗。おのが人生に愛想をつかした者達の自暴自棄の犯行は、しかしそれ故に荒っぽかった。
手始めに何人か殺してから金を要求し、反抗的な態度をとれば容赦なく撃ち、そして金を手に入れると人質を皆殺しにしようとした。楓の両親は息子を庇い、この時に亡くなった。今にしてみれば、最初から殺しが目的だったようにも思える。
程なく警官隊が到着し、呆気なく鎮圧された。遺体の前で呆然とする楓に、遅れてのこのこやってきた大人は口々に言った。
仕方がなかった。運がなかった。むしろ君が助かっただけ、上出来な結果だった。
通り一遍の言い訳と慰め。それは誰の為のものだったのか。少なくとも楓は救われなかった。
ヒーローは遅れてやってくる。そんなフレーズはクソ喰らえだと思った。
だから魔法使いになったのに、結局彼も『ヒーロー』のままだ。けれども、仕方がないとは思わない。
「あの男を野放しにした、その責任は自分にあります。お二人にはお詫びのしようもありません」
こんな言葉を口にしながら、それでも銃は向けている。それが彼の仕事とはいえ、本当にろくでもない。
そんな楓を、雪華は泣きはらした顔で見ている。表情は硬く、銃はいまだ構えたままだが、実は折れたがっているように楓には見える。
やり場のない悔しさと怒りを滲ませつつも、雪華はきっかけを求めて何度も視線を彷徨わせる。やや間があって、ぽつりと言った。
「……あいつは結局何だったの? あたしにこんなものを渡して何がさせたかったの?」
「魔法使いの悪党です。私の師と友人を撃ち、武器を奪って逃げました。そして行く先々で人々を騙し、弄んでいる」
その手口は様々だ。ある時は欲に溺れた人間につけこみ、ある時は小さな罪をとがめだて、言葉巧みに誘導する。
そして今回の目的はおそらく、楓に対する挑発だ。
ここにいるというメッセージ。今でも奴はこの街のどこかで息をひそめ、次の騒乱の種を撒いている。今度はもっと狡猾に、大喜納ぼ物仕掛けてくるはず。そうなる前に片を付けたい。
「心残りがなければ、このまま撃たせて貰います」
穏やかな宣告。それは裁きであり最後に残った救いでもある。
起こった事は変えられない。時をさかしまに動かす力など、人の身にはもちえない。けれど、なかった事に出来ると言うのが、彼が手に入れた魔法だった。
忘却の魔弾。それによって魔法を打ち消し、関わったものから記憶を奪う。
そうして人々を神秘から遠ざけるのが、魔法使いとしての彼の仕事だ。
雪華は悄然とそれを受け入れた。抗う気持ちは消え失せて、男がもたらす罰を待ち望んだ。
いっそ何もかも忘れたい。事件の事も、汚れてしまった自分の気持ちも。でも今、これだけは言っておかねば。
「ごめんね、千咲」
今はこれが精一杯、だけどようやく言葉に出来た。身勝手にも安堵する。
楓はそれを聞き届け、弔うように引き金を引いて──引こうとして。
「あれっ」
愛銃が忽然と消えたのに、この時ようやく気が付いた。
◆
んでどこに行ったかと言うと。
「ズバリここにあったりして」
言葉の通り、愛銃は楓のすぐそばにあった。んでもって、銃口がこちらを向いていた。
向けているのは誰あろう、叶谷千咲その人である。
突き上げるような銃口と眼光が射る。楓はとりもなおさずもろ手を挙げた。
「……今の、どうやったんです?」
「気合と合気、どっちの方が納得します?」
冗談めかして返しちゃいるが、千咲も千咲で内心はドッキドキだ。上手くいくかは半々だった。
しかし何とか流れはつかめた──やっててよかった合気道。おかげさまでブチ切れられる。
「そう、私は激おこなのです」
何にかってそりゃもう全部にだ。英語で言うならエヴリシング。何もかも気に入らねえ。オーライアイアムベリーアンガーJK。若さに任せてランペイジビギン。
「何なのそれ、何なのおのれら! 一番の被害者ほったらかして、自己都合のひけらかしあいしてる場合かよ! 不思議事件はもわっかったよ! そんで私はどうすりゃいいの、私に一体どうしてほしいの! ハイ言って、雪華ちゃん!!」
「うぇ!? 何!? っていうか誰そのキャラ!?」
「いいから言う! ハリアップセイセイ! 普段のさっぱりさばさばなあたし()はどうした!!」
ヘイヘイ愛善ビビってる──銃を片手にヘドバンしつつ、千咲は幼馴染をどやしつける。こんな事は初めてで、加減がどうも上手くいかない。でもいいのだ。その方がすっきりするから。
雪華は尚もテンパっていたが、テンパってるなりに努めて真面目に考える。絶賛トチ狂っているとはいえ幼馴染だ。もう嘘はつきたくない。だから雪華は素直に答えた。
「……どうか千咲に許してほしい」
「声が小さい! もっと大きな声で!!」
「千咲にどうか許してほしい! 盗んだことも、いろいろ黙ってたことも!!」
「許すよ! そんなんとっくに許してるよ! ていうか野望が小さい! 欲望の解放が云々!! もっと! 根本的な! 大それた夢をでっかく語れよ!!」
今度は海賊とテニスの人を混ぜたようなキャラになった。
ばきゅんばきゅんと無駄うちしまくりのエビぞりまくりで危なっかしい事この上ない。
雪華は思わず楓を見た。『助けて』と目で語るが、『無理です』と返ってくる。連れの子供は何故か目をキラキラさせていた。
そんな中で本心を語れと言うのは、もはや拷問以外の何物でもない。もう雪華もやけくそだった。
「アンタが好きなの! ずっと前からそうだったの! だから恋人にしたいって思ってる! それは今でも変わらない!!」
「じゃあなんでそれを捨てるの! 忘れていいと思えるの!? 大体そんな大事な気持ち、なんで早く言わないの!!」
「こんな形で知られたら忘れたくもなるよ!! アンタだって気持ち悪いって思ったでしょうが!」
「いや全然? むしろありがとうって感じだよ!!」
勢いのままにぶちまけると、雪華の勢いは面白いぐらい止まった。ぽかんとして顔を赤らめ、喉の奥からきゅうっと変な音が出た。今にもぶっ倒れそうな様子だ。
「いやあの、ありがとうってだけだから。別にオッケーだしたわけじゃないから」
「うん分かってる、分かってるけどごめん、ちょっと待って」
フラフラする身体を支えていられず、雪華はついにひざを折った。なにやら嬉し苦しそうなうめき声が聞こえる。
自分の部屋ではずっとこんな感じだったのかなぁ──と、他人事のように千咲は思う。
何度も深呼吸して雪華は立ち直り、視線を上げて千咲を見上げた。
「でも……やった事は柳ケ瀬と同じじゃん。やっぱ気持ち悪いって」
「何言ってんの。そりゃ盗みはよく無いけどさ、雪華ちゃんは人の箸に変なもんぶっかけたりしないでしょ」
「そんなん分かんないよ!? 思い余って(検閲)とか(検閲)とかしちゃうかもよ!?」
「だとしても、持ち主に送り返して『よかった』とかぬかすガッツは間違いなくない。だって雪華ちゃんヘタレじゃん」
キッパリバッサリ切り捨てると、雪華はこれまたザックリ凹んだ顔をした。直球すぎたが反省はしない。むしろ彼女がヘタレでよかったとすら思う。
もし雪華がもっと狡猾で、彼女の気持ちがよこしまだったら。味方のふりをして千咲に近づき、背中から撃つぐらいの事は思いついてもおかしくない。そこに考えが至らないのが、柳ケ瀬と雪華の大きな違いだ。
「そういうさ、弱くて狡くて中途半端にいい子なところも私は嫌いじゃないんだよ。雪華ちゃんだってそうでしょ」
やたらと燃費が悪いところも、あんまり周りを気にしない所も。こうと決めたら頑固なところも。雪華は全部受け入れて、そして放っておいてくれる。そんな友人は中々得難い。
だから許す。とにかく許す。後できっちり反省はさせるが、それでこの事件は終わりだ。
「という訳で店長さん。記憶を消すのは無しにしていただけませんか?」
「いやぁ、仕事なのでそういう訳には……」
やっぱりねと楓は唸る。何しろ楓は非合法な存在だ。迂闊に痕跡は残せないし、バレた時には身内からも追及される。それをかわすのは大変骨だ。
「そこを何とかお願いします。絶対にこの件は口外しません。むしろまた、餌として使ってくれても構いませんから」
「もし、断ると言ったら?」
「この銃であなたを撃って、私たちを忘れさせます」
断言し、千咲は引き金に指をかけた。脅しではなく本気である。二回も人を利用したのだから、不平不満は言わせない。
にらみ合ったのは一瞬のこと──楓は両手を掲げたまま、ヤレヤレと大きくため息をついた。
「言っときますけど、弾切れですよそれ」
「えっ」
思わぬ言葉に虚を突かれ、千咲の注意が一瞬そがれる。
次の瞬間、千咲の周囲をつむじ風が吹き荒れた。色とりどりの花弁が舞い上がり、千咲と雪華、二人の姿をすっぽりと覆う。
濁流じみた乱舞が終わると、二人の手からは拳銃がもぎ取られ楓の手に収まっていた。
勝ち誇るようなどや顔──さっきの仕返しと言わんばかりの表情を浮かべた後、両方とも懐へとしまう。
「ま、いいでしょう。今回限り、貴方に免じて要求を呑みます。私の落ち度も大きいですしね」
ただし──と言葉の穂をついで、楓は笑みを引っ込めた。美貌が酷薄な色を帯びる。今までのすべてが演技であるかのような、大した豹変ぶりだった。
「口外したと分かった時には、すべての記憶を奪い、言葉も人格も消します。くれぐれもお忘れなきよう」
さらりと恐ろしい事を言ってのけ、楓は蜜葉の手を取った。少女が指先を打ち鳴らす。
またも花弁が吹き荒れて、今度は男と少女を包み込んだ。
目をあけられないほどの暴風。それがやみ、恐る恐る瞼を開けば、そこに二人の姿はなかった。ちりと積もった花びらもだ。
残されたのは二人の少女と、眠ったままの教師と生徒。
千咲はしばし呆然としたのち、やるべき事を思い出した。なにはともあれまず通報である。この状況をどう説明するかを考えると、早速に頭が痛い。
千咲は遠くに落ちたハンカチを拾い、念のため柳ケ瀬の手首を縛り上げた。そして雪華に手を差し伸べる。
「かえろ、雪華ちゃん」
変わらない、本当にいつもと変わらない当たり前の態度。雪華は素直に応じかけ──かぶりを振り、その手をぱしんと振り払う。思いもよらない反応。叩かれた手が痺れている。涙交じりの一言が、その理由を知らしめた。
「……振った女に優しくすんな、バカ!!」




