セルフィッシュ告白
どうしてそれを持ってるかだなんて、馬鹿な問いはしなかった。答えはたやすく思ついたし、おそらく間違っていないと思う。
でも何故そんな事をしたのかまでは、千咲の頭ではわからない。けど、一つの確信はある。
聞けば二人の間の何かが変わる。それでも千咲は、事実が知りたい。
その態度が変わらないのを見ると、雪華は悲しげに目を伏せたまま訥々と語り始めた。
◆
(最悪だ)
それが、更衣室に入って抱いた最初の感想だった。傍らでは異変を知らせてくれた後輩が、おろおろしながら雪華と部屋とを見比べている。どうやら今の自分の顔は、相当に鬼気迫る物らしい。
ここで取り乱すのは得策ではない。思い直し、雪華は努めて表情をやわらげた。
「報せてくれてありがと。後はあたしが引き継いでおくから」
精一杯穏やかに告げると、後輩は露骨にほっとした。『失礼します』と小声で言って、足早に立ち去っていく。その背中が見えなくなるまで見送ってから、雪華は更衣室のドアを閉めた。
「……さて、」
独り言ち、部屋の奥へと踏み込んでいく。教師たちに知らせる前に、少し自分で調べておきたかった。
窓の鍵は開いていて、カーテンがゆらゆらはためいている。あそこから侵入したのは間違いない。
そして目的のロッカーを荒らし、何食わぬ顔で出て行った。ここから少し離れているとはいえ、武道場にはまだ多数の生徒が残っている。彼らに物音で気づかせない当たり、手慣れた者の犯行に思える。
続けて荒らされた一角──千咲のロッカーの前にしゃがみ込み、散らかったものをざっと見渡す。
制服、教科書、筆記用具にお弁当。未開封の菓子袋が多数。
(……甘いものばっかり)
思わずジト目で見てしまう。育ち盛りも終盤だろうに、あの身体のどこにこれだけ入るんだか。誰かに餌付けされやしないかと心配になる。
と──放り出されたカバンのポケットから、ハンカチがはみ出しているのを見つけた。
持ち主が昼食時に使っていたのを覚えている。その後も何度か使われたのだろう、まだ少し湿っていた。
彼女の手が触れ、その唇が触れたもの。
「……」
不意に抱いた衝動を、なぜ最後まで抑えきれなかったのか──のちに何度も後悔する羽目になるのに、雪華は全く抑えられなかった。言い訳をするなら、この時はひどく興奮していた。犯人に怒っていたのもそうだが、そいつの起こした忌むべき行為に暗い羨望を覚えていた。
雪華は固唾をのみ、震えだした指先でハンカチを抜き取る。そしてポケットにしまい込むと何食わぬ顔で立ち上がり、その場を後にしようとした。
「あらら、そりゃちょっとまずいんじゃない?」
からかい交じりの咎める声に、雪華の鼓動が一瞬止まる。振り向いて、今度こそ心臓が止まるかと思った。
悲鳴を出さずに済んだのは、後ろめたさがそうさせたのと、恐怖が雪華を縛り付けたからだ。
何の気配も前触れもなく、男が一人たたずんでいた。幽霊じみた存在感、頭からつま先まで、白一色の飾り気のない服装。そして右手に握った品物が、雪華から声の自由を奪っていた。
拳銃、それも見慣れない古めかしいものだ。光沢のある純白の銃身が、雪華の胸に向けられている。もし何事か叫んでいたら、撃たれていたに違いない。目深にかぶったフードの下で、色艶の良い唇が蠱惑的な微笑を描いた。
「とりあえず、静かに。取って食いはしないからさ」
その言葉にゆっくりとうなずくと、男はあっさりと銃口を下した。
「物分かりがよくて助かるよ。騒がしいのは好きだけど、時と場合によるからね」
「……誰なの、アンタ」
「見ての通りの不審者さ。これの犯人じゃあないけど」
「遠回しな言い方はやめて。大声を出されたいの?」
「そりゃ困る。荒っぽいのは好きじゃないんだ」
だから銃に頼らなくちゃいけない──言外にそう告げて、男は銃をぶらつかせた。それを見て頭が冷える。どうも自分は、千咲が絡むと興奮していけない。少し言葉を選ばなければ。
「犯人じゃないなら、何をしにここへ?」
「んーまぁ、ちょっとした確認かな。仕事の成果を見ておきたくって」
「仕事?」
「そう、お仕事。やってる事は即興のカウンセリングみたいなものだね」
「それがこの状況とどう関係が?」
「その人……犯人だけど、盗むかどうか迷ってたんだよね。それで活を入れてあげたんだ。だからその後どうなったか、気になって見に来たって訳」
「それって……」
立派な教唆犯だ。捕まれば確実に罪に問われる。
なのに男はひょうひょうとしていて、罪悪感などかけらも見えない。犯罪だと思ってないのか、それとも捕まらない自信があるのか。彼の答えはどちらでもなかった。
「可哀そうだと思ったんだよ。それが理由さ」
端から聞けば不可解すぎる動機に、思わず雪華の眉根が寄る。男は至って真剣な口調で続けた。
「僕が声をかけるのは、大体が心に抑圧と鬱屈をため込んだ人々だ。そういう人って、欲望の制御が下手くそなんだよね」
だからその後押しをするのが、彼の仕事なのだと言う。
「欲望っていうのは厄介だ。初めは小さな望みでも、そのうち際限なく膨らんで身を滅ぼす。かといって無理に抑制すれば、今度はストレスで潰れてしまう。対処法は二つ。欲望を適う能力を身に着けるか、趣味や娯楽で発散させる」
ほとんどはそれで大体バランスが取れるが、そうではないケースもある。
世間的には不道徳とされるものや、叶えること自体罪となるもの。そんな願いに身を焦がせば、人はおのずと病んでいく。
「だから、そうなる前にガス抜きさせる。そのためのきっかけ作りが僕のお仕事。もっともお金はもらってないから、単なる人助けといったほうが適切だね」
「それであなたに何の得が?」
「とても気分がいい。充分な報酬だろう?」
同意を求められても、雪華にはさっぱり納得できない。
この男の考え方は独善に満ちていて、巻き込まれる人間の事がちっとも考慮されていない。
「今回の犯人も、そういう病んだ人間だったんですか?」
「そういう事。遅かれ早かれ、事件は起こしていただろうね」
「だから見逃せと?」
「そうは言って無い。今後どうなろうと、彼を助けることは二度とないよ。チャンスは何度も与えるべきじゃない」
なんだか投げやりなやり方に、なるほどこれは仕事ではないと思った。
この仕業は単なる邪悪だ。ただ自分の楽しみのために、心からの善意を装い、人を操り掌で転がす。巻き添えになる者のことなど、鼻から考慮に入れていないのだ。
ふつふつと怒りがこみ上げ、雪華はきつくこぶしを握った。だがそれを振りかざせば、男は容赦なく雪華を撃つだろう。それでも立ち向かうか、逃げるかするべきだった。男の言葉を、これ以上聞かないためには。
「ところで、君も鬱屈を抱えているね。それも随分根深いようだ」
優しく甘い囁きと、針のような鋭い視線。男が定めた次の獲物が自分なのだと気づいたとき、雪華の全身が総毛立った。
「……何のことかわかりません」
「そうかい? その割には随分姑息な真似してたけど」
男がかすかに首を傾け、冷笑を口に浮かべる。雪華はとっさにポケットに手を伸ばしたが、いつの間にか伸びた男の腕がその行為を制していた。
「咎めようってんじゃない。黙って持って帰ればいいさ。でも本当に叶えたいのは、そんなちっぽけなものじゃないだろう?」
「……見透かしたようなこと言わないで! あたしはただ、あの子の事を守りたいだけだ!」
たまりかねて叫んだはずが、その声は掠れ、震えていた。つかまれた腕も振りほどけず、膝がかくかくと笑っている。
男は笑みを一層深め、雪華の耳元へ口を寄せる。
「君の決意はご立派だけど、その調子で成し遂げられる? 具体的にはどうするつもりだい?」
「あんたを警察に突き出すわ。他の事はその後よ」
強がりながら、視界は涙に濡れていた。自分はこんなにもか弱いのかと失望した。それでも目はそらさない。土足で心のうちに踏み込んだことを、決して許すつもりはない。時間にして一分ほど、雪華はずっと男を睨んで、そして。
「……ふむ。有難迷惑だったかな?」
男はつぶやき、やおら雪華を解放した。音もなく後退し、潔く頭を下げる。
「すまないね。どうも僕は、人の事情に踏み込みすぎる」
それは謝罪と呼ぶには軽すぎるものだったが、雪華は今それどころではない。息を喘がせ、必死で足腰を奮い立たせる。まだ何かするつもりなら、今度こそ大声を上げようと思った。しかし男は何もせず、居住まいを正すにとどまった。
「非礼を働いたお詫びに、一つ贈り物をしよう」
厳かに男は言って、銃を持たない左腕を大きく振るった。かすかに風を切る音がしたのち、彼の手にはそれがあった。
銃。拳銃。ハンドガン。
自分の物より小型なそれを、男は雪華に無造作に放った。思わず受け取ってしまう。見た目よりはるかに持ち重りがした。紛れもない本物だと分かった。そんなものを与えてどうするというのだ。
「いらない……こんなもの、貰ったってどうしようもない」
「それならどこかに捨てればいい。でもね」
──大事な人を守りたいなら、こういうのも必要じゃない?
その言葉にはっとして、雪華が再び面を上げる。男はすでに消えていた。
音もなく、気配もなく。最初からそこにいなかったみたいに。




