ナイスフィッシュ脅迫
耳をつんざく銃声がした。今から避けても間に合わない。避けようとも思わなかった。
多分一度安堵したから、危機感は品切れなのだ。
……などとのんきに思えるくらい、異変らしい異変は何もない。何故なら銃弾は外れていた。頭の右側を風圧が駆け抜けていく。
つまりはわざと外したのだと、遅まきながらに思い至る。
では、何故。何故そんな真似をしたのだろうか。
何のことはない。標的が千咲ではないからだ。
硝煙がたなびく中、千咲は恐る恐る振り返る。
そこには雪華が──ずっと一緒だった幼馴染が、千咲の知らない険しい顔でこちらを睨みつけていた。左腕が肘のあたりからだらりとしている。撃たれたのは明白だった。そしてまっすぐ伸ばした右腕には、すっかり見慣れた形の凶器。
その先端にあるちっぽけな奈落を楓に差し向け、雪華は血を吐くように叫んだ。
「……千咲から離れろ!!」
◆
友達と恩人が、自分を挟んで銃を突き付けあっている。
それは今夜の出来事の中で最も衝撃的で、一等意味の分からない──わかりたくない光景だった。
(いや、違う)
心が拒絶しているだけで、頭はちゃんと働いている。
楓が千咲を撃つふりをした。だから雪華が銃を抜いた。楓はそれを狙って撃った。つまり千咲は、またもや囮にされた訳である。一粒で二度おいしいとはこの事か。
「ってそうではなくて! やり方があくどい!」
「仕方なかったんですよ。まさか身体をまさぐるわけにも行かないでしょう?」
「……確かに」
恩人とはいえそんな事をしたら、千咲と言えど本気で怒る。しかも武器を持った相手なので、とっておきの合気道地獄をお見舞いせざるを得ない。そうならなくてよかったが、依然としてこの状況をどうすればいいのか分からない。傍らにいる蜜葉も、おろおろしながら成り行きを見守るばかりだ。
雪華が楓を睨んだままだ。その手にあるのは柳ケ瀬と同型の銃。ポケットに収まるほどコンパクト、しかし威力はそうではない。
「……どうしてこれを持ってると?」
「単なる勘……と言いたいところですが、あなた方をこっそり観察してました」
「へぇ? それじゃわざわざ出てくるタイミングをうかがってたって事?」
「貴方がそれを出すのを待ってたんですよ。回収漏れは避けたいですからね」
「ところがあたしは銃を出さなかった。だから仕方なく打って出た。アンタにとって、千咲は安全はついでな訳だ」
「最優先でない事は確かですね」
楓がきっぱり断言すると、雪華がギリリと奥歯をかんだ。
「……千咲、早くそこから離れな。アンタに弾が当たっちゃう」
「無理だよ。撃ち合いなんか見たくない」
千咲はやるせなくかぶりを振る。
雪華の構えは堂に入っていて、柳ケ瀬なんかより遥かに凛々しい。このまま退いてしまったら、躊躇いなく引き金を引くだろう。そうなれば楓もきっと、手加減なんかしてくれない。なのでつい、すがった口調で訊いてしまう。
「……穏便なやり方はないんですか?」
「これでも善処してるんです。彼女には聞きたい事もありますし」
「聞きたい事?」
「彼女に銃を渡した人物について」
「……!!」
その言葉には千咲のみならず、雪華も表情をこわばらせた。
そうだ。柳ケ瀬の言うところの『救世主』とやらに、雪華も会っているはずなのだ。
何故その人物は、人々に銃をばらまくのだろう。
そうすることで何の利益があるのだろう。
そしていつ、雪華はそれを手に入れたのか。
楓の口ぶりからして、因縁の相手であろう人物の事は、千咲も気になるところである。……決して、今の今まで忘れていた訳ではない。
楓は彼のいう所の善処を続ける。平素と変わらぬ穏やかさで、依然銃口を向けたままで。
「大人しく銃を捨てて、知ってる事を話してください。悪いようにはしませんから」
「……そんな口車に乗るとでも?」
「やりようはありますよ? 的は一つではありませんので」
楓はチラリと千咲を見やり、微かに銃口を傾けてみせた。雪華の殺気がますます膨れ上がり、銃を握る手にも力が籠る。
(だからやり口が悪辣だと)
内心でボヤくも、ここは楓に乗るしかない。
「雪華ちゃん、教えてよ。巻き込まれっぱなしはもう嫌だよ」
何とも緊張感のない頼み方だが、本心なのだから仕方がない。それでも結構効果はあった。一瞬口を開きかけ、思い直して弱弱しくかぶりを振る。
「……言えないよ。いったらアンタに軽蔑される」
「どうして? 雪華ちゃん言ったじゃん。何でも頼れ、あたしはアンタの味方だって」
「そうだね。そこは信じてほしいかな」
「私だってそうしたい。けど、今のままじゃ完全には難しいよ」
そう言うと、雪華がと胸を突かれた顔をした。
彼女に悪意がない事ぐらい、千咲にも分かっている。隠し事の一つ二つ、お互いにあって当然だとも。
けどこれは──今までの一連の出来事に関しては、きちんと全部知っておきたい。半年間も耐え忍んだのだから、それぐらいの権利はあるはずだ。
「話したら、アンタはこっちに来る?」
「……前向きに善処します」
その返答に雪華は酷く疲れたため息をついたが、こういう時の千咲の頑固さを彼女はよく知っている。弱り切った苦笑を浮かべ、スカートのポケットから小さな布切れを取り出した。
「これ、なんだかわかるでしょ」
花柄のハンカチだった。どこにでもある可愛らしいものだが、見覚えがあるような気がした。
それもそのはず、雪華にしては少女趣味なその品は、千咲が母から買い与えられたものだ。
あの日更衣室で盗まれたはずの、千咲のハンカチだった。




