国内版ならビデオスルー
──走って、走って、走り続ける。
汗みずくの身体で息せききって、千咲と雪華は走り続ける。
試験終わりの放課後の校舎に人影は見当たらない。これ幸いと全速力で駆け抜ける。二人の足音と吐息が、古ぼけた廊下に響く。
それからほんのわずかに遅れて、荒々しい足音が続く。おかしくなった生徒たち──それぞれ粗悪な拳銃を掲げ、逃げる獲物を追いつめる。嘲笑交じりの銃声が轟く。流れ弾がすぐそばをかすめる。雪華の足がにわかに竦み、千咲が腕を強く引っ張る。
「止まっちゃダメ! 頑張って!」
千咲の檄に幼馴染が頷き返すが、依然として出足が鈍い。彼我の距離が縮まっていく。それでもこの手は放さない。
(ずっと守ってもらったんだ)
今更手放すくらいなら、素直に撃たれた方がまだマシだ。
だから職員室が見えた時、初めて自分が泣きそうなことに気づいた。珍しい、と他人事のように思う。だけどまだ涙は早い。泣くのはすべてを終えてから──この悪夢を終わらせてから。
職員室の手前についた。ノックもなし、引き裂くように引き戸を開ける。
「せ」
んせい、と続けるはずだった。
そう呼ばれる人間は、もうこの場にはいなかった。いるのは銃を握った変態と、眠るように突っ伏した大人たち。
見ようによっては宴会の三次会みたいな有様だったが、勿論そんなわけがない。
「悪いな。先生がたはいただいちゃった♡」
変態が言った。いつもと変わらぬくたびれた笑みで。握った凶器が向く前に、二人はくるりと踵を返す。
「待てよぉ。逃がさないぞぉ」
間延びした恫喝が追いかけてくる。クラスメイトも追い付いてくる。
千咲たちは振り返らない。恐ろしくて振り返れない。あの場で何が起きたのか──今は決して受け止めてはならない。
◆
「やっぱりちょっと受け止めとくべきだったかも……」
「……(頷く)」
そう反省したのは、それから少し後の事だった。二人は今、体育館に身を隠している。
職員室を脱した後、千咲たちは隠れて休める場所を探し求めた。
勝手知ったる校舎であるが、それは向こうも同じこと。二人は校舎の外へと活路を求め、ほどなく雪華がそれを見つけた。
裏庭に回り込み、ダメ元で向かった先──体育館の裏口の鍵がかけ忘れられていたのだった。
そこは演劇部や放送部のちょっとした資材置き場になっていて、中に入るとステージの袖口へと通じている。
一瞬罠を疑ったが、もう体力の限界だ。否応なく飛び込んだ。
転がり込むなり扉を閉め、早鐘をうつ鼓動を鎮める。走りすぎて胸とわき腹が痛い。酸素がちっとも足りなくて、全身悲鳴を上げていた。
埃っぽい空気をガンガン肺に送りこみつつ、千咲は逃走中に見たものを反芻する。
「……増えてたよね?」
「……(コクコク)」
端的な質問にも、雪華はきちんと応えてくれる。やっぱり見間違いじゃないらしい。
んで何が増えてるのかと言えば『人数』がだ。
柳ケ瀬を頂点として、生徒が6、大人が4。
ちょっと見ぬ間に11人。こっちは依然ダブルスなのに、向こうはサッカーが出来てしまう。さらにその増えた大人が、
「……先生だったよね?」
「……(コクコク)」
そう、先生だったのだ。さきほど職員室で倒れていたのは、確かに彼らだったように思う。雪華も赤べこ並に頷いてるので、これも多分間違いない。
さて、ここで新たな疑問が浮上してくる。
「……なんで先生も追っかけてくんの?」
「……全員変態だったとか」
中々愉快な推論だ。
最悪それも考えるべきだが、千咲の見解は少し異なる。職員室で出くわした柳ケ瀬の言葉が、ヤな感じに引っかかっていた。
「悪いなぁ。先生がたはいただいちゃった♡」
思い返すだに気持ち悪いが、グッと堪えて思考をめぐらす。
さてここで疑問──柳ケ瀬は他の教師の何をいただいたのか?
普通なら命である。しかし先生は元気いっぱい動いている。と言う事は生きている(多分)。
疑問──先生はなぜ向こうに協力するのか?
柳ケ瀬や生徒は銃を持っている。けど、脅されていたようには見えない。むしろ率先して動き回り、ふざける生徒を叱りつけてさえいた。
推測──奪ったのは『心』ではないか?
何らかの手段、例えば催眠術的なサムシングで先生たちの思考や精神を捻じ曲げ、手ごまに作り替えたのではないだろうか。
常識的に考えて、そんな事はまずできない。
だが、可能であると仮定すれば──その根拠は、やっぱりあの銃だと思う。FNのうんたらかんたら。ポケットサイズの恐ろしい凶器。
そこから撃ち出されるのは鉛ではなく、花弁の詰まった銃弾だ。マーガレットの花言葉──「信頼」と「真実の愛」を込めて、そうあれかしと撃ったとすれば。
(……一応、説明はつく。けど……)
こんなのは妄想だ。馬鹿げているし狂っている。なのに確信めいたものがあるのは、千咲も撃たれかけたからに他ならない。
その時はお守りが守ってくれた。あの現象も大概謎すぎたが、今はいったん置いておく。
◆
妄想を差し引いても、現状は映画みたいな有様だった。
学校に銃を持ったならず者が多数。なんとかピンチを切り抜けてみたら、敵がどんどん増えていく。
B級アクションと思っていたら、オブザデッドが混ざってきた。欲張りセットにもほどがある。
「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」
「多分ね。……で、どっちがステイサム役なわけ?」
「私はブルースウィリスがいいなあ」
こんな時に軽口が出るのが少し不思議で可笑しかった。多分やけくそなんだろう。でも一人で落ち込むよりずっとマシだ。
二人はアリーナへと移動し、壁際の窓から目だけをのぞかせた。
外はもう日が傾いて、真っ赤な夕日が校庭と街並みを染め上げている。それ以外はいつもと変わらぬ久慈が丘の街並みだ。
早くあそこへ帰りたい。帰ってお腹いっぱい好きなものを食べて、温かいベッドで休みたい。千咲ですらそう思うのだから、雪華もその思いはひとしおだろう。
なんとしてでも脱出する──その為にも、どうするべきかを考えなければ。
ぱっと思いつく限り、選択肢は幾つかある。まずはこちらも味方を増やすことだ。
「雪華ちゃん、ケータイは?」
「……ない。さっき教室で落としちゃった。アンタの方は?」
「残念ながらこんな感じ」
千咲がポケットから取り出したのは、液晶が粉々に砕けたスマホの残骸だった。
教室で雪華をかばったときに、銃弾が直撃したのである。運が悪いとは言うまい。身体に当たらなかっただけましだ。
しかしこれで、通報するという選択肢は取れなくなった。
正直かなり痛いが、まあ予想の範疇ではある。
選択肢その2、どうにか気合で脱出する。
ここから校門までの距離はざっと300メートル少々──最短距離を突っ切れば外に出られるが、向こうも監視している可能性が高い。では裏門や裏庭ならどうか。これもやっぱり難しい。基本こちらは閉っているし、敷地の周囲は高さ数メートルのフェンスが囲んでいる。上っているところをズドンとやられたら泣くに泣けない。
それに運よく脱出できたとして、銃を持った危ない奴らをほいほい外に出したくはない。何発弾があるかは知らないが、それに賭けるのは無謀すぎだ。
その3、折衷案。
どちらかが囮になり、もう一人が外へと連絡する。なかなかいい案に思えたが、雪華に逃げろといった所で聞くわけがない。千咲が同じことを言われても「はいそうですか」とならないのだから、無理強いは出来なかった。
(……詰んでるかなぁ)
声には出さずに自嘲した。何だこれ、ないない尽くしで嫌になる。
どうも悲観的になりがちなのは、多分お腹がすいているせいだろう。やはり空腹は悪である。
落ち着いて、もう一度状況を整理する。
すでに日は傾いていて、暫く待てば夜になる。視界が悪くなればこちらは動きやすくなり、向こうは監視がしにくくなる。そこを上手く事つくことができれば、あるいは。
(それでも、正門と裏門はダメだ)
夜になれば、まず間違いなくここを固める。逆に、校舎の方はやや手薄になるのではないか? そして中には何がある?
教室には雪華のスマホが、そして職員室には固定電話がある。とにかく警察を呼ぶことができれば、突破口は開けるはずだ。
懸念はまだ残っている。
電話が奪われたり使えなくされたり、そもそも待ち伏せされたらどうしようもない。けど、その可能性は低いと思う。 向こうも追いかけっこに夢中だったし、逃げた獲物が戻ってくるとは考えにくいはず。
最も警戒すべきなのは、途中で鉢合わせてしまう事だ。夜の校舎で至近距離からご対面ともなれば、そこでジ・エンド確定である。
でも、だったら──。
「……何考えてんの?」
幼馴染の訝しむ声に、ハッと意識が引き戻される。
何でもないと言いかけて、また口をつぐんでしまう。思い至った可能性に、否応なく惹きつけられていた。
今ここに雪華がいるのは、幸運以外の何物でもない。千咲はつい嬉しくなって、雪華の手をしっかりと両手で握りしめた。
「聞いて、雪華ちゃん。お願いがあるの」
「え、何? おやつ? ガン見しても何もないけど?」
「それもあるけど、もっとずっと大事なことなの」
◆
──戦おう、と千咲は言った。
勿論、正面からではない。基本はあくまで隠密に、ひっそり校舎に忍び込む。普通に目的が果たせればそれでよし。だが途中で見つかったその時には、二人でゲリラ的に戦うのだ。
夜の校舎には死角が多く、とっさに銃で狙うのは難しい。あとは囲まれないように立ち回れば、そう簡単には捕まらないはず。
と言うようなことを熱く激しくプレゼンした結果。
「いいよ、分かった」
意外にあっさり許諾された。これはかなりの予想外。てっきりお怒りあそばすと思っただけに、少々拍子抜けしてしまう。
「振っといてなんだけど、多分メチャクチャ危ないよ?」
「馬鹿。頼れって言ったのはあたしだろ。ちゃんと巻き込んでくれないと困る」
何とも頼もしい王子様のお言葉である。この際、先ほど震えていたのは忘れておこう。
さて、善は急げと行きたいが、日没には少し時間がある。もう少し作戦を煮詰めておきたい。
「どっちから先に行く?」
「職員室の方が確実かな。1階だし、途中で見つかっても引き返せるし」
「じゃあそれで行こう。あ、歩く順番は私が先ね」
「は? なんで? 狙われてるのアンタでしょうが」
「だからだよ。向こうが私に集中すれば、それだけ雪華ちゃんが動きやすくなるでしょ。それに──」
そこでいったん言葉を区切り、雪華から目をそらす。
さあ言うぞ──極力何でもないように、柔らかく微笑みながら。
「……雪華ちゃん、ちゃんと武器を持ってるもんね?」
「……!!」
一気に空気が緊張した。見慣れた幼馴染の顔が、馴染みのないものへと変じていく。それは怒りや殺気ではなく、むしろ痛恨とか悔悟とか、あるいは絶望と言うべき表情だった。
深い深い嘆息をして、雪華が力ない微苦笑を浮かべた。
「……知ってたんだ」
「と言うか、わかっちゃった」
教室でかばってくれた時、雪華はしきりにポケットを気にしていた。それに彼女は、例の白い男らしき人物を知っている。
これで何も分からないほど、千咲も鈍いわけじゃない。
「……何を持ってるかは知らないでおくね。雪華ちゃんを信じてるから」
雪華が千咲の理解者なように、千咲もまた雪華を大体のところで理解している……はずだ。彼女が敵なわけがない。これまでの行動からも、それだけは間違いない。だからあえて問いかけた。
雪華はしばし、がっくりと肩を落としてうつむいた。心の整理をしているのだろう。暫くの間そうしてから、ジトッとした目で千咲を睨んだ。
「……ほんっとに無茶だけはしないでよ。アンタが撃たれるなんて嫌だかんね」
「そこは多分大丈夫。受け身には自信あるし」
「いやそれ撃たれたら意味ねーから。消力でも使う気かよ」
突っ込みが小気味よくて、つい顔がほころんでしまう。雪華も随分さっぱりしていて、ピーターパンみたいに笑っている。
これでいい。このぐらいがいい。だって、映画みたいなピンチなのだ。映画みたいに解決しなくてどうすると言うのだ。ブルース・ウィリスとステイサム。二人そろって負けるだなんて、そんな映画はあり得ない。
そしていよいよ陽が沈む。
どちらからともなく頷いて、気分だけはほとんど無敵で踏み出した時。
ステージライトが突然灯り、二人の少女の目を灼いた。
「──お話はまとまったかな?」
愉悦の滲む男の声。ぎくりとしながら目をこらす。
誰だなんて問うまでもない。カジュアルに凶器をかざし、嘲笑まみれで見下ろすそいつは、明確に敵だから。
ステージ上から変態教師とその従僕が、JK二人を生暖かい目で見おろしていた。




