3話 視点:勇者 遠くの日照りのような少女
シュテリアル。
それが、この星の名前らしい。勇樹の世界で言う、地球のような意味合いを持つそれは、舌の上で転がすような心地の音をしている。シュテリアルの文字は、勇樹にはまったく馴染みのない形をしていたけれど、覚えるのはそう難しい事ではなかった。勇樹の頭が元来それほど悪くなかったのも勿論あるだろうが、一番の要因がエドワードの教え方が上手いという理由なのが分かっているから、勇樹はそれに思い当たる度に渋面を作らざるを得ない。今では文庫本程度ならつっかえずに読めるようになったので、部屋の本は綺麗に読み終え、絵本は真っ先に突っ返した。
「気に入ると思ったんですがねぇ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
顎に手をやり嫌な笑みを浮かべるエドワードに、勇樹は沈黙で返した。
ぶっちゃけて言えば、絵本自体はモロ好みだった。
鮮やかな色使いなのに優しいタッチの絵は好感が持てたし、読んでる時のワクワク感は巨大スクリーンで見る映画にだって負けてない。そこからまさかのサプライズウルトラハッピーエンドと来たら、好きにならないという選択肢は用意されていなかった。ブラウニーにすら内緒にしているけれど、読みながら勇樹は号泣した。実は翌日シーツと毛布を洗うために持って行ったブラウニーを通じてバレている事を勇樹は知らない。
現在、勇樹のレベルは50だ。
一般的RPGならもう中堅レベルである。
剣は、自分で言うのもどうかと思うけれど、結構上達したと思う。毎日500回打ち倒されているけれど、斬り合いの数は一日一枚紙を重ねるが如く、静かに、着実に増えていった。
魔法はちっとも上達しなかったけれど、エドワードの言う初級魔法ならば問題なく使えるようになった。掌の上に浮かぶ炎を見るとき、勇樹はいつも温かな気持ちになる。水よりも風よりも、勇樹は炎魔法を好んだ。エドワードはそれを見ると仕方ないなと言いたげに苦笑して、なら炎魔法だけなら中級魔法に進めそうですね、と言った。飴と鞭が上手い男である。
前述した通り勇樹はもう文字がすっかり読めたので、2ヵ月前からは練習を兼ねておつかいも任された。実際に見た方が、この国を理解しやすいでしょうから、と。
いちばん初めに買ったのは、勇樹の好きな林檎によく似た果物だった。
その頃には、シュテリアルと勇樹の世界の食卓事情が大分異なっている事を知っていたので、勇樹はとても胸がむず痒くなった。くそ、こんなことで絆されないんだからな。
エドワードは、教師としては一級だった。
生意気を言ったら偶に拳骨が飛んでくるくらいで、基本的にいつもへらへらと笑い温厚(感情をあまり昂らせないとも言う)で、授業はそりゃあもう厳しくて厳しくて厳しいけれど、決して褒めないわけではない。褒めるが1に対して嫌味が6、叱咤が3くらいの割合だけれど。けれど、このヒトに教わることは、悪くないとは思っている。いや嫌いだけどね。でも、まぁ、サウダーデと呼ばれるのは嫌いなのでやめてくださいと言われて、お、おう、と応えてしまう程度には、その、そういうわけだ、察してくれ。師匠、と呼ぶと彼はちょっと居心地悪そうながらも、それでいいです、と言った。だから勇樹にとっては、エドワードは師匠であり、二人は師弟という名前になった。
今ではすっかり様が付き、今日も勇樹は「ちょっとお使い行ってきて」という言葉と、買い物籠と幾枚かの硬貨が入った財布を放り投げられ、城下町へと小間使いをすることになった。
ヴェロニカ王国首都チェーラは人が絶えず往来し、市場などは人がごった返していて、勇樹は初めて見たとき咄嗟に人がごみのようだ・・・というセリフを吐いてしまうほどだった。行きつけの八百屋、肉屋を回るだけで息切れするレベルである。鍛えてるはずなのに、何故だ・・・首を傾げ肩を回して、最後の店、魔法具店へ入る。
ここは少し入り組んだところにある事もあるが、そもそも魔法をまともに使える庶民が少ないということで、いつも人は少ない。
「こんにちは、ミリアナさん」
「ユウキくん、いらっしゃい!」
ふわふわとあちらこちらに跳ねた柔らかそうな薄い赤毛を風にたなびかせ、店の最奥のカウンターの向こうにある椅子に座る、店主・ミリアナは柔和に微笑んだ。
ここ、ミリアナ魔法具店は外装からしておどろおどろしく、勇樹も最初は如何にも黒魔術的な道具でも売っているのかと思った。
一番初めに来た時、スタスタと慣れた様子で入っていくエドワードと店を何度も見つつ、店に入っては驚いたものだ。明るい店内はともかく、エドワードと一言二言会話をした後にミリアナが勇樹に最初にかけた言葉が。
「あら!あなた新人君?なら『16歳、初めてのくろまじゅつ!』、『昼下がりは風魔法の香り』、『むきだし炎魔法』あたりがオススメさね!」
「死んでくれ」
エドワードの敬語が外れるところを初めて見た瞬間だった。
どうやらこの店主が直々にしたためた本らしい。勇樹の口元は引き攣ったし、エドワードはごみを見るような目をしていた。
「今日のオススメは『あぶない――」
「そういうのいいので!それより、師匠がロッドの調整頼むって!!」
今日もミリアナは何か新作を著したらしく、キラキラとした目で勇樹を見たが、当然バッサリ遮る。ミリアナは唇を尖らせいかにも不満ですといった顔をしたが、勇樹の差し出したロッドを見るや否やスッと真剣な顔になった。
マスカット色の眼が細められ、ロッドを傾けて柄から水晶の嵌る先端まで検分するかのような目つきで確認していく。
「こりゃまた結構酷使したねー」
「直りますか?」
「当たり前。一時間くらいかな、店の裏で暇でも潰しておいで。サービスでウチの店の本どれか一冊なら貸してあげるよ」
「わーい!ミリアナさん有難うございます!」
「ハイハイ」
ヒラヒラと手を振るミリアナに一礼し、店の奥へお邪魔させてもらう。ミリアナは仕事が早いので、こういう展開は多々ある。そのため、勇樹はこの店の構造と本棚の内容は完全に把握していた。ミリアナ著作の本は綺麗に視界から外し、明日から教えるから予習しといてくださいね~、と指定された本を見つけて手に取る。ハードカバーもびっくりの分厚い本を両腕に、店の真裏にある小さな庭へ裏口から出た。庭には隅に花壇と大きな桜の木、中央にガーデニングテーブルと椅子が二脚ある。
その内の一脚に腰を下ろし、膝に本を乗せて開く。微かな埃を片手で払いつつ、もう片方の手を振って、簡易パラソルを出現させ、うまい具合に日陰を作った。中々の出来に満足しつつも、本の内容へ視線を向けた。
どれほどの時間が経った頃だろうか、ミリアナの出来たよー!という呼び声に慌てて顔を上げて本を閉じてはぁいと返事をする。
そこでようやく、傍らに人がいることに気づいて身を固まらせた。
ふわり、と桃色の花弁が舞った。
季節外れの桜の木が木の枝に花を満開に咲かせ、春の歓びのように穏やかに、嫋やかに花びらを散らす。
花壇のスミレやヒマワリも顔を上げ、朝顔が歓迎するように薄い花を優しく開いている。
それを背景に、一人の少女が眠っていた。
カーテンの隙間から差し込む朝日のような柔らかな金髪に、透き通りそうな白い肌。
閉じられた目を縁取る睫毛は長く、優しい薄紅色の唇から、すー、すー、と静かに呼吸を繰り返していた。
天使が休んでるんです、と言われても納得してしまいそうなほどの美しい少女。エドワードのような冷たい印象を受ける美形ではなく、遠くの日照りのような、手の届かない、どこか神聖にも思える雲間から覗く天使の梯子のような、少女。
―――いや、というか、何方様?
「ユウキ遅い!って、あぁ、ステラがいたんだったわね」
「お、お知り合いですか?」
「あー、まぁね。ほらステラ!起きなよ、もう昼よ!」
ミリアナがゆっさゆっさと遠慮なく少女を揺さぶる。そんな無造作に扱っていい子なのかこの子は?と内心で混乱しながらおろおろしていると、少女は眉根を寄せてうーと唸った。
「んぅ・・・やだー・・・起きたくないー・・・・」
「アンタの隣の少年は起きてるわよ」
「起きます!おはようミリアナ!」
「おそよう、ステラ」
少女が眼を開きしゃきん、と背筋を伸ばした。
開いた眼はハッとするほど澄んだ青色で、一層美少女に磨きをかけているのだが、いかんせん言動がどこかゆるっとしていて、つい擬音がひらがな表記になってしまうような、どうにも締まらない感じだ。
少女はミリアナに元気よく挨拶した後、ぱっと勇樹を振り向いた。ほけほけした空気は消え、可憐な顔は一瞬にしてきりりと緊張した色を浮かべる。
「初めまして、勇者様。私はこの国の王女、ステラ・ディア・エル・ヴェロニカと申します。挨拶が遅れてしまった事、深くお詫びさせて下さい」
「えっ、いやいやいや、頭上げてください!」
そのまま深く頭を下げる少女を、勇樹は慌てて押し留めた。いくらこの世界にまだ疎いと言えど、王女様が軽々しく頭を下げてはいけないことは流石に分かる。
しかし当の王女様は、頭を下げたまま続けて言葉を紡いだ。
「私は王女ですが、貴方の魔法討伐のパーティの一角、『聖女』を承っています。だと言うのにこの三ヵ月顔すら見せられずなど・・・」
「気にしてませんから!いや正直に言えばパーティ構成にめちゃくちゃ興味あったしどんな人達かとても楽しみでしたけど!」
「・・・ヨハンから聞いていないのですか?」
「ええっと、役職は教えてもらいましたけど、どんな人かって聞いても、会えばわかる、としか・・・」
「・・・・・・・・愚弟には私から諫めておきますね。エディ、が話す訳はありませんしね・・・」
少女はがくりと肩を落とし、頭痛を堪えるように額に手をやる。
「重ねて謝罪します。こちら側の不備ばかりで申し訳ありません。その上、本当なら一度貴方の意志や向こうの世界との折り合いも確認した後にこの世界に来ていただく手筈でしたのに・・・あの二人が結託すると、ほんとに良いことないので、あの、私の身内がとってもごめんなさい・・・」
後半にいくに連れて言葉遣いが素に戻っていることに、心からの懺悔と若干の哀愁を感じる。
その一方、勇樹は言いようのない感動を少女に覚えていた。
―――俺、この世界で初めて、本物の常識人と出会ったかもしれない!
なんともはや、悲しい感動である。
やっとこさヒロインが登場。ストックはここで切れたので今日はこの辺で